第6話

 ミリアはゆっくりと目を開けた。

 霞がかった視界の中で、うっすらと大きい作業台のようなものが見える。よく見ようと立ち上がろうとしたが、全く身動きがとれない。そこで初めて自分が縛られていることに気づいた。

 身体をひねり、状態を確かめる。どうやら、自分は椅子の上に寝かされているようだ。

 徐々に、思考が鮮明になってくると、ユウリに自分が刺された事を思い出した。

 だが、身体に痛みは無い。


「気づいたか」 


 ミリアはびくっと身体を震るわせた。


「……誰?」

「驚かせたかな?」


 声のする方に首を傾けると、白い髭を蓄えた小柄の老人がミリアの隣に座っていた。彼は魔導石でできた片眼鏡をつけ、ハーブの香りと焦げ茶の魔力を漂わせる。穏やかな老人。彼に対するミリアの第一印象はさして悪いものではなかった。


「ワシはしがない魔導技師じゃよ」

「ここはどこ?」

「ワシの仕事場じゃ」


 室内を見渡すと、確かに魔導工房のような様相だった。魔導具が所狭しと天井からつり下げられ、壁にはよく分からない道具や魔導機械が複数立てかけてある。中には、人間大の魔導具もあった。あれはなんだろうか。少なくとも、自分の知らない技術で作られている。

 ミリアは老人を見る。


「何で私はここに?」


 すると、魔導技師を名乗る老人――バグラムは、ゆっくりと立ち上がりミリアを見下ろした。


「奴が連れてきたんじゃ。儂の許可なくな」


 バグラムの語勢が強くなる。ミリアが来たことは彼にとって想定外のことだったのだろう。


「私は死んだはずじゃ……」

「ワシが直したんじゃよ」


 老人は道具を直したとでも言うような物言いでミリアの腹を指す。


「ほれ、ここが切られた場所じゃ」


 老人はミリアの服をめくり、腹を露出させる。


「きゃっ!」


 ミリアは咄嗟に叫ぶ。


「大丈夫じゃ。もう、女に欲情するような歳じゃない」


 バグラムはどこ吹く風で、話を続ける。


「この部分を魔導具に置換することで、生命を維持している。見てみい」


 ミリアは自分の腹部を見る。するとそこは魔導石の色をしていた。彼女は恐怖に、目を見開く。自分の身体を、勝手にいじられたのだ。怖くて堪らないだろう。


「何でこんな!」

「嬢ちゃんを助けるためじゃ。それにのぉ。いずれこの魔導具は外れるんじゃ。心配することはない」


 バグラムは淡々と告げる。

 それでもミリアは納得いかず、訴えるように老人を見つめた。

 だが、老人はそれを無視して、作業台に戻る。


「どうして、私は襲われたの? どうして、ここに連れてこられたの? あなた達は何者?」


 ミリアは恐怖を紛らせようと、まくし立てる。老人は素知らぬ顔で魔導具をいじり続ける。その態度にミリアは怒りを覚える。


「あなた達がやってる事は犯罪よ! 私を早く解放して!」

「解放はできん。残念じゃがな。ここの場所が機関に知られるのは困るからのぉ」

「あなた、知らないの? 機関員には必ず、追跡用の魔導具が埋め込まれているの。私がどこにいようと機関が必ず補足する。ここに拉致されたことも、全て筒抜けよ! あなたたちが捕まるのも、時間の問題だわ」

「それはどうかのぉ」


 バグラムは、ミリアに見向きもしない。ミリアは鋭い視線を向ける。


「どういうこと?」

「嬢ちゃんの身につけている魔導具。どれだけ機能しているか、自分が一番よく分かっとるんじゃないかのぉ?」


 そこで初めてミリアは、自分の体内にある魔導具が認識できない事に気づいた。魔導具は魔力を流せば機能しているか分かる。

 だが、機関から配布されていた、通信用、追跡用、探知用の魔導具全てが機能していない。明らかな異常事態だった。

 ミリアは言葉を失う。これでは助けを呼ぶことはできない。


「やっと、自分の置かれた状況が分かったようじゃな」

「いったい、どうやって……」


 魔導具は本体を破壊すれば、その機能を停止する。しかし、体内にある魔導具は体中を循環し、容易に場所を特定する事はできない。本人を殺し魔力の供給源を絶ったとしても、数時間は機能し続ける。


