第二部 支配人の死

第五章 誰の仕事とか関係ないよ!

 16代目女神の伝承『即位』


   16代目女神は、幼少期からその才を惜しみなく発揮した。

   それは初代女神が有していた鍛冶の才能と近い、物理工学的な才だった。

   順調に成長し12歳を迎えた彼女は、その才能を私たちに見せつけた。

   ある日、彼女が育てられていた施設で、電話が鳴りやまないことがあった。

   私を含め、女神の世話役は、対応に追われ、彼女に構ってやれなくなった。

   明るくお転婆な彼女は、まずナイフで電話線を切断し、私たちの気を引いた。

   私たちは電話をワイヤレス電話に切り替え、彼女から自らの業務を守った。

   するとある日、彼女は、施設中の金属と鏡、電化製品を集め始めた。

   その翌日、それらを組み合わせて施設全体に深刻な電波障害を発生させた。

   この時私たちは、混乱すると同時に、次世代の女神に大いなる期待を抱いた。

   が、この数日後、彼女は同じような実験の中で、感電事故を起こしてしまった。

   一命はとりとめたが、下半身は不随となり、車椅子が必要な身体になった。

   さらなる悲劇が彼女を襲ったのは、その2年後だった。

   母親である15代目女神が急死したのだ。

   まだ14歳だった彼女は、事態を把握できないまま、施設から宮殿に移された。

   そして、彼女の意志に関係なく、16代目女神に即位した。

   車椅子姿で大衆の前に現れた彼女の表情からは、お転婆な笑みが消えていた。

   

                            ロナルド・ベイカー


 

 ルビーとロバートが、ホテルのベランダで話した3週間後の昼間。

 ルビーは、最近になって頻繁に痛む頭に悩まされていた。風邪の引きはじめだろうか、チクチク刺すような痛みだった。とはいえ、仕事を休むわけにもいかないし、朝食を抜くほどのことでもない。ルビーはベッドから降りると、ロビーへと降りていった。

 ロビーでは、3人の妖精仲間と、リリーとカレンの親子がソファーに座って歓談していた。妖精3人は朝食のサラダボールを、親子はお菓子のチョコレートを食べている。

「おはようございます! あ、カレンちゃん、おいしそうなチョコレートだねー」

 ルビーが笑顔で声をかけると、カレンは上機嫌に頬を緩ませ、チョコを一粒、ルビーに差し出してきた。雨のしずくの形をしたチョコだった。

「うん、おいしいよ! お姉ちゃんにもあげる! 女神さまって、お菓子作りも上手なんだね」

「ありがとう! 女神さまがこのチョコをつくってるって知ってるんだぁ? 偉いねぇ」

「もちろん! 私頭良いんだ~」

 カレンが満足そうに目を細めたのがかわいくて、ルビーは彼女の髪をなでる。

 リリーが、こらこら、とカレンを諌める。

「昨日ロバートおじちゃんに教えてもらったんでしょ? そのことも、ちゃんと言わなきゃ」

 カレンは口をとんがらせながら、はーい、そうでーすと呟いた。

 すると、すこしだけ不機嫌になったカレンに、パトリックが話しかける。

「昨日は、ドロップ型のチョコだったんだ。あのね、いいこと教えてあげようか」

「なぁに?」

 カレンはとんがらせていた口を元に戻して、首を傾げる。

「このチョコレートはね、毎週違う形、違う味になるんだ。その理由は……」

 パトリックが説明しようとするが、グルメな彼が楽しそうにお菓子の雑学を話そうとするのを遮って、カレンがびしっと手を挙げて言葉を引き継ぐ。

「知ってるもん! 女神さまが毎週趣味でつくったチョコを、ケーキ屋さんが商品にしてるんでしょ? だから、このチョコを食べれば、女神さまの気分が分かるんだよ!」

 パトリックは感心したように頷いた。

「へえ、すごいじゃないか」

「……って、ロバートおじちゃんが教えてくれた」

 カレンはリリーの方をちらっと見やり、小さく呟く。

 それがおかしくて、みんなで笑った。

 笑いながら、ルビーはしずくの形をすこし見つめて、口に入れる。さらりとしたミルクチョコレートはとても甘く、微かにモカの苦みが香った。


 ルビーがソファーに座るのと入れ替わりに、サラダボールを食べ終えていたレイチェルが立ち上がり、リリーに会釈をする。

「では、お部屋を掃除させていただきますので、お先に失礼します」

「おねがいします。いつもありがとうございます」

 リリーが丁寧に会釈を返すと、カレンがソファーから飛び降りてレイチェルを追う。

「ちょっと待って! 私もお手伝いする!」

 するとレイチェルの方がぴくっと揺れて、子供向けのつくり笑いで彼女を受け止める。

「わぁ、ありがとう。でも、私に任せておいて! カレンちゃんは、みんなと話してていいから」

「ううん、いいの! 行く!」

 しぶといカレンに、困ったように笑うレイチェル。パトリックの方に視線をやって、何かを訴えているようだ。しかしパトリックはサラダボールのおかわりをおいしそうに食べていて、気づかない。ロビンは、可笑しそうにカレンとレイチェルのやりとりを見つめている。

 リリーがカレンに声をかける。

「あら、お手伝いしたいの? 珍しいわねぇ」

 これにより、さらに弱ったレイチェルの視線がルビーに向けられた。この時、パトリックと同じくレタスを頬張っていたルビーは、ようやく彼女の意図に気が付いた。レイチェルは、妖精の琥珀を取りにいこうとしているのだ。だから、カレンについてこられたら困るのだ。

 ルビーは冷たい水でレタスを流し込むと、カレンちゃんの気を惹こうと試みる。

「カレンちゃん! 一緒に遊ぼう! ほら!」

 カレンの視線がレイチェルからルビーに移ったのを見て、ルビーはソファー備え付けの丸く軽いクッションを彼女にふわっと優しく投げてみた。

「わぁ!」

 カレンは反射的にそのクッションを両腕いっぱいで受け止めて、あはは、と明るく笑った。

「よく取れたね!? いきなり投げたのに。なかなかやるね~」

 カレンは自慢げな顔をして、今度はロビンにクッションを投げつけた。ロビンはいともたやすくそれを片手で受け取ると、そこそこの力を入れて、パトリックの腹部に投げつけた。

