1-8 「自分が正しいので何が正しいかは問題にならない」


 隔週のイベントが開催される土曜日は、午前八時から午後六時までポッドの使用が禁止されている。

 午後七時。青龍A寮のエントランスで待ち合わせて、三人は同じ建物の二階にある共用スペースに向かった。

 そこにはポッドが配置された専用の部屋がある。それぞれが事前に予約していたポッドに身体を滑り込ませて、フラグナにログインする。


 噴水の前に降り立つなり、恵流はパーティーを組んだ七色のステータスを呼び出した。


霧羽七色 Lv.99

装備:<天罰の棍><聖者の服><復活の指輪>

装飾品:<学生服(女)>

職業:<僧侶>


「それで、貴方はあたし達に何をさせるつもりですか?」


「現地に着いたら説明するよ」


 そう告げた恵流が、怪訝そうにしている七色と菖蒲を連れて行ったのは玉座の間に通じる廊下の手前だった。七色はいよいよ疑問を顕わにする。


「今さら王に謁見をした所で、一体どうなるんでしょうか? 菖蒲から聞きましたが、巷を騒がせている新王の即位も貴方の悪ふざけが原因で起こった事で、進展はないって話ですよね」


「つい昨日、謁見したばっかりだよな。待望の糸口でも掴んだのか?」


「まぁ、似たようなものかな。突然ですが、二人にクエストを発行します」


 指先をピンと立てて、恵流はニッコリと満面の笑みを浮かべる。付き合いの長い菖蒲は、その段階でもう頬を引き攣らせた。


「題して、クエストNo.000『世界を征服せよ』!」


「それ、凄く聞き覚えがあるぞ……」


 恵流のキャラクターが初期化されてから初めてフラグナに潜った日に、恵流が口にしていた事だ。


「それ、冗談だって言ってなかったか? いや、思い返してみれば、冗談の類だって一切明言してない!」


「うんうん。前も言ったけどさ、菖蒲とバナナさんが手を組めば、王城の占拠も可能だと思うんだ。そういう事で、宜しく」


 気持ちよく言い切って、恵流が菖蒲の肩を叩く。菖蒲はげんなりして、その手を払い除けた。


「嫌だ。人を斬るのは、本当に勘弁してくれ」


「あたしも右に同じです。そのような非道徳な行為は立場がありますから、固辞します」


 乗り気じゃない二人の反応に、恵流は不服だと唇を尖らせる。


「モンスターは鬼のように斬ってるのに、人だからって躊躇うのは変だよ。人族人種人科でも同じ経験値でしょ? 差別は感心しないなぁ」


「前々から思ってたけど、その発想はサイコパスに通じるものがあるからな!」


「空想世界に現実の概念を持ち込んでどうするの? それを言ったら、たかだか経験値の為だけに生物を斬ってる時点で菖蒲も十分に狂人だからね」


 その指摘は、菖蒲の道徳心を強く揺さぶる。もしかしたら、自分はこれまでとんでもない事をしてきたのではないか。

 恵流の所業を断じると言う事は、自らが非道を働いたと認める事になる。積み立ててきた経験値が菖蒲の肩に重くのしかかる。

 これまでの菖蒲の行動を正当化する為には、ゲーム内での殺生を割りきらなければならない。


「のえるの、言う通り、だ……俺は偽善者だった。やるよ、俺!」


「やるよ、じゃないです」


 七色が菖蒲の頬を加減して引っ張る。菖蒲が普段どのような経緯で恵流に巻き込まれているのか、その一端を垣間見て、七色は呆れ返っていた。


「ゲームで人を倒すのは割と普通にある事です。盗賊、敵国所属の兵士、国家転覆を目論む賊であったり、時には仲間だった者と戦う事もあります。第四設定世界がそうです」


「バナナさんは理解があって助かるよ。納得してもらえた事だし、行こうか」


「行きません。気が進まない事をする必要はありません。それがゲームなら尚更です。それでいいんですよ、菖蒲」


 手強かった。この場合、菖蒲がちょろすぎただけなのだが、恵流は表情を作りながら、どう攻略するか画策する。


「約束したのに……執行部の霧羽七色は契約を反故にする外道だったんだ……それとも、僕がいけないのかな。僕がゲスだから」


「そうですね」


「それってつまり、僕の影響を受けてるって意味になるよね」


「その言葉で前言を翻したら、それこそ貴方の影響を受けた事になりますが?」


 菖蒲は七色の存在を頼もしく思うと同時に、尊敬の念を深める。一方の恵流は、切り口の全く見えない鉄面皮に地団駄を踏む。


「ああ言えば、バナナ! 僕の一言一句に踊らされて生き方を曲げるバナナさん。しょうがない、バナナだから。曲線を描かなければ商品にならないから……そんなにまでしてバナナの矜持を守ろうと必死になって、もしかして僕が付けたそのアダ名を気に入ってくれてるの?」


「ひょっとして、あたしは侮辱されているのでしょうか? あたしをバナナと呼ぶ輩はそれこそ園児時代から居ました。貴方が初めてではありません」


 好きな相手を苛めたくなる男の子の悲しいサガを、七色は当時からある意味で分け隔てなく冷たい目で凍らせては砕いてきた。


「じゃあ譲歩する。玉座の間を占拠してくれるなら、バナナさんは兵士を倒さなくてもいい。最長で五分、かな。その役割を果たしてくれたら、バナナさんとの契約は終了。晴れて自由の身。どう?」


