第2話

 闇夜に沈む街。夜空に浮かぶ星々が、街の輪郭を辛うじて映し出す。

 ファウンドは広い街路を、息を殺して歩いていた。勇者時代から暗殺が主任務だった彼にとって、気配を消して移動することは造作もなかった。

 彼の目指す先は魔法工房。それは魔法を研究し、新たな魔導具を制作する場所だ。そして、エリクマリアの中で最も気味悪がられる場所でもあった。

 というのも、住民の行方不明者がその近辺で後を絶たないためだ。近寄ったが最後、工房の中にいる魔女が人間を浚い、魔導具の実験台にしてしまうという噂まで横行していた。

 そして、ファウンドはその話が、事実だと知っている。それを行っている人間の素性と、それを黙認しているのが勇者機関だということまで分かっている。

 そして今回の標的は、その魔女だった。

 

 ファウンドは夜空を見上げる。満天の星が彼の過去を想起させる。

 記憶の奥底から、おぼろげに彼女の声が蘇った。



『ユウリ! あの星を見て! まるで角砂糖みたいじゃない?』

『そうですか? 自分には頑張っても、岩石にしか見えません』


 くすくすと笑う彼女。白く輝く長髪を振るって、彼女は彼を見る。


『岩石? なんだかユウリらしい回答ねぇ』

『自分らしい、ですか』


 彼女は彼の顔をのぞき込む。


『とってもね!』

『時にお嬢。星を見て、食べ物に例える方は、食いしん坊だとお聞きした事があります』

『えぇ! そ、そんな事ないわ。きっと今、お腹が空いてるから、たまたまよ。ご飯しっかり食べておけばよかったかしら』


 彼女はうーん、と唸っている。しかし、すぐにころっと表情を変えて彼を睨んだ。


『って、何で私がこんな混乱しないといけないの! そもそもその話が間違ってるのよ、きっと! それ誰が言ったの!』

『実は私です』

『ふぇぇ!』

『お嬢は反応が過剰ですから、少しからかってみようかと。案の定、おもしろい反応を見せてもらいました』

『あんたね! 自分の主人で遊ぶって、どういうこと! もう!』


 彼女の拳がユウリの胸を叩く。


『すみません』

『ダメね。許さないわよ! そうね……これから毎日、私と一緒にここで星を見なさい! そしたら許してあげる』

『分かりました』

『絶対だからね! どんな事があっても、これだけは守らなきゃダメだから!』

『仰せのままに』

『うん! なら許してあげる!』


 そう言った彼女の満足そうな笑顔は、空に輝くどの星よりも眩しかった。



 ファウンドの頬に滴が伝った。咄嗟に彼は顔へ手を当てる。掌が濡れる。そこで初めて、自分が泣いていることに気付いた。

 彼女の性格も容姿も、煌びやかで美しかった。世界のどんな存在よりも高貴で、傷つけてはいけない存在のように思えた。だから、ファウンドは必死に彼女を守ろうとしていた。

 だが、今、彼女はいない。勇者達によって彼女は汚された。そして……

 ファウンドは震える己の手を見つめた。



 ファウンドが遠い記憶に思いを馳せていると、思考を遮るように、淫らな声が聞こえてきた。


「あああぁぁぁん。来たわねぇぇぇぇぇ」


 静まりかえった街に喘えぎ声が木霊する。

 ファウンドは身構える。先手を打つつもりで行動していたが、先に感づかれてしまったようだ。

 前後に伸びる街路の前方から、灯りが点っていく。その灯りは瞬く間にファウンドを追い越し、街全体を照らし出した。

 石作りの地面を伝って、重量感のある振動が伝わってくる。それは巨人が歩いているかのように、一定の間隔で路面を振るわせる。


「待ってたわぁ。ファウンドちゃあん」


 女のまとわりつくような声が、ファウンドの耳元まで響く。魔導具で、声を拡大しているのだろう。何十にも木霊して彼女の声が、聞こえてくる。

 ファウンドが前方を注視すると、魔物の群が見えた。

 その光景は、おおよそこの世の者とは思えない醜悪さだった。

 中央に道幅の半分を越えるほど、巨大な肉体の魔物が歩いている。丸太のような足に、鱗に覆われた皮膚。高さは周囲の住居をゆうに越え、地面まで伸びた髪を引きずりながら、四つん這いになって歩いていた。

 巨大な魔物の周囲には、大小様々な魔物が足並み揃えて歩いている。彼らの特徴はばらばらだが、一様に全員が素肌を晒し、目を潰されていた。

 それぞれが武器を手にし、それを地面にたたきつけながら行進している。何体かの魔物は、数メートルに及ぶ縦長の十字架を掲げていた。十字架の先には……人間が張り付けられている。


「どうかしらぁ。私の可愛い奴隷ちゃんたちよ」


 巨大な魔物の上から魔女は言った。

 彼女の着る紫のドレスは胸や太股を見せようと、わざと大胆に切り抜かれている。ドレスは彼女の肉体にぴったりと張り付き、豊満な胸や尻を強調する。

 妖艶ようえんで魔性の香りを漂わせる女――フロイラはねっとりとした視線をファウンドに向けた。


「ファウンドちゃんをもてなそうと思ってぇ、準備したのぉ。どうかしらぁ?」

「相変わらずだな」


 およそ聞こえるはずもない距離から、ファウンドは呟いた。だが、フロイラは平然とそれに答える。


「ふふ、そうでしょぉ」


 フロイラは細い腕を振り上げる。それを合図に魔物達の行進が止まる。

 フロイラの背後から、清潔で整った衣服を着た男――従者ミッシェルが現れた。全身銀のプレートを身にまとい、精錬された雰囲気を醸し出す。醜い魔物が跋扈する中で、明らかに場違いなその男は、紳士な態度でフロイラに頭を垂れた。彼は銀の盆に小剣を乗せて、フロイラに差し出す。