「奴のアニムの力じゃな」


 ミリアは自然と自分の腹に視線を向けた。自分の刺された瞬間が脳裏を掠める。


「……まさか。あのアニムは魔導具を無力化する力が」

「そのまさかじゃ」


 ミリアは絶望感に苛まれる。完全に助けを呼ぶ手段は絶たれた。これから自分はどんな目に合わされるのか、想像するだけで震えが止まらなかった。

 ミリアは自分を励ますために呟く。


「パパが来てくれるわ」

「パパ?」


 バグラムは何だそれはと訝しげに聞いた。ミリアは答える。


「私はルドルフ・フォン・ライエンの娘よ! あなたも知っているでしょう? ライエン家はエリクマリアの大貴族。パパはその長よ。パパなら、どんな手を使ってでも私を見つけだすわ。例え、犠牲を払ってでも。わ、私に手をだせば、パパがあなた達を八つ裂きにするわ!」


 ミリアは分かっていた。自分の父親でも、自分を見つけることは絶望的だということを。だが、それでも、言い張るしかなかった。少しでも、相手に自分が脅威である事を、伝えなくてはならない。でなければ、何をされてもおかしくない。

 老人は何故か哀れみの視線をミリアに向けた。


「そうか。嬢ちゃんがライエン家の娘か」


 ミリアは声を震わせながら言う。


「私に危害を加えたら……」


 ミリアが言葉を続けようとした時、勢いよくドアが開かれた。

 ファウンドがそこに立っていた。

 ミリアは激しい動悸を引き起こす。彼に対した時の恐怖が蘇り、息苦しくなる。自分は彼に殺されかけた。それを身体がはっきりと覚えているのだ。

 ミリアが動揺している最中、ファウンドはミリアに一瞥もくれることもなく、そのまま老人と話し始めた。


「やっと帰ったか」

「ああ。すまんが少々酷使しすぎた」


 老人がファウンドに近づく。すると老人は目を剥いた。ファウンドの身体はズタズタだった。生身の肉体からは出血し、魔導石の一部は崩れている。


「どうやったら、一日でここまで消耗できるんじゃ! 早よそこに横になれ!」


 老人に指示され、ファウンドは大人しく作業台に寝た。


「例のアニム。何回、発動させた?」


 老人はファウンドの身体に、複数の魔導装置を取り付けながら、厳しい口調で質問する。


「一回だ」


 老人はため息をつく。


「あと、残り三回。それが限度じゃぞ。それ以上使用したら、命の保証はない」

「分かっている」

「魔導石は崩れてもすぐに補填できる。だが、魔核は違う。分かっているな?」


 魔核――魔力を生成する器官。人間の誰しもが持っている特殊な臓器の一つだ。それは破壊されれば魔力を生成することができなくなるだけでなく、脳やそれに付随する器官が停止する。つまり死を意味していた。


