第4話

 血塗れた廊下、転がる勇者の死体、ローブの返り血。これがファウンドの歩んできた道。これこそ悪鬼の道だ。

 ファウンドは勇者達を軒並み殺した。湯水のように溢れる勇者達を須く切り裂いた。

 彼らの中には正義を志していたものもいただろう。人を思い、誰かのために戦っていたものもいただろう。

 だが、ファウンドは殺した。それを知っていて殺した。

 ファウンドは目を瞑る。彼の行動を非難するように、ミリアの言葉が蘇る。


『あなたにはできたはずよ。殺さない選択肢。正直、あなたにとっては余裕であしらえる相手よ。それでもあなたは殺すことを選択した』


 ファウンドは深く息を吐き、小さく呟く。


「そこまでの力は俺にはない」


 勇者を生かすことも、家族を救うこともファウンドにはできない。できるのは殺すことだけ。殺戮のみが彼の出来る唯一の事だ。

 ファウンドは霞む視界の中で、ゆっくりと歩き始める。多くの勇者達との戦闘で、かなり魔力を消耗した。もう、限界は当に過ぎている。だが、ファウンドは最後の目的を果たすまで歩みを止めることはできない。

 ファウンドは巨大な扉の前にたどり着く。通称『選別の間』。勇者適正のある人間を選び出す場所。

 だがそれは真っ赤な嘘。そもそも勇者に適正などはない。勇者はクアラムが独断と偏見で決める。彼が機関に都合のいい人間を見繕うだけだ。

 では、この場所に何の意味があるのか。それはアニムに魔力を供給する巨大なアニム――エターナルを管理するためにある。

 ファウンドは知っていた。エターナルがどれだけ機関にとって重要なアニムかを。エターナルにどれだけ勇者達が依存しているかを。

 今、エターナルが遠隔で大量の魔力をアニムに送っているからこそ、勇者達はその力を行使できるのだ。

 エターナルがあるために、アニムと呼ばれる忌まわしき魔導具は運用され、エリムス達が生け捕りにされる。エターナルこそが、諸悪の根元であり、勇者機関の急所だった。

 だからこそ、ファウンドはそれを破壊すると誓った。彼の復讐の目的。それこそがエターナルの破壊だった。

 エターナルを破壊するためには聖剣シールは不可欠だった。魔導具を完全に消滅させることが出来るのは、シールの能力以外にファウンドは知らなかった。だから、ファウンドは聖剣シールを奪取した。

 エターナルを破壊すれば、勇者達はアニムを使うことが出来なくなり、一気に弱体化するだろう。機関はその巨大な力を失い、衰退の一途を辿ることになるだろう。シールとファウンドを貶めた勇者機関に、鉄槌を下すことができるのだ。

 ファウンドは聖剣シールを握りしめる。


「もうすぐ終わる。すぐに俺たちを苦しめた奴らに、決定的な一撃を与えることができる。待っていてくれシール。あともう少しだ」


 ファウンドは重厚な扉に手をかけ力を入れる。ゆっくりと扉は開き、室内の様子がすぐに目に入った。

 地下とは思えないほど巨大な空間だった。神殿のような神聖さを醸し出す様相と、冷えた空気。部屋の中央には、夥しい魔力を流す銀の球体が鎮座している。

 そして、すぐ正面に男が一人構えている。まるで血を纏っているかのように、深紅の魔力が彼の周囲を渦巻いた。

 彼は嬉々として言う。


「ついに、来たな」


 その言葉にファウンドは応じる。


「……レイド」


 案の定だった。予想通りだった。レイドはいた。ファウンドを待ちかまえていた。

 ファウンドは慎重に『選別の間』に足を踏み入れる。するとレイドが言い放つ。


「いい具合だ。いい案配だ。お前はここに来るまでに十分に熟成させたようだな。その苦悩を。その嘆きを。全て俺が求めて止まなかったものだ」


 ファウンドは淡々とレイドに言う。


「なんでもいい。そこをどけ」

「ああ? 俺に指図するなよ。クズがっ!!」


 レイドは怒りを全面に押し出し、たたき折れんばかりの勢いで、地面に刀を叩きつけた。


「殺したい。お前を心底殺したい」

「すまんが、まだ殺されてやる訳にはいかないな」

「……いいさ。その内、自ら死にたいと懇願したくなる」


 レイドは不気味に笑う。ファウンドはその余裕を見て取り、眉を潜める。何か企んでいるのか。それとも、絶対に殺されないという自信の現れか。

 そんなファウンドの懸念は、レイドの発した次の言葉で明らかになる。


「それで、ファウンド。宿題はどうだ? 何故、貴様が復讐のための最善な行動をとらないのか、分かったか?」


 ファウンドは苦虫を潰した顔になる。すると、レイドは堰を切ったように笑い出した。その笑いは反響し、ファウンドの四方から押し寄せる。


「気づいたか。感情の機微に疎いお前が、自覚したか。それはつまり、貴様の心に芽生えた感情が、無視できないレベルまで増幅している事を意味しているぞ。分かっているのか」


