第3幕 //第3話

「おーし、それじゃ女子と交代!男子はちょっと休憩な!」


 男子チーム同士のバスケットボールの試合が二つ終わり、交代を告げるホイッスルが鳴った。期末テストを無事終え、一学期も残すところ後二週。体育のバスケ残り二時間はひたすら試合、試合、試合の連続である。



 俺は体育館の端に移動して、床に腰を下ろした。

 夏場の体育館は死ぬほど暑い。生暖かい湿気と三十度を超える気温に包まれたこの空間は、見事に学校のサウナと化していた。勿論本物のサウナの温度は三倍はあるだろうが、発汗による健康促進を目的とするのだから気分的にはそっちの方がまだ全然マシだ。

 夏場の体育は体力消耗の時間でしかない。

 


「それにしても、今日はまたあっちーな」

 当然のように隣に座った中嶋が、体育着の胸元をパタパタとさせながらぼやいた。

「いやー、これじゃ流石の俺もキツいわ。な、紫村」

「あ、ああ……」

 そこで俺に同意を求めるのか?という疑問は、ぐっと飲み込んだ。



 席替えをしてからというもの、中嶋はやたらと俺に話しかけてくるようになった。授業中は後ろから、登下校時には必ず一言二言言葉を交わす。


 見た感じクラス中がトモダチだろうに、なぜわざわざ俺に話しかける気になったのかは分からない。当初は俺の噂への興味本位かと思ったが、こいつの性格を鑑みるに多分違うだろう。好奇心だけで馴れ馴れしくしてくるようなやつだったら、クラス中に好かれるわけがない(と、俺は思っている)。

 単に席が近くなったから、今まで話したことがなかったから、トモダチになってみよう––––ただ、そのくらいの理由かもしれない。



「で?」

「……ん?」

「紫村は、吉田さんと付き合ってんの?」

「ぶっ」


 唐突なその問いに、俺は口に含んでいた水を盛大に吹き出した。

「うわ、きったねぇ!本当だからってそこまで焦んなよ!」

「いや、ちげーよ!」

「照れんなって」

「照れてねーよ!付き合ってねーって!」


 ゴホゴホ、とせき込みながら俺は全力で反駁する。いきなり何言ってんだコイツ、どこからどう見てそういう答えを出したんだ!?


「別に、付き合ってたところでからかうわけじゃないぞ」

「だっから、ちげーんだよ!」

「大丈夫だって……って、え、本当に付き合ってねーの?」

「ねーよっ!」

 噛みつくように答える。中嶋は、俺の剣幕に目を二、三回瞬かせた。


「何だ、そーなのか。てっきり付き合ってるんだと思ってたのに」

 中嶋はちょっぴりつまらなそうに言って、手に持ったスポーツドリンクを飲み干した。幅広の額から、汗が一滴ひとしずく滑り落ちる。



「希とは、別にそんなんじゃねーよ」

 まあ、一番最初の友達ではあるけどな、と俺は内心で付け足した。一番最初で、一番仲も良いとは思う。そもそ友達と呼べる人が他にいないからな。高飛車で長い髪の女子生徒が一瞬頭の隅に浮かんで、その仁王立ちした姿は慌てて消した。

「まあ、言っても一番仲良い友達ではあるんだろ」

「なっ……」


 ––––––中嶋、お前は心を読めるのか。


 素晴らしい程のタイミングで返された、絶妙なその答えに慄く。いやまあ、中嶋や片瀬––––前の席の金髪女……じゃなくて女子生徒の苗字だ––––に声をかけられるまで、クラスでは希としか話してないから、当然といえば当然の答えか。周りから見ても、俺の友達は希だけ、の筈だもんな?



 そうやって自分で冷静に分析しなきゃ落ち着けないあたり、何かが始まってしまっているような気はする。気はするが、今はそんなことを考えている場合ではない。



「中嶋は、仲、良いと思うか」

 俺はぼそっと呟くように問いかけた。

「え?誰と?」

「いや、だから……」

「ああ、吉田さんか」


 それは当然だろ、と中嶋は大きく頷く。その拍子に、左耳に嵌めてある小さな銀のピアスが窓からの日差しを反射した。ピアスをした男はたまに見かけるが、こんなに近くで見るのは初めてだ。中嶋を見ると、似合う奴には似合うんだなと妙に感心してしまう。無論、俺はつける気などないが。



 俺たちの間に、わずかな沈黙が訪れた。開け放たれた体育館の扉から、窓から、ぬるめの風が入ってくる。



 中嶋はその風に目を細めた。そして、俺の方を向いてニッと笑った。

「だからさ!俺も、お前と仲良くなりてぇわけよ!」

 突然放たれた強い言葉。


 ––––––こいつはまた、いきなり、何を。


「なんで、俺なんかと、」

「俺なんかじゃねーだろ」

 途切れ途切れに出た言葉は、即時中嶋の言葉にかき消された。力強さに押されるように、俺は黙り込む。

「紫村の噂は知ってるけど、別にそれが今のお前ってワケじゃねーだろ?誰とも喋んねーから、正直暗いやつかとは思ったけど」


 中嶋はそこで一呼吸置いた。


「けど、吉田さんと喋ってる紫村はフツ―だったし。むしろ、今まで見たことねー笑い方してるからさぁ。俺も喋ってみてぇと思ったんだよ」


 ––––––ああ、こいつが人気者の理由が分かる気がする。


「だから俺なんかとか言うなよ、そんで俺にも笑え」

「……なんだよそれ、俺にも笑えって」

「そんまんま。俺にも笑えよ」

「お前なあ、」

「いいから笑えよ。紫村はいっつもつまんなさそーな顔してたからな」

「ひっでえ……」

「マジだって、くっそつまんなそーだったからな?」

「余計なお世話だっ、」


 くくっ、と俺は思わず吹き出した。


「あ。笑った」

 中嶋がしてやったり、という顔を浮かべる。向けられたその笑顔に、俺の心はどこか弾んでいた。



 その時、ピーっと長めのホイッスルが鳴った。

「よーし、全員集合!今日はここまでだ!」

 体育教師が、大声を張り上げる。


「……とりあえず、行くか中嶋」

「大樹でいーよ。みんなそう呼ぶし。その代わり、俺も玲央って呼ぶからな?吉田さんばっかり玲央呼びなんて、なんかずりぃだろ」

 うし、と立ち上がって、眼前の金髪銀色ピアスの男は笑う。

「だから、拒否んじゃねーよ?」

「勝手にしろ。––––大樹」


 その言葉に、中嶋改め大樹は、また白い歯をみせてニッと笑った。

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