「うぐ!?」

 食事に夢中だったパトリックのうめき声に、カレンは大笑いして、もっとやろうと喜んだ。

 リリーは申し訳なさそうに笑う。

「この子、こういうのが好きなんですよ。このホテルの枕も投げて遊んでしまうこともあって、申し訳ないです」

「いえいえ。それくらいは、べつに大丈夫です。では、掃除しにいきますね」

 レイチェルはお辞儀をし、階段を上がっていく。

 ロビーでは、しばらくクッション投げ遊びが続けられた。こんなことができるのも、このホテルのいいところだなぁと、ルビーもカレンに劣らず楽しんでいた。


 15分後、パトリック一人にカレンの相手を任せたルビーが食事を終えるころ、ルビーはロビンに肘でつつかれて、上を見るよう促された。

 見上げると、ロビーの吹き抜けに面した3階フロアの廊下には、手すりから身を乗り出して、右腕で手招くレイチェルの姿があった。声を出してないことから、リリーやカレンに知られないよう、助けを求めているようだ。

 ロビンとレイチェルが二人で共同作業をしているところなど、ここ数年見たことがない。だから、こういう時は、自分が行くしかない。

 ルビーが階段を3階まで上り、リリーとカレンの部屋に入ると、レイチェルがベッドのシーツをはがしているところだった。

 レイチェルはルビーの方を振り返ることなく、言った。

「琥珀が見つからないの」

「えっ琥珀が!?」

「うん、昨日はリリーさんの夢の中に入ったんだけど、リリーさんの枕に入ってなくて……。もちろんカレンちゃんの枕も見たけど、そっちにもなかった」

「元の琥珀もないってこと?」

 ルビーが聞くと、レイチェルはマットレスをずらしながら頷く。

 ルビーたちは、妖精の琥珀をつくるため、夕方ごろにビー玉状の琥珀を枕に入れる。その琥珀が見つからないという。妖精の琥珀は数十万円以上するから、一個とはいえその損失は見過ごせるものではない。経営のことは分からないが、ベイカーやバニーが知ったら大ごとになる。ルビーは事の重大さを認識し、すぐに一緒に探し始めた。

「マットレスを、ベッドから下ろしてみよう!」

 ルビーはレイチェルと一緒に、一人では持ち上げられない程しっかりしたつくりのコイルマットレスを持ち上げ、ベッドから下ろす。ベッドフレームのまわりをくまなく確認したが、琥珀はない。レイチェルが確認したという、リリーとカレンの枕の中身をもう一度見てみても、見つからない。

「昨日の夕方、間違いなく枕に入れたんだよね?」

 レイチェルは苛立たしげに答える。

「当たり前じゃない。昨日は私がやったんだし、そこにミスはないわ。パトリックでもそれは忘れたことないのに」

「そうだよね、ごめん」

 レイチェルがベッド周辺を探しているので、ルビーは部屋全体を見渡した。枕の中にも、ベッドのまわりにもないならば、一体どこにあるのだろう。そもそも、どうしてなくなってしまったのだろう。リリーやカレンが寝ている間や起きた時に、不意に落としてしまったのだろうか。そう思ってルビーは床に這いつくばって探したが、どこにも落ちてはいなかった。

 そのとき、ドアがガチャリと開いた。

「そこまで探して見つからないなら、盗難に決まってるだろ」

 ロビンだった。ドアのフレームに寄りかかり、腕を組んだ状態で溜息をついていた。

 ルビーは、驚いて反芻する。

「盗難って……」

「盗難っていうと言い過ぎかな。おおよそ、カレンちゃんが偶然見つけて、持ちだしちゃったんじゃないか?」

 ロビンが言うと、レイチェルが鋭い眼光を彼に向けた。

「ほんと、盗難なんて失礼すぎるわ。それに、お客様をすぐに疑うなんて、どうかしてる。これだから、あなたを呼ばなかったのよ」

 ロビンは彼女の視線から目を逸らし、小声でぼやく。

「盗難じゃないのに琥珀を紛失したなんてことになれば、君たち、いつまで三流ホテルマンやってるんだかって話になるけど」

「はぁ?」

 ことを荒立てたのはどちらだろうか? ルビーはどちらも悪い、としか言えないが、それを指摘しても意味がないと分かっている。

「カレンちゃんが、枕の中の琥珀を見つけて、持ちだした……かぁ。普通に寝てたら落ちないように枕カバーをしてるけど、わざわざそれを外したってこと?」

 ルビーにできることは、琥珀探しに本題を戻すことくらいだった。

 ロビンも、不毛な言い合いに見切りをつけたようで、推測を進める。

「さっきクッション投げ遊びをしたとき、リリーさんが言ってただろ? カレンちゃんはホテルの枕を投げて遊ぶって。どれだけ乱暴に遊ぶか分からないけど、やりようによっては枕カバーから琥珀が落ちる可能性はあると思う」

「たしかに! そう言ってた!」

 ルビーは感心して両手を合わせる。 

 するとレイチェルが割り込んでくる。

「たしかにね。でもそうだとしたら余計に、あなたは失礼すぎるわ。カレンちゃんが落ちた琥珀を見つけて拾っちゃっても、それを盗難とは言わないと思う」

 ロビンも応酬する。

「うるさいなぁ、ただの言葉の綾だろ。そんなのいちいち揚げ足とるなよ

。それより、君のチームの過失なんだから早く解決してほしいもんだ」

 レイチェルは琥珀を探す手を止めて、ロビンの目の前に歩み寄り、彼を睨み付けた。

「そう、私たちの問題だから、あなたはさっさとどっかに消えて!」

 ルビーは、二人の発言内容もそうだが、それ以上に、棘のある口調を耳にして、心を痛めた。同時にすこし、怒れてくる。

「ねぇ、やっぱりまずは、もっとこの部屋を早く探そうよ。カレンちゃんに聞くのはそのあと」

 ロビンはふん、と言い残して部屋を出ていき、レイチェルはドアを閉めてしまった。

 ルビーとレイチェルはその後30分、部屋の隅々を探し、タンスや引き出しやデスクの中身も調べたが、琥珀は見つけられなかった。あとは、リリーとカレンの私物、服のポケットくらいしか、考えられる場所はなくなった。


 ルビーとレイチェルがロビーに降りると、そこにはロビン一人しかおらず、パトリックとリリーとカレンの姿はなかった。

「あれ、リリーさんたちは?」

 ロビンが振り返らずに答える。

「クッション遊びに飽きたカレンちゃんが部屋に行きたいと聞かなくて困ってたところに、ベイカーさんが帰ってきて、ホテル探索ツアーに出かけたところさ。……君たちの琥珀探しをカレンちゃんに邪魔されないよう、僕が促してあげたんだよ」

