第5幕 //第5話

 ––––––で、どうしてになってるんだ?



 時は学園祭の模擬店が決まった数日後。眼前に張り出されているのは、「脱出型お化け屋敷」の係分担表だ。そこに記された名前と係の羅列をぼんやりと追っていた俺の目は、ある一行に釘付けになった。



 “紫村玲央:表看板・宣伝ビラ・当日受付”



 ––––––ちょっと待て、落ち着け、俺。


 先日の話し合いの続きで、俺は確かに学園祭当日の受付係になった。同じ受付係の連中と学園祭一日目・二日目それぞれのシフトを組み、約一時間ごとに受付を交代する、それだけの筈だ。


 ––––––それがどうして、まで加えてあるんだ!?



「玲央、おはよ!……ってどうした、お前」

 たった今登校してきた大樹が、教室後方の壁の前で固まる俺を前に薄い金色の眉を寄せた。俺は黙ったまま、眼前に貼られた白い一枚の紙を指差す。

「一体何見て……––––ああ、それ学園祭のやつか」

 俺は確か大道具作りだったよな、と大樹は表の名前を確認する。長身で力のある大樹は一も二もなく一番の力仕事を押し付けられ……ではなく、託されていた。

「んで?玲央は何の係だ?ええと、看板とビラ?あれ、お前そんな係だったか?」

 大樹は首を傾げる。その質問に対して、俺はゆっくりと首を横に振った。答えは勿論NOだ。

「おっ、おう、そうか……じゃあ何で、」



「それは確かぁ、希の提案だったよぉ」

 突然後ろから怠そうな声がした。振り向くと、俺たちの後ろには片瀬が立っている。今日も眠そうに目を擦って、彼女はふわあと一つ大きな欠伸をした。

「片瀬、おはよ」

「ん」

「おはよう。……で?これは希の提案なのか?」

「そ。希が、玲央が適任だって推してたんだよね〜」

 片瀬は右耳の位置で一つに結んだ金髪の毛先をくるくると指に巻きつける。絆創膏の目立つ白い指に巻き取られた髪は、窓から差し込む朝の日差しを浴びて時折眩く光っていた。そう言えば、この前は聞こうとして忘れていたな。指、怪我でもしたのか、って。


 でも今はそんな事を気にしている場合ではない。


「玲央が適任?看板とかビラにか?」

 俺の代わりに大樹が尋ねた。

「あたしもよくは分かんないんだけどぉ。希が、紫村は絵のセンスがあるって言うからさぁ。何か、昔コンクールで入選とか何かしたんでしょ〜?希が言ってたよぉ。あふ、ねみぃ」

 片瀬はそう言って、また一つ大きな欠伸をする。


 俺は頭が真っ白になった。さっき貼り紙を目にした時よりも衝撃は大きい。



 ––––––だって、どうしてだ?



 俺が昔絵のコンクールで入選したことを、そもそも俺が絵を描くことを、どうして希が知ってるんだ……?

「え?玲央って絵とか描けんの!?」

 大樹がまさか、とでも言うように驚きの声を上げた。



 そう、それが当然の反応の筈なんだ。



 俺が、今は単身赴任中の父に連れられて美術館に行き、そこで絵画に出会い、そして自分でも絵筆を取り始めたのは十年近くも前の話だ。絵を描くことが楽しくて仕方なく、毎日帰宅して絵を描いた俺がとある作品コンクールで賞を貰ったのは中学初めの頃だったと思う。

 今でも絵を描くことは好きだが、前ほどキャンパスに向かうことはない。最近なんて絵の具は仕舞ったまま、描きたいと思う瞬間はあれど俺はなかなか筆を取れずにいた。



 ––––––それをどうして、希が知っているんだ。



「まじかよ、超意外!」

 俺が何も答えずに黙っていると、大樹は目を丸くした。

「まぁ、あたしも希が推すならいいかなって思ってさぁ。一番紫村のこと分かってそーだし、紫村が絵を描くとか面白そぉじゃん」

 片瀬も口の端に笑みを浮かべる。


 ––––––俺は、どうしたら、。


 困惑と不安の入り混じった、何とも暗い顔をしていたのだろう。見かねた大樹がポンと優しく肩を叩く。

「玲央、折角だしやってみろよ。手伝えることは俺も手伝うし。な、片瀬」

 振られて片瀬も頷いた。

「そーそー!何かあったら、実行委員のあたしに言ってよね!お化け屋敷の表看板とかちょー目立つし、怖そーなの期待してるぅ!」


 ––––––やるしか、ねぇか。


 理由は分からないが実行委員になって頑張ろうとしている片瀬と、いつも俺に他人と関わる機会をくれてきた大樹。二人が期待しているんなら、断るのは無粋だろう。

「分かった。希に一応聞いてはみるけど、やってみるよ」

 俺の答えに、二人は満面の笑みを返してくれた。

 



***




 さて、表看板と宣伝ビラを任されたはいいが、希には色々と聞きたいことがある。どうして俺が絵を描くことを知っているのか。俺の昔のこと––––コンクールの話まで知っているのか。記憶が間違ってなければ、希の前でそんな話はしたことない。



 俺ははたと立ち止まった。

 


 もしかして、彼女は夢のことまで知っているのだろうか。

 希が写真家になりたいと望むように。

 俺もかつて、絵を職にしたいと思っていたことを……––––

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