第2話 転校生
「幸太郎君ちって、どんな?」
この前転校してきた竹宮君が、ふいに聞いてきた。おととい転校してきた彼は、明るい性格もあって、すでに人気者になっていた。正直、彼のようなタイプの人間は苦手だったので、遠巻きに眺めていただけだったのだが、いつも一人でいた僕に、興味でも沸いたのだろうか。
「別に…普通だけど…」
「今日、遊びに行っていい?」
「駄目だよ、今日は、塾に行って、買い物をして、それから…」
「それって、楽しい?」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。もうずいぶん長い間自由な時間なんてなかったし、楽しいと思うこともなかったので、あたふたしながら答えた。
「たっ…楽しくは、ないけど…やらないと、母さんに叱られるから。」
「ふーん。やっぱりなんだか、変わってるね。じゃあ、うちに来る?」
この人は、僕の話を聞いてなかったんだろうか。
「だから、今日は時間ないんだって!もう塾の時間だから、先に行くね!」
「母さんが、怖いの?」
「!!・・・・・」
「4年生にもなって、親が怖いとか、幸太郎君、変わってるよね。」
「・・・・・」
すごく、悔しかった。クラスの人からいろんなことを言われたけど、全然気にならなかったのに、さっき知り合った人に何でそんなこと言われなきゃいけないんだと思って、顔が熱くなった。
「なんだよ!君には関係ないだろ!?それに、親の言うとおりにして、何がいけないんだ!」
「別に、いけないとは言ってないだろ?変だと言っただけだよ。でも、毎日毎日同じことを繰り返していて、退屈しない?」
「退屈なんてしないさ!習字でいい賞を取るとほめてくれるし、テストでいい点を取ってもほめてくれるし…」
僕は、母さんに褒められることしか考えていないと気付いて、言葉が出なくなった。そういえば、昔、父さんがいたころは、ウルトラマンとか、ポケモンとか好きだったっけ。通り過ぎる人や、近所のおばさんに何だろうとのぞきこまれて、僕は恥ずかしさに涙が出てきた。辺りはだんだん暗くなり、道沿いの街灯がぽつぽつとつき始めた。立ち止まる人も、少しずつ増えていく。涙を止めることはできなかった。
ふいに、僕は手を引かれ、路地に連れ込まれた。竹宮君はすごく足が速くて、引きずられるようにしてついていった。彼の握った手はすごい力で握りしめてくるから、僕はいっそう泣きわめき、彼に反抗した。
「うっ…うっ…やめてよおおおおお!手を放してよおおおお!」
彼は立ち止まるそぶりさえ見せず、ずんずんと先へ進んでいく。
「うっ…うわぁぁぁぁぁあああああああ」
僕は、いったいどこへ連れていかれてしまうんだろう。必死に泣きわめきながらも、かすかに見える新鮮な風景に、少しだけソワソワする感じがした。
引きずられ続けて30分ぐらいして、やっと涙が収まり、辺りを確認すると、ぼろっちい家の中にいた。
「あぁ、やっと泣き止んだ。お兄ちゃん、大丈夫?」
「きゃっ!きゃっ!」
隣で、小さな女の子が赤ちゃんを抱いてこっちを見ていた。目がくりっとして、かわいかったけど、アップリケがいくつもついた、ぼろい服を着ていた。赤ちゃんのほうも似たようなものだった。
「あらあら、泣き止んだみたいね、松戸君。ほら伸二!謝んな!」
「なぁぁあんで俺が謝らなくちゃいけないんだよ!俺はこいつがいきなり泣いて、どうしようもなかったから連れてきただけだぞ!むしろ謝るのはこいつのほうだろ!」
「……伸二。」
「!!……ご、ごめんなさい…」
「ごめんねぇ、松戸君。この子ったら、いっつもみんなに迷惑ばっかりかけて、ほんとにダメな子でねぇ。」
「あ…いや、その…」
