南條は真摯に仕事をする

 ピシッとアイロンがかけられた白いワイシャツと細身の黒ズボンを身にまとった南條なんじょうは、カウンセリングルームにはいってきた女性に、「どうぞ、おかけください」と声をかけた。  

 ラベンダー色の壁に囲まれた室内は、片隅にワイン色のソファーがあり、反対の角にデスクと観葉植物、そして中央に白い机と、向かい合わせに二脚の椅子が置かれている。

 その椅子に、「よろしくお願いします」と促されるままに女性が座った。事前に面接した川村泉かわむらいずみという名の三十一歳の主婦である彼女は、グレーの長袖Tシャツにジーンズという格好で、長い髪をうしろで束ねている。顔つきは、ここを訪ねてくる相談者達同様にひどく憂鬱そうだった。

「で、どんなお悩みか、もう一度聞かせてもらえますか?」

 向かいに座った南條がやわらかく尋ねると、川村がためらいがちに口を開いた。

「……ここ最近、夫との仲がぎくしゃくして……なんか疲れてしまって……」

「それはお辛いですね……」重々しく頷いて、南條は川村と目を合わせた。

「何が原因でそうなったんでしょう?」

 さらに問われ、言い辛そうに川村の瞳が揺らぐ。だが、すぐに決意したように視線をあげ、話しだした。

「主人、初めて知った宗教団体に、なぜか貯金を全額寄付してしまったんです。でも、全額はさすがに多すぎるから、返してもらいに行ったんですが……帰ってきたら、諦めるって言いだして……どうも脅されたみたいで……」

「だとしたら犯罪になりますよね? 警察には?」

「それが警察には言うなって…」

「ご主人が?」

「はい。……それで喧嘩になって、以来ずっと険悪なままなんです」

 よほど辛いのか、川村がハンカチで目頭をおさえる。そんな彼女を真摯に見つめながら、南條は謎とも言える話の内容を黙考していた。

 ひどくナーバスになっている彼女を傷つけないよう、慎重に言葉を選ぶ。

「川村さん、我々心理カウンセラーの仕事は、相談者の方の悩みを解決することです。だから、ぜひともあなたの悩みを解決したい。そのためにも、不和の原因となった今の話を詳しくお聞きしたいのですが、よろしいですか?」

 涙して少し落ち着いたのか、川村がこくんと頷いた。

 そんな彼女を見つめたまま、南條は指を組んだ。

「ご主人が、『なぜか貯金を全額寄付してしまった』とあなたはおっしゃいましたが、寄付したと言うからには、自分の意志であるはずなのに、『なぜか』とつけたのはどうしてですか?」

「それが……主人にもよくわからないらしくて……あとになって、自分がそうしたことを思いだしたと」川村が弱った様子で頭をさげる。「おかしな話ですみません」

「あなたが謝る必要はありませんよ」

 微笑した南條は、だがすぐに真顔になった。

「おそらくご主人は、貯金を全額もってくるよう催眠術にかけられていたのではないでしょうか? それを体よく寄付したことにされてしまった。と考えれば、納得がいきます」

 カウンセリングにも、催眠療法というものがある。だからこそ、南條はそういう思考に至ったのだが、胡散臭い話も口に出して言うと、なおさらそんな気がしてくる。

 南條の意見を聞くや、川村が驚いたように目を瞬かせた。

「催眠術でそんなこと、本当にできるんですか?」

「できる人はできるらしいですよ。ただ、よほどうまくやらなければ難しい、と私は思いますが」

「でも、もしそうだとしたら、詐欺ですよね? 寄付じゃなくて、貯金を全額騙しとられたって、ことですよね」

 川村の口調が強くなる。手にしたハンカチをかたく握りしめると、焦った表情で、「警察……やっぱり、警察に行かないと」と、うわ言のように『警察』という言葉を繰り返した。

「落ち着いてください、川村さん」

「でも──」

「ご主人が警察には言うな、と止めたんでしょう?」

「ああ、そう、そうでした」

 思いだした川村が、自分を落ち着かせんと息を吐く。

「でも、なぜかしら……」呟いた川村の顔には、不審の色が刷かれていた。

「主人は、どちらかというと軽い性格だけど、脅されたからって、泣き寝入りするようなタイプじゃないのに……」

 妻の疑問を、彼女の話だけでは解けないと判断した南條は、深刻な面持ちになって背筋を伸ばした。

「これは、ご主人にも来てもらって、詳しく話していただく必要がありそうですね」

 きっぱりと告げられ、もうそうするしかないと思ったのか、川村が「……わかりました」と頼りなく頷いて了承した。


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