 レイチェルが,はぁ、とため息をついたが、ロビンは気にしていないようだ。

「今は、手始めにロバートさんの部屋を見学している所だよ」

「なるほど、じゃあ見てくるね! 三階の部屋にはやっぱり琥珀はなかったから、カレンちゃんにそれとなく聞いてみる」

「ほら、僕の言った通りじゃないか」

 ルビーは、うんそうだね、とだけ言い残し、レイチェルを連れてフロントの奥へ向かった。フロントの奥には、3つのドアがついている。左端がロバートの部屋、右端がバニーの部屋、真ん中が中庭に続くドアだ。近づくと、左端のドアからカレンの楽しそうな声が漏れ出しているのが分かった。

 ルビーは、手の甲でこげ茶色の古いドアをノックして、真鍮製のドアノブを回し、押し開けた。

「あ! ルビーちゃん!」

「こら、ルビーさんでしょ」

 部屋に入るとすぐに、古いが頑丈な棚に身を乗り出していたカレンが振り返り、ルビーに向けて笑顔を降らす。棚に置かれた、大きな四角いバスケットの中身を眺めていたようだ。バスケットの中には数十個の琥珀がごろごろと入っているが、それらの琥珀はすべて妖精の琥珀のベースになるもので、ビー玉状に丸く研磨されている状態だ。この時点ではそこまで高価な品ではないから、比較的ラフな状態で保管されている。

 部屋には、カレンとリリーの他に、カレンの後ろで彼女がやんちゃしすぎないように見守るパトリックと、微笑みながら古椅子に腰かけているベイカーもいた。

 ホテルの中でも最も古めかしいこの部屋には、アンティークの家具や古い本がたくさん置いてある。また、直径2メートルくらいある大きな円い紋章が壁に描かれている。女神の紋章と呼ばれるそれは、繊細な植物と剣、女神の絵が昔の塗料で描かれたもので、円の中心には琥珀がはめ込まれている。女神に関わりが深い伝道師の部屋の証と言える。

 ルビーは、カレンのそばに寄って聞いてみる。

「カレンちゃん、ホテル探検は楽しい?」

「うん、楽しいよ!」

 手のひらでバスケットの中の琥珀を撫でながら、カレンは答える。

 ここでルビーが内緒話のポーズを取ると、カレンはわくわくした顔になって耳をルビーに向けてくれた。

「ねぇ、カレンちゃんたちの部屋から大事なもの……きれいなものがなくなっちゃったんだけど、知らない?」

 途端にカレンは、ばっ、と顔をルビーから離してしまった。そして、大きな声で言う。

「し、知らない!」

 その顔が少し引きつり、目が泳いでいるのがルビーには分かった。まちがいなく、カレンが琥珀を持ちだしてしまったのだろう。

 ルビーはレイチェルと目を合わせると、この場ですぐに追及するのは得策ではないと暗黙のうちに確認し合う。そして、カレンに優しく言った。

「そっか、ありがとう」

 レイチェルがロバートの部屋の中をさりげなく、詳細に確認し始めた。ルビーは、その行為の意味を察する。カレンがすでに、この部屋のどこかに琥珀を隠していないかを見ているのだ。棚の上の箱の中、壺の中、ベッドの下、 キャビネットの裏。

 同時に、カレンがちらちらとレイチェルの方を見ていることも、ルビーは見逃さなかった。

 ルビーは、その場にいる全員に向けて提案することにした。カレンをこれ以上色々なところに行かせて、隠し場所の選択肢を増やしたくなかったからだ。客室とこの部屋に妖精の琥珀がないならば、カレンがまだ隠し持っているか、荷物にしまってあるだろうと想定できる。

「あぁ、喉かわいちゃいました! ロビーでココアでも飲みませんか?」

 すると、リリーが初めに賛同する。カレンがホテルを荒らさないか心配だったのだろう。

「そうしましょう、私もココアが飲みたいです。ね、カレンもでしょ?」

 あまり元気がなくなったカレンは静かに頷いた。

 そして一同は、ロビーへと戻っていった。ただ、部屋を探し続けるレイチェルと、古椅子に座るベイカーは、この部屋に残った。


 人数分のココアをつくり、ロビーラウンジに運ぶルビー。ベイカーの部屋を出て15分経ったが、レイチェルがまだ部屋から出てこないということは、妖精の琥珀は見つかっていないのだろう。几帳面なレイチェルが探して見つけられないのならば、カレンがあの部屋に妖精の琥珀を隠したということはなさそうだ。

 ルビーがテーブルに陶器の白いカップを置いていると、ロビンが目配せをよこしてくる。妖精の琥珀は見つかったのか、ということだろう。ルビーは首を少しだけ横に振り、カレンちゃんの前に小さなカップでココアを出した。

「こら、ありがとうでしょ」

「ありがとう」

 リリーがカレンに声をかけるも、あまりに元気のない返事に、怪訝な顔をしてみせる。

 ルビーはそれを眺めながら、心を痛めた。これからカレンを追求しなくてはならない。いかにうまくやるかは重要だが、疑いをかけ、責めるような役割を自分がやらざるを得ない。

 ホテル業界には、こういう言葉がある。

 ――お客さまは絶対である。しかし犯罪を犯せば、お客さまではなくなる。

 暗い顔を隠せないまま、ルビーはソファーに腰掛ける。

 するとロビンは溜息をつき、入れ替わりに立ち上がった。そして何も言わず、フロントの奥、ベイカーの部屋へと入っていった。残されたロビンのココアが湯気を立ち上げ、奇妙な沈黙の時間を演出した。

 それを無邪気に断ち切ったのは、パトリックだった。

「ロビン飲まないんだぁ、じゃあぼくが2杯飲もうっと」

 リリーがクスリと笑ったのを見て、ルビーは声を出して無理矢理笑う。少しでも、いい空気をつくっておきたい。さて、どう切り出そうか……。下手に探りをかけるのは怪しいだろうか。例えばカレンの服を褒め、ポケットの中を見せてもらうなどといったことをすれば、探っていると分かったときに、いやらしい。やはり、単刀直入に聞くしかない。

