妖怪の世界へ

村からの救援要請

どんよりとした雲が広がる冬空の下、御影司は自宅への帰路を歩いていた。

「冬場の剣道は地獄だよね」

「そう? 私はあんまり寒さを感じないから……」

同行するのは幽吹。

剣道の稽古を終えた後は、決まって司を家まで送り届ける習慣となっていた。

「それじゃ、今日はもうこの辺りで良いよ」

自らが住んでいるマンションまで残り百メートルといったところの十字路で、司は幽吹と別れようとする。

「いや、マンションの入り口までは付いていく」

「何もそこまで警戒しなくても……」

司も、幽吹がここまで自分に付きまとう理由は理解しているつもりだ。

タチの悪い霊や、凶暴な妖怪に襲われる事が無いよう、幽吹は用心棒を買って出てくれているのである。

それでも、やり過ぎでは無いかと時折思ってしまう。

「念には念を入れた方が……あっ、ほら」

「ほら?」

幽吹が見上げる空を、司も見ようとする。

その瞬間。

「うゔぇっ!」

地面に叩きつけるような強風が、司を襲った。山の妖怪はものともしていない。

「大丈夫?」

膝をついた司に手を差し伸べる幽吹。

「ありがと。一体何が……うわっ!?」

手を取って起き上がると、視界に入ってきた。

二車線の道路を跨ぐ、巨大な黒いフクロウの姿が。

「えっ……何このフクロウ、でかっ! 幽吹! 大丈夫なの!?」

司はフクロウの大きさに圧倒され、平静を失う。腰が引けて再び地面に倒れかける。

「落ち着きなさい司。別に悪いことはしないから」

幽吹は司の手を強く握り、語りかけた。

司は何とか平静を取り戻す。幽吹がいれば大丈夫だと自分に言い聞かせる。

「……このフクロウ、何しに来たんだろう。妖怪だよね」

フクロウは首を小刻みに回しながら、司と幽吹を見つめる。

「月夜に伝言があるみたいよ。呼んでくれない?」

フクロウの言わんとしている事を察した幽吹が代弁する。

「わかった」

司は携帯を取り出し、母に「巨大な黒いフクロウが出た」と伝えた。

すると即座に崎姫が飛び出てきた。司の家があるマンションの9階から。

「崎さん!?」

「お待たせしました司くん! 私が来たからにはもう安心ですよ!」

叫びながら、飛来してくる崎姫。司に飛び付こうと、狙いを澄ませている。

「あんたが話すのはそっちじゃないでしょ」

「いたい!」

司に飛び付く寸前の所で幽吹に首根っこを掴まれた崎姫は、情けない悲鳴を上げた。


崎姫は巨大なフクロウと話を始めたが、司には一切聞き取れない。

フクロウ語を話しているんだろうか、などと司は考える。

「司くん。ひとまず家に入りましょう」

話を終えた崎姫は司に向けて言った。司にはどこか神妙な面持ちに見えた。

「それじゃ、私はここで」

「……幽吹、あなたも来てください」

山に帰ろうとする幽吹を崎姫が呼び止める。腹の底から絞り出したような、恐ろしげな声で。

「良いけど。顔怖いわよ」

巨大フクロウを放置したまま、司、崎姫、幽吹の三人はマンションに入った。


「月夜。村から救援要請です」

「あ、やっぱり? それじゃ行くとしますかー」

「アタシかお崎ちゃん。どっちか残ってた方が良いんじゃない? アタシが残るわよ」

「いえ……御影月夜と、それに従う者は遍く参ぜよ。との事です」

「緊要みたいだねぇ」

月夜、市、崎姫、ムジナ。4人は口を動かしながらも、テキパキと支度を整える。

「ねぇ幽吹。村って……」

司には心当たりがあった。しかし、その記憶は朧げ。

「ああ、日隠ヒガクレ村ね。御影家の本家がある場所……」

司と月夜の出身地。

そして……

「この国最大の、妖怪の隠れ里」

「母さん達が呼ばれたって事は、村に何かあったのかな」

「いや、むしろこれから起こる、予期された事態じゃないかしら。でも、内乱とかでは無いと思う」

「あら、村の内情をよくご存知のようで」

「うっさい」

口を挟む崎姫。睨みつける幽吹。

「崎ちゃん、もう行くよ」

戦闘用の特殊な弓道着に着替えた月夜が、ガンを飛ばし合う幽吹と崎姫の間に割って入った。

「司。そんな訳でお母さん達、しばらく家を空けると思うから」

「気を付けて」

「幽吹。司を頼むわね」

「任せて」

月夜は微笑みを浮かべて頷くと、身を翻した。司には、母の背中がとても大きく見えた。

「はい月夜ちゃん」

「ありがと」

市から黒い弓を受け取る。月夜の仕事には欠かせない道具だ。

御影月夜とその友人達は、外で待機していた大フクロウに乗って日隠村に向けて飛び立った。


司と幽吹は、月夜達の居なくなった御影家のソファに、並んで腰掛けていた。

「あのフクロウに乗って行くんだね」

「相当急を要する事態って事か……嫌な予感がする」

「えっ……大丈夫かな……」

母達の身を案じる司。

「あいつらなら心配要らないわ。村の妖怪連中も雑魚じゃないし」

「なら、母さん達が行く意味は?」

「月夜には……有象無象の妖怪達を一つにまとめ上げる力があるのよ。その月夜を支えるのがキツネ、市、ムジナの三人」

「……やっぱ、母さんって凄いんだね」

司は母を、純粋に憧れ、尊敬していた。

「月夜の強さは反則級よ。もうあいつの話はやめましょ。なんかイライラするし」

「ええっ……短気過ぎない?」

幽吹の器量の狭さに唖然とする。

「若い頃の月夜とは、いろいろあったのよ。今はそれなりにうまくやれてるけど」

「そうなんだ……あっ、崎さんとやたら仲悪いのは、当時の因縁とか?」

「ええ、それもあるわね」

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