南條はあえて危険に飛びこむ

 よく晴れた日曜日の昼下がり、久しぶりに買い物に出た南條が繁華街の大通りを歩いていると、一人の女性が歩み寄ってきた。歳は三十前後だろうか。体にフィットした赤いTシャツと黒いスキニーパンツ姿の彼女はスタイルがよく、長く艶やかな髪が妙にセクシーに見えた。

「あの、突然すみませんが」困った顔で声をかけられ、足を止めた南條は、「なんでしょう?」と優しく応える。

 南條の対応にほっとした様子で、女性が言った。

「車の調子がなんかおかしくて……できれば見ていただきたいんですが」

「車、ですか」免許はもっているが、普段あまり車に乗らない南條は、一瞬戸惑う素振りをした。すると、何人かに断られてきたのだろうか、女性がさらに困惑顔になった。

「無理でしょうか……」

「いや、たぶん大丈夫です」女性を不安にさせないように、南條は笑って請け負う。フェミニストを自覚している身としては、こんなにも困っている女性の頼みは断れない。

「車はどこです?」

 訊くと、よかった、と喜んだ女性が、裏通りのほうを指差した。

「あっちのほうにあるビルの地下駐車場に停めてあって」思いだしたように頭をさげた。「あ、私、梅木うめきと言います」

「南條です」頭をさげ返した南條は、女性とともに歩きだす。

 案内されるがままついていった通りは、ほとんど人がいない寂しげな路地だった。だから、大通りで助けてくれる人を捜していたのだろう。

「ウメキさんは、どんな字を書くんですか?」

「食べる梅に、材木の木です」

「ああ、やっぱりそうでしたか」

 そんな会話をしながら古びたビルの地下駐車場につくと、「こっちです」と女性が奥に進んでいった。ひと気のない駐車場の中、突然左へと走りだした彼女のあとを追うと、そこには、二人の男が立っていた。黒いスーツ姿の一人は知的な感じで、もう一人はやけに体格がよく、まるで映画に出てくる悪役のような顔立ちと格好をしている。

 梅木は男達のほうに走っていったが、彼らから二メートルほど離れた場所で立ち止まった南條は、知的そうな男に親しげに笑いかけた。

「やあ、竹上さん。不眠症は治りましたか? まあ、嘘だったんでしょうけど」

 竹上が、不敵に笑い返す。「この前はどうも」

「それと、これ」と南條は、ジャケットのポケットから黒い小さな機械をとり出した。カウンセリングルームにあった盗聴器だ。「お返ししますよ」

 竹上が首を傾げる。「なんのことですか?」

 とぼけられても気にせず、南條は話を続けた。

「被害にあった方の奥さんが、うちに来たことに気づいたから、あなたも相談者の振りをして来られたんですよね? そしてこっそり電話をかけ、私が無言電話に気をとられている隙に椅子に盗聴器を仕掛けた。違いますか?」

 竹上が応えないので、さらに言った。

「この盗聴器に気づいたのはたまたまですが、これで被害者のその後の動向をさぐるつもりだったんでしょうけど、残念でしたね」盗聴器を、彼らに向かって放り投げた。

 それを片手で受けとった竹上が、妖しく笑う。

「南條さん、君子危うきに近寄らず、という言葉を知っていますか?」

「人格者は、自分のふるまいを慎み、危険なことに関わりをもたない、という意味のことわざですね。孔子の言葉と思う人もいるようですが、これに酷似した言葉は論語にはないそうですよ。──で、それが何か?」南條がしれっと返すと、竹上が困ったように前髪をかきあげた。そして、また微笑する。