「ねぇカレンちゃん、部屋から何か面白いもの持ってきてない?」

 カレンは、目を伏せ、俯いて答える。両手は膝の上にぴったりのせて、いつもより背筋を伸ばしている。

「……ううん」

 この反応に、リリーがすかさず反応を見せた。

「カレン? 何か悪いことしたの?」

 さすが母親だ、とルビーは思う。娘がどんな時にどんな仕草をするのか、熟知しているらしい。

 カレンは、固まって黙ってしまった。膝に乗せた両手がもじもじと動き始めた。

「ルビーさん、この子、何かを持ちだしたんですか?」

 身を乗り出して、真剣な顔つきでルビーに聞くリリー。その目はいつものような控えめな様子ではなく、母親としての怒りを秘めていた。

 ルビーは、これでよかったのか分からなくなった。だが、もう誤魔化せないし、誤魔化すべきではないと判断した。率直に、カレンの持ち物検査をお願いするしかない。ストレスと最近の風邪が合わさったのだろうか、頭がズキズキと痛みはじめる。

「あの、リリーさん」

 ルビーは覚悟を決めて、口を開いた。

 その時、ベイカーの部屋のドアが金音を立てて開かれた。

「ちょっと待った」

 フロントカウンターの奥から、ロビンが出てきたのだ。後ろには、俯いたレイチェルもいる。ロビンは自信ありげに背筋を伸ばしているが、レイチェルはどこか不満そうな顔をしている。

 ルビーとリリー、パトリックが驚いて彼らを見る。カレンは少し様子が違い、一回ロビンたちの方を見た後で、すぐに視線をココアに戻した。

 ロビンが、ホテルマンらしい、ゆっくりと少し気取ったような歩き方でロビーのテーブルに近づいてくる。そして、リリーにお辞儀をした。

「うちのルビーが、何か失礼なことを言いませんでしたか?」

「い、いえ」

「えっ?」

 ロビンは、戸惑いを見せるリリーに対して頷き、驚くルビーを無視すると、今度はカレンの視線に合わせて片膝をつく。そして、目を合わせようとしないカレンの顔を覗き込む。

「カレンちゃんは、なにかルビーに嫌なこと言われなかったかい?」

 カレンはほとんど動かない。

 ロビンはふう、と息を吐くと立ち上がり、リリーに言った。

「実は、ここにいるルビーとレイチェルが先ほど客室の掃除に行ったとき、備品が一つなくなっていたのを見つけたらしいのです」

 ルビーは、何がどうなったのか分からずレイチェルを見るが、彼女はただ俯いているだけだった。ただし、その両手は強く握られ、感情を抑えているように見える。

 リリーが開いた口に手を当てて返事をする。

「ホテルの備品を、カレンが持ちだしてしまったのですか」

 カレンの方がぴくりと揺れて、リリーはカレンを厳しく睨む。

 しかしロビンは右手を振って、笑顔になった。

「いえいえ、レイチェルとルビーはそう勘違いしてしまったようですが、良く探してみたら、支配人室で見つかりました。カレンちゃんが部屋から持ちだしたわけでなく、むしろこちら側の過失で、備品を備え付けておくのを忘れてしまったようです」

 ルビーは驚いた。備品とは、どういうことか。

 リリーも、事態が飲み込めないようだ。 

「と、いうと……?」

「備品とは、この懐中時計のことです」

 ロビンがスラックスのポケットから取り出したのは、青銅製の懐中時計だった。ルビーはそれを知っているが、備品などではなく、ベイカーの趣味のコレクションであるはずだった。どの客室にも、懐中時計など置かれていない。

 しかしロビンは言葉を続ける。

「ホテル・ファンタジアでは、部屋の雰囲気を出すために、この時計をインテリアとして客室のデスクの中に潜ませているのです。引き出しを開けた時に、おっ! と思っていただけるように。しかし、一昨日、時計の針が止まっていたので、レイチェルが支配人に修理を頼んでいたのです。そのことを忘れ、時計がなくなったと勘違いしてしまったようです。申し訳ございません」

 ロビンが頭を下げると、レイチェルも俯いたまま、深々と頭を下げてお辞儀をする。

「疑ってしまい、大変申し訳ございません」

 リリーはぽかん、と口を半分開けたまま、口に手を当てていた。

「あ、いえ、そういうことならべつに……」

 ロビンは、顔を上げるともう一度カレンの前に屈んで、懐中時計をカレンに差し出す。

「お詫びのしるしに、この時計はプレゼントします」

 ようやくカレンはロビンと目を合わせたが、その目は驚き、いやむしろ困惑のかたちをしていた。

 カレンが何も言わないでいると、ロビンが付け加えるように言う。

「もうこんなことが二度と起きないよう、約束の意味も込めて、受け取ってほしいんです」

 ロビンの目が一瞬鋭く光り、カレンはおびえたように身を引いた。が、ロビンは彼女の手を取り、時計を握らせた。

 ルビーは、何が何だかさっぱり分からず、ただただロビンが演じるままを傍観していた。


 リリーが、やけに静かになってしまったカレンを抱えて客室に戻った後、ルビーたちはベイカーの部屋に入った。

 部屋では、ベイカーが相変わらず、古椅子に座っていた。

 ルビーは、後ろ手に扉を閉じると、すぐにロビンに問いかけた。

「で、どういうこと? 妖精の琥珀はどうなったの? あの懐中時計はなに?」

 ロビンは部屋の奥に歩いて棚のところまでいくと、右腕でレイチェルに説明を促す。

 レイチェルは、普段より低く小さな声で呟いた。

「この部屋で妖精の琥珀が見つかったの。多分、カレンちゃんがこの部屋に隠したんだろうけど、それを追及して証明しても意味がないでしょ? だから、私たちの妙な言動の原因をリリーさんの中で納得させるために、ベイカーさんのコレクションでお茶を濁すことにした……それだけのことよ」

 パトリックが口を挟む。彼は、妖精の琥珀がなくなったことも知らない。

「えっと、そもそも何があったんだっけ」

 しかし、ルビーとしてもパトリックに構っている余裕はなかった。

「えっ? この部屋で見つかったの!? どこに? 結構長い間、レイチェルが部屋から出てこなかったから、カレンちゃんが持ってるんだって思っちゃった」

 ロビンが苦笑いする。

「本当、ぎりぎりだったよな。ルビーがカレンちゃんの悪戯をリリーさんに暴露して、持ち物調査なんかしはじめたら大変なことになってたよ。だってカレンちゃんはもう持ってないんだから、まるで濡れ衣を着せたみたいに思われて、すごく失礼だ」

「う……ごめん」

「まぁ、結局カレンちゃんがこの部屋に隠したんだろうけど」

 もしそうだとしても、そのことを証明する流れになれば、ホテルと宿泊客の間に信頼の亀裂が走ってしまう。もしかしたら、妖精の琥珀とは一体何だ、という話にも繋がりなりかねない。ルビーは、最悪のケースを回避できたことに安堵した。……同時に、疑問に思う。

