第7幕『Seasons revolve』

第7幕 //第1話

 季節は巡った。

 学園祭の時には前原をすっぽりと包んでいた実りの季節も、その熱気がゆっくりと冷めていく頃に吹き始めた北風に攫われていった。


 前原は他の地域に比べ、一年を通じて温暖な地域である。だから冬とはいえ雪が降ることはないのだが、温暖な地域だからこそ住民は寒さに滅法弱い。前原学園も、一時は下着の上に保温性の高い長袖を二枚着込んで、ブレザーの下にはぶ厚いセーター、加えてマフラーに手袋コートという着ぶくれた格好で通う生徒ばかりだった。


 まあ、勿論俺も例に漏れずその生徒たちの一人だったのだが、瑠花––––学園祭を機に“瑠花呼び”をするように頼まれ、いや脅された––––たち派手目の女子は、冬になっても常にスカートをぎりっぎりまで短くし、生足にゆるめた靴下で通っていた。しんしんとした冷え込みをモロに受けそうな格好。オシャレに多少の我慢は必要なのかもしれないが、見ているこっちが寒くなる。

 ただ、「生足って寒くねぇの?せめてタイツ履けばいいのに」という大樹の呟きが「おっさんの感想かよ」と一蹴されていたから、俺は何も言わなかったけどな。


 ちなみに希は、ニットのセーターにブレザーを着て、足元は分厚いタイツ(ニードルとか何とか初めて聞く言葉で説明されたけど分からなかった)だった。見ていて安心できるくらいには防寒していたみたいだ。

 



 そんな冬の日々も、ピークはあっという間に過ぎ去った。一つ上の先輩たちが受けたセンター入試当日が一番寒さが厳しかったらしい。

 

 そして、高校二年生としての生活も残り二ヶ月。

 もう、すぐそこに最高学年が近づいている。一つ上の学年が、大学受験、就職、そして卒業を控えているというのは、言い換えれば俺たちもそろそろ進路というものを明確にしなければならないという事であった。


 俺の周りでも、大樹や陽介––––学園祭以来名前で呼ぶようになった、村上のことだ––––なんかは就職、委員長など成績上位陣は県内外の大学受験と、既に自分の身の振り方を決めているやつはいる。


 だが、俺はまだ分からない。

 

 栄曰く、成績的には、それほど偏差値の高くない国立大学くらいであれば合格可能らしい。迷うくらいなら大学に行っとけとも言われた。すぐに就きたい職があるんじゃなければ、とりあえず大学というのも決して悪い選択ではないと。

 まぁ、俺も就職をするつもりはないから、それは良い。


 問題は、どこに行くか。

 大学に行ったその先、俺は何がしたいのか。


 俺にはまだ、自分の未来が描けていなかった。




 ***




「よっし、行くぞ卓!」

「うんっ!」

 少し前を走る卓に、山なりのパスを飛ばす。卓はボールの着地地点を見極めると、右足で踏切りボールに体を沿わせるように胸を反らした。

 緑色のTシャツの上を、サッカーボールがするりと撫でる。


「ナイス卓!そのままゴールに突っ込め!」

「おい、卓を行かせんなッ!」

 俺をマークしていたが、ゴール前に向かって声を張り上げた。ゴール前では、キーパーともう一人が卓を見据えシュートに備えている。


「卓!」

 小さな背中に向かって、俺も声をかけた。

「よく見て、思いっきり!卓ならいける!」

 ゴール手前で僅かに立ち止まり、右足を大きく振り上げる。返事こそなかったが、振り下ろしたその勢いが答えだった。


 足の甲で捉えたボールが、綺麗な弧を描く。

「キーパー!!止めろッ!!」

「いっけぇええ!」

 両陣営の声と立ち上る砂埃の中、卓の打ったシュートは、キーパーがめいっぱい伸ばした指の先を掠める。そしてトン、という軽く弾む音とともに、公園の隅に作ったゴールラインを割った。