 ファウンドは据わった目でレイドをみる。こいつは人の感情を土足で踏み荒らす。なまじ心が読めるせいか、奴の舌剣は恐ろしい切れ味をもっている。言葉の剣を今、ファウンドは突きつけられているのだ。心臓の薄皮に接するほどの近距離に、少し力を入れただけで切れるほど間近に。

 だが、それでもファウンドは恐れない。自分の心は当に壊れている。そんなもの、欲しければくれてやる。自分の復讐に何ら関与しないだろう。

 しかし、レイドはファウンドの落ち着きを知って、なお笑う。


「心が壊れているか。それはお前が自己暗示をかけているだけだ。俺はお前より、人間の感情に精通している。だからこそ、分かる。人の心は複雑怪奇だ。壊れたと思ってもいつの間にか再生している。刺しても斬っても握りつぶしても、効果がない。人の心はそう簡単に死にはしない。だからこそ、なぶりがいがある」


 レイドはファウンドを名指しするように直視する。


「例えば貴様は、何度となく絶望を味わってきた。自分は死ぬべきだ。自分は生きる価値がない。そう思ったことも、何度もあったはずだ。だが、お前はそんな醜い姿になってまで、生きている。それは復讐という拠り所が貴様にあるからだ。分かるか? だがしかし、お前の感情に今、別の思いが膨らみ始めている。それは毒のようにお前の心を犯しているのだろう。お前はそれに必死にあらがっている。当たり前だ。その感情を認めることは、シールの絶対性と復讐という彼女への献身を同時に否定するものだからな。そうだろ?」

「……」

「答えたくないか。なら、俺が答えてやろう」


 レイドは言葉をきると、ゆっっくりと吟味するよう告げた。


「ミリア――あの馬鹿な女を守りたい、救いたいと思っている」


 案の定だった。ファウンドが予期していた通りの台詞だった。確かに、ミリアはファウンドの急所だった。彼女を引き合いに出されることが、ファウンドの最も恐れていることであり気づかれたくなかった事だ。そしてレイドは、それを寸分の狂いなく正確に突きつけてきた。

 レイドは饒舌に話を続ける。


「お前はシール以外の全てを捨てるつもりでいた。それこそが、お前の信念であり、シールに対して何もできなかった事への、せめてもの償い。でなければ、彼女に誓った事の全てが嘘になる。彼女への愛が、彼女への献身が全て偽りになってしまう。だからこそ、ミリアを見殺しにしてでも、シールの思いに答えなければならない。シールを守るための最善の行動をとらなければならない。結果、お前は頑なにミリアを救いたいと言う感情を否定してきた」


 ファウンドは自分ののどが急速に乾いていくのを感じた。体中から発汗し、血液の脈動が鼓膜を打ち続けた。こいつに次の言葉を話させてはならないと、頭が警鐘を鳴らしている。しかし、ファウンドはその場を動かなかった。下手に動けばレイドの思うつぼだと分かっていたからだ。奴の真の狙いは、ファウンドをいたぶる事ではない。ファウンドの動揺を誘い、正確な判断力を奪う事にある。だからこそ、ファウンドは努めて冷静を装う。

 レイドはファウンドの心中を知ってなお、容赦なく話を続ける。


「だが、お前の行動は明らかにミリアを救うための行動ばかりだ。ミリアを機関から救ったのはシールに対しての免罪符か? 違う、そうではない。ミリアを救う事は本来の目的を阻害するものであっては、ならないはずだ。だが、ミリアを救った事は明らかに足かせだった。それでもなお、お前は彼女を守っていた。何故か? それはあの女にシールの面影を見て、あの女が欲しくなったからだ。あの女に癒しを見いだし、あの女を心から好いたからだ」

