第5話

 ミリアは飛び交う魔導人形達の猛攻をかいくぐり、人質を助け出す機会を伺っていた。魔力は十分にある。だが、体の方がそろそろ限界に近い。さきほど腹に一撃もらったのが効いている。

 ミリアは周囲に視線を巡らせながら飛翔する。近くにそびえる、巨大な漆黒の柱ーー死黒杭が夥しい魔力を放っている。おかげで魔力の流れが見えづらく、魔導人形達の放つ魔力を察知するのが遅れる。むしろこれが、デミラの策略なのだろうか。そのために、人質をこの柱の近くに、配置しているのかもしれない。

 ミリアは冷や汗をかく。戦い初めてどれだけ時間が経ったのだろう。ファウンドはもうとっくに目的地に到達しているかもしれない。こんな所で、足止めされている場合ではない。だが、目前のデミラをーー人質を放置しておくわけにもいかない。

 ミリアの背後からは触手が無数に伸び、前方からは光線が照射される。それらは壁を砕き、噴煙をまき散らせながら、彼女に追従してくる。彼女は背の低い屋根の上で跳躍を繰り返し、曲芸さながらの奇抜な動きで敵の照準をずらす。しかし、攻撃が体を掠める事も多い。彼女の動きは明らかに鈍ってきている。

 ミリアは考える。デミラは本当に多岐に渡る魔導具を持っている。炎、電撃、魔力吸収、光線。どれも、単純だが効果的な魔導具ばかりだ。だからこそ、やっかい極まりない。


「ん?」


 そこで、ミリアは眉をひそめる。確か『透明』の魔導具をデミラは使っていたはずだ。しかし、彼の魔導人形達はそれを使う素振りがない。

 魔導人形達は、それぞれの攻撃手段がある。ドラゴンの仮面は炎。黄色と黒の外套は電撃。紫色のイカは魔力吸収。そして、巨漢の針山は光線。

 では、透明の魔導人形もいるのではないだろうか。安直な推測だが、可能性はあるはずだ。しかし、だとしたら何故、その魔導人形は襲ってこないのだろうか。


「嬢ちゃん随分しぶといなぁ」

「その言葉、そっくりそのまま返すわよ」

「まだ、俺を倒そうとしているのかぁ? 諦めろ。その体じゃあ、時期に動けなくなる。はじめから、逃げることに全力になれば、ここから抜け出せたかもしれないのによぉ。選択を間違えたなぁ」


 デミラの叫びが、ミリアの耳に不快感と共に進入してくる。人質をとって、ミリアを足止めしている人間が、よくもいけしゃあしゃあと言えたものである。


「逃げるなんてあり得ない!」


 飛来物を避けながら、ミリアは怒鳴る。デミラは背後にいる人質を指さす。


「こいつがそんなに心配かぁ? これが誰だかも分からんだろうによぉ」

「だいたい、察しはついてるわよ。その人がグロウでしょ?」


 ミリアは魔導人形に蹴りをたたき込む。それは竜の仮面に直撃し、半壊。群青の肌が露出する。


「相変わらずの洞察力さすがですなぁ。じゃあ尚更、逃げれないなぁ」

「人質がいようといまいと、あんたを野放しにするつもりはない!」


 ミリアは分かっていた。このまま逃げればデミラに追跡され、ファウンドの居場所を知らせる事になると。デミラが現れた時点で、彼女には逃げる選択肢は無かった。

 そんなミリアにデミラは嘲笑を浴びせる。


「そんなに俺が許せないか? 叩き潰したいか? だがな、そんな感情のせいで、ファウンドは死ぬ訳だ。お前の助力を得られずになぁ」

「うるさい!」 


 ミリアの怒号と共に目映い魔力が放たれた。彼女の発する『斥力』が波濤の如く伝播する。魔導人形も、建物も、その淀んだ空気すら押し出すほどの圧力と輝き。嵐に晒されたかのように、市場にあった商品の数々が弾け飛んだ。

 闇市場に一瞬の静寂が訪れる。その中でミリアだけが光を放つ。

 ミリアはデミラを見据えて言い放つ。


「私は必ずファウンドを救う。誰がなんと言おうと、彼を救ってみせる。彼は機関に騙され、友に裏切られ、恋人を失った。普通なら全てを憎むはずよ。何もかもを呪うはずよ。でも、彼は違った。見知らぬ家族を助けようとした。私を何度も救ってくれた。彼はあまりに大きな絶望を受けてなお、人を思う気持ちを忘れなかった。そして、そんな彼が最も憎んでいるのは、世界でも友でもない。自分自身。最愛の彼女を救えなかった自分を、どうしても許せないでいるのよ。そんなの、悲しすぎる! 彼を自責の念に囚われたまま死なせる訳にはいかない。絶対に彼を救う。私はもう決めたの」

「ほうほう、随分無鉄砲な嬢ちゃんだと思っていたがまさか、ここまで馬鹿だとはなぁ。分かってるかい? ファウンドを救いたい。俺を倒したい。グロウを助けたい。それらを全て実現するなんてのは不可能なんだ。現実的ではない。そうだろ?」


