第3幕 //第2話
朝礼を終えると、栄はトレードマークの細縁眼鏡をぐいと押し上げ、さて、と教室を見渡した。
「お前らはもう既に知っているようだが、今から席替えをするぞ。右端の列から順にくじを引きに来い!」
そしてお手製だろうか、真っ赤なくじの箱をトンと教卓に置く。黒板には、既にくじの番号が降られた新しい座席表が用意済みだ。
教室は、栄の言葉を待ってましたとばかりに騒がしくなった。右端、つまり廊下側の列のクラスメイトが、我先にとくじを引きに行く。
「っしゃあ!これだろ!!」
思いっきり腕を突っ込んで、勢い良くくじを引くやつ。かと思えば、箱の中に手を突っ込んだまま長いこと考えているやつもいる。くじへの願掛けは人それぞれ、といったところか。
「今日の席替えが九月いっぱいまでの席だからな、願い込めてくじ引けよー」
眼鏡の奥の目が、にやっと三日月形に細まった。
「センセー、何で二学期の始まりは席替えしないの?やろうよー」
「そーそー、今日嫌な席だったらどーすんだよ」
口々に上がる野次、穏便に言うと貴重な生徒の意見に対し、栄はフンと鼻で笑った。
「それはお前らの運が悪かっただけだ、諦めろ」
––––––一体どんな教師だよ。
左端、それも一番後ろに座る俺にとっては、くじ引きまでの時間は長い。誰か彼かがくじ引きに躊躇っているものだから尚更。どれを引いたって確率は変わらないだろとか俺は思ってしまうのだが。
ちょうどクラスの半分、教室の真ん中に座る希が席を立った。赤い箱に、ブラウスから伸びる細い腕をそっと入れ、思い切ったように一枚の紙を引き抜く。
希、お前もなかなか気合の入ったフォームだな。
「っしゃ!俺窓際一番後ろ!最高!」
希の次にくじを引いた男子生徒が、大声を上げた。金に近い髪の毛に、左耳に開けたピアスが光る。男女共に人気がある、あいつは確か中嶋大樹とかいう名前だった。決してリーダー的な存在というわけではないが、その明るく気さくな性格に、自然と人が集まってくる。まぁ、所謂俺とは正反対の立場にあるやつだな。
というか、あいつ、窓際一番後ろって言ったか。それじゃあ、俺のこの席はもうないってことかよ。
そう分かった途端、モチベーションは著しく下がる(元々別段高いわけではなかったが)。そこへ、丁度俺の番が回ってきた。
希はどこの席になったのか––––せめてあいつと近いとマシなんだが。当の希はというと、大事そうに手の平に包んだ紙と黒板の座席表を交互に見比べている。
残るくじは、勿論一枚だ。余りものには福があるとか何とか、よく聞く言葉だが残念ながら俺にとってはただの願望にしか思えない。仕方ねぇ栄に言われたように一応願いだけでも込めとくか、と内心手を合わせながら俺は赤い箱に手を突っ込んだ。
引いたくじの番号は、三十二。このクラスは三十二人だから、本当の意味でも最後の番号だ。引きがいいのか悪いのか。それで、この番号はどこの席なんだ……––––
「全員引き終わったな。じゃ、お前ら移動しろー」
栄がパンパンと手を叩いた。ざわめく教室の中、一斉にクラスメイトが移動を開始する。
––––––三十二、俺の番号はええと窓際後ろから二番目……って。おい、それは、
「早くしろよ、俺が座れないだろ」
薄い鞄を肩に引っ提げて、中嶋が俺の隣に並んだ。俺よりもゆうに十センチは高いところから、じっと人の顔を見下ろしてくる。
「あ、わり……」
俺は机にかけた鞄を取って前の机に放り投げた。よりにもよって、クラスの人気者の前の席とか、どうやら引きは悪かっ……
「そーゆーことでよろしくな、紫村」
––––––は?
突然の「よろしくな」に驚いて顔を上げると、中嶋はニッと白い歯を覗かせた。一瞬動きが固まった俺を面白そうに眺め、どっかりと椅子に座る。
「何つっ立ってんだよ、座れ座れ」
今度は中嶋が俺を見上げる体勢になった。ニヤニヤとした笑みを口元に浮かべ、俺の顔を真っすぐに見つめてくる。
「何だよ、俺とはよろしくしたくねーの?」
「いや、そういう訳じゃ……」
––––––何だ?コイツは何を言っている!?
対応の術を見つけられない俺に、今度ははしゃいだ声が追い打ちをかけた。
「玲央くん玲央くん!隣だよ!と・な・り!」
弾かれたように隣を見れば、そこには目をくりくりとさせた希がいるわけで、
––––––いやいやいやちょっと!
「あ、あたしもちょっと喋ってみたかったんだよねー。ウワサよりあんま怖くなさそーだし、席も後ろだしさぁ!ねぇ、あたしも混ぜてよぉ」
今度は俺の前の席に座った金髪の女……じゃなくて女子生徒が振り向いた。その顔に塗りたくられた化粧は濃い、濃すぎる––––じゃなくてっ、
「なんだ、片瀬そこの席か」
「そー!」
「はは、楽しくなりそーだな」
って、どーしてそーなるんだよ!?
「待ってくれ、頼むからちょっと」
心の叫びがどうやら声に出てしまったらしい。くらっとする頭を左手で支えながら、よろけるように席に着く。それは少し過言だが。
「何だか、玲央くんがキャパ超えてるみたいだから、ちょっと落ち着こうか」
希がくすりと笑って援護してくれたが、
「あ。紫村、倒れた」
俺にとってはそれはそれでキャパオーバーだったらしい。力が抜けた俺の体は、重力のまま机の上に突っ伏した。
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