「差し当たり、その呼び方を即刻自重して下さい」


 イニシアチブは七色が握っている。このままでは不味いと、恵流は内心で焦るばかりで、有効な手が思い浮かばない。


「解ったよ、虹子」


「その呼び方であたしが頷くと思いましたか?」


「注文が多いなぁ、もう。菖蒲と同じように七色って呼べば良いんですかー」


「良い理由がないでしょう。『霧羽さん』が最適解です。そもそも問題にしているのは、あたしが二の足を踏んでいる点が全く改善されていない事です」


 間に太平洋を挟んでいるのではないか。そんな距離感。到底、歩み寄れるものではない。

 恵流は端末バングルを操作し、アイテム欄からチョコレートを取り出して口に咥える。落ち着いてから、確認する。


「バナナさんは契約を守る気があるからこそ、ここまで同行してるんだよね」


「ですから! はぁ、もう呼び方は結構です。そうですね。ですが、無価値なリスクを押し付けられるつもりは毛頭ありません」


 王族に剣を向ければ、キャラクターが削除されるまで国賊として兵士に追われる羽目になる。攻略を放棄した世界であっても、キャラクターにはそれなりの愛着があった。


「それなら、価値のあるリスクなら――根拠があれば、いいんだね」


「そう、ですね。王城の占拠なんて蛮行に都合の良い理由があるとは考えられませんが」


「根拠と呼べるような代物じゃないけど、あるにはある。得意気になって語る内容じゃないから、胸に伏せておくつもりだったけど……仕方ないね」


 あーうーと唸ってから、深く息を吐き、恵流は観念した。


「世界がこの段階で停滞するまでに勇者達は何をしてきただろう」


「もう少し具体的になりませんか? その質問ではざっくりとし過ぎていて、精々『敵を倒してきた』ぐらいしか答えられません」


「そうだね」と恵流が同意する。それは七色の想定した箇所への同意ではなく、回答に対する肯定だった。


「勇者達は、用意された強敵と戦い、その度に少しずつ強くなって、更に強い敵を打ち倒してきた」


「倒す相手を見失ってしまったから、この世界は停滞した……貴方はそう言いたいのですか」


 やはり七色が相手だと話が早くて助かると恵流は素直に思う。


「うん。でも、あの螺旋階段を降りた先に蔓延る敵は、今の勇者達では絶対に倒せない。まるで、ゲーム初期の段階の竜王と勇者みたいに馬鹿げたレベル差がある」


 だから、その前に別の敵が存在しているのだと行間で告げている。菖蒲も恵流の意図に気付き始めていた。この二週間の全ての行動が、そこに帰結しているのだと。


「僕は知ってるんだ。この世界で、竜王が待ち構えていた魔城よりも強い敵がいるのは、聖殿の地下ダンジョンだけじゃない事を」


 そう、恵流は実体験で知っている。その情報は広く知られていた。城下町で狼藉を働いた時に現れる兵士の高い戦闘能力は、公然の事柄なのだ。


「これからする話は、今の仮定を前提に据えた、邪道も邪道のゲームだから成り立つ方法の逆算」


 どうして、竜王は王女の命を奪わなかったのか?

 どうして、王女を殺めなかった竜王が人の街に侵攻したのか?

 仮説はある。けれど、確証はない。

 だから、王女が殺されなかった理由は解らない。

 だから、竜王が人の街を攻めてきた理由も解らない。


「クエストナンバーが零なのは、恐らく原点に返って自分の目で敵を見極めろって意味なんだろうけど……疑問は全て脇に置いて、僕達は僕達に倒せる敵を順番に倒していけばいい。そうすれば、世界は救われるし、謎も明らかになる」


 ゲームとは、そういうものだ。勇気を剣に、その身を盾に、巨悪に立ち向かった事が一度でもあっただろうか?


「これより先、幻装デバイスを持って踏み入れば、これまで守ってきた王国は敵に回る。ここは、これまでプレイヤー達が攻略してきたダンジョンと変わらない歓迎をしてくれるようになる」


 所詮は勇者など与えられた肩書きだ。システムに与えられた敵を倒し、王に与えられた正義を執行しただけに過ぎない。


「僕達は最初からずっと暴く者だ。これは理に適った相応しい行動だと思わない?」


 王は言った。人の世に、平和が『戻った』と。恵流は一年間、胸の内に蟠り続けていた感情を吐露する。


「この世界は最初から何も変わっていなければ、誰も救われてない。だから、このエンディングは虚飾だ」


 それだけは確かな事だった。ならばこそ、暴くのだ。


 ――真実の結末を。


 恵流の演説はそこで途切れる。言い分は他にもあったが、説得に使える要素は、この辺りが限界だった。

 返答を待って、自らを見つめる恵流の瞳が見た事のない真摯な色を帯びている。七色に根付く薄い色眼鏡を通しても、それが見えた。


「火病を起こしたのでも、子供じみた衝動でもない。貴方なりの考えがある事は伝わりました」


 元よりこれは賭け事に敗れた罰。当人なりに筋の通った理由があるならばと、七色も腹を決める。


「貴方なりの誠意と受け取って、今回の所は説得されてあげます」


「ありがとう、バナナさん……いや、七色。愛してる!」


「主に不快感から体調が悪くなってきたので、今の話は無かった事にしましょうか」


「ごめんごめん。でも、お礼はちゃんと受け取って欲しいんだ。本当にありがとう。心強いよ」


 恵流は自他共に認めるゲスだ。そのやり口は決して褒められたものではない。だがその裏には、先程の説明にあるような恵流なりの原理が根底に埋まっているのかも知れない。

 向けられた恵流の無邪気な笑顔が本当に邪気を含んでいないのか、何だか七色の頭はこんがらがってきていた。

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