柊は親父からゲンコツを食らう

 住宅街の中の建設中の二階建ての一軒家。まわりを鉄パイプを組んで建てられた足場に囲まれている。その足場にのぼった、黒い仕事着姿の父──いわおの口から、薄紫の仕事着姿の柊和弥ひいらぎかずやに怒号が飛んだ。

「何やってんだ、早く軒樋もってあがって来いっ」

「いや、無理だって」

 三メートル以上もある軒樋数本は軽くかついだものの、柊が嫌がると、普段から顔が怖い父の眦が吊りあがった。晴れ渡った秋の空を背にしていながら、銀髪角刈りの父の形相は、雲行きが怪しいことこのうえない。

「二十六にもなって、高いとこが怖いとか言ってんじゃねえ」

「俺は高所恐怖症なんだって。二十六だろうが何歳だろうが、ずーっと怖いんだよ」

「偉そうに口答えか、この野郎、高いとこも狭いとこも嫌だとか言いやがって。バカ力しか取り柄のねぇバカのくせに、そんなだからどの仕事もすぐクビになるんだ」

 怒り顔もそのままに、父が容赦なくなおも言う。「こっちは一年前に良樹よしきがはいって人手はたりてんのに、使えねぇおまえを仕方なく働かせてやってんだから、ぐだぐだ言わずにさっさとのぼって来い、ちんたらやってる暇はねぇんだ」

 足場のうえから怒鳴りまくられる柊を見かねたのか、白い仕事着姿の良樹が近寄ってきた。二十歳になる小柄な良樹は、茶髪でいわゆる元ヤンというやつだが、巌の許で働きだしてからは、喧嘩も悪さもせず、真面目に修行に励んでいる。そして年下にもかかわらず、父親に叱られっぱなしの柊をたびたびフォローしてくれる頼りがいのある男でもあった。

「親方、じゃあ俺がもっていきますよ。和弥さんみたいにまとめては無理っすけど」

「良樹、こいつは一番下っ端なんだから、甘やかすんじゃねえ」ぐっと息子を睨みつける。「こんなんだから、いつまでたっても鈑金の仕事が覚えられねぇんだ」

 柊は、軒樋をかついだまま大きく息をついた。

「だーかーら、この仕事やる気ないんだって、昔から言ってたろ?」

「そう言うから好きにさせてやったのに、どんな仕事も続かねぇから、俺が面倒みてんだろうが」

 やる気もなく使えない息子に我慢ならなくなったらしく、とうとう父が足場からおりてきた。

「だいたいよ、そんな女みてえなツラだから、なんとか恐怖症ってのになっちまうんだ」

「顔は関係ないだろ。しかも俺のせいじゃねーし。──それに、暗所恐怖症と閉所恐怖症になったのは、ガキの頃、仕事場の道具箱に閉じこめた姉ちゃん達のせいだからな」

 言ったとたん、父が腕を振りあげる。

「自分の軟弱さを人のせいにすんのか、てめえっ」

「わーっ、暴力反対っ」叫んだ柊だったが、またいつものように殴られてしまった。

「いってーっ」しゃがんで殴られた頭をおさえた柊は、しかし軒樋はかろうじて落とさない。そんなことをすれば、さらにゲンコツを食らうのは確実だったからだ。

「親方、落ち着いてくださいよ」

 一年目でも使える良樹が、すばやく柊から軒樋を受けとり、二回にわけてせっせと運ぶと、殴ってようやく怒りがおさまったのか、巌が再び足場にのぼった。

「おまえは縦樋をここまで運んどけ」

 振り向きざまに命じられた柊は、まだ痛む頭をさすりながらトラックに向かう。

「クソ暴力親父が」つい悪態が口からもれる。

 職人気質全開の巌は、ガラが悪いうえに、気にいらないとすぐに暴力を振るう父だった。だが、それは自分に対してだけで、母や二人の姉に手をあげたことは一度もなかった。というか、姉達には甘いくせに、息子にはやたら厳しいのだ。すぐ殴るし。自分がどうしようもないバカ息子という自覚は一応あるが、こうも差があるとぐれたくなってくる。

 心中でぶつくさと文句を言いながら縦樋を運んでくると、高い足場の上で、六十にもなる父がきびきびと軒樋を吊っていた。職人一筋なだけあって、その仕事ぶりはさすがだな、と柊は思う。厄介な恐怖症がなかったとしても、一緒に働くのはごめんだったが。

 そうこうするうちに昼休憩の時間になり、柊は母が作ってくれた弁当をもって、庭先に積んであったブロックに腰かけた。すると、いつものように良樹もやって来て、並んで座って弁当を広げた。柊の隣に来る理由を良樹に言わせると、『親方と二人きりで飯を食うのは、緊張するから』らしい。

「おっ、良樹の弁当は今日もうまそうだな」

 彼の弁当を覗きこんだ柊は、「色もいいし」と彩りの良さにも感心する。から揚げのまわりを囲む卵焼きの黄色にブロッコリーの緑、プチトマトの赤もはいっていて、見た目にもすごくおいしそうだった。

「和弥さんの弁当だって、うまそうじゃないすか。……全体的に茶色っすけど」

「うん……まあな」

 見おろした自分の弁当は、ハンバーグはいいとして、あとは芋の煮物やら厚揚げの煮物やらで、彩りの良さとはほど遠かった。母の作る弁当はうまいのだが、基本父の好物ばかりなので、地味になるのも仕方がない。

「さ、食うか」

「うす」

 ともあれ腹がへっていた二人は、無言で弁当を食べ始めた。

「──あー、うまかった」

 そして柊がからの弁当箱をしまっていると、「俺、和弥さんのこと好きっすけど……」と良樹が何やら深刻な表情で切りだした。

「でも、和弥さんがいると人手が余って柊鈑金をクビになりそうなんで、早くほかの仕事をみつけてくださいよ」

 切実に訴えられ、思わず柊も大きく頷く。

「そりゃ俺だって、さっさとやめてーよ。けど、なかなかうまくいかないんだよなぁ」

 日曜日や雨で仕事が休みになるたび、仕事探しはしているのだが、できそうな仕事自体がみつからないのだ。

 困ったように、柊は空を見あげた。

「この際、片っ端から電話してみようかな」

 どんな仕事だろうと、暴力親父の下で鈑金業をやるよりはましなはずだ、と考えていると、「和弥さんは、どんな仕事したいんすか?」と、迷いを察したらしく良樹が訊いてきた。

「うーん、これといってないんだけど……まず、会社員は絶対無理だろ? 販売は覚えることが多くて無理だったし、接客業は言葉遣いがむずかしくてだめだったし……」

「でもタッパがあって力もあるんだから、やっぱ、大工とかこっち系がむいてんじゃないっすかね」

「と、思うだろ? けどこっち系は高いとこのぼったり、狭いとこはいったりがあるからできる気がしねーんだよな」

「先端恐怖症も……でしたっけ? とにかく苦手、っつーか、弱点が多くてたいへんっすね……」

 良樹に同情の眼差しで見られ、またしても柊は空を仰いだ。

「あー、ニートやってる奴がうらやましいぜ」



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