「でも、この部屋のどこにあったの? 私も少し探したし、レイチェルがしっかり探して、それでも見つからなかったのに」

 ロビンが両手を組んで笑う。

「さぁ、本当に君たちはちゃんと探したのかなぁ?」

 レイチェルの鋭い瞳がロビンを睨む。ピリリとした緊張感が走る。

 なにも分からないパトリックが、止めに入る程だった。

「ちょっとロビン、そんな言い方はないんじゃない」

 しかしそれには誰も反応しなかった。

 レイチェルは、呻くように言う。

「探したわよ。ベッドの下に箒を入れて、キャビネットの全部の引き出しを調べて、絨毯もはがして。棚に置いてあるコレクションも全部どかして調べたわ。……ただ、ちょっと盲点があっただけで……」

 レイチェルがその几帳面さを発揮して、細かく調べたであろうことはルビーにも推測できる。部屋にはほこりが立ち込めているし、家具は少しずつずれた状態で置いてある。

「盲点って?」

 ルビーが聞くと、ロビンがさわやかに笑う。

「盲点ってほどじゃない。君たちが客室を調べて見つからなかった時点で、この部屋のあそこにあるだろうなってことは、僕にはすぐに分かったさ」

「えっ、その段階で!?」

 ルビーは声を上げて驚く。レイチェルは唇を噛んでロビンを睨む。パトリックは首を傾げ続け、ベイカーは椅子で静かに目を瞑っている。

 ロビンは説明する。

「ポイントは二つ。一つは、レイチェルが客室に掃除しに行くと行った時、カレンちゃんはついていきたがっただろう? あれは、持ちだしてしまった琥珀を元の場所に戻したかったんじゃないかと僕は思う。要は、自分が悪戯したことを隠そうとしたんだね。だから、いい隠し場所を見つけたらすぐに隠すだろうと思った。ベイカーさんの部屋に入ったことは、彼女にとってチャンスだったんだ。もう一つは、カレンちゃんが、ルビーとレイチェルより賢いってことだ」

「ちょっ……」

 ルビーが突っ込みをいれようとするが、ロビンは続ける。ルビーは、怖くてレイチェルの顔を見ることができない。

「とっさに琥珀を隠すなら、タンスの中やベッドの下に隠すなんかより、ずっといい方法がある。それは、似たようなものの中に紛れ込ませることだ。だから、カレンちゃんは琥珀の中に隠したんだ」

「琥珀の中?」

 ロビンは、棚の近くに歩み寄る。

「そう、妖精の琥珀になる前の琥珀が詰まったバスケット。このバスケットの底の方に妖精の琥珀を紛れ込ませておけば、自然過ぎて見つかりにくい。カレンちゃんの気持ちになって考えれば、これ以上の場所はないんじゃないか?」

「あっ! そうか!」

 ルビーが口に手を当てて驚くと、ロビンがバスケットをテーブルクロスの上でひっくり返す。すると、ビー玉状のたくさんの普通の琥珀に混ざって、妖精の琥珀がころころと姿を現す。

 ルビーは手を伸ばし、人差し指と親指で琥珀をつまみ、覗きこむ。ひときわ神秘的な色をしたその玉は、赤と緑の粉が込められた、レイチェルとパトリックの琥珀に違いなかった。

 ロビンが勝ち誇ったように言う。

「僕にしてみれば、すごく簡単なもの探しゲームだったよ。君たち、推理小説の古典くらい読んだらどう?」

 ルビーとパトリックは、声を合わせてロビンを讃える。

「すごいなぁ」

 しかし直後、レイチェルが近くの机を力任せにバン、と叩いて、荒々しくドアを開け、部屋を出ていった。

 それにより、ルビーのロビンを讃える気持ちはすぐに消え去り、悲しみが立ち込めてきた。この時ルビーは、仲間の内に今まで以上に大きな亀裂が走ってしまったような気がして、はぁ、と大きくうなだれたのだった。


 その後、ルビーは徐々にひどくなっていく頭痛に襲われ、自室に戻って再び眠ろうと試みた。

 しかしルビーは、ロビンとレイチェルの不仲が気になって眠れなかったので、気分を変えるために外に出た。仲間の間に不快感が漂うと、とてもつらい。

 空が曇っているせいで、レイチェル街道までの小道はいつもに増して暗くなっている。トランペットの陽気な音がやけに空虚に聞こえてしまう。

 にぎやかなレイチェル街道に出たルビーは、客の呼び込みに励むプリムと目が合った。彼女に元気をもらおうと思ったが、観光客が彼女に近づいていったので、ウィンクを交わすくらいにしておいた。それだけでも少し元気が出たが、これくらい穏やかな関係をホテルで築けていない自分を情けなくも思った。

 特に行くところもないから、ルビーは賑わいを求めて商業区へと坂を下った。


 商業区に入っても気分は晴れず、俯いたままルビー街道の近くまで来たが、がやがやとどよめく観光客の声が聞こえて視線を上げる。

 目の前には、観光客を乗車させるために停車したエレクトリック・スターダスト号があった。

 観光客は、期待と驚きに満ちた瞳で乗車している。

 ルビーは無意識にその光景から目を逸らす。スターダスト号が人気だなんて気に入らない、と思ってしまった。

 が、この時少しの違和感があって再び車両を見ると、その電気駆動車は、レールの先端よりも5メートル近く手前で停車していることに気がついた。レールの先端はどうやら工事中のようで、2人の役人が工具を持ってしゃがみこみ、レールをカンカンと叩いている。

