第4幕 //第5話

 卓は、その日、ずっと新しい仲間の到着を待っていた。


「卓……ごめん、もう僕帰らなきゃ」

 意を決したように、けんとがそっと声をかける。その言葉を待っていたかのように、何人かの子どもたちも「僕もだ……」「俺も時間が」と口々に切り出した。


 ––––––答える声はない。


「母さんに怒られるから、俺もう帰るわ」

「僕も」


 黙ったまま空を見上げている卓に気兼ねしながらも、一人また一人と子どもたちは帰っていく。ついさっきまで夕焼け色に明るかった空も、今は星々の光が目視できる程であった。


「卓、にーちゃんは忙しかったんだよ」 

「僕もそうだと思う。一緒に帰らない?」

 かけるとけんとだけが再び声をかけたが、卓は力なく首を横に振っただけで何も言わなかった。その小さな背中を見て、二人は顔を見合わせ頷き合う。

「じゃあ……先に帰るよ。卓、気を付けて」

「卓も早く帰れよ」

 二人の声に卓は一度だけ頷く。踵を返し公園の土を踏みしめる二つの足音が遠ざかっていくのが、何故かとても心細かった。


 自分でも何となくは分かっていた。こうして待っていても、新しい仲間は来ないことくらい。


 ––––––でも約束したんだ、僕は。


 卓はぎゅっと両拳を握りしめ、夜空に変わっていく天上を仰ぐ。

 僕は、約束したんだ。小指と小指をきゅっと絡めて、また一緒に遊ぼうねって。一緒に、またサッカーしようねって。




***




「紫村くん、見て見て!」

 放課後。倉持の用事を待っている希に付き合って、俺は教室に残っていた。二人きりになった教室で、希は写真の束を取り出した。目算数十枚はあるだろうか。厚い束になった一番上は、夏祭りでの花火の写真だ。

「それ、全部希が撮った写真なのか?」

「うん」

 希はこくんと頷く。


 これは写真家を目指すだけのことはある––––俺がいうと大分偉そうに聞こえるが、本当にそう思える程写真は写真ではなかった。


 希の持つカメラが携帯のカメラより何倍もいいものであるのは間違いないが、多分希の技術も相当のものなのだろう。写真を撮る技術がどのような物なのかは俺には皆目見当つかないが、色の鮮やかさといいピントの合わせ方といい構図といい、それらは見事なだった。



「やっぱ……希ってすげぇんだな」

 俺にとっての芸術は今まで絵画しかなかっただけに、写真から絵画と似たような感動を受けるなんて驚きだ。現実に起こった一場面なのに、こんなに対象を色鮮やかに見せるなんて。

「そっ、そうでもないよ。こういう写真を撮れる人はたくさんいるし」

 希ははにかんだ笑いを見せた。

「そんなにいるのか?」

「うん。写真のコンテストとかに出したりもしてるんだけど、やっぱり大賞を撮る人の写真はもう、何か、圧倒されるよ!」

 俺にとってはただ感心するばかりだ。この写真でも十分凄いのに。


「でも何て言うか……こう、希の写真ってさ」

「?」

 俺は手元の写真を一枚一枚捲りながら言葉を選ぶ。

 夜空の上で満開に咲く花火は力強く、情熱的で。花開いた後、散り際に残す微かな色は儚くて。月にピントを当てた祭り会場の写真は、ぼかした屋台や人々の様々な色が混ざって賑やかに。それが一日限りの賑わいだとしたら、一つくっきりと写された月明りだけが哀情を誘う。

「……何て言うか、こう、感情があるよな」

 考えた割には余り良い言葉が見つからない。語彙力のなさが露呈する。


 それでも彼女には薄っすらと伝わったようで、少し俯くと照れたように笑った。



 たった数時間の夏祭りの中で、こんなに沢山の色と想いを切り取ったそれが、俺にとっては陳腐だが凄いとしか言えない。プロの写真家がいるのも、写真で人を魅了できる力があるからだろう。少なくとも俺は写真はただの記録でしかないと思っていたし、記録となる写真しか撮れなかったからな。


 ––––––俺も、人を魅了する色を出せたら。


「紫村くん?」

「あっ、おう」

 咄嗟に頭に浮かんだ、終いっ放しのキャンパスを慌てて打ち消す。

「何か考えていたの?」

「いや、写真ってすげぇなって」

「もう、褒めすぎだよ」

 希がふふっと口元に手を添えた。その笑顔に魅入って、可愛いななんて感情が浮かぶ。



 キーンコーンカーンコーン



 その時、今日も計ったようなタイミングでチャイムが鳴り出した。相変わらず狙ったように鳴るんだよな––––って、え?チャイム?何のチャイムだこれ?


 慌てて時計を見て、頭が真っ白になる。短針は既に六を越えている。つまり下校前、部活終わりのチャイムだ。

「希っ、今日何日だっけ⁉」

「え?えーと、二十日だけど」

「っ……まじか!」

 やばいやばい––––今日は五時から卓たちとサッカーの予定で……!今週の月曜が祝日だったから、曜日感覚がずれてたのかっ……!

  

 俺は鞄を引っ掴むと、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がる。

「紫村くん、突然どうしたの!?」

「今日ちょっと約束があったんだ!もう帰るわ!ホントごめん!」

「あ、そうなんだ、ごめんね引き留めて!」

「いや、忘れてた俺が悪いから!気をつけて帰れよ!」

 そう言ってはみたものの、気持ちも身体も既に教室の外に向いている。

「うん!紫村くんも気を付けてね!」

 その声を背中で聞きながら、俺は教室を走り出た。




***




「おにーちゃんは、忘れちゃったのかなぁ」

 そう呟いてみても答える声はない。とっくに暗くなった空には幾つもの星々が瞬いているが、今日はその光さえ冷たく感じる。

 足元に置いたボールが、風を受けて僅かに転がった。


 もうすぐ、七時だ。帰らなくちゃ。


 卓はぎゅっと唇を噛み締めてしゃがみ込んだ。卓には少し大きい、泥だらけのボールを小さな胸に抱える。あの時、おにーちゃんがヘディングして取ってくれたボールだ。一緒にサッカーをして、僕がゴールを決めたボールだ。

 けれど、おにーちゃんはもう……。


 ––––––その時、声がした。


「卓!」

 勢いよく声のする方を振り向くと、––––ああ、もう。良かった。約束、忘れてなかったんだ。

 ホッとして、嬉しくて。何故か目の前がぼやけて歪んだ。


「ごめんな卓!遅くなっちまった!ホントにごめんな!」

 その言葉にぶんぶんと首を横に振る。遅くなっても、来てくれたから。約束、覚えててくれたから。

「待っててくれてありがとうな」

 何を言うのおにいちゃん。だって、僕らは、

「流石、卓だ。俺のかっこいい仲間だな」

 玲央が頭をポンポンと軽く叩く。

「ほんとに、ごめんな。今度は絶対早く来るから。またサッカーしような」



 かっこいい仲間––––そう言われて、卓は溢れ出した涙は止めることはできなかった。



(第4幕 終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る