山の妖怪、焦る

「幽吹もたまにはお風呂入ったら?」

風呂上がりの司は提案する。

「水浴びくらいはしてるのよ」

「だから言ってるんだけど。シャワーだけでもどうぞ」

「……え? 臭ったりする?」

そんな筈無い。妖怪は基本的に汗をかかず、雑菌を寄せ付けない。妖怪特有の臭いも無いわけでは無いが、私は身嗜みには自分なりに気を使っている……何故だ、剣道のせいか?

幽吹は焦り、考えた。

「いや別に……ただ、この時期に水浴びって想像するだけで辛くなって」

司は人間としての感覚を、幽吹にも当てはめていただけであった。

「あっ……そう。なら、お言葉に甘えて……」

安堵する幽吹。

「でも……前に言ったじゃない。私、寒さは殆ど感じないから」

「そうは言ってもさあ……あ、着替えはどうする? 崎さんので良い?」

「嫌に決まってるでしょ」

断固拒否。妖怪に臭いは無いとか、既に洗ってあるとかは関係無い。

「ならもう幽吹が着れるの無いよ。母さんのは少し小さいだろうし」

「別に着替えは要らないって……」

汗をかかないのだから、当然衣服の汚れも少ない。

だがここで幽吹は、司の、人間の気持ちになって考えてみた。

いくら衣服に汚れが無いとは言え、入浴した後に着替えないのは、不潔と思われても仕方が無い……?

「じゃ、じゃあ……上は、司のシャツでも寄越しなさい」

「え、俺ので良いの?」

「良いわ」

むしろ、それが良い。

「下は……もう、誰のでも良いから、適当なハーフパンツを」

「了解」

司は衣装タンスから自分のシャツと、母のハーフパンツを引っ張り出して来る。

「これ、月夜のよね……履けるかしら……あいつ細いから……」

ハーフパンツを目の前にして、少し心配になる幽吹であった。


「良いお湯だったわ」

風呂から上がり、何とか月夜のハーフパンツを履いた幽吹は、食卓に置かれた大きな鍋を見た。

「わあ、お鍋。二人で食べるのはなんか申し訳ないわね」

だが、少し興奮する。

「何鍋?」

キッチンに立つ司に訊く。

「水炊きだよ。幽吹って、お肉とか海産物好きだっけ? あんまり食べないよね」

「確かに好んで食べるわけじゃないけど、出された以上は何でも食べるわ」

幽吹は基本的に菜食主義だが、それ以上に好き嫌いや食べ残しが許せないのだった。

「なら、幽吹の分も入れるよ」

司は鍋に、肉や海鮮を投入していく。

「お酒飲んでいい? 色んな種類があるわね。うわ、ビールばっかりだこれ」

冷蔵庫の中を物色しながら言う。

「俺は良いけど、後で崎さんに怒られても知らないよ」

崎姫は無類の酒好き。中でもここ数年はビールに凝っていた。

「なら大丈夫ね。いただきまーす」

一切の躊躇なく缶を開ける。


「たまには良いわよね。こういう世俗に塗れた暮らしも」

幽吹は鍋を突きながら言った。

「うちに来るたびに言うね。その台詞」

幽吹が御影家に上がり込むこと自体はこれまでにも幾度となくあった。崎姫が不在の際にはよく、市が食事を共にするよう誘っていたのだ。

ただ、御影家に司と幽吹の二人きりという状況は極めて珍しい。

さらに今回は、月夜達の頼みもあって数日間に及んで夜を共にすることになるだろう。

「司はどうなの? 今のような生活を続けたい? それとも……」

「それとも?」

「……ほら、日隠村に行って、妖怪達と共に生きるって道もあるわけよ。こうやって缶ビール飲んだり、テレビ見たりの、いわゆる現代人っぽい生活はなかなかできなくなるかも知れないけど……」

少したどたどしい口調で言う。

「そうだね。それに、いつまでも母さん達と暮らすってわけにもいかないし」

「大学に行きたいって考えてるなら、それも良いと思うわ。人間の世界と妖怪の世界、いずれで生きるにしても、知識は有るに越したことないし」

「大学か……もし俺が、大学に進んだとしたら、幽吹はどうするの?」

「えっ、私? 私は関係ない……」

「関係有るよ。今までずっと一緒に過ごしてきたんだし」

家族。幼馴染。司にとって幽吹はその両方であった。

「そうね……司が大学に行ったら、私も同じ大学に忍び込もうかしら。よく馬鹿にされるのよ、学が無いって」

自嘲してみせる。

「つまり、付いてきてくれるんだ」

「ええ、どうせ暇だし……でも、迷惑に思った時は、遠慮せずに言ってくれて良いのよ。司には、司の人生があるんだから……」

確かに今は、同じ時間を過ごしている。だが、寿命は人間である司の方が残酷な程に短い。

幽吹は司の選択を尊重したかった。

「今のところ、迷惑だなんて思った事ないよ。いつも助けられてる」

司の言葉を聞いた幽吹は安心したように微笑む。

「……そっか、幽吹が付いてきてくれるなら、俺も大学行く気が出てきたな。あんまりレベルが高すぎるとこ行ったら、幽吹が付いていけないか。あはは」

「行けるものなら行ってみなさいよ」

そう言ってビールを勢いよく煽ってみせた。

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