「何をしているんですか?」

 ルビーが聞くと、役人は笑顔で答えた。

「エレクトリック・スターダスト号をより安全にするために、レールを改修しているんだ」

「改修? なにか事故でもあったんですか?」

 ルビーは不安になって聞いた。事故でもあったというなら、宮殿に抗議してやろうとさえ思う。

 しかし、それは的外れな不安だった。役人は、大きく手を振って否定する。

「いやいや、今まで事故が起きたことなんてないさ。それでも女神さまは、直々に設計図を描いて、この通りにすればもっと安全になるって指示なさったんだよ」

 役人はそう言って笑顔をつくると、再び改修作業に打ち込み始めた。

 ルビーはつくり笑顔を返したが、気分は晴れない。エレクトリック・スターダスト号を、受け入れるべきなのだろうか。女神さまを素直に尊敬できない自分が嫌になった。

 ルビー街道へ入り、こちらでもレールの先端の改修が行われているのを見届けた後、ルビーはホテルに引き返すことにした。

 大好きな街を歩いても、良いことが何もない。ルビーは悲しくなって、溜息を吐いた。

 やがて、ぽつぽつと雨が降り始めた。


 16時を回ったころ、ルビーはいろいろ我慢できなくなって、ロビンの部屋をノックした。

「ねぇロビン、起きてる?」

ロビンの声が部屋の中から返ってくる。しかし、ドアは開かない。

「あぁ起きてるよ。でも本を読んでるんだ。ルビーは頭痛いんだろ? もう少し静かに寝てろよ」

 頭痛を指摘されると余計に痛みを感じるが、寝ていられるような気分ではなかった。とはいえ、自分がロビンと何を話にきたのか、はっきりとは分からない。もっと仲良くやっていこうよ、と押しつけるだけでは、単にうっとうしがられるだけだということくらい、ルビーにも分かる。結果、あやふやな気持ちのままドアの前まで来てしまったのだった。

 ルビーが言葉に窮していると、レイチェルが三階から螺旋階段を降りてきた。

「ルビー? そんなところで何してるの?」

「あ、ううん、特に何も。ちょっとロビンと話してるだけ」

「へぇ、さっきのこと?」

 レイチェルは、険しい表情でずいずい近づいてくる。

 嫌な予感がして、ルビーは何の気なしを装う。

「え、いやさっきのこととは関係ないよ? ね、ロビン?」

 ルビーが同意を求めるが、ロビンの返事はない。

「ていうかさ、ロビンは、自分が頭いいからって、人のことばかにしすぎだよね。私がカレンちゃんに謝るの見て、優越感に浸ってさぁ」  

 とげとげしいレイチェルの言葉に、ルビーは怯む。

 レイチェルはドアに向かって文句を言いはじめた。

「あなたって、チームワークも何もないよね。理由をいち早く解き明かした僕ってすごいでしょって自慢したいの?」

 ロビンが扉の向こうで皮肉っぽく笑った。

 レイチェルは激昂する。

「何笑ってんの? 嫉妬じゃなくて、あなたの人格やばいよって言ってあげてんだけど」

 ルビーが戸惑っていると、レイチェルはさらに声を大きくしてロビンを責める。

「ロビンなんて頭がいいだけで、いつだって良い結果を出せないくせに。ルビーとの夢の仕事だってそう。あなたたちのペアはいつも一番きれいな琥珀をつくるけど、それはルビーのおかげだからね? 私、ルビーに負けてるのは認めるけど、あなたに負けてるつもりはまったくないから」

 これを受けて、ロビンはようやく部屋の中から声を出す。呻くような、怒りを帯びた声だ。

「……それには納得できないな。ルビーだけじゃ、毎回きれいな琥珀はつくれないよ。身体張ってばかりじゃ効率が悪いし、頭を使わない分進歩もないしね」

 言葉を引き出すのに成功したレイチェルは、にやっと笑う。

「頭を使って、効率的に、ね……。くだらない」

「くだらない?」

「本当は分かってるんでしょう? あなたは考えているばかりで、重要なことは何も出来てないのよ。実際、ロバートさんが来た夜につくったあの琥珀も、ほとんどオレンジだったじゃない。夢の中で積極的に動きまわったルビーの頑張りが、色にも出てるのよ」

「あの日はそうだったかもしれないけど」

「あの日だけじゃないよね? あなたが何と言おうと、妖精の琥珀の色は嘘をつかないわ。ルビーのオレンジの方が、あなたの紫よりもいつでも何倍も輝いている。そんなの、見ればわかるわ」

「……」

「一言でいえば、あなたは頭でっかちなの。頭でベストな方法を構築しているうちに、ルビーが全部終わらせてるんじゃない? でも、思考だけはルビーの先を行っているから、負けている気分にはならないのよ。ほら、くだらない」

「……」

 レイチェルがまくしたて、ロビンは黙る。

 ルビーは、レイチェルの剣幕に驚いていた。

「レイチェル、どうしたの? わたし、そんな風に思ったことないよ。いつもロビンにヒントもらったり、危ういところを助けてもらったりしてるもん」

「役立たずだなんて言ってないよ。ただ、メインで活躍しているのはルビーだって言ってるの」

 ルビーの心は、張り裂けそうになっていた。メインだとかそうでないとか、考えたこともない。ただ、一緒に協力して良い夢をつくってきただけなのに。

 レイチェルはルビーのことを相手にせず、ロビンの反論を待ち構えるように部屋を睨んでいたが、部屋の中から言葉が出てくる気配はなかった。

「ほらね。言い返してこないってことは、認めたってことよ。とにかく今は、放っといて反省させた方がいいじゃない? 優しすぎるのも問題よ、ルビー」

 レイチェルは、そう言ってルビーの肩を叩くと、再び階段を上がっていった。ホテルマンとして気を付けてはいるようだが、いつもに比べれば明らかに足音を立てている。

 ルビーは、物音一つしないロビンの部屋の前で、なすすべもなく立ち尽くしていた。人間関係も頭痛も、悪化していく一方だ。

 外で騒ぎはじめた雨音が、静けさを増したホテルの中で響いている。

どうやら、今晩は大雨のようだ。


 その日のロバートの夢の中。

 ルビーとロビンは、いつもと同じ記憶の森の中にいた。

 始めの日と同じように、ロビンがロバートに寄り添って、光る木々を一つ一つ選んで切り倒すよう促していく。そのスピードと判断力は、悪くない。夢に入るまで、彼は口をきいてくれなかったが、仕事には影響を及ぼしていないようだ。

 ルビーはその様子を見届けると、いつも通り、やみくもに木々に飛び込んでいった。

 無意識に、いつもよりも速い速度で飛んでいく。霧がかかった森の中、オレンジ色の粉が飛行機雲のように尾を引いて、きらきらと輝く。

 飛びながら、ルビーはレイチェルの言葉について考える。

 ロバートの記憶の森を訪れるのはこれで22回目になるが、ルビーはその内16回、最後の木を探し当て、夢を幸福に導いていた。ロビンは残り6回の夢で、本命の木を見つけ出した。

 レイチェルは、この差を指摘していた。それは琥珀に込められる粉の比率を見れば明らかだ。これまでの琥珀のほとんどが、輝くオレンジを主張している。

 レイチェルの辛辣な言葉に賛同するわけではないが、ルビーが自分のやり方に自信を持っているのも確かだった。この世の中、行動力が一番大切だと思う。それが、論理的であろうとなかろうと、革新的であろうとなかろうと、あれこれ考えるよりも信じる方向に突っ走る。それが大切だと思う。動かなければ、何も始まらないのだから。

