0-6 「だってドングリは食べられないだろう?」


 水曜日、昼休み。

 隔週のイベントに関わる情報が全校生徒の端末バングルに届いた。

 水曜日のこの時間に内容が確定して、金曜日朝のホームルームまでにエントリーを済ませるというのが通例になっている。

 恵流は購買で買ったばかりのチョコレートを持った手で画面を展開して、早速そのメッセージを開いた。


「競技内容はなんだって?」


 壁に寄りかかりオニギリを頬張っている菖蒲が尋ねると、恵流は忙しなく両目を動かして情報を拾いながら答える。


「基本的にはVR(仮想現実)での争奪戦、かな。一月前に見つかったバグを改善したから、それをまた試すみたいだよ」


「争奪戦なら、いつも通りにやれば恙無く終わりそうで安心した。ちなみに、どんなバグだったんだ?」


「条件を満たしちゃうと壁にめり込んで身動きが取れなくなるバグがあったんだってさ」


 復活ポイントを選択するルーチンに手違いがあり、チームで二つ以上の拠点を保持していた場合で、その中間の座標に運悪く破壊不可能オブジェクトがあった時に起こったらしい。


「参加費は500桜貨。参加時に報酬の500桜貨が配布されて、その1000桜華を奪い合うのも前回と一緒」


 どうする? と目で聞く恵流に菖蒲は勿論と頷く。


「参加するぞ。生活が掛かってるからな」


「そっか。それじゃあ――」


 今回も一緒に頑張ろうーと続けようとした恵流の言葉を遮るように、二人の中心に一人の女生徒がすっと割り込んできた。


「探しましたよ、菖蒲」


 陽光を乱反射させて銀色に輝きながらさらさらと落ちる神秘的な滝は純白の髪。やや目じりの上がった力強い空色の瞳が菖蒲の赤い瞳を捉えている。


「な、ななっ……」


 驚いた菖蒲の手からオニギリが滑り落ちた。突然乱入してきた女生徒は二人に馴染みの深い相手であった。


「やぁやぁ、バナナさん。先週ぶりだね」


 気さくに愛称を交えて挨拶をする恵流を、二日前に浴びたモノとは比較にならない程の敵意の滲んだ視線が射抜く。


「その呼び方だけはやめて下さいと、あたしはいつもお伝えしていると思うのですが?」


「でも自由に呼んで良いって許可したのもバナナさんだよ」


 恵流とこの女生徒は犬猿の仲にあった。正確には、女生徒の方が一方的に毛嫌いしている。


「勝手にして下さいと言っただけで、許可をしたのではありません」


 凍えるような冷たい瞳で恵流をもう一度強く睨んで牽制してから、女生徒は再び菖蒲の方に体を向ける。


「くるくると忙しいね、バナナさん。今日はブーメランの気分なのかな?」


「貴方は少し黙っていて下さい」


 にべもない。恵流は苦笑を零して、大人しく購買で購入した昼食に手を付ける事にした。

 一方、邪魔者を蚊帳の外に追い出したバナナさん(仮)は、階段踊り場の隅の方でぎこちない愛想笑いを浮かべる菖蒲に、底冷えするような無表情を少しだけ和らげて見せる。


「改めて。こんにちは、菖蒲。こうして面と向かって話をするのは久しぶりですね」


 彼女としては笑みを浮かべたつもりなのだが、無表情がデフォルトの少女には優しい笑顔は難易度が高かった。菖蒲には、その表情が般若か何かに映っている。


「よ、よぉ、なななななないろ」


「よぉ? 貴方の事情はある程度把握しているつもりですので、その恰好にまでは目くじらを立てるつもりはありませんが、言葉遣いだけは普通になりませんか? それと、『な』が四つばかり多いです」


「ご、ごめん。な、ないろ!」


 土下座せんばかりの勢いで頭を下げる菖蒲に、バナナさん――霧羽キリバ七色ナナイロ――は、お気になさらずと無表情で言う。


「バナナさんは相変わらず細かいなぁ」


 すかさず茶々を入れてくる恵流に対して、七色は無視を決め込んだ。

 正しい判断だと、菖蒲は、幼馴染というか……とにかく長い付き合いのある少女に対して内心で惜しみない賛辞を送る。


「本題に入ります。今日は菖蒲に話があって来ました」


「あ、あの。その話って、いつもの?」


「はい。何度もしつこいと思われても仕方ありませんが……菖蒲。今からでも遅くはありません。執行部のコミュニティに籍を置く気はありませんか?」


「それは、ね。わ――俺は、前から言ってるけど、今のスタイルに満足してて、ね?」


 執行部は、現在の源王学園で有力とされる三大コミュニティの一角で、第一設定世界フラグナを攻略した──と、される─―組織としても有名だ。

 発足当初は生徒会傘下にあったが、瞬く間に勢力を伸ばし、今では独立して完全に力関係を逆転させている。

 執行部の厚遇を受けられるのであれば、それはこの学園において最大級に豪勢な暮らしが約束されるも同然だった。


「現状、貴女の置かれている状況は、お世辞にも良いものだとは言えないでしょう?」


「いやぁ、お――私自身は、そう捨てたものでもないんじゃないかなぁって思ってるよ?」


「幾ら菖蒲の学業成績が優秀とは言え、それだけで最高グレードの部屋代を支払って行くのは難しい事を、あたしは知っています。週末になれば食べる物に事を欠く日もあるのではありませんか?」


