第2話

『フーウィルを使ったのか!』


 野太い声が、宙に浮く蒼い文様から発せられた。ミリアの発動している通信用魔導具は、相手の感情の起伏も完璧に伝えてくる。


『あんな高額な魔導具を、たいして重要でもない相手に使いおって!』


 通信相手が怒鳴るたびに文様が跳ねる。ミリアは走りながら通信に答える。


「私にだって考えがあったの。盗人はライエン製の魔導具を使ってた。それも、都市ゾルダムにしか販売してない騎士団用の強力な魔導具。これは大問題よ。市場に危険な武器が出回ってる。あんな末端のチンピラでも手に入るくらいに」


 ミリアの家――ライエン家は魔導具の製造によって財を成した大貴族。世にある魔導具の大半がライエン製だといっても過言ではないだろう。だが、それらは生活のささやかな手助けをする程度のものだ。強烈な閃光を発する魔導具は、市民が手に入れられるものではない。

 ミリアはいらだちを隠さずに、言葉を発する。


「分かった? パパ?」

『……そうか。だから、流通経路を探るために、フーウィルをな……』


 ミリアの父――ルドルフは自分の娘に、ただただ感心する。

 ルドルフは歴代の当主の中でも指折りの実力者である。そんな彼をして、弱冠17歳のミリアはあまりに優秀であった。彼女が勇者に憧れてさえいなければ、必ず自分の補佐をさせていただろう。


「だから今は、あいつを泳がしておく」

『まったく、娘ながら恐ろしい。機関で危険を犯さずとも、お前ならどんな仕事でも成功するだろうに』


 その言葉にミリアの目が光る。


「私は、名声も、お金も、穏やかな生活にも興味がないの。私は正義のために身をやつしたい。みんなの生活を悪から守りたいの。知ってるでしょ?」

『ああ、ああ。承知しとる。聞いてみただけだ。わしが悪かった』


 ルドルフはそれっきり押し黙る。

 ルドルフは自分の娘の頑固さを深く理解していた。だから、なにを言っても無駄なことくらい分かっていた。かといって、心配を押し殺し小言を言う事が耐えられるほど、彼はできた親ではない。ただでさえミリアは、彼の最後に残った肉親。危険な事は絶対にさせたくはなかった。

 ルドルフは穏やかな口調で切り出す。


『フーウィルはまだ持っているか?』

だけね」

『そうか、なくなったら、また連絡しなさい』

「わかった。ありがとう」

『ふむ。最初の任務だ。失敗しないように』

「大丈夫。私を誰だと思ってるの? パパの娘よ? 失敗なんかしないわ。それに今日は勇者候補に会いに行くだけだしね」

『いや、最近は物騒だからな。昨日も市場区近辺で勇者の一人が殺されたそうだ。慎重に行動することに、こしたことはない』


 死んだ勇者は、裏路地で首をはねられていたらしい。勇者機関本部の膝元であるエリクマリアで勇者が殺されたとあっては、機関の面目がたたない。機関はやっきになって、犯人を探しているようだった。


「分かった。気をつける。急ぐから切るよ!」

『本当に気をつけるんだぞ』

「うん、じゃあね」


 ミリアはそそくさと通信を切った。勇者が溢れるエリクマリアは、機関員にとってどこよりも安全な場所だ。それをよく理解しているからこそ、ミリアはそのことを全く気にしていなかった。

 彼女が正面に視線を向けると、他の住居に比べ一回り大きな民家が見えた。大きさ以外、何の変哲もない普通の家だ。しかし、ここに目的の勇者候補がいる。

 勇者機関は、勇者として適正のある人間を定期的に探しては登用している。従者の主な業務は勇者の補佐だ。しかし、勇者候補の元へ出向き、交渉する役目も担っている。もし、その人間が勇者となれば、その勇者の従者として共に仕事をこなしていく事になる。そして、新人は必ずこの任務をはじめに行う。

