第3幕 //第4話

「いやー、でも、紫村がなぁ」

廊下を歩きながら、大樹はうんうんと独りごちる。

「なんだよ、って」

「いや〜だってさぁ、毎日一匹狼で、冷めた目してた紫村がなぁ〜大樹って呼ぶんだもんなぁ〜」

「お前、ケンカ売ってんのか……?」

「いやいや、正直な感想だって」


 大樹はそう言って、ニヤリと口の端を上げる。普段、180近いところから見下ろされることはそうそうない。中二以来部活をしていない俺はせいぜい170止まりだから、身長が高いってのは少し羨ましい。


「玲央もさ、少しずつ他の連中とも話してみろよな」

「……」

「なんだかんだ、俺、このクラスのやつは悪いやついねーと思うぞ」

 煩いヤツは多いけどなー、と大樹は付け加える。

「まぁ、あの変な噂のせいで玲央にビビってるやつもいるんだろーけどさ、そんなのは話せば変わんじゃね?」

「そうか?」

「いけるって!ゆーて、玲央全然危ないヤツっぽくないし!」

「……やっぱ“危ないやつ”って思われてんだな」

 ハッキリ、危険因子にされていたことを知らされる。


「や、噂じゃそーみたいだったけどさ、実際違うだろ?」

「それ、俺に聞くか」

 自分で自分を“危ないやつ”なんて言うのは、所謂イキってるやつくらいだろ。

「まあ、気軽にな!」

「気軽、な……」

 そんなこと言ってもな、俺はお前じゃないから。気軽に話す、話しかけられる、それがそもそも一番の難題なんだからな?

 内心ではそう思いながらも、俺は曖昧に頷いた。



 教室のドアを、ガラリと開ける。中には中途半端に着替えた男どもと、汗と色んな制汗剤の混じった特殊な匂いが立ち込めていた。


「くっさ!お前ら、換気しろって!」

教室に入るなり、大樹はデカい声を上げた。

「やー、俺もそう思うんだけどよ!」

「制汗剤の匂いって、混じるとヤベーのな!はは!」

途端、教室は騒がしくなる。


「……大樹、俺、窓開けてくる」

「おう、頼むわ!」

俺は無言で自分の席へと向かった。


「なんでオレンジと石鹸と、ピーチと、レモンと、ストロベリーの匂いとか混ぜてんだよ!」

「チョコレートもあるぜ、大樹!」

「んなの制汗剤じゃねーだろ!」

「ギャハハハ」


背後で起こる笑い声を聞きながら、窓をゆっくりと開ける。

生温い風が、俺の濡れた髪をさらった。


「ってかさー大樹、今日カラオケ寄って帰んねぇ?」

「お、いいな!行く行く!」

 一人の男子が発した提案に、わっとクラス中が盛り上がった。

「大樹、陽介、俺も混ぜて」

「もちろん!行こーぜ!」

「っしゃ、トモやんも参加、と」

 日高や村上といった、クラスで一段と賑やかな連中が集まって、そこには大きな輪ができる。


「あ、そうだ」

 大樹がふいに俺の方を向く。その目は、きっと「お前も来るか?」と聞いている。

 俺は、静かに首を振った。頷けばきっと、大樹はすぐにでも俺と彼らを繋ぐんだろう。さっき言っていたように、話してみるきっかけとして。


––––––でも、まだまだ、ここには馴染めそうにない。


わざわざ俺のことを分かって貰うのとか誤解を解くのとか、そういうのはやっぱり面倒だもんなあ、なんて思ってしまうのは悪い癖だ。

 首を振った俺に大樹は何も言わない。ただ小さく頷いて、すぐに彼らに向き直った。少しずつでいいと、そう言われた気がした。

「じゃ、行くやつは放課後正門な!」

「おう!」

 


 大樹とは、所詮居る場所が違う。方やレッテルを貼られた危険因子で、方やクラスの人気者だ。すぐに同じ場所に立てるわけはない。

 それでも、大樹は友達だと言ってくれたから。今の俺には、もう充分だ。


 

 窓の外、青い空遥か高く。一羽の鳶が、悠々と羽を広げて飛び去って行った。



***



「へー、じゃあ、中嶋くんと友達になれたんだね!」


 放課後の帰り道。体育館での大樹とのやり取りを話すと、希はそう言って目を輝かせてくれた。今日は倉持が習い事の日とかで、一人で帰ろうとしていたところに丁度良く俺が通りかかったらしい。希と二人っきりで帰るのは初めてで、内心少し緊張している。


「でも良かった!中嶋くんって明るいしフレンドリーだけど、最初玲央くん、困ってたもんね」

 例の、席替えの日の話だ。

「あれは、できれば忘れて」

「え、なんで?」

「いや、あれでテンパるって恥ずかしいだろ」

 キャパオーバーして机に突っ伏したなんて、記憶に留めておかないで欲しい。

「そんなことないよ!でも、中嶋くんと玲央くんがどんな話してるかはちょっと気になるかも」

「や、大したことはねーよ……」


 勿論、希と付き合ってるのかどうかの件は割愛して話した。言えるわけはない。今の俺は、友達という括りが出来たことでいっぱいいっぱいだ。



 例の分かれ道––––北門から出てしばらくしたところにある、以前俺が倉持と話した場所だ––––を左に曲がって、俺たちは住宅街をゆっくりと歩いた。

 街に梅雨の名残はもうない。晴れ渡った青空には入道雲が顔を出し、その空を仰ぐように夏の花々があちらこちらで咲き誇っている。



「わたしもね、最近瑠花ちゃんと話すようになったんだ!」

「瑠花って……ああ、片瀬さん」


 片瀬と聞くと、どうしてもまず先に金髪が思い浮かぶ。俺はまだ話したことがない。あたしも話したいと思ってたー、と言う割に片瀬はクラスの賑やかな連中と集まることが多く、そんなやつに俺が話しかけられる訳ではなかったから。


「そうそう!瑠花ちゃんって、すっごく面白いんだよ!わたしの知らないこといっぱい知ってて、洋服とか、美容法だとか、いっつも教えてくれるの!」


 ふふ、と思い出したように希は笑った。

 知らないことが洋服とか美容の話というのが何とも希らしい気はする。それが面白いと言う感覚は全くと言っていいほど分からないが、彼女が楽しそうに話すのは、見ていて俺も嬉しかった。



 夏はまだ、始まったばかりだ。

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