「じゃ、はっきり言いましょう。よけいなことはしないほうが、身のためですよ」

 態度は紳士的でその言い様は穏やかだったが、完全に恫喝以外の何ものでもない。

 そんな彼らに南條もまた、余裕の笑みを浮かべて見せた。「嫌だと言ったら、私を殺すんですか? 詐欺師さん達」

「まさか!」と竹上が大袈裟に手を振った。「殺人なんてしませんよ」

「ナイフで刺したり、ピストルで撃ったりとか」

「テレビの観すぎじゃないですかね、我々はそういうアレじゃありませんから」

「それは、ほっとしましたよ」

「でも」竹上の瞳が鋭く光る。「ここで了解してもらえないと、痛い目にはあうかもしれませんけど」

 それでも、南條の平然とした態度はかわらない。

「そういう脅し文句が出るということは、私の弱みを握れなかったんですね」

 竹上がせせら笑った。

「確かに、あなたの弱みはみつけられませんでした。しかし、弱みもないが、怪我をしても手当てしてくれる家族も恋人もいないみたいですね」

「私、なんでも一人でできるタイプなんで」

「そうですか、じゃあ、よけいなことをしなきゃよかったと思わせてあげますよ」

「そんなことをすれば、確実に捕まりますよ?」

「捕まりませんよ、我々は。いざとなったら、海外にアジトがあるので、そこに逃げれば問題ありませんし」

「それはすごい」 感心したように、南條は目を見開いた。「ちゃんと考えてるんですねえ」

「そうやって余裕でいられるのも、今のうちですよ、南條さん」

 あくまでも冷静に言った竹上が、横に立つ大男に「やれ、マツイ」と声をかけた。それを合図に、マツイが南條に向かってくる。恐ろしい形相で胸倉を掴みとると、ぎりぎりと締めあげてきた。

 だが──。

「やめろっ」とふいにその腕をとって南條から強引に引きはがしたのは、柊だった。


『私はきっと、詐欺師達に襲われるだろうな』

 やる気な柊と面倒くさそうな西沢と一緒に、繁華街を歩く南條を見張っていた高橋は、彼の言葉を嫌な気分で思いだしていた。

 一週間前、乾杯しようと移動した室内で、さっきの作戦は嘘だと聞かされた。極秘の特別なルートなどもってはいないと。カウンセリングルームには、実は盗聴器が仕掛けられているので、わざと偽の情報を流したというのだ。もちろん和佐とも打ち合わせ済みだった。奴らの儲けた金を、どうやっても手が出せない銀行から引きあげさせるために仕組んだ、とも言った。そして南條は、一週間後にあえて一人で街中を歩きまわると言う。

 挙句、この台詞である。

 顔色ひとつかえずにそんなことをのたまう感覚が理解できず、高橋は言った。

『それで、なんで平然としてるんだ』

『おそわれるって、超こえーじゃないかよ』

『まるで他人事みたいだな』

 柊は驚き、西沢はあきれたようだった。

 高橋達が建物の陰から見張る中、南條に女が近づく。妙に色気がある、男受けがよさそうな女だ。南條は、まるで警戒心のない顔で相手をしている。何か困っている様子の彼女とやりとりしたのち、二人揃って歩きだした。

