第5話

 陥没した地面。草木の焦げた臭い。森林だったはずのそこは焦土と化し、今や見る影もない。

 ファウンドは炭化した倒木を押しのけ立ち上がる。爆発の衝撃で彼の衣服は引きちぎれていた。だが、その身なりに反して彼の身体に傷はない。

 衣服の隙間から青い体表が覗く。彼は魔導石の身体のおかげで、今の爆発に耐えることができていた。

 ファウンドは周囲に目を凝らす。すると、すぐに大の字に倒れるガランを見つけた。彼が動く様子はない。

 ファウンドはガランを注視する。ガランはおそらく死んでいないだろう。魔導具を爆発させたのは奴だ。自分が死なない程度に威力を押さえていたはずだろう。

 ファウンドは、ガランの元へと歩を進める。だがその時、彼を猛烈な虚脱感が襲った。身体の血液を根こそぎ奪われるような感覚。深紅に染まる左目から血が流れ、皮膚の一部が崩れ落ちる。

 ファウンドは勇者でないにも関わらずアニムを使うことができていた。しかしその破格の力は、それに見合う代償を払わなければならなかった。

 ファウンドは自身の左胸に突き出る深紅の球体――ゾフィアを見つめる。ゾフィアによる浸食が予想以上に早い。体内に取り込んだアニムでさえ、著しい影響が出ている。となると、今後を踏まえれば、聖剣の使用は温存したいところだが……


「がははははははは」


 唐突に笑い声が響き渡った。ファウンドはすぐさま聖剣を構える。ファウンドの瞳に、起きあがったガランが映る。

 彼の黒眼鏡はフレームだけ残して完全に割れ、黒濁した両目が露わになっていた。髭の半分は頬と共に消し飛び、彼の自慢の歯が奥歯まで露出している。彼の左腕は失われ、傷口は黒く炭化していた。


「本当に楽しいぃなぁ! こんなに楽しい戦いは初めてだぁ!」


 ガランは葉巻の束に火を押しつけ、口に放り込み咀嚼した。


「いつもいつも、ふぬけやろうの相手ばかりでよぉ。退屈だったがぁ。おめぇはいいぜぇ。すごくいいなぁ。猟犬!」


 狂気に満ちた目がファウンドを捉える。ガランは身体を身震いさせ、葉巻の欠片ごと煙を吐いた。


「もっと、もっと、もっとぉ。俺を楽しませてくれよなぁ。えぇ?」


 ガランはアニム――魔斧ナイトゴートで空間を一閃する。瞬間、大小様々な魔導具が異空間から突き出た。

 一つは金に縁取られた豪奢な装置。それには鋭く尖った槍が何本も装填されている。

 一つは禍々しい魔力を帯びた深紅の杖。豚の頭部を彷彿とさせる杖の先端からは、血肉が夥しく垂れる。

 一つは青黒い魔導石から削り出された壷。二頭の龍が表面に描かれ、壷からは魔物の眼らしきものが不気味に光る。

 ガランの周囲にそれらは集い、空中を漂う。膨大な魔導具の数々。

 ガランはナイトゴートを掲げる。


「逝けぇ!」


 その合図と共に、無数の武器が咆哮をあげた。鋭利な槍が射出され、血液のような光線が発射され、龍をかたどった魔力が飛び出した。

 夥しい数の有象無象の物体が、ファウンドに押し寄せる。ファウンドは即座に魔剣を発動させる。ゾフィアが脈動し、ファウンドを転移させる。

 正面の視界を埋めるほどの物体が宙を舞う。地面は焼け、木々は爆裂し、瘴気が周囲に漂う。地面の至る所で煙が上り、地表は形を変えていく。

 そこでファウンドはガランの居場所を見失う。あまりの膨大な物量に、避けるだけで精一杯だった。


「やっはぁぁぁ」


 だから、接近を許した。ガランはいつの間にか長斧をファウンドへと振りかざしていた。

 ファウンドはぎりぎりの所で、聖剣を滑り込ませるとその攻撃を防ぐ。だが、その一撃の重さにファウンドの身体がきしんだ。

 ファウンドの顔が苦痛に歪む。ガランがもし、魔導具だけに頼る男なら、苦戦することはないだろう。だが、彼は常に身を危険に晒してでも、近接戦を好む戦闘狂だ。そのため、ファウンドは魔導具の弾幕を避けながら、ガランの接近にも気を配らなければならない。

