柊は南條に相談する
「え~、なんでだめなんだよ、南條さん」
南條心理相談室の受付で柊がごねると、南條が困ったように頭をかいた。
「うちは悩みの相談を受け付けてるんですよ。金儲けの方法を訊かれても、ちょっと……」
「だから、俺も悩んでるから来たんだって。窓にあった電話番号の下に『あなたの悩みをきかせてください』って書いてあったし。ここは悩み相談室なんだろ?」
「まあ、そうですけど」
「頼むよー、こんなこと、親父に言ったら絶対殴られるし、ダチは皆金ないから相談できないしさ」
なんとかする、と簡単に言い切った柊であったが、その後考えても考えても何も浮かばず、弱り果てていたところでこの相談室を見つけたのだ。はいって目にしたのが、やけに若々しい感じの男で、勝手に優しそうなおばさんがいると思った自分のイメージとは違っていたが、切羽詰っている柊にしてみれば、この際誰が相手だろうとごねたくもなるというものだった。
「……仕方ないですね、じゃあ一応、この紙に記入していただけますか?」ため息をついて、南條が紙をとり出した。
「おう、サンキュー」
やったとばかりに柊が書きこむと、受付から出た南條が向かいのドアへと歩み寄った。
「こちらへどうぞ」と手で示され、柊は眉をしかめた。
「なんかさぁ、緊張するから、タメ口にしてくれない?」
また南條が息をつく。だがすぐに苦笑して「わかった、そうしよう」と言うと、ドアをあけた。
ほっとしてその部屋にはいった柊は、中を見回してちょっと感動する。「この壁、俺の仕事着と同じ色じゃん」
すげーきれいだ、と呟くと、南條がほほ笑んだ。
「ここはカウンセリングルームだから、壁の色をラベンダーに塗り替えたんだ。パープル系の色は、神経の不調やストレスを緩和してくれる色でもあるから」
「もしかしてこれ、全部自分でぬったのか?」
「資金を節約するためにね」
壁をまじまじと見ながら柊は感心する。「ぬるのうまいな、あんた。親父の知り合いのペンキ屋さんがやったみたいだ。これならプロになれるんじゃね?」
南條が軽く笑った。
「そこまでじゃないよ、ただの特技程度で、綺麗に塗るコツを知ってるだけさ」
「コツがあるんだ」
「隅やコーナーなんかの塗りにくい場所からぬっていくんだよ、あとは上から下へ、左から右へというふうに、一定方向に塗っていくんだ」
「へえ」
柊の視線が、次にデスク横の観葉植物へと移る。
「あの木、かっこいいな」
「あれはドラセナマッサンゲアナだ。幸福の木とも呼ばれている」
説明した南條が、好奇心旺盛な子供と化した柊を、椅子へと優しく促した。
「そろそろ座ろうか」
おとなしく座ってもまだ、初めての場所に刺激された柊の好奇心は止まらない。向かいに座った南條に、ぐっと顔を近づける。
「ここって、はんじょうしてんのか?」
「ぼちぼちかな」
「それで食っていけるのか?」
「非常勤の産業カウンセラーもしてるから」
「サンギョウ……カウンセラー?」
「会社によっては、カウンセリングルームを設置してるとこがあってね、週に二日、契約した会社をまわってるんだ」
「あー、出張悩み相談室か。……それって、もうかる?」
「まあまあかな」
はーっと息を吐きながら、柊は背もたれにもたれかかった。
「話を聞くだけで金がもらえるって、いいな。武ちゃんにやとってもらえなかったら、俺もなろうかな……」また南條の目を覗きこむ。「なろうと思えば、誰でもなれるんだろ?」
南條が鷹揚に頷いた。
「心理学をきちんと学んで、資格さえもっていればね。例えば、スクールカウンセラーになりたければ、臨床心理士の資格をとらなければならないし、私がやっている産業カウンセラーも、それに応じた資格や勉強が必要になってくるけど」
思わず柊の口許が歪む。
「また資格かよ……」げんなりしたように頭をかいた。「俺には絶対無理だな、なんかむずかしそうだし…」
犬や猫に関する勉強なら、まだやる気もあったが、人間を相手にする資格の勉強など、何をするのか想像すらつかない。心理学とか、「何それ?」の世界だ。
そんな柊の様子に微笑してから、南條が訊いた。
「建築鈑金の仕事をしてるみたいだけど、辞めたいから、金儲けの方法が知りたいのかい?」
「そう、百万が手にはいったら、ペットシッターやってる知り合いに、助手としてやとってもらえるんだ」
「それなら、今の仕事でがんばって貯めたら?」
「あー、それは無理だ」柊は、さも嫌そうに手を振った。
「あの暴力親父とそんなに長くは働けないって。力や体力には自信もってんだけど、高所恐怖症とかがあるからこの仕事むいてねーし。だからすぐにでも転職したいんだけどさ、武ちゃんの百万の借金を返さないとやとってもらえないんだよ」
またしてもぐぐっと顔を近づける。「どうすりゃいいかな?」
細かい説明をすっ飛ばして訴えられ、戸惑ったように瞬きした南條が、短く息をついて柊を見返した。
「とりあえず、君が早急に百万円を必要としてる、というのは伝わったよ」
でも、と言葉を継ぐ。
「私も急には思いつかないから、今日はここまでってことでいいかな?」
それもそうか、と思った柊は「おう」と頷く。
「なんかわかったら、すぐに教えてくれよ、絶対」
「ああ」
相談するという目的を果たせて安堵した柊は、気がゆるんだように椅子に体を預けて天井を見あげた。
椅子の脚が浮くほどうしろにもたれかかる。
「あーあ、どっかに百万円落ちてねーかな……──ぅわっ!」
やはりと言うか、椅子ごとひっくり返って、柊は驚く。
「いってー」
打った頭をさすっていると、慌てて近寄った南條が、なぜか「あ」と動きを止めた。
「え?」
「いや、大丈夫かい?」
不自然な間をごまかすように、南條が柊の手をとり、立ちあがらせる。そのままドアへとつれていかれ、「じゃあ、思いついたら連絡するよ」とにこやかに言われた柊は、まあいいか、と深く考えることなく、カウンセリングルームをあとにした。
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