「貴様に施した魔導源変換装置――ゾフィアの副作用は尋常ではない。聖剣を無理に発動させれば、浸食が加速するに決まっておろう」


 アニムは本来、勇者機関中枢にある魔導装置から、魔力が送られることで使用できる。その魔導装置から生成される特殊な性質の魔力でしか、動かないようになっていた。

 だが、老人の開発したゾフィアという魔導具は、使用者の魔力をアニムに適した魔力へと変質させる。そのおかげで、勇者の契約をせずともアニムを使用できていた。

 だが、ゾフィアは魔力を変質させる代わりに魔力を異常なほど食らう。魔核を破壊するほどに。

 だから、彼は魔剣を体内に埋め込んでいた。ゾフィアの副作用を最小限に抑えるために。


「ただでさえ、先の短い命じゃ。残りの余生を優雅に暮らそうとは思わんかね?」

「俺にはすべき事がある。それを成し遂げるまで、やめる訳にはいかない」

「そうかい」


 バグラムは呆れたように呟き、ファウンドに繋がれた魔導装置を起動する。唸るようにそれは振動すると、ファウンドへ魔力を供給し始めた。


「しばらく、安静にしとれ」

「何時までだ」

「そうすぐには回復せん。少なくとも夜までじゃの」

「分かった」


 ファウンドはそのまま、言葉を発するのも惜しいのか、瞼を閉じ眠りにつく。

 ミリアはファウンドと老人のやり取りを、ただただ見つめていた。彼らはまるで、自分に頓着がない。自分はなぜここに、連れてこられたのだろう。釈然としない気持ちで、いっぱいになる。

 ただ、一つ分かったことは、当面自分は安全だろうという事だ。ミリアはそう納得した。


ΨΨΨ


 エリクマリアの北東部。華やかな家々が並ぶ穏やかな場所にライエン邸は立っていた。

 豪華絢爛な屋敷の、最も煌びやかな部屋。そこには目立つように幾つものアンティークが置かれ、そのどれもが金銀の輝きを放っていた。そして、それらは不思議にも滓かに魔力を帯びている。そう、これは全て魔導具であり、機能よりも神秘さ美しさを追求した言わば嗜好品だった。

 その品々はライエン家の栄華を象徴したものばかり。しかし、この家の当主であるルドルフは、その繁栄にあるまじき絶望を表情に張り付けていた。

 ルドルフは羊皮紙に綴られた手紙を手に持っている。その手はわなわなと震えていた。


「私も残念でなりません」


 ルドルフの前にいる壮健な老人――クアラムは悲哀のこもった声で言った。


「これは私たち機関の落ち度です」

「……いや」


 ルドルフは何とか声を絞り出すと、か細い声で答えた。


「機関に所属することは、命と隣り合わせ。娘もこのようなことが起こることは承知していました。だから、貴殿が謝罪する必要はどこにもありますまい」


 そう話すルドルフだったが、納得できていないのは表情から明らかだった。


「機関は全力で犯人を探しだしております。どうかお待ちください」

「犯人は例の勇者殺し……」

「我らはそう断定しております」

「そう……ですか」


 テーブルを対面に、二人はしばらく沈黙する。

 すると、ルドルフが懇願するように言葉を発した。


「娘は生きて帰って来るのでしょうか」


 その姿からは往年の傑物の印象は消失している。今や弱った老いぼれだった。


「帰ってきますとも。だから、お気を確かに」

「分かっています。だがこれはさすがに……」


 彼は羊皮紙の脇に置いてある物を見る。それは手紙と共に送られてきたものだった。

 クアラムは唇を噛む。


「このような卑劣な手段をとるとは、神々が許しておきますまい。死して永久に業火に焼かれることになるでしょう」


 ルドルフは小さく頷く。

 クアラムはルドルフの手をとる。


「屈してはなりませぬぞ。その犯人の要求には絶対に答えてはなりませぬ」

「しかし……」


 手紙には簡素に四行の文章が綴られていた。 

『機関は誰でも使用できるアニムを十本引き渡すこと』

『ライエン家の技術の全ての情報を提出すること』

『二つと交換でミリア・フォン・ライエン及び、機関の全勇者の命を保証する』

『期日は明日の正午。時計塔前にて待つ』

 クアラムは立ち上がる。


「ともかく、早まらないようにお願いします」

「そうですな。そなたには感謝してもしきれませぬ」


 ルドルフは立ち上がるとクアラムを玄関まで見送る。


「お気をつけて」

「あなたも」


 そうクアラムは言って、ライテン邸を去った。ルドルフは室内に戻る。すると、いやがおうでも手紙に付属していたものが目に入った。彼は頭を抱え座り込む。

 そこには女性の指が置いてあった。

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