三人は不法侵入に成功する

「ミカさん、電話に出ないけど」

 陽が暮れて、薄暗い車内で電話をかけていた西沢が、運転する高橋に言う。

「出るまでかけ続けてくれ、頼む」

「わかった」

 事態が事態なため、素直に了解した西沢が、また高橋のスマホのボタンをタップした。

 高橋ははやる気持ちを抑えて運転し続ける。柊も喋らず西沢を見つめている。

 南條の策のおかげで、アジトに誰もいないと思うと気は楽だったが、美加と連絡がとれないうちは、高橋は落ち着くことができなかった。

 大丈夫だよ、と南條は言ったが、美加に何かあったらどうしよう──そう考えるたび、心臓にチクチクとした痛みを感じた。

 一刻も早くアジトに向かいたい。しかし、スピード違反で捕まりでもしたら、逆に時間のロスだ。そんな思いに翻弄されつつ、高橋はアクセルを踏んでいた。

 相談室を出たあと必要と思われる物を揃え、それからアジトに向かって走りだして三十分がすぎた頃、スマホを耳にあてていた西沢が、「あ、出た」と言った。すぐに高橋は脇道にはいり、車を停める。慌てたように西沢からスマホを受けとった。

「美加、俺だ、大丈夫か?」

 口早に話しかけるも、返事が返ってこない。

「美加っ、おいっ」

 大声で呼びかけると、『あ……芳成典……』と美加が弱々しく応えた。眠らされていたからか、意識が混濁しているようだ。

「しっかりしろ、大丈夫か? 怪我とかしてないか?」

 次々に言葉を投げかけると、やっと美加の声がはっきりしてきた。とたんに、彼女らしく騒ぎだす。『芳成、私あいつらに監禁されてたのっ、でも今、こんなところに放りだされてて、どうしよう、どうしたらいい?』

「落ち着け、美加。そこがどこかわかるか?」

『暗いからよくわからないけど、田んぼの中にいるみたい』

「その付近に奴らの屋敷はあるか?」

『あ……あるわ、電気がついてなくて真っ暗だけど、たぶんそうよ、ほかに建物もないし』しっかり喋っているが、美加の口調からは不安感が伝わってくる。

 早く美加の許に行ってやりたい、と焦る高橋は、けれども彼女の不安を煽らないようにまず自分の心を落ち着かせた。

「大丈夫だから」力強く声を出す。「今向かってるからな、俺達が行くまでそこを動かないでいてくれ。近くまで来たら、また連絡する。何かあったら、美加もすぐにかけてこいよ」

『わかったわ』

 そうして電話を切った高橋は、スマホを西沢に預けて車を発車させる。

「あの辺って、外灯もそんなになかったから、ほぼ暗闇状態だよね」

「一人であそこにいんのは、こえーだろうな」

 美加を心配する二人の会話を聞きながら、高橋はひたすら車を走らせ続けた。

 約四十分後、来るのは二度目とあってスムーズにアジトの近くまで辿り着くと、一本道の真ん中に座りこんでいた美加が立ちあがって駆け寄ってきた。高橋も急いで車からおりる。

「芳成~っ」と、胸に飛びこんできたその体を思わず抱きしめると、美加が安堵の息を吐きだした。

「無事か?」

「うん」

「よかった、本当によかった」高橋も息をついて美加の背中をさすってやる。

「無事でよかったなー」

 我がことのように喜ぶ柊の隣で、「元カノとか言ってたけど、ラブラブじゃん」という西沢の言葉で、とたんにはっとしたように美加が高橋から離れた。

 余計なことを、と内心で舌打ちした高橋に睨められ、西沢がさりげなく目をそらす。だがすぐに目を戻し、よかったな、とでも言うようににやりと笑った。

 そんなやりとりには気づいていない美加が、「助けにきてくれて、ありがとう」と三人に頭をさげる。

「やっと家に帰れるのね」ものすごく嬉しそうにしている美加に、高橋は渋い顔を向けた。

「……悪いんだが、俺達には、まだやることがあるんだ。その間、美加は車の中で待っててくれないか?」

「やることって?」

「奴らのアジトから金を盗む」

 美加が驚いたように瞬きする。「本気なの?」

「うまくいけば、美加の金もとり戻せると思う」

「なら、私も行く」

「え?」慌てた高橋は、「いや、美加は車の中にいたほうがいい、危険だし」とすかさず彼女を押しとどめた。彼女はか弱いとは言い難い性格だが、もう危ない目にはあわせたくなかった。これ以上はらはらさせられては、神経がもたない。

