0-5 「この世界なら何度でもやり直せる」

 学食での食事を済ませた後、恵流達は寮に戻らずに空いているポッドのある校庭を訪れた。


「菖蒲はフラグナに潜るのは何日ぶりなの?」


「のえるが死亡した前日に同行してからだから、八日ぶりか。何にやられたのか、結局教えてくれなかったな」


 二人の利用を事前に把握していたシステムが自動的にハッチを開いて、二人を受け入れる。


「直に分かるんじゃないかなぁ」


「何をしたんだ!? まさか、無辜の民の皆殺しが二巡目に入ったなんて事はないよな!?」


「そんな無意味な真似はしないって。冗談を真に受け過ぎだよ」


 恵流が内部に身体を滑り込ませて座席に腰を下ろすと、エアの放出と共に視界が閉ざされた。

 僅かな機械の駆動音。意識がゆっくりと静かな闇の洞に沈んでいく感覚は、眠りに落ちる時に似ている。


 そして、次の瞬間――圧倒的な白を抜けて、恵流は大地に降り立っていた。


 活発な市井の声。行きかう人々は、単色の生地を縫い合わせた素朴な服装をしており、およそ現代社会には馴染みの薄い恰好が目立つ。

 鎧を着こんだ兵士の姿もあった。月並みな表現をするならば、ここは中世のヨーロッパ風味の世界。

 周囲を見渡せば、街の中心に一際異彩を放つ建造物が見つかる。

 街並みを形作る民家よりも、一回りも二回りも大きな白亜の壁は、この世界の王族が住まう城だ。


「ねぇねぇ」


 恵流が近くを通りがかった兵士に話しかける。


「見慣れない顔だな。新参者か。なんだ?」


 NPC《ノンプレイヤーキャラクター》の兵士は生きた人のように自然な反応を示した。

 設定世界の魅力。圧倒的な現実味に混ぜ込まれた、非現実的な世界。ふざけた思考の持ち主の恵流であっても、この世界に初めて降り立った時は童心に帰ったように感動した。


「最近、何か変わった事はあった?」


「変わった事と言えば、やはりあれだろう。つい先日、空席になった王の椅子にご子息が即位された」


「へぇ、早いね。他には?」


「特に真新しい情報は無いな」


「そっか。ありがとう」


 兵士の後姿を見送り、恵流は手早く画面を展開して自分のステータスを確認する。

 レベル1。装備なし。称号なし。

 持ち物なし。履歴なし。


「ミスだったから期待はしてなかったけど変化はなしかぁ。今度は準備を万端にしてから臨みたいけど……」


「あれ、のえる。キャラメイク(キャラクターの作成)からじゃなかったのか」


 画面を閉じる。声のした方に顔を向けると、制服姿のままの菖蒲が歩いてきた。

 初期衣装の麻の服に身を包んだ恵流こそがこの世界では普通で、菖蒲のその恰好は目立っている。


「キャラメイクだけなら死亡直後でも出来るから、七日前に済ませてたんだ」


「あ、そうか。時間が掛かると思って、先に情報収集してたんだけど、合流してからでも良かったな」


 第一設定世界『竜依フラグナ』。

 かつて龍王の襲撃で滅びを待つのみであった王都は、名も無き勇者一行の活躍によって平穏を取り戻していた。


 ありがちなファンタジーゲームのそのクリア後の世界。

 しかし、フラグナは最初からそうだったわけではない。

 この世界は、龍王と呼ばれる大いなる悪の襲撃直後から始まっていた。


 設定世界とは、簡単に説明すると明確な目的を持ったVRゲームの中――作られた世界のことだ。

 各ゲーム世界の進行度に準じて、全プレイヤー共通のミッションが発注され、そのミッションを誰かがクリアすると世界ごと次の段階に進む。

 クリア者には報酬として難度に見合った桜貨だったり特別な幻装デバイスが与えられる。


 そうして、プレイヤー=源王学園の生徒達の行動が相互に干渉し、半永久的に反映され続けた結果が現在のフラグナに繋がっている。

 第一設定世界『フラグナ』は、一年前――現在最強とされるコミュニティ『執行部』の竜王討伐によってシナリオクリアとなる……筈だった。


 しかし、そうはならなかった。クリア直後にあるクエストが発行されたからだ。


 クエストNo.00『この世界の真実を暴け』。

 報酬は50万桜貨。

 通常のゲームクリア報酬(ラスボス討伐)が10万桜貨だから、その実に5倍。

 円に換算すると、およそ500万円程と破格の設定になっている。


 このクエストが発注された当初は、誰もが躍起になって挑んだが結果はこの通り。未だ、誰もがその影すら掴めずに居る。

 竜王討伐から一月もすると新しい設定世界が公開されて、多くの人間がそちらに流れた。

 一向に進展しない状況に”バグ”や”未実装”等の共通認識を経て、半年が経過すれば上位互換のような設定世界が台頭。

 もはや、あえて『フラグナ』に拘る理由がなくなっていた。


 そして、一年。


 今や本気でそのクエストのクリアを目論んでいるのは、恵流達を残すのみ。嘗ては勇者で賑わっていた街は、市民の声だけが虚しく飛び交っている。

 どんなに反響を呼んだとしても、クリアされて役割を終えたゲームの扱いはこんなものだ。


「そうだ、のえる。攻略に繋がるか解らないけど、凄い情報を掴んだぞ」


「凄い情報? それってもしかして、新王が即位したって話?」


「そう、それ。俺の知る限りだと、これまで王様が変わったのは、二度目の竜王襲撃時だけだろ? この変化が各所に波及すれば、何か糸口が掴めるかも知れない」


「そうだね。いい加減、何かしらの進展が欲しいところだよ」


 情報交換をしながら、二人は王都の中心にある広場まで足を伸ばしていた。

 ここは『フラグナ』に初めて降り立つ場合に出てくる場所だ。

 象徴の城を臨むその間には噴水があり、広場の噴水の中央には騎士の格好をした女性の像がある。

 城の聖殿にも同じ人物を模した銅像が存在するが、石碑に書かれた文章が異なる。

 聖殿の石碑は女性――王女アイリスの伝承が長々と綴られているのに対して、此方は格言らしい一節のみだ。


「『あるのに見えず、ないのに見える』。そんなにこのフレーズが気になるのか?」


「まぁ……少なくとも、王様が変わったとか、そんな事よりは」

  