 つまり、ミリアも機関の通例に外れることなく、勇者候補の勧誘に出向いていた。



 彼女は玄関前で立ち止まり、深呼吸する。ここにいる勇者の卵は、どんな人なのだろう。自分と気があうだろうか。

 そんな不安や期待を胸に彼女はドアを叩いた。


「すいませーん」


 彼女の澄んだ声がこだまする。昼間の住宅地は閑散としており、声がよく響く。今の時間帯はほとんどの人間が市場に出ている。この家の主もそうかもしれない。

 ミリアは何度かドアをノックする。すると、ドアごしに弱々しい声が聞こえてきた。


「ど……なた?」

「勇者機関のものです!」


 ミリアは、相手の声が掻き消えるほどの声量で答えた。すると、鍵を開ける音が鳴り、ドアがゆっくりと開いた。そこには、エプロン姿の女性が立っていた。心なしかやつれているように見える。


「息子のことですね」


 彼女はか細い声で言った。


「はい。お子さんが勇者の候補に選ばれましたので、お伺いにまいりました」

「息子はもう心を決めてますよ」


 そう返した彼女は、なぜか必死に作り笑いを浮かべていた。

 ミリアは違和感を抱きながらも、そのまま彼女の即されるままに家の中に入った。

 廊下を進み、階段を上がる。母親はどうも緊張しているのか手が震えていた。それを見たミリアは気をきかせ、言葉をかける。


「勇者機関と聞いて、怖がる人もいますけど、安心して下さい。市民に危害を加える人なんかいませんから。特に私は新人ですし、どじばっかりで、むしろ頼りないくらいなんですよ」


 そうおどけて、場を和ませようとする。だが、母親は苦笑いをするだけで、まともに反応を返さない。心ここにあらずといった様子だ。

 彼女の態度が腑に落ちないミリアだったが、理由を考える前に母親が立ち止まった。


「ここです」


 どこかぎこちない様子で、ドアを開く。

 広々とした部屋。硬貨や本がアンティークのように飾られている。窓は開け放たれ、ベランダ越しに中庭が見える。

 そこで男は椅子に座っていた。室内にも関わらずローブを羽織っており、顔がよく見えない。じっと、自分の両手を見つめており、ミリア達に気づいていないようだ。


「彼がユウリさんですか?」


 ミリアが尋ねると、少しどもってから母親がそうですと答えた。


「それじゃあ、私はこれで」


 そして、母親は逃げるように部屋から出ていった。

 母親は明らかに怖がっていた。いったい何に、怖がっていたのだろうか。

 ミリアはそんな疑問を抱きつつ、青年に体を向ける。


「私は勇者機関のミリア・フォン・ライエン。私のことはミリアでいいわ。ユウリだよね? よろしく」


 胸に手を当て、青年に向かって挨拶をする。

 それに応じるように彼は視線だけ動かし、ミリアを直視した。

 その瞬間、ミリアの背筋に怖気が走った。覇気の宿った黒い瞳が彼女を捕らえる。蛇に睨まれたカエルのように、彼女の体は硬直した。

 ミリアは思う。勇者の素質がある人はこんなにも迫力があるものなのだろうか。

 ミリアが緊張した様子でいると、彼は破顔した。


「すまん、目つきが悪いもので。少し驚かせてしまった」


 目つきが悪いという程度では無かったが、ミリアは少なくとも場が明るくなった事にほっとした。


「ああ良かった。殺されるかと思った」


 ミリアはおどけながら笑顔を返す。


「どうぞ、かけて」


 彼に即され、ミリアは近くにあった椅子に腰を降ろした。彼は俯きながら話す。


「俺を勇者にってことらしいけど」

「そう! ユウリは勇者として高い適正値がでてるから、勇者に適任よ」

「そうか」


 ユウリは驚くこともなく簡素に返事を返す。

 それからミリアは、勇者になった場合の規則や制限を彼に説明し始めた。それに対してユウリはミリアの方を見向きもせず、淡々とうなずく。

 彼の年齢は二十だ。だが、それにしては随分と老練した雰囲気がある。鋭い眼光に乱雑に切られた頭髪からは、野良の老犬というような印象を受けた。

 彼の夢は商人らしく、今は父の指導の元、商人のいろはを学んでいるらしい。しかし、彼の体はローブ越しからも分かるほど、鍛え上げられている。騎士を目指していると言われた方が、しっくりくる体型だった。ミリアの家は商人の家系。それこそ商人は多く目にしてきたが、彼のような人間はあまり見たことがない。


