第7話
ミリアは包帯の巻かれた手で自分を縛るひもを掴む。
ファウンドが現れてから数時間、ミリアは部屋から脱出する術がないか考えていた。
ファウンドの寝る作業台を挟んだ対面に、ドアが一つだけある。窓すらないこの部屋において、出入りできる場所はそこ以外にない。
部屋は老朽化が進んでいるのか、至る所に亀裂が入っている、いざとなったら壁を破壊して、脱出できるかもしれない。
だが、魔導具を使えない今、それすら容易ではない。ミリアの身につけていた魔導具は、取り上げられてどこかに隠されている。例え探せたとしても、正常に機能するか分からない。ミリアの体内にある魔導具のように、無力化されている可能性もある。
そもそも、縛られている状況を何とかしなければ、身動きすらできない。
ミリアは自らを縛るひもを緩めることができないか、身体をくねらせる。だが何度試そうと、締め付けを弱めることはできない。
「そう暴れなさんな」
老人はぼそりと呟く。
「暴れるだけ、疲れるじゃろうて」
老人は魔導具で沸かしたお湯を、陶器に注ぐ。ミリアは老人の背中を睨む。
「お前さんも飲むかい」
「結構よ」
そう断った直後、ハーブのつんとした香りが、ミリアの鼻孔を刺激した。ミリアは歯ぎしりをする。
老人はハーブティーをすすりながら話す。
「安心せい。ファウンドが目的を成せば、お嬢さんも自由になれる」
「安心しろ? そんな気休めで安心できると思う? そもそも、あなた達の言ってることなんて、信じらないわ!」
ミリアはまくし立てる。
「例えあなたの言い分が本当だったとしたら、私は自分の自由より、あなた達の失敗を望むわ。あなた達の悪行が成就されるくらいなら、私はここで死んだ方がましよ!」
ミリアは鬼気迫る勢いで、言い放った。彼女の正義感が彼らに牙を向く。
「威勢がいいな」
ミリアの熱気を切り裂くように、冷徹な声が発せられた。作業台で寝ている男は瞼を開け、視線だけミリアに向けた。
「貴様みたいなバカが、まだ生き残っていたとは驚きだ」
ミリアは頭に血が上りかけるのを、ぐっと堪えた。安い挑発に乗れば、なめられる。彼女は黙ってファウンドを睨みつける。
対してファウンドは、自嘲気味に呟く。
「いや、俺も大差ないか」
ファウンドは身体を起こす。老人バグラムはまだ寝ておれと制止するが、彼はそれを振り払らう。
「ミリアとか言ったな。お前に質問だ。俺は今、勇者を殺して回っている。それはお前にとって悪行か?」
ミリアはファウンドの意図を探ろうと、少しばかり思案してから慎重に言葉を返す。
「……悪行よ」
そこでファウンドは間髪入れず質問する。
「なら、勇者がもし、悪逆無道の限りを尽くす外道だったら?」
「それは無いわ! 勇者は正義の象徴。そんな事するはずがないし、機関がそんな行動許すはずがない」
ミリアはすぐさま否定する。勇者は機関によって管理されている。ルールや道徳を逸脱する者は、容赦なく勇者としての権限を剥奪される。
「では、もし機関が勇者達に悪行を強いていたら?」
「それこそもっとあり得ない!」
「なぜあり得ないと言える。お前は機関の何を知っている」
「だって、機関の権力は複数に分散しているの。それぞれが暴走しないよう、お互いがお互いを監視してる。だから、権力を悪用しないようにできてるの」
「本当にそうか? 自分の目で確かめたのか?」
「それは……」
ミリアは押し黙る。彼女はまだ機関に入って一週間程度。機関の内情に精通しているかと問われれば、何も知らないと答える他無い。
「機関は外向きには、そのように公表している。いや、機関に属する人間の八割はそうだと思いこんでいるだろう。だが、実際はまるで違う。あれは完全な独裁。一人の人間が全てを決定している」
「嘘よ! そんな出鱈目、信じられない!」
すると、ファウンドは露出している左胸を指した。
「これが何だか分かるか?」
深紅に染まる球体。それがファウンドの左胸から突き出ている。その球を中心に、魔導石でできた胸部を裂き、紅い亀裂が全身に走っていた。
