第2幕『Rainy season, I met ...』

第2幕 //第1話

 話は、七年程前まで遡る。

俺が高校二年生になって少し経った頃だ。




***




その日は、朝から重たい雨が降り続いていた。


 終業のチャイムが鳴り終わると同時に、俺は帰り支度を済ませた鞄を引っ掴んで教室を後にする。

 放課後の始まりはいつも慌ただしい。帰宅、お喋り、補習に部活動。廊下は一気に生徒で溢れ、「今日どこ寄るー?」「一緒に帰ろー!」といった声があちこちで飛び交う。

 俺にとって、その賑やかな“青春”の時間は、余り居心地のいいものではなかった。



 廊下の人混みを掻き分けて、教室を三つ通り過ぎる。

 校内には、雨の日特有の湿った臭いが立ち込めていた。分かるだろ?臭いだ。雨に濡れた土と道端の草木とが混ざり合った臭い。土臭く、草臭く、生温かい。梅雨になると、通学路から学校までが大体この臭いで溢れている。

 


 俺はただ、ひたすらに帰宅を急いだ。



 階段の踊り場では、他クラスの女子が輪になって喋っていた。

 よくもまぁ毎日毎日、飽きずに喋る話題があるもんだ。感心はするが、俺にはそんな事関係無いし、関係したいとは思わないが。

 脇目も振らず、俺は輪の横をすり抜けるように通る。と、俺に気が付いた女子生徒が慌てて身体を引いた。

「わっ、どうしたの真由子、」

 身体を引いて輪の中に入る格好になった女子生徒、その周りを囲む他の女子生徒が驚いた声を上げて、俺に目を向けた。


「あっ、」


 空気が固まる、という感覚はこれを言うのかもしれない。

 ちらりと視線を向けると、女子生徒たちの瞳には、ハッキリとした俺への恐怖の色が浮き出ていた。しまった、まずい、どうしよう––––そんな心の声が聞こえてくるようだ。



 ––––––くそ、またかよ。



 俺は即座に目を逸らした。女子生徒たちは恐る恐る、だがじっと俺の一挙一動を見逃さまいとしているようだ。背中に刺さる視線が痛い。

 半ば逃げるようにしてそのまま階段を下りていくと、彼女たちはまた賑やかにお喋りを再開した。彼女たちの中では、さっきの数秒間は、まるでなかった事のように扱われたのだろう。同じような経験は、今までに何度もある。その度に逃げるように立ち去る自分がやるせなく、俺が悪いような雰囲気にも状況にも、腹が立つというよりは疲労感が勝っていた。



 俺は、一人で良かったのだ。

 誰にも触れられず存在を肯定も否定もされず、放って置かれればそれで良かった。

 


 中学生だった頃のことだ。俺はとある暴力事件を起こした。

 理由?理由なんて、今話す意味はない。一つ言えることがあるとすれば、結果的な悪者は俺になった、ってことだ。たとえ真実がどうであれ。

 “先輩を殴った危ないやつ”––––俺はそうされ、それから残りの中学校生活は腫れ物に触るように扱われた。

 

 勿論、俺の言い分を信じてくれるやつもいた。でも、強大な噂の前では、俺の言葉一つなんていうのはちっぽけなもので。最初は俺の味方をしてくれていた奴らも、噂の広まりに合わせて、段々と離れていった。一人が余所余所しくなれば、また一人、一人。その連鎖が止まることはなかった。

 

 悲しくなかったか、って? そりゃあ、悲しかった。当たり前だろ。


 どうして誰も分かってくれない。どうして誰も俺の言葉を信じてくれない。今まで友達だと思っていたのは、仲間だと思っていたのは、全部俺の思い込みだったのか、って。中学生だった俺にとって、その現実は途方もなく大きく心を抉るものだった。

 でも、そいつらの気持ちも理解はできる。学校側から、つまり上から“悪者”と決めつけられたのは俺だ。そんな状態で俺とつるめば、自分もその友達として悪評価を付けられるのではないか––––きっと、そう思ったんだろう。

 季節は中二の秋だ。そろそろ来年の高校受験を意識し内申を気にするようになった、そんな理由もあったかもしれない。



 なんにしろ、気がつけば俺は一人になっていた。



 そのまま中学を卒業した俺は、親の意向でだいぶ離れたこの土地に引っ越し、この高校に進学した。

 しかし地方県という世間の狭さもあってか、そこにも少なからず同中のやつは来ているわけで。そいつらから広まるにどんどんと尾ひれが付いていくのも、仕方ないっちゃ仕方ないことなのかもしれない。

 


 “怖いやつ” “危ないやつ” “関わってはいけないやつ”



 そんなレッテルが貼られた俺には、人は寄っては来ない。俺だって、寄せ付けなかった。

 もう、二度と面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。友達を作って、仲間を作って、呆気なく裏切られる経験もいらない。そのためには、出来る限り他人とは関わらない方がいい。



 だから俺は、一人で良いんだ……—————



 校舎を出ると、雨音が一段と大きくなっていた。辺りの湿った臭いが、一層強く鼻につく。

 俺は傘を目深に差し、真っ直ぐ北門へと歩く。北門から続く道は凸凹が酷く、街一番の住宅街とは反対側に位置するために比較的生徒の利用が少ない。俺にとっては、好都合な帰り道だ。

 玄関から続く、濁った水たまりを避けるようにして北門を出る。



「おい」



 ————その時、俺はいきなり呼び止められた。

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