第1話
魔導歴1001。
魔法使いが衰退し、代わりに魔物が蔓延った時代。世界は勇者機関と呼ばれる集団によって平和を保っていた。
機関は魔物を倒す事のできる人間――すなわち勇者を擁し、魔物の魔の手から人々を救った。彼らの蛮勇は人々に
勇者とは民にとって憧れであり、敬服すべき存在であり、正義の象徴であった。
そしてその熱狂ぶりは、世界にある六大都市の一つ――ここエリクマリアにおいても変わらない。
広大な土地を有する魔導都市エリクマリア。数多くの勇者が駐屯し、世界で最も安全な場所。
その市場区画に、勇者を心酔する一人の少女がいた。これから少女は一人の勇者に会いに行く。それが、彼女を激しい戦いの渦に巻き込むとも知らずに。物語はその出会いの、ほんの少し前から始まる。
煉瓦作りの町並み。飛び交う商人達の大声。漂う魔力。市場はいつも以上の活気さで賑わっている。そこへ……
「待ちなさぁぁぁぁぁぁい!」
街の喧騒を引き裂くように、少女の声がこだました。行き交う住人達は歩みを止め、声の先へと視線を向ける。
そして彼らは目を奪われる。そこにいる少女の輝きに。
彼女の髪は金糸の如く煌めき、彼女の肌は乳白色に透き通る。
見目麗しい美少女。しかし、その眼孔はその美しさに似合わぬ鋭さをもって、目前の男を睨んでいた。
彼女は目映い魔力を放つと、空高く飛び上がる。金色の髪をなびかせ、少女――ミリアは飛翔した。
ミリアは風を切りながら走る盗人を目で追う。彼は町中で堂々と、盗みを働いた。商人はいつもの事だと諦めていたが、そんな事ではあの手の輩は図に乗るだけだ。奴にはそれ相応の報いを受けさせるべきだ。
ミリアは放物線を描きながら、所狭しと密集する建物の一角に着地する。そして彼女は、必死に逃げる盗人を見下ろし思い切り叫んだ。
「待てって、言ってるでしょうがぁぁぁぁ!」
ミリアはその怒号と共に屋根を蹴る。すると、煉瓦が激しく砕け散り、粉塵をあげた。彼女は弾かれたように飛び上がり、道を挟んで反対側の屋根に着地する。
ミリアの視線が眼下の盗人に注がれる。あの身なりは貧民街の者だろうか。勇者がところ狭しといるこの街で、よく犯罪に及ぼうと思ったものだ。しかし、ここで彼の命運は尽きる。自分に発見されたのだから。
ミリアは市場を縫うようにして跳ぶ。彼女のブーツには金の文字が輝き、『斥力』の魔法が展開していた。それは強い反発力を吐き出し、彼女を空高く弾き飛ばす。
ミリアは不正を許せない気質だった。昔から、曲がったことが大嫌いで、それを正さずにはいられない性分だったのだ。だから彼女は、重要な任務――勇者に会いに行く使命があるにも関わらず、それをほったらかしてでも、目前の盗人を追わずにはいられなかった。
ミリアは徐々に男との距離を縮めていく。男は背後を振り向き、驚愕の表情を浮かべた。
よもや魔法を使用してまで、自分を捕らえようとする人間がいるとは、つゆも思わなかったのだろう。彼は足を早めるが、人混みが彼を阻み思うように進めてはいない。
彼女の発動する魔法は金光を放ち、市場の空に彗星のような軌跡を描く。そして彼女はアーチを描くように地面に軽やかに着地した。
ミリアは言い放つ。
「やっと、追いついた。さあ、盗んだ物を渡しなさい!」
肩で息をしながら、彼女は盗人を指さした。
それを見た盗人は慌てた様子で、懐から拳大の物体を取り出す。
「邪魔、するな!」
彼はそれを地面に叩きつけた。
「ちょっ!」
ミリアはすぐさまそれを拾おうとするが、間に合わない。それは”Rijen”という文字が刻まれた奇っ怪な玉――
住民達は突然の光にうめき声を上げる。盗人は住民を押し倒すと、その場から駆け出した。
ミリアは追いかけようと瞼を開ける。だが、視界がぼやけ、周囲の様子が分からない。
「待ちなさいよ!」
その言葉を無視して、盗人は彼女から瞬く間に離れていった。
ミリアは考える。あんなもの何故、そこらの盗人が持っているのか。これはどうあっても、彼を問いただす必要が出てきた。
ミリアは金色の魔力を両足に纏わせると、弾けるように飛び上がる。彼女は一際背の高い建物に降り立つと、雑踏を注視した。
人々の群から飛び出し、一人雑踏から遠ざかっていく男がうっすらと見える。どんなに視界を塞がれようと、あれだけ目立つ行動をとれば見つけるのは簡単だ。
「もう逃がさない!」
ミリアは前傾姿勢をとり、ブーツ型の魔導具に魔力を溜め始めた。
金色の光が、先ほどとは比べものにならない輝きを放ち始める。彼女の髪や周囲の塵が浮かび上がる。強烈な魔力の奔流が、彼女を取り巻き始める。
そして魔法が、太陽よりもなお強い輝きをもって爆発した。
爆音が市場に響く。屋根は砕け、瓦礫を舞上げる。そこから飛び出す閃光。音を置き去りにして、ミリアは疾駆した。
