三章 屍山血河
第1話
ガランの
ガランは全勇者の中でも指折りの実力者だっただけに、彼の死は勇者達を震撼させた。
しかも、それが勇者殺しの仕業とあって、勇者達は次は自分の番ではないかと、心底恐れた。
「
勇者機関本部。とある執務室にて老人クアラムが呟いた。飾りのない質素な部屋。クアラムの神経質な性格を露骨に表した、綺麗に整理整頓された場所だった。そこにはアニムや機関に関する書類が綺麗に並べられているだけで、特に際だった物は何もない。目立つ物を強いて上げるなら、彼の机の上にいる一匹の蛇くらいだろう。それは
「貴殿はどう思う? こんな下らないことに、頭を悩ませること自体、時間の無駄だと思わんかね」
クアラムは、隣に立ちひたすら恐縮している男に同意を求める。
「誠にその通りかと……」
額に冷や汗をかいているのは、ガランの従者であったピグである。ガランの死についての詳細を知る人物として、クアラムに呼び出されていた。
ピグは蛇を見ながら思う。この執務室に入ってから全身を見られているような、異様な感覚がある。複数の人間に視姦されているような、得も言えぬ不快感だ。だが、偉い人を前に緊張しているだけだろう。ピグは無理矢理そう思うことにした。
ピグの言葉にクアラムは
「そうだろう。だから、ワシは早く終わらせたい。分かるな? 質問は簡潔に答えてほしい」
「はい」
それからピグはクアラムから質問攻めにされた。ガランを殺した犯人についての、特徴、容姿、口調、戦闘の型、どんな魔導具を使用するかなど、事細かに聞かれ続ける。
ピグは蛇に気をとられながら、震えた声で答える。
「すみません。気絶していたものですから。犯人の事は数分、目にしただけですので」
「それは致し方ないことだ。気にしなくてよい」
クアラムは穏やかに返す。ピグはそんなクアラムの態度に、少しづつ緊張をほぐれさせ、徐々に饒舌になっていった。
「一つ、気になることがありまして」
「なんだ、言ってみなさい」
「どうも、彼の身体は大半が魔導石で構成されているようでした」
クアラムの眉がぴくりと動く。机の上の蛇も、赤い目を光らせた。
「魔導石とな」
「はい、青黒い魔導石特有の色だったので、間違いないかと」
「それは興味深いな。とても貴重な情報だ」
「お役に立てたようで、嬉しい限りです」
ピグが頭を下げる。クアラムは微笑みながら、ピグを誉める。
「貴殿の洞察眼には感服するわ! さすが、ガランの従者をやっていただけある」
「いえ、私がもっと優秀であれば、ガラン様は死なずに、済んだやもしれないのです」
「いいや、貴殿は死力を尽くしてくれた。もし勇者が相手なら、挑んだ所で結果は見えておる。こうして生きて帰ったことこそが重要なのじゃ」
「ありがたきお言葉!」
ピグは嬉しさに感極まる。クアラムは堅物だと機関の中では有名だった。だが、実際は心優しい人なのだと知り、ピグはこの老人にできるだけ協力しようと思った。
そこでピグは、あまりに突拍子もない事だったため躊躇していた事を、話そうと決意した。
「クアラム様。妄想だと思われるかもしれませんが、どうかお聞きください」
「なんだね?」
「実はその……殺人鬼はアニムを使用しているようでした。私は補助なくしてあれほど連続で魔導具を行使できる人間を知りません。彼がエリムスという可能性もありますが……。一番考えられるのは彼が勇者という……」
ピグはクアラムの顔を見て、言葉の続きを発する事ができなかった。先ほどまでの和やかな表情とは打って変わって、彼は無表情だった。何か失礼なことを話してしまっただろうか。ピグは不安になる。
だが、クアラムは能面のような顔を、すぐさまほころばせた。
「素晴らしい! 貴殿は本当に素晴らしい」
「ありがたき幸せ……」
ピグがふと安心したとき、ピグに向けてクアラムが手のひらを広げた。いつの間にか、クアラムの周囲には金色の魔力が漂っていた。