「フロイラ様」


 落ち着いた声色で、ミシェルは彼女の名を呼んだ。フロイラは剣を取る。

 その剣は真っ赤で、鍔が無く、小剣というよりナイフに近かった。また、刀身が捻れており、物を切れない形状をしていた。


「ミッちゃん、ありがとぉん」


 フロイラは、なまめかしく立ち上がる。すると、周囲の十字架が彼女へと寄せられる。


「ファウンドちゃん。今から、余興を見せるからぁ、楽しんでぇ」


 ファウンドは遠目から様子を伺う。フロイラの行動は読みにくい。下手に仕掛けるのは、得策ではない。ファウンドは内心で呟くと、魔剣の鼓動を抑えた。

 フロイラは一つの十字架の元に近寄る。十字架には男が張り付けにされ、口をパクパクと開閉させていた。


「かすけて。かすけて」


 掠れた声で彼は訴えていた。フロイラは男の耳元で囁く。


「すぐに楽になるから。もう少しだぁけ、我慢してねぇ」


 フロイラは従者から受け取った小剣を、男の胸にそって這わせる。男は涙を流し、命乞いをするが、フロイラはその男の恐怖を享受するかのように微笑むだけだ。

 フロイラは剣をくねらせながら、昔を懐かしむように話し始める。


「そういえばぁ、あのお嬢ちゃんもぉ、こんな風に泣いてたわぁ。ユウリ助けて、ユウリ助けてって。健気にずっと言うのよぉ」


 ファウンドは心臓を、鷲掴みにされた気分になる。記憶の中にしかいない最愛の彼女が、急に彼の目の前に現れ、助けを求めている。そんな錯覚に陥った。


「ああぁあん」


 フロイラの薄紅色の唇が、男の頬から伝う涙を吸い取る。


「しょっぱい。これが恐怖の味ね。相変わらず美味だわぁ。でもまだ足りない。わたし、もっと味わいたいわぁ。あなたの感情を。どうしたら、もっと感じてくれるかしらぁ」


 フロイラはその小剣の腹を男の喉元突き当てる。男はその小剣の冷たさで、首が切られたと錯覚したのか、叫び声を上げた。

 そしてフロイラは、なおも彼女の事を引き合いにだす。


「あの時のあの子、最高だったわぁ。どんなにいたぶっても、どんなに苦痛を与えても、ずっと、あなたの名前を叫び続けてた。愛はなんて素晴らしいのかしらぁ。私はあの時から、あなた達に恋してたのかもしれないわぁ」


 フロイラは艶美えんびな仕草で、男の顔を撫でまわす。そして、唐突に彼女は男の身体を抱き寄せると、豊満な身体を男に押しつける。

「あの子みたいに、ファウンドちゃんも犯したいわぁ。身も心も全部、汚し尽くしたいの」


 フロイラは小剣を持ったまま男の首に腕を回すと、小さく呟いた。


「いって、いいわよぉ」


 その言葉で、男は痙攣したように震える。それから、彼女は狂気に目を輝かせると、興奮そのままに剣を男の後頭部に突き刺した。

 鮮血が舞い、男は絶命する。

 だが同時に、小剣から夥しい魔力が噴出し、男の体内に流入した。

 すると、男の体が次第に膨れ上がる。縛られていた紐が千切れ、背中から無数の手足が突き出した。顔は変形し、巨大な舌が口から飛び出す。


「完成ぇよぉ」


 フロイラはその様子に恍惚こうこつな表情を浮かべて言った。彼女は四つん這いの魔物の頭を撫でる。

 フロイラの持つ小剣の名は魔剣キマイラ。フロイラの所有するアニムであり、『魔獣錬成』の魔法が宿っている。それは突き刺した生物を魔物に変える、凶悪な魔法だった。


「どうかしらぁ。ファウンドちゃぁん。とってもぉ、素敵だったでしょぉ」


 フロイラは満ち足りた表情で、ファウンドを見る。

 ファウンドの瞳には闇よりなお暗い、深淵が映っていた。覗けば飲み込まれそうなほど深い闇だ。

 ファウンドは目を閉じる。最愛の彼女を弄ばれた。しかも、魔女の性欲を満たすという、下らない理由のためだけに。そんな事のために、何故彼女は苦しまなければならなかったのか。彼の頭には、いまやフロイラをどのように殺すかしかなかった。

 ファウンドは目を開き、フロイラに凍えるような視線を向ける。 

 ファウンドの魂が、彼の魔力が、うねって怒り狂う。ゾフィアがその叫びに呼応し、深紅の光を脈動させる。


「ああぁぁぁぁん。それよぉ。その目よぉ。感じるわぁ。あなたの怒り。あなたの憎しみ。あたしを殺したくてしょうがないでしょぉぉぉ。ああん、いいわぁ。もっと求めてぇぇぇ。私を求めてぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 狂気に染まった魔女の喘ぎ声を聞いて、堰を切ったように魔物達が動き出した。

 魔物の大群が、黒い濁流となって押し寄せてくる。奇声を発し、街全体を震わせながら迫ってくる。彼はそれでも微動だにしない。フロイラを睨み続ける。

 そして魔物の大群がファウンドを飲み込んだ。

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