「でも、私だって何かしたいわ」

「ミカさんは、奴らが戻ってこないか、車に隠れて見張っててよ」

 食いさがる美加に、そのやりとりを無表情に見ていた西沢が言った。

 彼の言葉で、「そっか、見張りも必要よね」と使命をを与えられて満足したのか、美加がすんなり納得した。覚えず高橋は、うまいな、と心中で呟く。西沢は、普段は無駄に口が悪いが、こういうときには頼りになる男なのだ。

「──じゃ、行くか」

「おー、行こうぜ」

 美加がおとなしく車に乗りこんだことにほっとした高橋は、黒いスポーツバッグをもった柊と三人分の懐中電灯を手にした西沢とともにアジトに向かって歩きだした。


 鉄柵のような門扉の前に三人が立つと、たちまち犬の咆哮が聞こえてきた。暗がりから走り出てきたのは、例の二匹のドーベルマンだ。激しく咆えたてる犬達に、「うるさいな」と言いながら西沢が懐中電灯を向ける。

「いかにも獰猛、って感じだね」

「というか、怖すぎるだろ」

 あまりの剣幕に高橋が一歩後ずさると、バッグに手を突っこんだ柊が白いビニール袋をとり出して身を屈めた。そこからさらに細切れの肉をとり出す。

「こいつをやれば、おとなしくなるぜ」

「なんだ、わざわざ肉を買ったのか?」

 一人はいっていったスーパーで、てっきりドッグフードを買ってきたものだと思っていた高橋が驚くと、「武ちゃんに訊いたらさ」と柊がこちらを見あげた。

「ドーベルマンはかしこくて従順だけど、ケーカイ心が強いから、ドッグフードじゃききめないかもしれねーって」

「そうなのか、じゃあ俺がスーパーに行ってたらドッグフードを買っただろうから、アウトだったな」

「だなー」笑った柊が、屈んだままもった肉を門扉に近づける。「ほら、肉だぞ、おまえら」

 すると、あれだけうるさかった二匹がぴたりと静かになった。よほど腹が減っていたのか、フッ、フッと鼻息が荒くなり、よだれまでたらしだした。

「ほら、今のうちに行ってこいよ」

 犬の眼前に肉を投げた柊に促された西沢が、決心したように息を吐くと、懐中電灯を高橋に渡した。門扉に飛びつき、あれくらいの高さなら楽勝で越えられる、と自信あり気に言っていただけあって、まるで猿のようにひょいひょいとのぼっていく。門扉をまたいで向こう側におりると、その横のドアの鍵をあけ、二人の許に戻ってきた。

「次は、この二匹を繋がないとな」

 バッグから二本のリードをとった高橋は、犬の様子を楽しそうに眺めていた柊にそれを渡す。「やれるか?」訊くと、柊が「まかせとけ」とリードを受けとった。

 臆することなく中にはいり、門扉近くの木の脇でまたしゃがむ。掌に残りの肉を置き、「まだあるぞー」と呼びかけると、すぐに二匹が寄って来た。その姿は、さっきまでの獰猛さとは程遠く、犬が大好きだと言う柊には懐いてしまったのか、いたくおとなしい。肉を食べる間にリードをつけられ、木に縛りつけられても、犬達はまったく気にしなかった。