「なんだ? 知り合いか?」柊が目をこらす。

「あとをつければわかるんじゃない?」

 西沢がさっさと移動を始めたので、高橋と柊もついていった。

 歩く間も、高橋の頭の中で交わした会話が蘇る。

『相手が刃物とかもってたら、どうするんだ』

『できるだけよけるよ』

『よけられなかったら、アウトじゃないか』

『そのときは、そのときだよ』

『おー、なんかかっけーな』

『アウトっていうか、死んだら終わりじゃん』

『だから、終わらないように、君達に助けてもらいたい』

『助けろって、どうすりゃいいんだよ、俺達はただの一般人だぞ?』

『相手が素手なら、いけそうなんだけどなー』

『やばい状況なら、まず救急車じゃない?』

『そう、人を呼ぶとか、救急車を呼ぶとか、できる範囲で助けてくれればいいんだよ』

『そんな危険な目に、なぜわざわざあおうとするんだよ』

『奴らのアジトを突きとめるためさ。私を襲ったあと、逃げる連中を、和佐君がバイクで追跡する手筈になっている。アジトを突きとめれば、こっちのものだからね』

『だから、なんでそこまで』

『悪者は、やっつけたいタチなんだ。それにそうしないと、お金を手にいれられないよ?』

 自信があるのか楽天的なだけなのか、軽く応えて笑った南條に、高橋達は何も言えなかった。

 結局、南條の案を受けいれた三人は、こうしてあとをつけているわけだが──。

「おい、地下駐車場にはいったぞ」

 言った柊に、「声がでかい」と注意してから、高橋達も地下駐車場に近寄った。中にはって少しすると女が駆けだし、あとを追った南條を見失わないよう、足音をたてずについていく。

 先頭にいた西沢がワゴン車の陰に身を屈めたので高橋と柊もそうすると、南條の声が聞こえた。

「誰かいるみたいだけど?」

「もう少し近づいてみるか」

「おう」

 ひそめた声で話した三人は、駐車されている車の陰に隠れながらそろそろと歩み寄っていく。ぎりぎりのところで動きを止めて覗き見ると、南條が二人の男とさっきの女の三人と対峙していた。

 彼らの会話を聞いた柊が眉根を寄せる。「まじでおどされてるじゃねーかよ」

「でかい奴、いかにも悪者っぽいな」西沢が冷静に感想を言う。

「この状況で、うまくいくのか……?」こぼしつつ高橋は、南條の指示どおりもってきたデジタルカメラで三人の写真を撮った。

 高橋達がばれないようそっと見守る中、マツイと呼ばれた男が、猛然と南條の胸倉を掴んだ。抵抗しようがないのか、南條はされるがままだ。

 それを目にした柊が、「やべえっ」と言うや飛びだしていく。男を南條から引きはがしたのはよかったが、今度は柊が殴られてしまった。

「暴力反対っ!」

 顔面を思いきり殴られてスイッチがはいったのか、柊が反撃にでる。

「あいつ、暴力反対って、言いたいだけじゃん」

 バカ力が自慢なだけあって、大男と対等にやり合う柊を見る西沢の目つきは、すっかりしらけているようだった。

 もし柊が負けるようなことがあったらどうしたものか、と高橋が悩んでいると、キキーッとタイヤがこすれる音がして、グレーのセダンが突っこんできた。さっきの女が運転している。

 危ういところで柊が倒れこんで車をよけると、男二人がその車に乗りこんだ。

「俺の出番か」すばやく立ちあがった西沢が、逃げる車の後部に向かってオレンジ色のカラーボールを投げつけ、見事命中させた。一方の南條は、予定どおり和佐に電話している。

「大丈夫か?」高橋は、転がったままの柊に手を差し伸べ、彼を立たせた。

「やり合う相手が一人だけで助かったぜ……ごつすぎだったけど」

 殴られた頬をさする柊に、「おかげで助かったよ。大丈夫かい?」と南條も声をかける。

「あー大丈夫大丈夫」

 首をぐるりとまわしてすっきりした顔つきになった柊は、けっこう殴られていたにもかかわらず、本当に平気そうだった。よほど頑丈にできているらしい。

 無事だったからか、西沢が揶揄の眼差しで柊を見た。

「さすがバカ力なバカだな」

「バカ力はいいけど、あとのバカはよけいだっての」

「略してバカバカ」

「略すなよっ」

 相変わらずなやりとりに、南條は笑顔だったが、その後を考える高橋は笑えなかった。

「なあ」と南條に顔を向ける。「和佐はアジトを突きとめられるかな?」和佐が失敗すれば、またふりだしに戻ってしまう。高橋は気が気ではなかった。

 すると南條ではなく、西沢が応えた。

「和佐なら、心配いらないよ」

「うん、和佐君なら、ちゃんとやってくれると思うよ」

 憂いの窺えない表情で、南條も言う。

 気楽とも思える三人を視界にいれた高橋は、だが一人だけ、不安を隠せないでいた。




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