 ガランは間髪入れずにナイトゴートを振るう。


「おれぇい!」


 シールとナイトゴートがぶつかり、光と闇の粒が飛散する。斬り合い越しに、お互いの視線がぶつかる。

 ファウンドは歯噛みする。この男の馬鹿力はどこから出ているのか。筋肉は千切れ、半身は黒ずみ。それでも、猛然と迫ってくる。

 ファウンドは重複音を響かせ、ガランの背後に回る。だが、それを予期していたかのように、複数の魔導具が突き出て彼を囲んだ。ファウンドは仕方なしに再び転移する。

 アニムは機関から供給される魔力で稼働する。そのため、ガランは自身の魔力に関係なく、無尽蔵にアニムを使い続けられるのだ。だからこそ、ファウンドがいくら避け続けようとも、この攻撃が止むことはない。

 ファウンドは体勢を立て直す暇もなく、ただ攻撃を交い潜る。有象無象の弾幕の隙間から、ガランの目が好奇に光る。


「まだまだ、楽しませてくれそうだなぁ?」


 ファウンドはその視線を振り払うように、魔剣を発動させた。

 


ΨΨ



 従者ピグは呆然と見つめるしかなかった。意識が回復した彼の目にまず飛び込んできたのは、縦横無尽に飛び交う魔法や武器の群だった。それはまさに古今東西、あらゆる地域の魔導具が一同に介したような、そんな状況だった。

 ピグはこれが主人の仕業だとすぐに分かった。これほどの魔導具を操れる人間など他に知らない。ただ、驚愕したのはその嵐の中に一人の男がいたことだ。ローブを翻す男は、恐ろしい速度をもって、その攻撃の数々を避けている。苦悶の表情を浮かべてはいるが、主人の攻撃に晒されて生きていること自体が信じられなかった。

 見れば、その男は明滅するように、瞬間移動をしている。それは明らかに魔法だった。

 ピグは目を剥く。彼は勇者なのか。でなければ、あの頻度で魔法を行使できる訳がない。

 激しく破裂する魔力の燐光と樹木の焼ける臭いが、絶え間ない衝撃音と共にピグを圧倒する。その景色の中で、ガランの表情が一際目に付く。新しい遊びを見つけた子供のように、無邪気な笑顔で彼は対面する敵と切り結んでいる。