轟音を引きずって、瞬く間にミリアは盗人に肉薄。強烈な回し蹴りを男のわき腹にたたき込んだ。彼女のブーツが深く腹に食い込み、男はそのまま弾かれたように吹き飛ぶ。
この一撃はミリアの十八番だった。彼女の持ちうる最高の攻撃手法。どんなに足の速いものだろうと逃がさない、絶対の蹴りだ。
ミリアは地面に回転しながら着地。すぐ、男の元へと歩み寄る。
「げがぁぁぁぁ」
男はうめき声を上げ、もがいている。あばら骨が数本折れたのだろう。口元から涎を垂らし苦悶の表情を浮かべていた。
「ちょっと、やりすぎちゃった?」
ミリアは、心配するように呟いた。加減を間違えたかもしれない。この攻撃は魔力を半分消耗する代わりに、魔導具すら粉砕する攻撃だ。下手をすれば人間の体を両断しかねない。
そこへ、エリクマリアの治安を守る騎士達が近寄ってきた。
「何の騒ぎだ」
騎士の一人がミリアに迫る。ミリアは振り返り騎士に挨拶をする。
「どうも、ご苦労様です。私は
彼女は笑みをこぼす。
勇者専属従者。それは、勇者を補佐する役職であり、ミリアが就きたいと渇望していた職業だった。彼女は今、それに成れたのだと初めて実感していた。
そう、彼女は数日前に従者と成ったばかりの新人だった。これから始まるだろう、華々しい勇者との日々を夢想し、胸の高鳴りを押さえられずにいた。
新人の彼女だが、身につけている者は他の機関の人間と遜色ない。衣服は豪奢な意匠で縁取られ、勇者機関を示す天馬と龍の刺繍が施されている。そして、並々ならぬ魔力を内包した魔導具(ドレスグローブやブーツ)の数々は、彼女が如何に優秀であるかを物語っていた。
ミリアは高揚した気分を悟られないように、必死に口元を結ぼうとする。自分の初々しさを見せれば、騎士達に馬鹿にされるかもしれない。彼女はそう考えていた。
しかし騎士達は彼女の心配とは裏腹に、ぴしっと直立不動で敬礼した。
「し、失礼しました」
騎士は恐縮した様子で頭を下げる。
「ああ、気にしないで!」
ミリアは内心の嬉しさを表に出さないよう、努めて簡素に返事をする。それから彼女はにこやかに微笑むと、騎士に状況を説明し始めた。
「今、市場でこいつが盗みを働いていたから、捕まえた所なんです」
「盗人……ですか」
「ええ」
騎士は困惑した表情を浮かべる。勇者機関が盗人を捕まえるなど、聞いたことがないのだろう。
勇者機関は魔物や魔法に関すること以外、全く干渉しない。犯罪を取り締まるのではなく、あくまで人間に害する魔物を殺すだけだ。
だがミリアは、自分がおかしな行動をとったと思っていない。彼女にとって勇者とは正義であり、正義は犯罪者を無視しない。だからこそ、罪人を捕まえる事も、機関の業務だと思っていた。
周囲にいた騎士たちが集まり、盗人を抱き起こす。
「ちょっと待って!」
ミリアが咄嗟に叫び、騎士たちは制止する。ミリアは盗人へ歩み寄る。
「あなたが二度と犯罪を犯さないように、これを埋め込むわ」
彼女は内ポケットから小さな赤い魔導具を取り出すと、盗人の胸に押しつけた。魔導具は種類によって、人体に容易に溶け込むものが存在する。それは、監視用、通信用と様々な状況で多様される。今、ミリアが持つ魔導具もその類だ。
魔導具はずぶずぶと、盗人の体内に入っていく。
「この魔導具――フーウィルはあなたの視覚、聴覚、思考に至るまで、全ての情報を私に送ってくる。だから、あなたがまた悪さをしたら、すぐ分かるからね。もし、もう一度盗みを働いたら……」
ミリアは目を閉じ、盗人に向け腕を掲げる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
すると突然、盗人は叫び始めた。
「フーウィルを介して無理矢理、あなたの体内に魔力を流す。魔力に耐性がないあなたじゃ、立つこともままならなくなる」
その言葉通り、盗人は騎士に倒れかかり痙攣したように震えている。ミリアが腕を降ろすと、盗人は脱力した。
「二度と、悪さはしないことね」
ミリアは釘をさす。だが、盗人は完全に気絶していた。彼女の声は聞こえていないだろう。
ミリアは険しい表情のまま盗人を見つめる。これで、彼を監視できる。彼の持っていた魔導具は、一般人がおいそれと入手できる代物ではない。何か理由があるはず。
ミリアはそう思案してから、空を見上げた。
晴れ渡る空に、突き刺さるよう聳える時計塔が見える。それは正午の時を刻んでいた。
そこでミリアは、はっとする。まずい。もう、約束の時間を過ぎている。
「騎士さん達、こいつを頼むわね! それじゃぁ!」
ミリアは騎士達に軽く会釈し、すぐさま駆けだした。
彼女は急ぐ。これから行動を共にすることになる、勇者に会うために。
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