1-9 「ならば答えよう私も土の上に生きる唯一無二であると」


 番兵の警告を無視して、抜き身の小烏コガラスを左手に、先陣を切って長い廊下に突入した菖蒲を待ち受けていたのは人の石垣だった。


「確かに、これは一々相手してたらキリがないぞ。本丸はもっと厳重なんだろうなぁ、先が思いやられるっ」


 恵流情報では、敵対のトリガーを引いた瞬間からダンジョン同様に兵士が無限に出現するようになるらしい。

 異なるのは、その再出現リポップまでの間隔が極端に短い事と、放っておけば通勤ラッシュの電車も同然の人口密度になる事。


「玉座の間まで突っ切る。遅れないでくれ!」


 視覚されないのを良い事に柱や調度品の影から湯水の如く湧き上がる兵士を、フラグナ側の装備の補正を受けた小烏コガラスが普段以上の切れ味を発揮して、撫で斬りにしていく。

 殿シンガリを務める七色が片翼を羽ばたかせて、番兵を牽制しながら影響/効果エフェクトを実行する。


「――実行ラン――風の音カゼノネ


 三位一体の一陣の疾風と化して、直線五十メートル規模の障害物走を十秒足らずで走破。廊下と玉座の間を仕切る重厚な大扉を破ったのは、風の音カゼノネか菖蒲か。


 玉座の前に立ちはだかるは、一般兵よりも遥かに強力な近衛兵。その数は、百は下らない。廊下の防衛が石垣だったのなら、此方は堅固な要塞だった。

 銀の鎧は菖蒲の刃を簡単には通さない。突き出される剣は俊速にして剛撃。一人一人が一筋縄では行かない戦闘力を持っている。

 背後から迫り来る兵の群れは、さながら壁。このままでは何れ両側に挟まれて圧死が待っている。


「飛び越えます。合図に合わせて思い切り跳躍して下さい!」


 建物の無駄に天井が高い豪奢な構造を生かして、七色の風の音カゼノネの支援を受けながら、隊列を組んでいる近衛兵の頭上を通過する。

 滑空の状態で、七色は玉座の周辺を視界に収めた。そこには王と、その守護をせんと四方を囲んだ近衛兵の姿がある。


「――実行ラン――神解けカミトケ


 天井ギリギリの位置に発生した雷雲から稲妻が落ちて、無防備な王を貫く。


「よ、容赦無い……」


 即位したばかりの新王の歴史は僅か二週間で幕を降ろした。余波の側撃雷を受けた近衛兵は、軽くたたらを踏んだだけでピンピンしている。

 着地するなり、王を囲んでいた上級近衛兵が怒り心頭の様子で先頭の菖蒲に殺到した。飛び越えてきた者達も、もう追い付いてきている。


「のえる! ここは俺達が引き受けるから、早く玉座へ!」


 言われるまでもなく、恵流は目的地に向けて走りだしていた。五段の階段を五足飛びで上がり、恵流は足のない黄金の椅子の正面に立つ。


「王の椅子。この王城をダンジョンに見立てた時、最奥となる場所。ここに何も無ければ、もうお手上げかな」


 この世界の他の場所は既に調べ尽くされている。

 二週間ほど前に、この広い部屋で爆弾を使用した結果――柱が折れなければ、穴が空いたりもしなかった。

 何かがあるとすれば、ここだけだ。一縷の望みを胸に、レベルによる恩恵を受けた力の限り玉座を押す。


「菖蒲!」


「悪いっ、今手が離せな――」


「やっぱり、この世界はまだ続いてる。終わってなかったんだ!」


 ――ズズズ。


 その手応えに、鳥肌が立つ。心が震える。それだけで、堆積された苦労が一滴も余さず掬い上げられたような気分になる。


「進もう、この先へ。きっと真実が待ってる」


 玉座の下にあったのは、聖殿の物と造りの似通った地下へと続く螺旋階段。この階段を降りた先には、きっと倒すべき敵が待っている。

  