ミリアはそれを凝視する。黒い魔力が冷気のように、ファウンドの内側から漏れ出ていた。
魔導具を扱う人間なら大なり小なり、魔力を視認する事ができる。ミリアはそれに関して強い自負があった。魔力の質や流れから、その相手の能力や気性すら読みとれると豪語するほどに。
だからこそ、読み違える訳がない。これほどまでに膨大で、高密度の魔力が一体何なのか。
「まさか……」
ミリアの思い当たったそれは、あまりに馬鹿げていた。二本同時に所有するなんて前代未聞。だが、目の前の男を見る限り、疑いようがなかった。
「それもアニムだって言うの! でも、そんな、ありえない。だって、アニムは勇者にしか与えられないはず……」
そこで、ミリアは目を剥いた。この目の前にいる得体の知れない男の正体。それが分かった。
ファウンドは淡々と告げる。
「察しの通り、俺は勇者だ。正確には元、だがな」
「そんな、そんな馬鹿なことって!」
「なら、このアニムをどう説明する」
「私の時みたいに、奪い取ったのよ!」
「苦しいな。今回はシールのお陰で、機関からの追跡を無力化できた。それがなければ、アニムを奪取することは容易ではない」
ミリアはうなずくしかない。魔導具を無力化できなければ、ファウンドは自身の居場所を機関に晒すことになる。それがどれだけ、危険な事か容易に想像がつく。状況がファウンドを勇者だったと説明している。
ミリアはそれでも反論する。
「確かにあなたは、勇者だったのかもしれない。でも、今はただの犯罪者。それに、あなたが勇者だった事が、機関の不正や虚偽を証明する事にはならないわ」
「そうだな、その通りだ。勇者であった事はそれを証明しない。だが、俺が言いたいことは別にある。俺がどうして、こんな身体になったかだ」
ミリアはファウンドの身体を見つめる。熱せられた杭を、そのまま胸に打ち付けられたような痛々しい肉体。見ているだけで、気分が悪くなる。
ファウンドは、目を背けようとするミリアに言う。
「見るに耐えないだろう。俺も好きでこんな身体になった訳ではない。昔、同僚に集団で襲われてな。それでこの様さ」
「同僚……それって」
「そうだ、俺は勇者に殺されかけた。少なからず仲間だと思っていた人間に裏切られた。その結果、こんな歪な身体になった」
「そんな……何かの間違いじゃ」
「間違いだったら、どれだけよかったか。だがな、これは真実だ。どうだ? 俺の話しを信じる気になったか?」
ミリアは答えられない。自分の信じていた物が崩れようとしている。彼女はファウンドの意見を覆そうと必死に考えていた。
ミリアの苦悩を尻目に、ファウンドは立ち上がった。
「話が過ぎたな。そろそろ行こう。バグラム、問題ないな?」
老人は答える。
「大丈夫だとは言い難いのぉ。常にぎりぎりなんじゃ。できるだけ、無茶な扱いはせんどくれ」
「分かった」
ファウンドはローブを掴むと、それを着込みドアの前に立つ。
「待って!」
ミリアがファウンドを呼び止める。ファウンドは立ち止まり、横目でミリアを見る。
「あなたが、勇者を殺すのは復讐? それとも正義のため?」
ファウンドは強くドアノブを握りしめる。
「正義か。そんなもの、とっくの昔に捨てている。……俺はな」
ファウンドはミリアに視線を注ぐ。
「奴らのせいで、最愛の人を失った。奴らは彼女を好き放題になぶったあげく、いらなくなったら汚物のように捨てた」
ファウンドの瞳が業火で滾る。
「だから、俺は奴らを殺すと決めた。例えそれが悪鬼に至る道だとしても、奴らを地獄へ道連れにできるなら、俺は喜んで外道になろう」
ファウンドはミリアから視線を外し、ドアを開ける。
「俺は奴らに復讐する。絶対にな」
そしてファウンドは部屋を出て行った。
残されたミリアは、ファウンドの執念を前に、返す言葉もなく、ただ呆然とするしかなかった。
そんなミリアは、ファウンドの後を追いかけるように、人間大の魔導具が部屋から出ていった事に気づきもしなかった。
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