 ピグは途端に笑みがこぼれた。きっとガランは今、人生で一番幸せな時間を過ごしているのだろう。こんなにも楽しそうな主人の姿を、ピグは今まで見たこともなかった。

 ピグは汗をしたたらせ拳を握りしめながら、目前の戦いを見守り続けた。



ΨΨ



 何分経ったか。いや、何時間かもしれない。お互い、一撃も相手に攻撃を当てられないまま、時間だけが過ぎていた。

 ファウンドは致命傷に至る傷はない。だが、魔力も体力もそろそろ限界に近かった。

 ファウンドは状況を打破する方法を考える。ガランには隙がない。もし、彼に攻撃を加えるとするなら、こちらもそれ相応の被害を覚悟で、突撃する必要がある。

 ファウンドは聖剣を握る手に、力を込める。いつ、聖剣を使うか。これを使う代償は高くつく。だが、迷っている暇はないだろう。

 ファウンドが決意の視線をガランに向ける。ガランはいつの間にか、ファウンドから遠く離れていた。そして、背後に民家を丸々飲み込むほどの巨大な穴が出現していた。

 いや、穴ではない。それは巨大な魔導具だった。穴と見えたのは、魔導具の先端だった。


「これは俺の秘蔵の魔導具でなぁ。クラフトシリーズ001。魔導砲台アザトース。都市を破壊するために作られた巨大砲台だ。これで都市が消滅する様は圧巻だぞぉ」


 その魔導具からはガランの主張を裏付けるように、膨大な魔力が流れ出ていた。

 ガランはファウンドへ微笑む。それと同時に魔導砲台の穴に光が集中し始めた。ファウンドは飛来する攻撃を避けるので手一杯で、魔導砲台の射程から逃れられない。

 次第に砲台に光が集まり、太陽のような眩しさを放つ。


「こいつを味わうとやべぇぞ。何てったって跡形もなくなるからなぁ」


 光は砲台の許容量を遙かに越え、砲身からこぼれ落ちる。そしてガランはファウンドを凝視しながら、漆黒のハルバードを掲げた。


「はっしゃぁぁぁ!」


 そのかけ声と共に、恐ろしい轟音が鳴り響き、巨大な光線が発射された。それは木も土も全てを飲み込んでいく。

 ファウンドは光に飲み込まれる直前、聖剣を握りしめた。そして、ファウンドを含むその一帯は光に包まれた。



ΨΨ



 光線は止まることなく、そのまま遙か彼方の山や草原を飲み込んでいく。


「いやぁ。楽しい時間だった」 


 ガランは葉巻を探しながら、華々しい闘いの余韻にひたる。


「もっと楽しみたかったぁ……」


 ガランは眼を閉じ、今までの戦闘を心の中で噛みしめる。数多の魔法も幾多の剣戟も、簡単に避けてしまう移動速度。魔導具の直撃を受けても傷一つつかない強固な体。そして、長時間戦い続けたにも関わらず、眉一つ動かさない胆力。

 どれ一つとっても現在の勇者達では到底及びもしない強力な能力と精神力。そしてそれを支える技量はまさに神業だった。

 だが、そんな逸材も失う時は一瞬だ。切ないことだ。この戦いはガランにとって、一生の思い出になるだろう。

 ガランは辛うじて形を保っている最後の葉巻を胸元に見つけると、それを口にくわえ火をつけた。その時……

 光線が切り裂かれた。内部から飛び出す人陰。如何なるものでも消滅させるはずの光を打ち消して、それはガランの目前に現れた。

 ガランの口から葉巻が落ちる。驚愕に目が大きく見開かれる。

 その陰、その姿。それは正真正銘、彼が今殺したはずの男だった。ガランと戦い続けることのできる、数少ない最強の戦士だった。

 白い魔力を伴って、その復讐者はガランの目の前に躍り出る。ガランの心臓が一気に跳ねる。こんなに嬉しいサプライズは生まれて初めてだ。こんなに心が高ぶるのは生まれて初めてだ。