「知ったような口を……」

「知っているさ。お前のことなら、徹頭徹尾全て。だからこそ答えられる。お前は復讐を果たしていく過程で、憎悪を失っていっただろう? それは、復讐のむなしさを痛感したからではない。あれはミリアの方を重要視しつつあったからだ。つまり、お前の中にいるシールへの思いが、徐々に消えていった。可哀想に、シールは妹に最愛の彼氏をとられてしまった訳だ。シールは今頃泣いているだろうな」


 ファウンドは今にも飛び出しそうになる自分を、必死に押さえる。自分はシールの事を思っている。深く愛している。それを否定させる訳にはいかない。ファウンドは誰よりも何よりも、シールのために行動している。

 だからこそ、ファウンドは口を開かずにはいられなかった。


「ミリアの事は関係ない。俺は復讐のためにここにいる。あの少女がどうなろうと、俺の知ったことではない。俺は復讐を成すだけだ」


 すると、レイドはしたり顔で返す。


「その言葉が聞きたかった。それをお前の口から聞きたかったぞ。ならこうしよう。貴様はさっき、俺にどけと言ったな。いいだろう、どいてやる。お前はエターナルを破壊すればいい。俺にはどうでもいいことだ。代わりに俺は、今からミリアを犯しに行く」


 ファウンドは戦慄する。何だその思考回路は。いったいどこから、その発想が思いつく。


「お前には関係のないことなのだろう? 俺はアニムを失っても、さして支障ない。あの小娘を叩き伏せる事には苦労しないさ。あの正義に満ちあふれた娘を絶望の元に屈服させるのは、さぞ爽快だろう。血の海の中で、喉元に刀を押しつけながら、あの雌豚が嗚咽し懇願するまで犯し続けてやろう」


 レイドはその下卑た笑みを表情に張り付けて、歩きはじめる。ミリアを犯しに行くと宣言するように。

 その行動はあまりにわざとらしい。ファウンドを挑発し、誘っているだけの行動。それはファウンドもよく分かっている。だが、それだけでファウンドを追いつめるのには十分だった。

 ファウンドは震える拳に力を入れる。奴の言うとおり、自分はミリアを守りたかったのかもしれない。救いたかったのかもしれない。そう思えば、今までの自分の行動の全てが頷ける。奴がミリアに危害を加えに行くと考えただけで、恐怖が自分の中に芽生えているのだ。それがいい証拠だろう。

 レイドによってファウンドはそれを明確に自覚させられた。なら決めなくてはならない。自分が何を選択するのか。誰を犠牲にするのかを。

 しかし、それはもう決まっている。ずっと昔から、決まっている。今になって心変わりなど、するはずもない。

 ファウンドの震えは止まり、汗が引く。ファウンドはぼそりと呟く。


「俺は外道だ。俺は悪鬼だ。初めから人道を歩むつもりはない」


 そしてファウンドは漆黒の炎を瞳に湛え、聖剣の切っ先をレイドに向けた。


「ここから出て行くなら、好きにすればいい。ミリアを犯したければ犯せばいい。だが、俺はエターナルを破壊した後、必ずお前を殺しにいく。絶対にお前を逃がしはしないぞ」


 レイドは立ち止まると、広角をつり上げ満足そうに言う。


「お前の憎悪が見えるぞ。純粋にただの一遍の曇りもない。完璧な憎悪の塊だ。ミリアを引き合いに出したのは、存外に成果を上げたな。欲しかったのはその感情だ。そんなお前を俺は殺したかった」


 レイドは紅刀を鞘から抜く。

 ファウンドはレイドに凍てつくような視線を向ける。


「そんなに俺を殺したいたいか。いいだろう。なら受けて立つ。俺も今、お前を殺したくてしょうがない」

「俺を殺せると本気で思っているのか?」

「ああ、無論だ」


 両者の視線がぶつかる。

 一方はわき上がる憎悪をもち、

 一方は理不尽な狂気をもって。

 それぞれの思いを剣に込め、二人は言い放つ。


「レイド、感謝する。お前のおかげで、俺は今、完全なる修羅と化せたようだ。これなら、十分お前を殺せそうだ」

「俺も嬉しいことこの上ないぞ。この日をどれだけ待ちわびた事か。これからお前の悲痛に歪んだ顔を存分に味わえると思うと、歓喜で震えが止まらない!」


 二人は示し合わせたように走り出す。漆黒の瞳をたぎらせ、深紅の燐光を纏いながら、両者の意志が衝突する。


「ファウンドォォォォォォォ!!」

「レイドォォォォォォォ!!」


 復讐の結末を決める戦いが、今、幕を開けた。

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