クアラムは無表情に告げた。
「だが、優秀すぎるのも、問題だ」
次の瞬間、クアラムの掌から純白の光が放たれる。それはピグの額を貫いた。すると、彼は一瞬にして白い光に包まれ、跡形もなく消失した。
「ふん」
クアラムは興味を失ったように振り返ると机に座り直す。蛇は用が済んだとばかりに、蜷局を説くとするすると机の下に降りていく。
「随分と手荒なまねするなぁ。爺さん」
クアラムしかいないはずの、室内に飄々とした声が響いた。
クアラムは全く動じる様子もなく、正面を見る。
「お前か……」
すると、執務室の中央にある柱の陰から、デミラが現れた。
「聞くことだけ聞いて、後はさよならってかぁ。相変わらず、やり方がえぐいねぇ」
「奴は知りすぎた。致し方ない」
「おお、怖いねぇ。俺も知りすぎないよう気をつけなきゃなぁ。はっはっは」
デミラは調子よく笑うと、帽子を脱ぎ、長いすに深く腰を降ろす。
「しかしまあ。これで誰が勇者殺しか、はっきりした訳だぁ」
「そうじゃな」
クアラムは苦虫を噛み潰したような顔をする。デミラは足を組み、愉快そうにクアラムの表情を覗く。
「そろそろ、俺の出番なんじゃないのぉ?」
「貴様はそればかりだな。まあいい、すでに用意してある。受け取れ」
クアラムが金を放り投げる。金貨が音を立てて辺りに散乱する。デミラはそれを嬉々としてかき集めた。
「そうでなくっちゃなぁ。前金は、しっかり受け取りましたと」
「ふん」
クアラムはデミラを鼻で笑うと、デミラの背後を指さした。
「そこの棚に、ファウンドの情報が記された、記録晶がある。好きなだけ見ていけ」
デミラは背後にある水晶体を手に取ると、それに魔力を流した。すると、『Rijen』という文字が水晶体の表面に浮き上がり、『記憶』の魔法が発動した。
デミラの頭に情報が流れ込む。彼はそれらを瞬時に読みとり、重要な情報のみをじっくりと吟味する。
しばらくしてから、デミラは立ち上がり伸びをする。
「はぁーーーー」
クアラムは目を細める。
「何か心当たりはあったか?」
「この資料にはねぇな。知ってる情報ばっかで使えやしねぇ」
デミラは帽子を手に取ると、人差し指で回転させる。
「だが、さっきガランの従者が言ってたやつだが。ちと引っかかっててなぁ。調べて見なきゃわからねぇが、当たればもうけもんだな」
デミラは帽子を深く被る。
「それで、いつまでに殺せばいい訳よ?」
「そうだな、明日の夕方までだ」
「了解っと」
ドアノブに手をかけるデミラ。その背中に、クアラムが呼びかける。
「レイドはどうしてる?」
「知らねぇな。あいつの行動はいまいち読めないからねぇ。まあ、奴のことだ。そこらじゅう、血眼になって探してるだろ。フロイラの同行なら何となく想像できるけどな」
『あら、私のことでどぉんな想像してくれたのぉ?』
唐突に淫らな声が執務室に響いた。クアラムはあからさまにため息をつく。デミラはわざとらしく両手を広げる。
「全く、これだよ。下手にフロイラの悪口も言えやしない」
『別に言ってくれて構わないのよぉん?』
「遠慮しとこう。お前を調子づかせるだけだからなぁ」
『んふっ! よく分かってるわねぇ』
デミラが本棚の一角に目を向ければ、そこには小さな蛇が赤い目を光らせていた。
「今時、動物を使って通信なんて、随分古くさい手法だな」
『古い方法だからこそ、気づかれにくいのよん』
すると、クアラムが呆れたように呟く。
「その手の破廉恥さにかけては一級だな」
『あら、私はてっきり、あなたは覗かれて興奮してるもんだと思ってたわぁ。気づいてても何も言わないみたいだしねぇ』
「面倒は嫌いなんだ。特に貴様の相手は疲れる」
『まあ可哀想に。もう興奮できないほど老いちゃったのね』
クアラムは軽く舌打ちすると、フロイラの言葉を無視して書類に目を向け始めた。