 ガランは異空間から、金に光る槌を引き抜き応戦する。だが、聖剣シールがその魔導具に接触した瞬間に消し飛んだ。


「なぁ?」


 再度、今度は巨大な槍を異空間から引き抜き、ファウンドに突き立てる。だが、シールに触れた瞬間に光の粒となった。

 ガランは狼狽える。なんだこれは。なにが起きている。

 ガランは背後で旋回している鉄塔の魔導具を眼前に移動させ、攻撃を遮ろうとする。だが、それも瞬く間に消し飛ばされた。

 ファウンドが下段から聖剣シールを振り上げる。ガランは魔斧ナイトゴートを引き抜き、叫びながらそれを振り下ろした。


「お前は最高だぁ! 最高の相手だぁ!」


 聖剣と漆黒の斧が衝突し金属音を響かせる。ファウンドの猛攻をくい止めた……ように見えた。

 魔斧ナイトゴートの刃に亀裂が走る。


「ひぃやはっ!」


 ガランの咆哮と共に魔剣は砕け散り、聖剣は振り抜かれた。

 ガランの顔面を聖剣が過ぎ去る。

 その瞬間、ガランは理解した。自分の敗北を。

 そして、瞬く速度でファウンドは一閃を放った。ガランの頭部が吹き飛び、宙高く舞い上がる。

 ガランは笑った。やられた。完全に負けた。遂に敗北した。ここで終わりらしい。でも、楽しかった。こんなに楽しく死ねるなら、これほどの幸せがあるだろうか。

 ガランは迫る青空を見つめる。彼は負けたにも関わらず清々しい気分だった。負けたことよりも、今までの戦いが楽しかった。死んでもいいくらい、満足だったのだ。

 ガランの身体は主のいなくなった操り人形のように、だらりとその場に崩れた。少し遅れて、ガランの頭が地面に落下する。

 すると、ガランはファウンドへと視線を向けた。何かを察したのかガランは途端に笑い出す。


「はっはっは。そうかぁ。そういうことかぁ」


 彼は合点がいったとばかりに饒舌に話す。


「分かったぞぉ。その剣はシールだろぉ? 随分と、はっはっは。女々しいなぁお前は。よほどそいつが恋しかったみたいだなぁ?」


 自分の死を目前にしてなお、ガランは笑い続ける。ファウンドがガランへと歩みくる。


「負けた負けたぁ。盛大に負けたぞぉ。あっはっは。だがしかし、楽しかったぞぉ。猟犬! 今度は地獄で殺りあうとしよう。ここから先も一筋縄では行かんぞぉ。奴らは一癖もふた癖もあるからな。精々、頑張れよぉ。がはははははははははははははははははははははははははははははは」


 ガランは狂ったように笑い続けた。

 そしてほどなくして、ガランの側にファウンドは立つと、足を振り上げた。そして、ガランが最後に聞いたのは自分の頭が潰される音だった。



ΨΨΨ



 ファウンドは脳髄が付着した靴を見つめる。

 傍らには、潰れたガランの頭部がある。だから、彼の笑い声は止まっているはずだった。

 だが、ファウンドには未だ、彼の笑い声が響き続けているように感じた。自分は復讐を果たすことができるはずだ。必ず計画通りことを進められるはずだ。だが、何故だろうか。ガランの死骸を見ていると、心がかき乱される。

 火の粉の舞う中、ファウンドは聖剣を強く握る。そしてファウンドは戦場跡に背を向けた。

 その時、変調が起きた。胸を貫くような動悸がファウンドを襲い、喉が焼けるように痛んだ。そして、夥しい量の血が、喉を逆流して吐き出た。思わずファウンドは膝を付き前屈みになる。


「あ、ぁあ」


 すると、深紅の球体から無数の紅い触腕が伸びた。それは赤く明滅しながら、ファウンドの全身に広がっていく。強烈な痛みと痺れで、ファウンドは身動きがとれなくなる。深紅の目から血が流れ落ちる。

 実際、ゾフィアの浸食は僅か数秒だった。だが、ファウンドには数十分ほどの時間に感じられた。

 ファウンドは荒く呼吸しながら立ち上がる。立った衝撃でファウンドの体表がぼろぼろと剥がれる。思った以上に聖剣の反動がひどい。これを何度も繰り返せば必ず自分は死ぬだろう。

 ファウンドは脂汗をかきながら歩き出す。すると、一人の男がファウンドの前に立ちはだかった。

 それはガランの従者ピグ。足を振るわせながらもファウンドを行かせまい手を広げる。


「ガ、ガランさまの敵!」


 ファウンドはピグに聖剣を突きつける。それだけで、ピグは蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまう。ファウンドは言う。


「俺の邪魔をすれば、お前を必ず殺す」


 その殺意に当てられ、ピグは言葉を発することも出来ずにただ口を開閉するだけだった。

 ファウンドは剣を降ろす。


「だが、邪魔をしないというなら、お前を殺す理由もない。拾った命だ。大事にしろ」


 そしてファウンドはピグの横を通り過ぎる。すれ違いざまにファウンドは宣言する。


「俺は必ず、奴らに復讐する。帰って、奴らに伝えろ。これはまだ始まりだとな」


 ピグは力が抜けたのか、地面に膝をつく。

 その姿を一瞥してから、ファウンドは静かにその場から去った。

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