 ミリアは突きつけられる。選択を迫られる。何を選んで何を犠牲にするか。

 機関は数千人に理不尽な死を突きつけることで、大多数を救った。

 ファウンドは全てを犠牲にして、最愛の彼女だけを救おうとした。

 なら、ミリアはどうなのか。そんなものは決まっている。


「犠牲になんかしない」

「何だって?」


 ミリアの目が業火の如く燃え上がる。無惨に殺されていった誰とも知らない家族。ミリアの目の前で、息子を憂いながら息を引き取った老人。彼らが死んでいいはずがなかった。彼らが犠牲になっていい訳がなかった。

 だから、ミリアは思う。彼らを救う存在にならなければならないと。それがどれだけ無謀で、幼稚と揶揄される事だと分かっていても。彼女はそれを成すと心に決めた。

 彼女は微塵の憂いも迷いもなく言い放つ。


「私は必ず助ける。誰も犠牲になんかさせない」

「気でも狂ったかぁ。それともふざけてるのかぁ?」

「何の犠牲もなしに、全てを成そうなんて都合が良すぎる。そんなの分かってる。でもね、全てを成そうと思って行動したものだけが、全てを実現できる可能性があるのよ。はじめから、何かを犠牲にすると決めて、行動した人には絶対に成し得ない。だから私は決めた。死力を尽くして全てを救う」

「なるほどなるほど。だがなぁ、その選択をした結果、より多くの犠牲を生むことだってあるんだぁ。世の中は理不尽で満ちている。お前の予期せぬことだって簡単に起きる」

「そんな事は百も承知よ! 犠牲を恐れていたら何も成し遂げる事なんてできない。勇者は物語にもあるように、理不尽をはねのけて、ハッピーエンドを迎える。私はずっと勇者を目指してきた。だから、どんな理不尽も乗り越えてみせる。それが私の正義よ!」

「そうかい、そうかい!」

 デミラはナイフをグロウの首もとに突きつける。グロウの叫びが周囲に木霊する。

「俺は今すぐにでも、こいつの首をかっさばくことだってできる。ご大層な事をほざいているがなぁ。お前は結局誰も救えやしない!」


 ミリアは前傾姿勢をとる。だが……


「おっと、動くなよぉ? 動いたら、こいつは生涯、首を無くしたままになる」


 デミラは下卑た笑みでミリアを見ている。


「はじめからなぁ。こうしてれば簡単だった。さあ、嬢ちゃん。殺されてくれよ。そのまま動かないでいてくれればいいからさぁ。そうすれば、グロウは助かるからよ」


 ミリアを囲むように魔導人形が寄ってくる。

 ミリアは思考する。グロウまで、数十メートル。助けるには少し遠い。ミリアが飛び出せば彼に到達する前に、彼は突き刺されて死ぬだろう。

 何か、気を逸らす事ができれば。

 しかし、デミラはミリアに打開策を考える隙を与えてはくれない。魔導人形達が我先にとミリアに殺到した。

 ミリアは彼らの突撃を避けようとする。しかし、グロウに突きつけられたナイフが視界に入り、彼女の動作は遅れた。

 ミリアは怒濤の攻撃に晒される。『炎』が『電撃』が彼女の体を蹂躙する。彼女はされるがまま吹き飛ばされ、死黒杭へと叩きつけられた。

 ミリアは頭から血を流す。一瞬にして、この有様だ。体の至る所が痺れて痛い。どれほどの傷を負ったのか皆目見当がつかない。だが、まだ動けはする。

 ミリアはゆっくりと視線を前に向ける。デミラがこちらを見ている。広角をつり上げ、笑っている。両脇からはミリアの息の根を止めようと魔導人形達が向かってくる。彼らの姿がとても緩慢に見える。

 彼女は思う。ここで自分は終わりなのだろうか。誰も救うことはできずに、死んでいくのだろうか。


 いや、違う。


 ミリアは自分を叱責する。まだ、体は動く。頭は働く。ならなぜ諦める道理がある。頭の天辺から足の先まで、全ての神経を総動員しろ。魔力の一滴もあまさず全て絞り出せ。

 志した正義を成すまで、果てるわけにはいかない。


 諦めるのは死んでからで十分だ。


 ミリアの思考が明瞭になる。体を巡る魔力が加速する。

 ミリアは周囲を深く観察する。敏感になった五感のおかげで、多量の情報が溢れるほど流入してきた。

 背後にそびえる死黒杭から、淀んだ魔力が発せられている。それは周囲にある魔力を全て覆い隠す。市場に転がる商品も魔導人形の魔力さえ、見えなくしてしまう。

 そうそれはきっと、どんな魔力さえ見えなくするだろう。


「っ!」


 ミリアは目を見開く。彼女は気づいた。ある一つの可能性を。

 所在不明のアニム。透明の魔導人形の存在。膨大な魔力を垂れ流す死黒杭。

 それが一つの答えを指し示す。デミラの持つアニムの隠し場所をミリアに訴えている。

 可能性は低い。吹けば飛ぶただの憶測だ。だが、今はそれを信じて、一か八か賭けるしかない。

 彼女は全力で左手に魔力を流し、『斥力』を放つ。間に合え、間に合ってくれ。周囲の動きが一気に速度を増す。彼女を殺そうと魔導人形達が迫る。

 ミリアは雄叫びを上げる。

 ミリアの背後にある死黒杭に亀裂が走る。

 デミラが驚きの声を上げる。

 そして、闇市場の象徴たる魔導装置は、少女の全力によって崩れ落ちた。


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