 そんな渦巻く思考と共に、ルビーは妖精の粉を散らし、ロバートの記憶を駆け巡る。

 ロバートがトロイメライに求める記憶は、一体何なのだろう? そろそろ、記憶の森から脱出させてあげたい。初めてロバートがホテルを訪れた日に見つけた、子供が生まれた日の記憶。あれに触れた時は、ものすごく大きな揺れをルビーは感じた。それを上回る衝撃を探さなければならない。

 ルビーは羽ばたくスピードをさらに早め、木々に触れて飛んでいく。目まぐるしい速度で記憶が巡る。

 ロビンは、今どのあたりにいるだろう? 偶発的に正解にぶつかる自分と違い、着々とゴールに近づいているはずだ。ロビンの心境からすると、今回は彼にクリアしてもらった方がいいのかもしれない、とも思う。

 しかし、飛ぶ勢いは止まらない。

 ホテルの勝手なしがらみで、お客さんへのサービスに手を抜くなんて考えられない。ルビーは、細く、曲がりくねった怪しい木に、勢いよく飛び込んだ。

 その瞬間だった。

 世界がものすごい光に包まれると同時に、空間が歪んだみたいに大きく揺れた。

 ルビーは慌てて我に返ると、この重要らしき記憶の中身を確認する。

 六角形のまっ白な部屋の中で、ロバートは膝をついて何かを懇願している。涙と叫び声がまじりあって、普段の彼からは想像できない姿を見せている。

 この記憶はなんだろう? ロバートが求める記憶の核心だろうか。記憶の森を終わらせるほどの記憶だろうか。ルビーが色々と考えを巡らしてみても、正確なことは分からない。しかし、今晩の決着がついたのは確かだった。

 今日も、ルビーがロバートの記憶を探し当てたのだ。

 ルビーはロビンを呼んで、ロバートをこの場所まで連れてきてもらった。

 そして、ロバートはその木に抱き付き、記憶をよみがえらせた。

 ロバートの身体から飛び出すルビー。

 それに続くロビン。

 オレンジと紫の光で、部屋が順番に照らされる。

 人の姿に戻ったルビーは、大きな達成感と、少しだけ申し訳ない気持ちでロビンを見る。

 ロビンは、目を合わせてくれないまま部屋に戻っていってしまった。

 このまま別れるわけにはいかないと思い、ルビーは彼の部屋までついていく。

 だが、ベッドに潜ってルビーを無視するロビンに対し、ルビーはどうすることもできなかった。

 時計を見ると、3時を少し過ぎていた。睡眠不足と心労が重なり、頭痛が酷くなってくる。

「ねぇ、ロビン……」

「……」

「少し話そうよ」

「……」

「ねぇ……」

「……」

「……」


 沈黙に耐えて30分後、ルビーは諦めて自分の部屋に戻った。そして、最悪な気分で自分の部屋のベッドに潜り込んだ。

 未だ雨は止まず、水滴がホテルの窓に打ち付けられている。その細かく荒い音が、ルビーの心をさらに乱していく。

 宿泊客の夢を幸福に導いたにもかかわらず、こんなにももどかしい感情で眠らなくてはならない夜は、ルビーにとってはじめてだった。


 翌日、十分な睡眠を取って12時に起床したルビーは、制服に着替えてロビーに向かった。

 しかしそこには、ランチを食べるパトリック一人しかいなかった。ロビンにどんな顔であいさつしようか迷っていたルビーは、少しだけほっとした。

「あれ? みんなは? まだ起きてないの?」

「いや、ルビーが最後だよ。みんな、ご飯も食べずに橋の様子を見に行っちゃったんだ」

「橋? キャメロン大橋のこと?」

「うん、ちょっとした事故があったみたい。事故と言っても、橋が崩れ落ちたわけじゃないんだから、ご飯をほっぽりだして行くほどのことじゃないと思うんだけどなぁ」

 口にパンを頬張りながら言うパトリックは、昨日のいざこざをあまり気にしていないように見える。

 逆にルビーは、精神的に不安定になっているせいかもしれないが、何か不吉な予感を感じ取った。

「ちょっと行ってくる!」

「え? ごはんは?」

「帰ってから食べるよ。じゃあまたね!」

 変なの、と呟くパトリックを尻目に、ルビーはホテルの玄関を出た。無意識に早歩きになり、それが徐々に小走りになって路地を急ぐ。トンネルを越え、黒猫に挨拶をし、レイチェル街道へのドアを開ける。

 レイチェル街道に出ると、劇場区はいつも通りの活気に満ちていた。やはり、大した事件ではないらしい。だが、その様子を見ても、ルビーの不安は収まらなかった。

 昨晩の雨によって、水分を使い切って晴れ渡った青い空と、潤いに満ちた石畳の対比が、美しくも不気味に感じられるほどだった。

 改修工事を終えたらしいレイチェル街道のレールの先端を通過すると、ロビンの門の周辺に人だかりが見えてきた。観光客もトロイメライの住民も混ざっている。

 背の低いルビーは、その奥にあるキャメロン大橋で何が起こっているのか分からない。人と人の間を、すみません、と声をかけながらすり抜けていく。

 ロビンの門をくぐり、人ごみを抜けたの向こうに開けるキャメロン大橋の光景は、いつもとそう変わらなかった。

 しかし、そこには一目で分かる異変が一つだけあった。

 キャメロン大橋の両脇に、4体ずつ並び立つグリフォン像。そのうち、西側でもっとも門に近いグリフォンの上半身が、粉々に砕け散っているのだ。

 ルビーは大きなショックを受け、立ちくらみを覚えた。この街の古い建造物の一つが破壊されている。しかもその砕け方は決して自然によるものではなく、明らかに人為的なものだった。

 砕けたグリフォンの足元に、レイチェルとロビンがいたので、ルビーは彼らに駆け寄った。二人はけんかしているはずだが、街の一大事ということで、二人してホテルを駆け出したのだろう。そう思うと、ルビーは少し嬉しくなった。

「何があったの!?」

「分からないわ。今、宮殿の人たちが調査してくれてるんだけど」

 レイチェルは、橋の下の、水がたまった堀を指差した。

 昨日の大雨の影響で、堀には大量の水が溜まっている。

 そこには、ボートを浮かべて、グリフォンの欠片や何らかの手がかりを探す人たちがいた。黒地に金の装飾が入った厚手のジャケットを羽織る彼らは、女神の宮殿に勤める上級の役人たちだ。周りを見ると、橋の上にも同じ格好の男たちが数人いて、手掛かりを集めているようだ。