「かわいいなー、こいつら」柊がうっとりと犬達を見つめる。

 犬に襲われる心配がなくなってほっとした高橋達が敷地にはいるも、まだ犬の傍にしゃがんだままの柊の背を、「行くよ」と西沢の足が容赦なく踏んだ。

「いてっ」つい叫んだせいでビクッとした犬達を、すぐさま柊が撫でさする。「よーしよし、大丈夫だからな」

 すっくと立ちあがると、キスでもするのかというぐらい顔を西沢に近づけた。

「おまえ、何人のことふんでんだよ、口で言うだけでいいだろーが」

 西沢が嫌そうに顔をそむける。「そこに踏みたくなるような背中があったんだから、仕方ないじゃん」

「はあ? なんだそりゃ」

 その言い様に気色ばんだ柊の腕を、うんざりしたように高橋は掴んだ。

「ケンカなら、あとでやれよ。今はそんなことしてる場合じゃないだろ」

「そうそう」口許をゆるめた西沢が、汚れた柊の背中を軽くはたく。「ガキの可愛いいたずらだって」

「都合のいいときだけガキになってんじゃねーよ」

 文句を言いながらも柊が引いたので、三人はさっさと玄関に向かった。

 ドアにはもちろん鍵がかかっており、そこが第二の関門だった。

「暗証番号キーは厄介だな。ほかに侵入できそうなところを探すか?」

「とりあえず探してみようぜ」

 それぞれが懐中電灯をもって移動する。だが数分とたたないうちに三人とも戻ってきてしまった。

 侵入できそうな場所をみつけられなかった高橋が、「どうだった?」と尋ねると、二人も揃って首を振った。

「だめだな、二階の窓までおりみたいなのががっちりついてて、はいれそうにねーし」

「裏口もなくて、まるで隔離施設だな」

「じゃあ、ここを突破するしかないってことか」高橋は渋面になる。

「腕の動きを見てたら八回動いてたから、暗証番号はきっと八桁の数字だよ」

 気持ちを切り替えたように西沢が言うと、柊が髪をかきむしった。

「八ケタなんて、まぐれでも当てられる気がしねー」悩むことを放棄したのか、やけくそ気味に発言した。「こうなったら、順番に押してくか」

「そんなの、何通りあると思ってるんだよ」

「でも、それしかなくね?」

「だったら、電気ドリルでももってきてドアをぶち破ったほうが早いと思う」

 西沢の口から過激な意見が出て、高橋の額に冷や汗が浮かぶ。

「いや……さすがにそんなことしてたら、通報されると思うぞ」

「じゃあどうするの? あいつらに関係ある八桁の数字なんてわかりっこないのに」

 柊が首を傾げる。「関係ある数字なのか?」

「そりゃそうだろ、奴らだってそのほうが覚えやすいだろうし。竹上だって、何も見ずに迷わず打ちこんでたじゃん」

「確かに、暗証番号というのは、覚えやすい数字を選びがちだな」

 高橋も同意を示すと、「ってことはあれか」と柊が思いついたように言った。

「生年月日とか電話番号とか、そういうのか」

「でも」と西沢の顔が曇る。「さすがに和佐も、そこまでは調べられないだろうしな」

 そこでふとひらめいた高橋の顔に緊張が走った。

「……ちょっと待て。携帯の番号は調べてたよな?」頭に、記憶の隅にあった番号が鮮明に浮かびあがる。「下の番号は、ちょうど八桁だ」

「だとしても、そんなん覚えてねーよ」

「俺は覚えてる」

 高橋がきっぱり言うと、二人が瞠目した。

「まじで?」

「すげーな」

 高橋は、緊張を払うように手を振ると、「とにかく、押してみるぞ」と人差し指をパネルに近づけた。

「これでだめだったら、電気ドリルだな」

 そんな西沢の言葉を聞きながら数字を打ちこんでいくと、ピーと音がなり、次いでガチャッと鍵がはずれた音がした。

 信じられないとでもいうような面持ちで、三人が顔を見合わせる。

「あいたぞ……」

「あいたね」

「すげー」

 興奮冷めやらぬ顔つきのまま、柊がドアノブに手をかけた。「じゃーあけるぞ? いいよな?」

 高橋と西沢が頷くのを確認して、慎重にドアをあける。

 しかしすぐにはいることはせず、三人は暗い穴倉のごとき中を懐中電灯で照らして覗きこんだ。

 自然と三人の頭が寄る。

「こんな暗かったら、俺、暗所恐怖症だから中にはいれねーよ」真っ先に、柊が情けない声を出した。

「二つも恐怖症があるなんて、たいへんだな」高橋が同情すると、「いや、あと高いとこととがった物もだめだから、あわせて四つあるんだ」と柊が顔をしかめた。

「四つもあるとか、ほんとポンコツだな」

 西沢にはあきれられ、「ほっとけよ」と柊が投げやりに応える。

 いつもの二人の応酬が始まる前に、それよりも、と高橋は話題をかえた。

「いきなり誰か出てきたら、どうする?」

「暴力反対だけど、そうなったら俺がぶっ飛ばしてやる」

「けど、先に殴るなよ」

 強気をとり戻した柊に注意すると、「おう、セートーボーエーだろ」と親指を立てた。

 そうして様子を窺うも、静まり返ったままなんの気配も感じられないため、ついに西沢が靴をはいたまま中に足を踏みいれた。

「暗すぎて見えないから、もう電気つけるよ」

 西沢が玄関ホールの電気をつけると、「あっさりつけるのかよ」と言いつつも柊がさっと身構えた。

 コンクリートの廊下の奥も、二階へとのびる階段の先も、やはりしんと静まり返っている。

「……大丈夫みたいだな」高橋がほっと息をつくと、柊も安心したように構えをといた。

 玄関ホールを見回した柊が、高橋に目を向ける。「どこから探すんだ?」

「そうだな……」と考えていると、「そんなの、片っ端からだろ」と西沢が口を挟んだ。

「じゃ、二階から行くか」

 高橋の声を合図に、三人はいっせいに階段を駆けあがっていった。

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