第6幕 //第2話

 ––––––カシャ。


 

 刹那。

 シャッター音が、静寂の中を切り裂いた。



 それは、瞬き一つにも満たない時間。

 思わずはっと息を飲んで、というか呼吸することを忘れて、俺は希を見つめる。微動だにしない俺たちは、進む時間軸の中にただ二人だけ取り残されているようだった。



 ざぁ、と二人の間を風が吹き抜ける。



 俺より少し先で欅の枝葉を仰いでいた希が、ゆっくりとカメラを下ろす。

 止まっていた時が、緩やかに動き出した。



 希は胸元まで下ろしたカメラを覗き込んで、写真を確認すると満足気に頷く。どうやら良い写真が撮れたらしい。

 俺は一歩、そっと足を踏み出して声をかけることにした。


「おい、のぞ……––––」

「この時期の紅葉樹って、素敵だよね」

「……え?」


 こちらを振り向かないまま、希はふいに呟いた。もう後何歩か遠くにいれば独り言だと思うほど、それは微かな声だった。

 俺は一歩踏み出した体勢のまま立ち止まって、希の方を伺う。


「日に日に、日が昇り沈んで時が移りゆく内に、私たちの気付かないところで少しずつ少しずつ色付いていくんだもん」

 そう言って、希は再び欅の枝葉を仰いだ。

「この木だって同じ。気がつけば、もう“変化”は始まっている。日に日にその色合いを変えて、段々と暖かい色に染まって。一日たりと決して同じ顔は見せてくれないの」



 一陣の風が、再び中庭を吹き抜けた。



 黄金色きんいろに色づいた欅の葉は、その流れにのってさざめく。少し伸びた希の黒髪もまた、どこまでも吹き抜ける風に持ち上げられ靡いた。

 俺は一歩、立ち止まったままの足をゆっくりと前に出す。

 校舎の上から差す陽光が僅かに近付いた欅の黄金色に反射して、まるで木全体が輝きを帯びているようだった。



「わたしは逃したくないなぁ」

 そう言って仰ぐ空は青い。澄んだ水のように、混じり気なく広がっている。

「逃したくないよ。生きている時の中の一瞬を。彼らが移ろっていく、その一瞬一瞬を」



 ––––––“それぞれのドラマを、その瞬間を、写真という形で切り取りたいの”



 夏祭りに向かう道すがら、希が口にした言葉を思い出す。今日も、きっとその思いでカメラを構えたのだろう。欅の木、その葉が色づいていく一瞬の生を写真の中に切り取って。



「希」

 そっと声をかけると、希はやっとこちらを振り向いた。黒く丸い瞳が、俺の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「いい写真、撮れたんだな」

「……––––うん」

 ふっとやわらかな微笑みが漏れた。

「今日は調子いいみたい。でも、さっきは何だか恥ずかしいこと言っちゃった」


 少し目線を逸らして、人差し指で頬をかく。思い出して恥ずかしくなってきたのか、その頬は薄っすらと赤く染まっていた。

 さっきまでは堂々としていたのが嘘みたいだ。こちらを向いた途端背中で語る時にはあった格好良さは消え、俺の前に立つのはただ一人の(可愛い)女子生徒でしかない。


「いや……やっぱすげぇよ。さすが夢を追ってる、って感じだな」

 そう言うと、希はぶんぶんと首を横に振った。頬は更に赤く染まる。大体予想通りの反応だ。

 


 ––––––いや、別に照れないかな照れると可愛いんだよな、とか思ったからではない。断じて違う。



「そんなことない。玲央くんも一緒だよ」

 希は視線を逸らしたまま口を開いた。

「玲央くんだって、頑張ってる。学園祭の表看板もビラも、わたし、楽しみにしてるんだよ」

「……」

「だって玲央くん、絶対向いてると思う!わたし、ずっと玲央くんに何か描いて欲しかったんだもん!」

「それは……」

「勿体無いよ!絵を描くって、誰にでも出来ることじゃないよ!」

「お、おう……」


 今度は俺が目を逸らす番だった。返す言葉を探す俺の様子を見て、希は恥ずかしさなんてどこへやら、ぐいと身を乗り出すと顔を覗き込んでくる。

 ひょっとして、もしかして、今は俺が頬を染めて……––––いや、断じてそんなことは。俺は慌てて違う話題を探す。



 そういえば、あったじゃないか。

 タイミングを見計らっては切り出せずにいた話題が。

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