第6幕 //第3話
「希」
意を決して、俺は切り出すことにした。
「なぁに?」
「この前の、あいつらのことなんだけどさ。ちょっと話したくて––––今、時間いいか」
唐突に切り出した言葉に、希は目を丸くした。
「あいつらっていうのは……」
「福丘で会った、先輩たち」
希は、さらに一回り目を大きくさせる。「いいの?」と尋ねた小さな声には、戸惑いの色が滲んでいた。
「いや、いいってゆーか」
すぅ、と息を吸い込む。
「俺は、希にはちゃんと話したいと思ってたからさ」
今度は丸く見開かれた瞳を隠すように、希は二、三度瞬きをした。そして、ふっと口元が緩む。それはまるで、ほっとしたとでも言いたげな表情だった。
「分かった」
「今でもいい?」
「大丈夫––––聞かせて」
「さんきゅ、じゃあちょっと座るか」
「うん」
俺たちは、中庭のベンチに並んで腰掛けた。
***
「……まぁ、大体そんな感じだ。だから俺は今でも世良たちが許せないし、二度と関わりたくない。希と出会った時も、俺の噂のせいで面倒なことになってたしさ」
そこまで話して、ふう、と一息。
世良たちとの暴力事件のこと、その後周りから受けた態度のことなど大体のあらましを説明し終えると、身体中にどっと疲れを感じた。
なにせ最初から最後まで、つまり俺が暴力事件を起こした理由からその顛末と他人を避けるようになった理由まで、全部話したのだ。こんなの、希が初めてだ。
ただ、じんわりと巡る疲労感とは裏腹に、心はどこか軽い。それはスッキリした、というより、今まで靄がかかっていた世界に風が吹き抜けたような感じだ。達成感にも似た、一つ何かをやり終えた感覚。
ずっと黙って耳を傾けていた希は、俺の呼吸が整うのを待って、それからゆっくりと口を開いた。
「もう、大丈夫だよ」
「……ん?」
「あくまでわたしが思ったことなんだけど」
そう前置きして、希は俺の方を向く。並んで座っていた肩が離れ、代わりに希の瞳が俺の瞳と重なった。丸い、大きな瞳。濁りのない黒いガラスに、惚けた俺の顔が映っている。
「玲央くんは許さなくてもいいし、関わらなくてもいいよ。もう、自分を認めてあげていいんだよ」
希は真っ直ぐに俺を見ていた。それはカメラを構える時の、あの真剣な眼差しと同じだった。
「玲央くんは、後輩と友達を守ろうとしたんだよ。そして、ちゃんと守れたの。その人たちは玲央くんを守り返すことができなかっただけで」
静かに、諭すように希は続ける。
「噂にしてもそう。その噂のせいで、確かに理不尽なことも嫌なこともたくさんあったと思うし、今だってあるのかもしれない。でも、今は今の玲央くんがちゃんといるよ。絵が上手くて、少し付き合い下手だけど話すととっても優しい玲央くんがここにいる」
だから、と一際強い言葉。
「だからもう、自分を認めてもいいと思う。自分を否定する言葉とか噂とか、そんなものよりも、わたしたち友達の声を聞いていいんだよ。好きなこと、自由にやったっていいんだよ。だって今の玲央くんには、中嶋くんや瑠花ちゃんや、たくさん、たくさん素敵な人がついてるんだから」
わたしもいるしね、と付け加えて、希はようやく微笑んだ。
気にすんなとか、逆境に負けるなとか、強く生きろとか。
ひたすら心を強く持って、時には閉ざすことでしか立ち直る術はないとでもいうようなこの世界。嫌なことからは、目を背けるか徹底的に立ち向かうかの二択しかないとでもいうような大人たち。
でも、希はそのどれとも違った。
俺が認められずにいた自分自身を、認めてくれと言っていた。
どうせ話したところで、誰も聞いてはくれないんだろう––––そう思い込んで閉じ込めていた、本来閉じ込められるはずもない蟠り。話しても無駄だと、どうせ誰にも届かないといつしか諦めていた俺の言葉。
それが昇華して、空いた場所には希の言葉が流れ込む。堰き止められない言葉の流れは、ゆっくりと俺の渇いた心を潤していくようだった。
––––––また、本気で絵を描いてみようか。
ふいにそんな事を考えてしまう。昔はサッカーと並んで好きだった絵を、もう一度やってみようか、なんて。
俺は俺の好きなことを、好きなように、してみようかなんて。
押入れに仕舞いっぱなしのキャンパスが遠くで俺を呼ぶ。あの事件の後、俺はサッカーだけでなく絵を描くことも避けてしまっていた。好きなことが嫌な思い出になるのが怖くて、目を背けるようにして。
今回の学園祭で久しぶりにまともに絵筆を握った俺だが、この機会は、もしかしてもう一度やり直せる––––もう一度、俺の好きなように絵を描ける絶好のチャンスじゃないのか。
「玲央くん?」
もう、迷うことはない。
「おーい……玲央、くん?」
俺はもう一度、やり直せるんだ。
「希」
「うん?」
「ありがとな」
「え?」
希は目を丸くする。しかし、何がどうして、という返しはなくて、ただ黙ってこくんと一つ頷いた。
「っし、帰るかぁ」
「そうだね!」
俺は背伸びをして、青々とした広い空を仰いだ。学園祭の準備はまだまだ終わらない。俺はビラ、希も写真部の方があるだろう。そろそろ帰らないと教室の連中にサボったとか思われてそうだ。片瀬にどやされるのも勘弁。
––––––なんて、俺が他のクラスメイトのことを考えるようになるんだもんな。
まだ少し怖がっているヤツもいるとはいえ、ここまでクラスメイトと話すようになったのはやはり希を始め大樹や片瀬のおかげだろう。クラスメイトとつるむ必要なんかない、友達なんていらない、そう思っていた俺はいつの間にか何処かへ行ってしまったようだ。
そうだ。確かに、もう俺の周りは昔とは違うんだ。
軽くなった心を携えて、俺はゆっくりと足を踏み出した。
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