0-4 「カタルシスを得る為だけに我慢はある」


 夕食は半数以上の学生が食堂を利用する。

 本校舎南側の商店エリアに出来合いの物を置く食料店もあるが、どうせなら温かいご飯にありつきたいと考えるのが人情だ。


 少数派として、女子率の高い南寮『朱雀』では自炊用の共用キッチンが幾つも用意されており、日々料理に励んでいる者も居る。

 食堂で出される料理はどれも利益度外視の廉価で提供されている為、自炊をしても大した節約効果は見込めず、趣味の色合いが強い。


 さて、学生らの腹の面倒を担う食堂は本校舎の東西に一軒ずつ配置されていて、定員は150名。5時から8時まで、11時から13時まで、18時から21時まで利用可能になっている。

 効率を上げる為に完全予約制となっており、端末バングルの専用アプリを使って予め注文内容と訪れる時間を設定しておく必要がある。

 希望時間に空席があれば、手続き完了。空席が無ければ空席待ちをするか、空いている時間に変更する。

 後は設定した時間に食堂に訪れれば、ほぼノータイムで食事ができると言った寸法だ。

 予約、と聞くとタイトなイメージがあるが、実はそこまで事前行動を意識しなくても問題ない。

 二人が即時の予約を入れてから五分と少し。ちょうど寮から出た辺りで、恵流の端末に報せが届く。


「空席入ったってさ。菖蒲は?」


「……こっちにも来た」


 通知を切って、菖蒲が仏頂面で応えた。

 30分と言う時間の制約が設定されていて、食べ終わったら直ぐに席を立つと言う暗黙の了解があるので、混雑する時間帯を避ければ、これから食堂に行くというタイミングで予約を入れるくらいが丁度いい。


 歓声が聞こえる。テニスコートで試合が行われているようだった。

 地表に花火が咲くと、輝きの尾を引いてテニスボールが相手のコートに返る。

 追いついた相手が眩む目を開いたまま、ラケットを振りぬくと大きな孤を描いてボールがコート隅に着弾した。

 現実離れしたやり取りをした生徒は二人共生身。これはMR機能を使ったテニスで、仮想化されているのはボールだけ。

 ボールや視覚に影響/効果エフェクトで干渉できるルールになっていて、体育等で扱われる程度には浸透している競技だった。


「夕飯食べたら腹ごなしに僕達もやっていく?」


「……やらない」

 

 菖蒲は不機嫌だ。バスタオルによって隔てられていたとは言え、あられもない姿を見られてしまったのだから、謝罪の一つもない恵流に頭が来るのは無理もない。

 つーんと顔を背ける菖蒲に目をやって、恵流はなんとはなしに呟く。


「無いものがあって、有るものがない」


 恵流の視線は菖蒲の胸元に行っていた。


「ほんっとに反省してないのな!?」


 往々にして女性は自分に向けられる視線に敏感だと言う。例に漏れず、菖蒲も恵流の不躾な目に気付いた。


「え? 反省する事柄がないし。話を戻すけど、そのARの加工って改めて考えると不思議だよね」


 恵流が見ているのは菖蒲の『加工された身体』だった。

 コート上を行き交うテニスボールは本来存在しない物なのに、そこに在るように存在し、干渉することが出来る。

 対して、菖蒲の男装は、有るものを見えなくする。

 女性らしい膨らみは男性のように平らに。

 全体的に柔らかさのある骨格は研ぎ澄まされて、精悍に。

 全てはこの学園に普遍的にあるMR設備の恩恵だ。


「戻すなよっ!」


「引っ込んでるように見えるけど、其処に在るんでしょ?」


「人の話を聞いてくれ……」


「機嫌直った?」


「今の何処に俺の機嫌を取る要素があったんだよ」


「ツッコミさせてあげたよ。好きでしょ、ツッコミ。これで仲直りって事にしよう」


 すまし顔で断言する恵流に、菖蒲は怒っているのが馬鹿らしく思えてくる。

 恵流はこう言う男だと菖蒲は知っている。

 恵流のこう言った面に救われている所もある。

 気にしているのが自分だけなら、自分さえ気にしなければ元通り。

 なんだか女性として大切な何かが欠けていくように感じなくも無いが、菖蒲は不毛な抵抗を止めることにした。滑稽だ。


「のえる。確かデスペナ(デスペナルティー)は昨日までだったよな。今晩は『フラグナ』に潜るのか?」


「そうだねぇ。菖蒲はいつも通り僕の保護者をするつもり?」


「ああ。のえるを野放しにしておいたら、また善良な市民を襲撃したりしかねないからな」


「しないしない」


「信じられない」


「信用ないなぁ。でも、こればっかりはホントだよ」


「その根拠は?」


 恵流は邪気のない笑みを浮かべた。大体の場合、恵流の無邪気には邪気が溢れている。


「知る限りではあるけど、既に市民の討伐はあらかた完了したからさ。一年の月日を感じるね」


「守れなくてごめんなさい……」


 持ち直しかけた菖蒲のテンションは再び地の底まで転落する。


「仕留めた相手が一週間後に何食わぬ顔で街を歩いているのを見ると、その人の断末魔を思い出してゾクゾクするよね」


「それ本気で言ってるの!?」


「冗談です。菖蒲が沈んでるみたいだったから、元気づけてみたんだ」


「だから、のえるは俺を勘違いしてるって……ああ、疲れる……」


 この後も時折ブラックジョークを挟みながら、恵流は夕食の時間を満喫した。

 手綱を握らなければならないという義務感で食事も一緒にしていると周囲も菖蒲本人も考えているが、本当の所は本人にも解ら――ない?

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