「……っ!」


 一瞬の間。


 子どもたちの間に流れた一瞬の静けさ。それは、すぐに割れるような歓声––––悲喜交々ではあったが––––になり代わった。



「やったな!」

 ゴール前に立つ卓に駆け寄る。

「思いっきり蹴れてた良いシュートだったぞ!」

「そうそう、卓良かったよ!」

「くっそ〜、俺が止められたらなぁ!」

 俺に続いて、健人とかけるも口々に言葉をかける。その声に、綺麗なシュートを決めた当の本人はというと、まだ実感が湧かないような惚けた表情をしていた。


 それもまぁ、仕方ない。卓たちとは夏からサッカーをしているが、俺が知る限り、卓がこんなに良いシュートを決めたのは初めてだから。


「僕、ちゃんと出来てた?」

 二、三度瞬きをして、卓は俺の顔を見上げる。普段はさらさらの黒髪が汗に濡れ、小さな額にぴっとりと張り付いていた。それだけ懸命に走ったのだ。ちゃんと出来た出来てない、というよりも……––––


「卓は、格好良かったよ」


 そう、格好良かった。健人やかけると比べて身体も細く、足が速いとも言えない卓が、俺のパスをゴールまで繋いだ。思いっ切り、気合を込めたシュートを打てた。

 夏から一生懸命してきた練習が、今実を結んだんだ。これが格好良くないわけないだろ?



「まっ、俺もあのくらいのシュートは出来るけどな」

 隣で胸を張るに、黙ったまま軽くゲンコツを入れる。

「いっってぇ!!」

「シュートの前に、かけるは謙遜を覚えろ」

「何だよけんそんってぇ!つかお前いきなり殴んな––––って、イテッ!!」

「お前じゃねぇ、せめて名前で呼べ」

 再び下ろしたゲンコツに、かけるが頭を押さえる。坊主頭が少し伸びたようで、俺の拳には親父のヒゲみたいな懐かしい感触が残った。


「まぁまぁ、玲央兄ちゃん。かけるも」

 健人が間に割って入る。こいつはこいつで、小学生ながら中々空気の読めるやつだ。仲間同士の諍いがあると、必ず中立を保つやつ。大人だなぁなんて思うが、その分苦労人だとも思う。


「何だよ健人、悪いのはこいつだろ!?」

「まぁまぁ」

「くっそ、絶対言いつけてやっからな!」

「誰に?先生にか?」

 恨みがましい顔をするに向かって笑うと、睨んだその目は益々鋭くなった。ま、賑やか坊主を揶揄うのもここらで止めとくか。


 そんな俺たちの様子に、卓も漸くくすりと笑っていた。




 薄暗くなった空の色が、今日の練習の終わりを告げる。冬至から先日が落ちるのは遅くなったが、それでも六時を回れば、辺り一面濃紫色のベールが降りる。


「くっそー!!絶対サッカー選手になって見返してやっからな!!」

「はいはい。言っとけ、言うだけ叶うぞ多分」

「多分って何だよ!」

「多分は多分だな」


 帰り道、子どもたちを家の近くまで送り届けるのも俺の習慣。卓を含め他の子どもを送り終え、最後はかけるだけ。

 今日は卓を褒め称えて帰るつもりだったが、思っていたよりこいつの反抗心に火を点けてしまったようだ。帰る間中ずっとこんな調子で突っかかってくるもんだから、卓は勿論、他の子どもたちとも余り話せていない。


「玲央のことビビらせるくらい上手くなるからなっ!」

「おう。まあ、気長に楽しみにしてるよ」

「くっそー!!来週見とけよ!」

「おう、来週な」

 背中に熱い視線を感じながら、ひらりと手を振る。そして思う。


 

 俺もきっと、かけるみたいな子どもだった。

 きっとあの頃は、かけるの様に、こんなに純粋に夢を語れたんだなぁなんてそんな事を。

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