どうやら、竹宮君のうちに連れてこられたみたいだった。お母さんらしき人は、キッチンで何か作りながらこっちを見ていた。もう1人赤ちゃんを背負っていたが、こっちの子はぐっすり寝ていた。お父さんらしき人は、新聞紙を広げ、足の親指の爪を切りながらテレビを見ていた。竹宮君がおどおどしていたところを見ると、ずいぶん怖い人のようだった。なぁんだ、彼も親が怖いんじゃないか。
「いえあの、僕も取り乱してしまって…あ!そうだ!今何時ですか?」
「えーと、そろそろ7時かしらね。大丈夫よ。もう親御さんには電話してあるから。落ち着いたら帰ってらっしゃいって言ってたわよ。」
ぞっとした。塾はもう1時間も前に始まってしまっている。こんなこと、母さんが許してくれるはずがない。頭が真っ白になって、ぼーっとしていると、味噌汁が出てきた。
「はい。これでも飲んで落ち着きなさい。だぁいじょうぶ、お母さんだって、鬼じゃないんだから、話せばわかってくれるわよ。」
優しそうな笑顔を見ていると、なんだか大丈夫な気がしてきて、礼を言ってそれを飲んだ。暖かいものを食べたのは、そういえばいつ以来だろうか。具材は豆腐とわかめだけだったけど、いい匂いがして、あったかい気分になった。
「それにしても、礼儀正しい子ねぇ。伸二!あんた少しは見習ったらどうなの!」
「うるっせえなー。今忙しいんだよ!」
「……伸二。」
「……はぁーい。」
彼はバカなんだろうか。どうせ言い直すんなら、最初からおばさんの言うことを聞けばいいのに。竹宮家のやり取りが面白くて、僕は吹き出してしまった。妹たちはそれを見て笑い、竹宮君はそれに怒り、けんかになり、おじさんに怒られ、おばさんに反抗し、それによってまた怒られ…そんなことが何回も続いて、僕は転げまわるほど笑った。今までで初めての経験だった。
その後、おじさんが車を出してくれて、家まで連れて行ってくれることになった。家が見たいといって、竹宮君もついてきた。もう時刻は9時になっていて、外に出ると、辺りは真っ暗で、少し怖かった。
「なあ、幸太郎君、」
「ん?なに?」
「いや…あのさあ、今日のうちのこと、ほかの人には黙っててくれないか?クラスの奴にはなめられたくないんだよ。」
竹宮君はクラスではかっこいい感じでふるまっていて、確かに、あの感じは見せたくなかっただろうな、と思った。
「それはいいけど……僕が泣いちゃったことも、黙っててくれる?」
「それは約束できないなー。」
「じゃあ知らない。」
「わかった!誰にも言わないから!なあ頼むよー。」
僕達は、家につくまでの10分くらい、ずっと笑いあっていた。バックミラーを見ると、おじさんも微笑んでいた。笑い顔が少しだけ父さんに似ている気がした。
「なあ幸太郎君、俺のこと、伸二って呼んでよ。俺もお前のこと、幸太郎っていうから。」
「ん、分かった。これからそう呼ぶことにするよ、伸二。」
ほんとに友達ってこんな会話するんだ、という感じで、むずがゆい気分だった。明日からの学校生活が楽しくなりそうな気がした。
家につくと、伸二が僕の家を見てうらやましがった。今にも突入しそうな勢いだったので必死でそれを抑えたけれど、今度遊びに来るという約束をさせられた。おじさんは帰る間際に僕の頭を撫でてくれて、伸二に聞こえないように、また伸二と遊んでやってくれよ、と言ってほほ笑んだ。掌が大きかった。
車のバックライトが見えなくなるまで見送ってから、振り返ると、母さんが門の前に立っていた。笑ってはいたけれど、さっきまで見ていたものとは、まったく違うもののように感じた。
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