二章 復讐の理

第1話

 エリクマリアの中心にそびえる勇者機関本部。その地下には、巨大な聖堂があった。

 壁や床は大理石で作られ、天井には龍と天馬が掘られている。聖堂の中央には銀の球体が浮かび、その周囲には青白い魔力の波がさまよっている。

 そこは静謐せいひつで神秘的な空間。どこか近寄りづらい、神聖な雰囲気を醸し出していた。



 その聖域に一人の老齢な男が佇んでいた。清潔に保たれた礼装や、洗練された立ち振る舞いから、彼の厳格さが垣間見える。

 老人――クアラムは祈りを銀の球体へと捧げていた。その祈りに答えるように、球体はクアラムへと魔力のベールを伸ばしている。


 老人の元へ、一人の若人が近寄っていく。

 無遠慮に歩むその姿は、若者特有の自信と向こう見ずさが見て取れた。

 老人が振り向くと青年――レイドと視線がぶつかった。逆立った銀髪に、引き締まった頬。異性なら誰もが振り返るほど、端正な顔立ちだった。


「来たか……」

「何の用だ?」


 レイドは威嚇するように老人を睨む。彼が身につけるのは深紅の甲冑。目にする者を焼き尽くす炎の紅。彼はその苛烈さに相応しい、鋭い目をしている。


「まあ、待て。人数が揃ってから話そう」

「もう揃ってるんじゃなぁい?」


 老人の言葉を遮るように、頭上から女性の声が聞こえてきた。すると、一体の魔物が天井付近から降下してくる。その魔物は異様に捻れた翼を羽ばたかせ、潰れた眼で眼下を見下ろす。

 そんな醜い化け物の上に、妖艶ようえんな美女――フロイラが乗っていた。腰まで伸びた髪を揺らしながら、彼女は魔物の着地と共に聖堂に降り立つ。紫のドレスからは白い肌が、所々露出している。


「いや、ガランが来ていない」


 その言葉と共に、柱の影から細身の男――デミラが姿を表す。男はつばの広い帽子を目深に被り、広角をつり上げ笑みを浮かべる。飄々ひょうひょうとして、つかみどころのない男だ。

 三人は三者三様の雰囲気を放ち、彼らがそれぞれ独立していることを示す。きっと、彼らが相容れる事はないだろう。だが、彼らには共通点があった。

 それは三人が勇者であるということ。しかも、この『選別の間』に招かれている事から、勇者の中でも絶大な力を持っている事が分かる。

 中央に鎮座する球体からは、彼らを歓迎するように魔力が放たれていた。それは帯状になってレイドとフロイラの元に伝っていく。しかし、不思議とデミラにだけは魔力が寄りつく様子はなかった。

 老人クアラムは三人を一瞥してから、話始める。


「奴の事はいい。奴は召集に応じた試しがない」


 そう言うと、クアラムは懐から折れた剣を取り出しレイドに向かって投げた。レイドは老人から目を逸らす事無く、それを難なく掴む。


「……」

「それに見覚えはないか?」


 レイドが視線を剣に移す。洗練された刃はそれが名刀の類であることを物語っている。だが、それは腹を砕かれ、中央から真っ二つになっていた。その傷は明らかに、剣の撃ち合いでの破断痕ではない。

 レイドはその剣の特徴を知り、目を見開いた。


「これをどこで……」

「ルイアの死体近くに転がっていた」

「ルイアちゃんも気の毒よねぇ」


 フロイラは魔物から降り、レイドの元へ歩む。歩くたびに、ドレスの切れ目から豊満な胸や、艶やかな太股が見え隠れする。一挙手一投足が蠱惑的で、男を魅了するような仕草だった。