 学園から支給されている基本の桜貨は、菖蒲と七色ではそう大差ない。

 最高グレードの暮らしを保つ為に、他に幾らの補填がいるかも七色には手に取るように解っている。

 隔週のイベントで菖蒲と恵流の二人が取っている行動は効率的とは言い難く、運が悪ければ、七色の指摘の通りに週末まで食費が持たない事もままあった。


「我慢したことは、ない、よ?」


「まぁ、優しい優しい僕が恵んであげてるからね」


「いつもありがとうございます。でも、俺の認識違いでなければ、恵むって言うのは、無償だよな? 毎回、与えられたもの以上の労働で返済をさせられてるような……」


 これまでのあれこれを思い返すだけでも、菖蒲はげんなりしてしまう。


「えー? 僕は特に強制をした覚えは無いけどなぁ。まぁでも、裏のない慈善事業なんて無いよね」


「菖蒲……どうして、あたしの誘いを断ってまで、こんな男と行動を共にしているのでしょうか」


 答えあぐねる菖蒲も、ちょうど自分に問い直している所だった。


「でしたら、あたしが貴方を助けます。執行部には籍を置くだけでも構いません」


 そもそも、七色が菖蒲を誘っているのは戦力確保が主目的ではない。

 七色にとって、菖蒲は妹のような存在だ。実際に従姉妹という関係でもある。だからこそ、看過できない。


「そうすれば、今後はその男と共に行動する必要が無くなります」


 それは、菖蒲が恵流と組んでいる事。風聞に流されまいと何度か接触を試みたものの、平野恵流という男は、およそ耳にした評判にそぐわない人柄で。

 そんな男との協力関係を続けていけば、今は同情的な目で見られていても、いずれは菖蒲も悪しざまに噂されてしまう事も憂慮された。


「七色……ごめん、気遣いはありがたいけど、その誘いは受けられない」


「何故です? 貴方にとって、悪い話ではないでしょう?」


 それどころか、イイトコづくめだと菖蒲は苦笑いする。だからこそ、七色の差し伸べた手を菖蒲は毅然と拒絶する。


「とにかく、ごめん。七色の気持ちだけ受け取らせてよ。俺は、今のやり方が気に入ってるからさ」


「菖蒲……貴方、もしかして」


 まるで助走を付けるみたいに、一拍を置いた七色は――。


「その男に懸想しているのですか」


 ――とんでもない方向に話を飛躍させる。


 傍観者に徹していた恵流も、これには口に含んでいたココアを吹き出してしまった。


「俺が、のえるを、好き?」


 その指摘があまりにも見当外れで、まだ咀嚼しきれていない菖蒲を他所に、七色は一人勝手に得心していく。やがて。


「平野恵流、貴方は噂以上に恐ろしい男です」

  

 この二人、気持ちの向いてる先は同じなのに噛みあってないなぁと恵流は思う。でも、そのおかげで噛みあった歯車がある。


「ねぇねぇ、バナナさん。菖蒲と僕と、VR戦で勝負しない?」

  

 恵流の学内序列は1201位――つまり、最下位。

 ついた渾名は『ゲス』。一部では『チョコレート』の通名で呼ばれる事もあるが、それは本当に一部だ。


「気でも触れましたか? いえ、元からでしたね」


 そうかもね、と恵流は嫌味を軽やかに肯定する。最下位ゲスが空の女帝トップクラスに挑もうと言う。

 それも、恵流が提案したのは運の要素が限りなく除外されたVR戦。普通に考えたら正気とは思えない誘いだ。


「いずれにせよ、このままじゃ平行線でしょ。バナナさんが菖蒲に会いに来る度にけなされれば、僕だって嫌気も差すよ。だから、ここは後腐れがないように、この学園の流儀に則って決闘をしよう」


 決闘を申し出た理は適っている。だからこそ、疑わしい。勝てない戦いを挑む、その真意は何処にあるのか、七色は推し量ろうとする。


「そもそも、二人相手は公平さに欠けるのではありませんか?」


「僕を一人と数えてくれるんだ? やっぱり、一桁台の人間は出来が違うなぁ。でも、僕は菖蒲と協力関係にある。それを引き裂こうって言うんだから、それくらいの不利は飲んでくれないと」


「とりあえずは、それで納得しましょう。進めて下さい」


「勝負内容はシンプルにしよう。僕を倒したら君の勝ち。倒せなかったら君の負け。バナナさんが勝てば、菖蒲は執行部に入って、僕は菖蒲との接触を金輪際しないと誓うよ」


 あれ? と菖蒲が首を傾げる頃にはもう遅い。手際の良い二人に掛かれば、口を挟む隙もなくトントン拍子で議案が煮詰まっていく。


「貴方が勝った場合は?」


「そうだなぁ。バナナさんには、僕達に協力して貰おうかな」


 要求もまとも。変則なのは数の差があるくらいだが、実力差がある場合は珍しいハンデでもない。


「子細の確認をしても良いでしょうか?」


「どうぞー」と恵流が促す。


「エフェクト及びデバイスの使用あり。アイテムの持ち込みはなし。戦闘はあたしたちだけで行う。これらに間違いはありませんか?」


「肯定。あんまりあれこれと言及するのも面倒だろうから、規定は争奪戦時と同じルールにしよう。解り易いでしょ」


 すなわちベーシックなVR戦。相手のHPを先に削り切った方が勝ち。七色は暫し思考に耽って、頷く。特に、怪しい点は見当たらなかった。


「解りました。その勝負、受けて立ちましょう」


「そうと決まれば早い方が良いよね。バナナさんに不都合がなければ、今日の夜に決着しない?」


「調整は可能です」


「それじゃあ、夜十時ぐらいに昇降口エリアで開戦という事で」

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