 ミリアはどうも変だと思い、何度か事前に得ていたユウリの情報を確認する。だが、容姿から身につけているものの細部に至るまで、目の前の青年としっかり一致していた。

 ミリアはそれでも、疑わずにはいられない。さきほどの母親の挙動不審なそぶりといい、妙に落ち着いている青年といい、おかしな点だらけだ。

 だが、ミリアは他の勇者候補に会った事がない。そのため、これが異例の事態かの判別がつきづらかった。


「どうしたんだ? 先を話してくれ」


 ユウリに急かされて、ミリアは自分が上の空だった事に気づく。


「ああ、そうね」


 ミリアは慌てて、話を続ける。


「最後に、アニムについてだけど……」


 そうミリアが口にすると、ユウリはそっと目を細めた。ミリアは話し続ける。


「アニムは勇者にだけ、使う事を許された魔導具よ。魔導具は魔力を消費することで、魔法を発動することができるけど、アニムは魔力を一切使わずに発動することができるの。それも強力な魔法をね」

「それはすごい」


 ユウリはアニムに興味があるのか、今まで以上に真剣にうなずく。


「それで、これがあなたのアニム……」


 ミリアは懐から鞘を取り出す。彼女はそこに納められた剣を引き抜き、ユウリの前に突き出した。


「聖剣シールよ」


 そう口にして、彼女の頭に一人の女性の姿がよぎる。それはミリアにとって大切な人……大切すぎる人。大切だった人だ。そのアニムがミリアにその懐かしい姿を思い起こさせた。

 ミリアは頭を振るってそのイメージを払拭する。今は勇者の勧誘中だ。集中しなければならない。もうそれは過ぎた話だ。

 ミリアの聖剣を握る手に力が入る。

 純白の刀身に蒼い柄。ドラゴンの羽を象った唾が柄の端に向かって伸びている。魔力がこぼれ出て、刀身の周囲を靄のように舞っている。

 その剣はただそこに存在するだけで、その場を支配し圧倒していた。取り出したミリア自身が息をのむ。


「アニムって、こんなに魔力量があるのね。私も間近で見るのは、はじめてなのよ」


 ミリアはユウリに微笑むが、当のユウリはまるでミリアに見向きもせず、じっと聖剣シールを見つめていた。そして彼の目は、今までの険のある目ではなく、穏やかで優しい目だった。


「……シール」


 ユウリが消え入るような声で呟いた。


「っえ?」

「持っていいか?」

「え、ええ」


 ミリアは当惑しながらも、彼に剣を渡す。

 彼はそれを、壊れ物でも扱うように大事そうに抱きかかえた。まるで、長年離ればなれになっていた恋人のように。

 ミリアは青年のあまりにも不可思議なそぶりに困惑していると、彼が呟いた。


「ありがとう」

「ど、どういたしまして?」


 ミリアは咄嗟に返事を返す。ユウリは呟く。


「これで、用事は済んだ」


 ユウリは立ち上がる。


「用事ってまだ、契約もしてないわよ……」


 ミリアがおどけてユウリを見上げる。その瞬間、ミリアは彼の姿を初めて正面から見た。

 それはまるで悪魔だった。左目は深紅に染まり、瞳から顔の半分を分割するように紅い亀裂が入っている。それはひび割れたガラスのようにうねりながら、首の下まで伸びていた。片手は魔導具に使われる魔導石のように、群青色をしている。