 どれほどの時間を歩き続けただろうか。突入口は既に光の点になっていた。

 延々と続く螺旋階段は、さながら地底に伸びる摩天楼。壁面に群生したヒカリゴケの金緑色の薄明かりとの組み合わせが、幽玄な雰囲気を醸し出している。

 先頭を歩く恵流が思い出したように言う。


「あ、そうだ。バナナさんはもう帰っていいよ。お疲れ様」


 躓いた菖蒲が恵流の背中に飛び込んで行った。慌てて恵流が受け止める。


「このタイミングで転げ落ちて死亡なんて本当に洒落にならないから、気を付けてよ」


「ハイ、ご迷惑をお掛けしました……でも、元はといえば、お前がいきなり可笑しな事を言い出したのが悪いんだぞ」


「責任転嫁? バナナさんとの契約は玉座の間を占拠するまでだったから、もう僕達に付き合う必要はないよって言っておかないとさ、悪いでしょ」


「貴方はブレない人ですね。この展開を前にして、はいそうですかと帰れる筈がないでしょう」


 水を向けられた最後尾の七色は特に気にした素振りもなく二人を置いて、トントンと足音を響かせて、淡々と階段を降りていく。


「バナナさんって、意外と熱い人なの?」


「人並みには。こうなった以上は、最後まで付き合わせて下さい」


 恵流としては、自らの物言いに七色が自尊心と未知への期待の狭間で揺れ動き、適度に歯向かってくれる事を予想していただけに、下手に出て頼まれてしまうと毒気も抜ける。


「うん。実を言えば、僕も最初からバナナさんを同行させるつもりだったし。戦力があるに越した事はないもんね」


「それでどうしてあの発言が出てくるんだよ!」


「暇を持て余したからに決まってるでしょ」


 神秘的な螺旋階段に、菖蒲の唸り声が反響する。



 ◇   ◇   ◇



無限に続くかと思われた階段も、遂にその終端が見える。


「体感では少なくとも二時間は経ってる印象だったけど、実際の行程は三十分くらいかぁ」


「変わらない景色が続いてたからな。時間の感覚が狂うのは無理もない」


 終点から奥に広がる横穴の先には、二種類の扉があった。一つは人一人が出入りできそうなサイズで、もう一方はその何倍も巨大な鉄扉だ。


「意味深ですね。片方が資材の搬入用ではないとすると……」


「この世界の舞台設定から考えたら、答えは出てるようなものだよ」

 

 そう嘯きながら、恵流は小さい方の扉に手を添える。


「鬼が出るか竜が出るか、だね」


 途方も無いほど宏闊な空洞に蛍のような青白い光がふよふよと浮かんでいる。上も下もない、一面に星空が広がっていた。


「足元に薄く水が張り巡らされていて、光を反射しているみたいですね」


「圧倒されるな。これを見れただけでも、長い階段を降りてきた甲斐がある。幻想的と言うか……とにかく、綺麗だ」


 扉が取り付けられている白亜の壁は年季ゆえか、別の因子があるのかは定かではないが、所々が赤黒く変色していた。


「階段も雰囲気があったけど、何だか黄泉比良坂を下って冥界に到着したって感じになってきたね」


 周囲を注意深く観察しながら恵流が漏らした感想に、好奇心の赴くままに進んでいた七色の足がピタリと止まる。


「このそこら中に浮いてる光球が魂だって言われたら、納得しちゃうなぁ」


「いっ、いやぁぁぁぁぁぁッッッ!」


 突如として炸裂した金切り声に身構えた恵流に向かって、猛然と菖蒲が駆け寄ってきた。もしかして今のは菖蒲の? と恵流が理解するよりも前に、飛びつかれる。


「のえっ、のえるは何て、ことっ! あわあ、わたしの家系は、その手の話は本当に駄目、でぇ」


 ぎゅうぎゅうと身体を押し付けながら、息も絶え絶えに文句を言う菖蒲の顔は蒼白。嗜虐心が刺激されて、恵流はニンマリとする。


「触れたら憑依されたりして。状態異常バステ呪いになったら、もうそれ間違いなく憑かれてるよね」


「ひっ、やだっ、避けて! 避けてぇぇぇ……!」


「冗談だよ。ほら、触っても何ともって、あれ? 腕が引っ張られてる?」


「だっ、のえっ、つれ、っちゃ、だ!」


 菖蒲は既に言語中枢を持って行かれていた。いつの間にやら引き返してきた七色が恵流をジト目で睨む。


「菖蒲。仮想体アバターとは言え、軽々に異性に抱きつくものではありませんよ。怖いのなら、此方に」


「う、うんっ、そそそ、だね」


 菖蒲は並外れた敏捷性を生かして、素早く七色に寄生先を移した。


「よしよし、怖かったですね。大丈夫です。お化けなんて非科学的な存在はいませんから、落ち着いて下さい」


 後頭部を撫でて菖蒲を愛でる七色の姿は仲睦まじい姉妹のよう。実際に従姉妹なのだから、二人の仕草は尚更に自然だ。


「ゲームの世界ならお化けぐらい普通に出てきそうだけどね」


「貴方は少し黙っていて下さい! 菖蒲、もしもの時は、あたしが神解けカミトケで平野恵流諸共やっつけますから、安心していいですよ」


 その剣幕は真に迫っていて、それを不自然に思った恵流は七色を観察する。

 ピンと伸びた背筋、一部の隙もない佇まい。その品の良さは設定世界の中にあっても顕在だ。しかし、時折膝が不安定に揺れていた。


「そう言えば」と恵流は脳内で先程の菖蒲の台詞を反芻する。


 『私の家系はその手の話が本当に駄目』


 菖蒲と七色の関係は従姉妹であり、その系譜は限りなく近い所にある筈だった。

 七色のこの態度が、恐怖心を押し隠し、ただ気丈に振舞っているだけなのだとしたら――恵流の内を這いまわる黒い欲求が己を食い破らんと暴れ回る。


 その虚構を剥がしてやりたい、と!