 菖蒲にとっては予想外の出来事だったが、王が変わる事を恵流は事前に予期していた。同じ既知の事柄であれば、恵流の興味は此方が勝る。


「真実を覆い隠すレイヤーを剥がす為には、まず目に見えている何かを全て偽物だと疑わなきゃいけない。でも、それはとても難しい」


 目に見える領域は世界全体のほんの少しなのに、そこにある情報量だけでも途方もなく多い。疑う事は、簡単だ。けれど、一度馴染んでしまった現実はそれすらも難しくなる。


「菖蒲の性別の事だって、僕とバナナさんぐらいしか知らないんだ。それだって、僕は最初から疑ってたんじゃなかったし」


 虚飾を剥げば、菖蒲の性別は明らかだ。しかし、虚飾に隠された菖蒲の性別を誰もが疑いもせずにいる。そういうものだと一度でも思い込んでしまえば、疑う余地などないのだから。


「俺の性別云々の話を気軽に口にしないでくれないか? それと、バナナって呼ぶと、あの子がまた怒るぞ」


「ごめんごめん。バナナさんには内緒にしておいて」


 疑うには綻びが必要だ。真っ当な方法なら、精力的なコミュニティがやり尽くした。

 しかし、ここにあるのは平和になった世界だけ。未踏破のダンジョンがあるにはあるが、誰もが攻略不可能と匙を投げた。

 故に、バグ。たかだか二人でどうにかなる問題なら、とうの昔に攻略されている。

 真っ当に打てる手も、そうでない手も、やり尽くしたと判断したからこそ、フラグナは見捨てられた。


「お詫びに凄い情報を教えてあげよう」


「嫌な予感しかしないんだけど、なんだ?」


「王様のステータスってそこらの雑魚と同じくらいに設定されてるみたいなんだ」


「……情報源ソースは?」


「遠方から広範囲爆弾を使ったら、側近の兵士はぴんぴんしてたのにそれだけで死亡したから」


 その時の光景を思い出しながら、恵流はひょいっと爆弾を投げる動作をして見せた。


「のえる」


「そのあと精鋭の兵士たちに執拗に追い回された挙句、ボッコボコにされました。奴らのステータスは竜王の牙城付近の敵よりも強かったなぁ……瞬殺だったよ。これまで積み上げてきた経験値や各種持ち物全てがパァ。側近の兵士まじ許すまじ」


「市民を攻撃したら追ってくる一般兵でも苦戦する相手だからな、そりゃあ近衛兵ともなれば……って、許すまじ、じゃなぁぁぁい! 一級の戦犯じゃないか! なんってことしてるんだよッッッ!」


「それで解ったんだけど、菖蒲とバナナさんの協力があれば、王城の占拠も可能だと思うんだ。名付けて、クエストNo.000『世界を征服せよ』。どうする?」


「はっ……また、のえるのペースに乗せられてた。今のは流石に冗談だって解ったぞ」


「連れないなぁ」


 こんな滅茶苦茶な男の友人を努められている点、菖蒲は付き合いが良い方だ。


 二人連れ立って城下町を周って情報を収集しながら、その道中で恵流の装備を整えつつ一応の目的地として街を囲む門を目指した。

 やはり目ぼしい情報は見つからず、とりあえず恵流の能力値ステータスをどうにかする運びになる。

 このゲームでは、HPが0になった場合のペナルティはキャラクターの消滅と『フラグナ』へのアクセス権の一週間の剥奪だった。

 所持金が300ゴールドと言う惨状の恵流に、菖蒲が幾らかの慈悲をくれてやり、急場で装備を整える。


「さて、並み居る強敵を相手に経験値を戴くとしようかっ」


「それ、まともに戦える人の台詞だからな。というか! なんだその、のえるの武器は……」


平野恵流 Lv.1

装備:<◯ト6><布の服>

職業:<遊び人>


「言わずと知れた宝くじ。遊び人ぽいと思わない? 迷わず全額投資したんだけど、結果はドブに捨てたようなものだったよ」


「俺の善意を返せ」


鶴来菖蒲 Lv.99

装備:<ロ〇の剣><〇トの鎧>

装飾品:<学生服(男)>

職業:<勇者>


「善意なら見返りを求めたらイケないと思うなぁ」


 自分の事を棚に上げて説教をかましてくる恵流に苛立ちを覚える菖蒲だったが、それを知ってか知らずか、続けて。


「でも、やっぱりギャンブルは駄目だね。菖蒲の寄付のおかげで、一つ勉強できたよ。ありがとう」


「……反省したなら良いけどな」


 素直にお礼を言われてしまうと、瞬く間に菖蒲の怒る気も失せてしまう。


「こうして人は賢くなって行くんだね。もう絶対ギャンブルなんてしないよ」


 恵流は真摯な瞳で菖蒲に固く誓った。

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