『もう、早漏なんだからぁ』
そこで、デミラがフロイラに質問をする。
「これはお前のアニムで作ったのかぁ?」
『違うわよぉ。私のアニム――キマイラちゃんで奴隷を作ったら、元の形を維持できないもの。これは本来の魔核を取り出して、擬似魔核を埋め込んでるのぉ。そうすれば、原型を留めたまま、私の好きなように動かせるでしょ?』
「さすがだなぁ。だが、原型を維持する必要はあるのか?」
『あるわよぉ。こういう潜入の時は重宝するわよぉ。それ以外にも使用用途はあるけどねん』
そこでデミラは何か思い出したのか、大仰にうなずいた後、微笑する。
「なるほど、なるほど。随分と悪趣味だなぁ」
『手間をかけるだけの興奮は味わえるわよぉん』
「俺は遠慮しとくわぁ。金だけで十分だ」
そしてデミラはドアノブを回す。
「そんじゃぁな。ファウンドが来たら教えてくれ。とどめは俺が刺すからよ」
『だめよぉん。私の奴隷ちゃんにするんだからん』
「じゃあ、先に見つけたほうがいただくって事で」
デミラはドアを開け最後に言い放つ。
「クアラムさんよ。金はたんまりと用意しといてくれよぉ」
そして、彼の身体が徐々に透明になり見えなくなると、足音だけが過ぎ去っていった。
『忙しない子ねぇ。もっと、我慢強くないと女の子は満足できないのよぉん』
「お前も早く出て行け」
クアラムが険のある口調でフロイラに言った。フロイラの操る蛇はクアラムへ顔を動かす。
『一つ確認したいことがあるのよぉ』
「なんだ」
『そう邪険にしないでぇよ。もう長い付き合いじゃない』
「本当に長い。長すぎる。儂の物心つくときからずっとじゃ。さすがに気が滅入る。順当にいけば儂より先に、さっさと死ぬはずじゃ。しかし、お前はまるで老いる気配がない。全くどうなっておる」
『あら、私の完成された美貌を見続けられるんだから、いいじゃないのぉ。ねぇ、クアラム坊やぁ』
「いいから、用件を言わんか!」
クアラムは怒鳴りながら机を叩いた。
『魔導石よぉ。ファウンドちゃん、魔導石で身体を置換してるって言ってたでしょ? それってどうなのかなって思ったのぉ』
「何故、そんなことが気になる」
『だってぇ。私のアニムって、直接突き刺さらないと効果がないでしょぉ? だから、全身魔導石だと、ちょっと困るなぁって』
「お前は知らんだろうが、生身を魔導石へと完全に置換することはできん。臓器や神経系の置換は無理なんじゃ。しかも、置換率が上がればそれだけ寿命が縮まる。そう考えると、魔導石で肉体を構築し過ぎるのは合理的ではない。と考えれば自ずと、奴の置換率が見えてくるのではないか?」
「なるほどねぇ。ありがとん。これで、ファウンドちゃんを奴隷にできそうだわぁ。でも、随分魔導石に詳しいわねぇ?」
「最近、機関に導入したばかりの技術じゃからな。まさか、先に完成させている輩がおるとは思わんかったがな」
クアラムは深く息を吐き、書類に再度目を通し始める。そして、突き放すようにフロイラに告げる。
「もう話は終わりだ。帰れ」
『わかったわよぉ。じゃぁ、ファウンドちゃんは私が頂くわね』
そして、蛇は執務室から出て行った。クアラムはほっと息を吐く。
フロイラは不愉快極まりない奴だが腕は立つ。他の追随を許さない魔力量と、エリムスとしての力が合わされば、ファウンドを倒すことも、そう難しいことではないはず。しかし……
クアラムは蛇の消えていった方を見つめる。それはフロイラが、本当にファウンドを殺す事を主眼に置いた時の話だ。あの魔女は自分の快楽のために生きている。ファウンドを殺すことに全力を尽くすとは限らない。
状況がどう転ぶか、クアラムにもまるで分からなかった。クアラムは今後の展開を憂いて、窓の外を見つめた。
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