 レイドはその様子に顔を歪め、嫌悪感を示す。


「レイドちゃん。そう嫌がらないでぇ。お姉さん、傷ついちゃう」


 フロイラはレイドから小剣を取り上げる。


「あらぁ。これって、もしかして、もしかしたりするぅ?」


 フロイラは嬉々として、それを見つめる。クアラムはフロイラに答える。


「察しの通り、ファウンドのものだ」


 それを聞いたデミラは、帽子の奥に潜む魔眼を光らせた。


「なるほどぉ、なるほど。呼ばれた面子で、ある程度は予想はしてたがよ。そりゃあ爺さん、問題だなぁ」


 終始笑いながら、デミラは語る。


「でもよ。あんだけ、細切れにして殺したよなぁ? それで生きてるってか?」

「奴かどうかはまだ分からん。だが、我らに楯突く存在が現れた事は事実だ。つい先ほど、急報が入ってな。……聖剣シールが盗まれた」


 するとフロイラが嬉しそうに笑う。


「うふふ。それはもう、確定じゃなぁい?」


 デミラも続く。


「アニムを盗まれて、俺たちに尻拭いってかぁ? 爺さん、金はいくら積んでくれるんだ?」


 デミラは挑発するように、老人クアラムの正面で大仰に手を差し出す。

 レイドは殺気を滾らせる。


「……奴は俺が……殺る」

「あらあら。レイドちゃんは相変わらずファウンドちゃん、だぁい好きねぇ」


 レイドは横目でフロイラを睨む。


「黙れ!」

「もう、怒っちゃいやぁ」


 そこでクアラムが会話を遮る。


「まだファウンドが生きているとは限らん。だが、もし生きているなら、狙われるのは君たちだ。警戒してくれ」


 それを聞いて、デミラが大笑いする。 


「なるほど。狙われたら自分らで排除しろってかぁ? 任務ではなく、あくまで降りかかる危機は自己責任ってんだろ? 勇者殺しに狙われたあげく、金は無し。おいおい、こりゃあなんの冗談だぁ?」

「ファウンドの仕業だと確定したら、君たちに頼もう。それまではこちらで調査する」

「そりゃあ、虫がよすぎやしませんかい? じいさん?」


 デミラは挑発するように、クアラムの耳元で囁く。

 すると彼らの会話を無視して、フロイラが唐突に喘ぎ声をもらした。


「ああぁあん。何か、ファウンドちゃんの事、想像したら、興奮してきちゃったぁ。彼、私たちを狂おしいほど殺したいでしょうねぇ。彼の慕うお姫様を、あんなんにしちゃったら、許せないわよねぇ」


 すると自分の両肩を抱いて、身体をくねらせ悶える。彼女の衣服がはだけていく。


「彼、今どんな気持ちかしらぁ。ダメ、考えただけで、いっちゃいそう。彼の絶望も殺意も、全部が愛おしい! 彼の嘆く姿が見たくて堪らないわ! レイドちゃん、ごめんね。ファウンドちゃんは私がもらうわ! 私、彼が欲しくて欲しくて、たまらなくなってきちゃったのぉ」


 そう叫びながら、はだけた衣服をそのままに、彼女は魔物に乗った。

 レイドはフロイラに憎悪の視線を向ける。


「奴を殺せば、お前も殺す」

「あぁん。いいわよぉ。レイドちゃんならだぁぁい歓迎!」


 フロイラは嬉々として、レイドに笑顔を向けた。


「それじゃあねん」


 すると、フロイラの身体から膨大な赤黒い魔力が漏れだし、上空に巨大な穴が開いた。そして彼女は手を振りながら魔物と共に、穴の中に消えていった。

 レイドはフロイラが消えるまで、殺気のこもった視線を彼女に浴びせ続けた。デミラは頭上に開いた穴を見つめながら、疑問を口にする。


「フロイラは相変わらず、ぶっ飛んでんなぁ。エリムスってのは、どいつもこいつもああなのか?」


 クアラムが答える。


「奴が狂人なだけだ。エリムスは魔法を使える以外、人間と変わりはない」


 すると、レイドが会話を遮り言い放つ。


「どうでもいい。……俺は行かせてもらう」


 そして、ツカツカと聖堂を歩き去っていった。

 残ったのはデミラとクアラムの二人だけだ。


「貴様は行かんのか?」

「おいおい、俺はまだ納得してねぇよ?」


 デミラは笑みを絶やさず言った。それにクアラムはうっとしいと言わんばかりに手を振る。


「私にはやることがあるんでな。お前にばかり、かまっていられん。勇者殺しが怖いならここにいればいい」


 そう吐き捨てるとクアラムも、デミラに背を向け室外へと歩いていく。

 デミラは老人を呼び止めるように質問する。


「やることってなんだ?」


 するとクアラムは振り返り、不敵に笑いながら答えた。


「見舞いだ」


 ΨΨ


 レイドは誰もいない廊下を歩みながら一人笑みを浮かべる。

 奴が帰ってきた。生きて帰ってきた。願ってもないことが起こった。

 レイドは叫びたくなる衝動を必死に押さえる。

 この機会をどれだけ待ち望んだことか。奴を苦しませるにはどんな文言が適切か、どんな武器が効果的か。来る日も来る日も奴を殺すことだけを考えてきた。

 奴が死んでいないことは、知っていた。死体が見つからなかった時点でそう確信していた。

 だが一つ、気になることがある。奴は何をしに帰ってきたのか。復讐にしては少々目立ちすぎている。例の事件に絡んだ人間を端から殺していくつもりなら、わざわざ分かりやすく足跡を残していく必要はない。奴の得意分野である暗殺という観点から言えば、奴の行動はいささか不可解だ。

 それがどうあれ、奴に会えば全てが分かるだろう。そうすれば、例えその場で逃がしたとしても、奴の裏をかくことは容易になる。


「待っていろ! 今、迎えにいく!」


 レイドは嬉々として叫ぶと、機関本部から飛び出し、勢いよくエリクマリアへと繰り出した。

 

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