「うわぁぁぁっ、光の中に顔が見えタァッッッ!」


 びくん。やにわの恵流の絶叫に、菖蒲は七色の胸に顔を埋める。七色は菖蒲を抱きしめて、よしよしと子供をあやすように背中を叩く。


「ななっ、ななろ! なないっ、はちい、きゅい!」


「大丈夫です、安心して下さい、こんな光、ニュートリノと比べれば全然怖くありません。知っていますか、ニュートリノは一秒辺り約一兆個もあたし達の身体を貫通してるんですよ、怖いですね。光速を誇り、しかも質量があるんです。怖いですね、ニュートリノ。あたしは今、とてもニュートリノになりたい」


「光が僕の腕を食べてるっ! よせっ、離せ! もうこんな所には居られないっ、僕は帰るぞ! 何ぃ、扉が開かないだとぉ!?」


「落ち着いて下さい平野恵流。あんまり騒ぐとショックで菖蒲が死んでしまいます。大丈夫です。カミオカンデのちからがあれば、ニュートリノが暴れだしても捕まえる事が可能です。スーパーカミオカンデで足りなければハイパーカミオカンデで。それでも無理ならマスターカミオカンデを使えば確実です」


「……あれ?」


 演技で触っていた扉が本当に開かなくなっている。

 玉座の間に挑む前に味わった屈辱の意趣返しを意気揚々としていた恵流だったが、この異常事態に悪戯心が冷却されていく。


「のえっ、ニュートリノがっ」


 そして、もう一つ。恵流は自身にくっついた光が赤黒く変色している事に気付いてしまった。


「菖蒲、あれはニュートリノが平野恵流を通り抜けた際に腹の黒さが移ってしまっただけです」


 どんなに腕を振っても外れない。自身のステータスバーに注意を割くと、現在進行形でEPが少しずつ減少している。


「バナナさん。カミオカンデって何処に行けば入手で――って、後ろ!」


 恵流が叫ぶ。菖蒲は白目を剥いて、昇天した。七色は理性を保ちつつも焦点の合わない瞳を恵流に固定する。


「あたしへの当てつけだと言う事はお見通しです。その大根役者っぷりで人を騙せると本気で思っているなら、すぐにでも生まれ変わる事をオススメします。ここは冥界なのでしょう? 貴方の薄汚れた魂を浄化するにはお誂え向きですよ、ええ」


「今回ばかりは僕を信じて、早くその場を離れる事をオススメしたいなぁ」


 恵流のただならぬ様子に、七色は祈るような気持ちで首だけ回して背後を確認する。

 虚空にポッカリと空いた黒い孔に、二人の体躯ほどの朱い月が二つ。七色のすぐ後ろまで迫っていた。

 青白かった光が禍々しい暗黒色の波と化して、ゆっくりと七色達を飲み込もうと大口を開けている。

 七色は一も二もなく風の音カゼノネを実行して、脱力した菖蒲を力の限り抱き抱えながら恵流の側に跳躍した。


「今日の所は一先ずログアウトして対策を練りましょう」


「忘れた? エンカウント判定がある間はログアウト出来ない仕様なんだよね」


「でしたら遠くに逃げましょう。早く扉を開けて下さい」


「だから開かないんだってば。車のチャイルドロックみたいに、条件を満たさないと内部からは開かないようになってるんじゃないかな」


 恵流が顎でしゃくった先には逃れた七色を追って這い寄る、深い虚無を纏った巨体の姿がある。


「あれがログアウトを封じてる敵だと思う。このダンジョンのボスだよね、多分」


 不気味に揺らめく二つの緋色は、瞳。見るもおぞましい色合いの元は、その身体を覆う――いや、屍肉を貪る蛆のようにたかる夥しい密度の赤黒い光。


「アンデッドエンシェントドラゴン……れっきとした竜みたいだ」


 見上げる程の位置に表示されている名前を恵流が読み上げた瞬間、巨体が蠢き――耳を劈かんばかりの雄叫びをあげる。

 ビリビリと空間全体を鳴動させる重低音。それに伴う暴風は風の音カゼノネの相殺を受けても、恵流の身体を押す程の力を持っていた。


「ん……あれ、おれ何して……おっ、お化けは!?」


 目覚ましとしては些か暴力的な爆音に、菖蒲の意識が引き上げられる。


「お化けの正体は不死の古代竜だったんだ。解ったんなら早く戦闘準備!」


 言いながら、恵流も両手剣型の幻装デバイスを呼び出して、脇に寝かせる形で構える。


「それじゃ、竜殺しと参ろうか、各々方」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る