 ミリアは咄嗟に飛び上がり、ユウリと距離をとった。


「どうした、そんなに驚いて」

「驚いた? よく言うわね。あんた、鏡見てからそのセリフ吐きなさいよ。……あんたいったい何者?」

「ただの、人間さ」


 ユウリは殺気を発し始める。ミリアはそれに当てられ、初めて自分が危険な立場に立っていることを自覚した。


「あなた、勘違いしているようだけど、アニムは勇者として契約した人間のみが使えるの。だから、あなたはその能力を使用することができない。しかもアニムは、機関が完全に制御しているから、契約していたとしても、すぐ使用できなくなるわ」

「随分、饒舌じょうぜつだな」


 ユウリはミリアの言葉を聞いても、まるで動じていない。ミリアは暗に、彼に抵抗しても無駄だと伝えていたのだが、どうやら戦闘は避けられないようだ。

 ミリアは、機関の本部に連絡を取るため魔導具を取り出をそうとした。だが、それを見透かしたように、ユウリが口を開いた。


「一つお前に教えてやろう」

「何を?」


 ユウリは聖剣を握る。


「契約しないとアニムを使えない。それは思い違いだ」

「なっ」


 その瞬間、聖剣シールが輝いた。室内が純度の高い魔力で満たされる。剣が白色の光を放つ。魔力は青白い帯状になって、ミリアの頬を撫でた。

 ミリアは咄嗟にブーツに魔力を送る。魔法『斥力』を発動し、弾かれるように跳んだ。ユウリの脇をすり抜け、ベランダから中庭に飛び出す。

 それは瞬きに満たない時間で行われ、ミリアは部屋から離脱した。


 ミリアは考える。奴は私の手に負えない。機関に連絡し、判断を仰ぐべきだ。だが、いったいなぜ、機関から送られてきた情報と奴の容姿が一致していたのか。この男はいったい何者なのか。

 何か自分の知らない大きな思惑の一端に触れたような、そんな錯覚に彼女は陥る。

 ミリアは空を駆けながら、自分の魔力が少なくなってきている事を感じる。ユウリに会う前、にいたずらに魔力を使いすぎていた。あと数回、魔導具を使うだけで、彼女の魔力限界に近づくだろう。

 ミリアは空中で振り向くと、ユウリと視線が合った。例え、魔力が少なくなろうと、追いつかれはしないだろう。彼女は足の速さでは、絶対に負けない自負があった。

 そうミリアが思った瞬間、ズンっと何十もの音が重なった音が響いた。それは大気を振るわせ、ミリアの肌に伝わる。同時に、ユウリの姿がベランダから消えた。

 ミリアは目を剥く。背筋が凍る。自然と彼女は頭上を見上げた。

 ユウリの深紅の目がミリアを見下ろしていた。


「えっ」


 ミリアに容赦なく聖剣が突き立てられる。彼女は反抗することもできず、剣によって串刺しになった。

 そのまま、彼女は空中で体制を崩し、中庭の倉庫につっこんだ。

 倉庫は壊れ、木材が飛散する。

 ミリアは腹部から大量の血液が流れ出ているのを感じながら、顔を上あげた。すると自分の隣に、見知らぬ青年が倒れているのが見えた。彼はがんじがらめに縛られ、身動きがとれないでいた。

 その時、ミリアは悟った。母親の挙動不審な態度は、息子を人質にとられていたためだったのだ。

 ユウリはゆっくりと、ミリアに近づいていく。


「あ、あなたはいったい……」


 ミリアは思わず呟いた。


「俺はファウンド……猟犬だ」


 その言葉を最後に、彼女の視界は闇に包まれた。




 ――――――――――――――――――――


 これは勇者の物語ではない。


 これは愛の物語ではない。


 これは正義の物語ではない。



 

 悪鬼の跋扈する世界で、

 臓腑に塗れ、

 嘆きをまき散らす。



 惨めな男の復讐譚である。




 復讐まで残り四人。


――――――――――――――――――――

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