 それにしてもひどい、とルビーは思う。みんなが大切にしてきた歴史を壊すなんて、許されることではない。

 犯人の手がかりがないか、ルビーが辺りを見渡し始めると、ロビンが言った。

「手がかりがあるなら、きっと堀の水の底だと思う。橋の上に証拠が残るようなら、さすがにもう見つかってるだろうし。役人たちの話によると、壊れたグリフォン像の破片も堀の底に沈んでいるらしい」

「そう、だよね」

 ロビンは、橋の下の堀を見つめたまま続ける。

「午前3時15分ごろに、グリフォン像が砕けるような音を近くに住んでいる何人もの人が聞いてるらしい」

「3時15分……大分早い時間なんだね」

 まるで、昨日のレイチェルとの口論など全く気に介していないようなロビンの口ぶりを、ルビーは意外に思う。

 しかし、それどころではない。ルビーはもう一度橋から身を乗り出して、目を細めて水底を見つめた。

 その時、城壁の反対側、つまり大陸に近い部分の堀を探していた役人が、何かを見つけたらしく大声をあげて周りに知らせた。

 瞬間、ルビーは二人と顔を見合わせて、はっきりとした声で言う。

「ねぇ、私たちも見に行こう! 事件のこと、知りたいし」

「はっ?」

 ルビーが言うと、ロビンが不満気な声を挙げる。

「事件の捜査は僕たちがやることじゃないだろ? 役人の仕事だ」

「誰の仕事とか関係ないよ! 自分が今すぐ知りたいって思うから行く、それだけだよ!」

 ルビーがロビンの目を真っ直ぐに見て言い返すと、彼は目を背けた。

 レイチェルは、真剣な目をして二人を見ている。反論せずに目を逸らすロビンの代わりに、レイチェルが言う。

「さすがルビーね」

「大切なトロイメライが壊されたんだから、放っとくわけにはいかないよ。明らかに悪意があるし、犯人を見つけないと」

 ルビーが素直な気持ちをそのまま言葉にすると、ロビンが無表情に近くも嫌そうな顔をした。

 ルビーは二人に構わず走り出した。レイチェルだけがついてくる。

 堀に降りるには、ロビンの門の裏側にある金属のドアを通って、いったん城壁の中に入る必要がある。城壁の中の階段を降り、外に出れば、役人たちが漕いでいたボートの船着場に出られるのだ。

 

 船着場に着くと、丁度すべてのボートが戻ってきたところだった。

 役人たちの内の一人が、何か大きな丸い物体を重そうに抱えている。

 あの物体が、発見された手がかりだろうか? 役人たちの顔が、やけに険しい。

 ルビーは、躊躇いなく役人たちに話しかけた。

「どうしたんですか? なにか、まずいものでも見つかったのですか?」

 6人いる役人全員の鋭い視線がルビーに集まる。

 その時、ルビーは一人の役人が重そうに抱えている物体の全容を見て、全身を凍り付かせた。

 レイチェルも、同じように目を見開いた。

 鍵穴の付いた丸い金属のボールから、赤味を帯びた水が滴っている。バスケットボールくらいのサイズがあるこの物体を、ルビーはよく知っている。

 これは、ホテル・ファンタジアの客室用の金庫だ。

「どうしてこれが、こんなところに……?」

 自然に口から疑問が漏れた。だが、ルビーの目から見ても一つだけ推測できることがある。金庫の一部に大きな打痕が残っているから、これがグリフォン像に衝突し、グリフォンを破壊したのだろう。

 次の瞬間、鼻を突く異臭がボールの方から漂ってきた。ルビーは、とっさに鼻と口を覆う。

 その様子を見て、一番背の高い役人が低い声で言う。顔も体もがっしりとした四角形で、もみあげから顎に繋がる濃い髭を携えている。

「私はスターリッジ。この事件の捜査責任者だ。君は、この金庫のことを知っているのか?」

 ルビーは、手で口を覆ったまま答える。

「……はい、うちのホテルの客室金庫です」

「ホテルの金庫?」

 怪訝な顔をするスターリッジに、レイチェルが答える。

「はい。たしかに、金庫には見えませんよね。でも、私たち、ホテル・ファンタジアの従業員だから分かるんです。うちのホテルの金庫に間違いありません。……鍵がかかっているようですね」

 レイチェルはそう言って、ウエストポーチから金庫の鍵を取り出した。これはレイチェルが担当する客室金庫のスペアキーで、メインの鍵は宿泊客であるリリーが持っている。また、ベイカーがマスターキーを常備している。

 スターリッジは頷くと、鍵を受け取り金庫を開けようとした。

 しかし、鍵穴にぴったり当てはまらない。

 ルビーは、目の前にある金庫が、自分の担当する部屋、つまりロバートの金庫だと理解する。レイチェルの鍵が合わないということは、可能性はそれしかない。空き部屋にはこのタイプの金庫は置いてないからだ。

 一体、どういうことだろう。

 ぞくりとした寒気を感じながら、震える手でルビーは鍵を取り出し、金庫を持つ役人に歩み寄り、鍵を差し込もうとする。

「いや、私が開けよう」

 スターリッジは、ルビーを制止して言った。中に入っている何かを、想定しているような物言いだ。

 ルビーは黙って、スターリッジに鍵を手渡した。

 スターリッジは頷くと、鍵穴に鍵を差し、ガチャリと回す。今度はぴったりはまってしまった。

 そして、球状の金庫の上半分を、ぱっかりと開いた。

 異臭は急激に強まって、同時にそれ以上の視覚的ショックがルビーを襲う。

 なんと、金庫の中には、人間の生首が入っていた。

 しかもそれは、真正面にルビーの方を見つめている。

 おかげで、それが誰のものか、すぐに分かった。

 あまりの衝撃に、ルビーは激しいめまいを覚えた。

「これは……ロナルド・ベイカー……」

 スターリッジのつぶやきに、誰一人異論を唱えなかった。

 昨晩から強くなっていた頭痛は、この時異常なまでの叫びをあげて、ルビーの意識を遠くに飛ばし、失神させた。

 悲しみを感じたり、事態を理解したりする余裕などなかった。ただ単に、邪悪なものに身体全体が飲み込まれていくような絶望感が、脳を支配した。

 薄れゆくルビーの意識の中に微かに現れたのは、ベイカーの優しい笑みだった。

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