剣道
「司、あなた最近剣道始めたんだって?」
山の妖怪は言った。
「うん。家の近くの道場で」
「それ、今度私も行くから」
「……冷やかしに?」
「いいえ。人間に化けて、同じ道場生として」
幽吹の片手にはいつの間にか、荒削りの木刀が握られている。赤黒い染みが所々浮かび、物騒な用途に使われた事が伺える。
「木刀はあまり使わないよ。使うのは竹刀」
「ああ、竹刀ね。作っとくわ」
「作れるもんなの?」
「ええ、まあ適当に」
「……防具とかは?」
「それは買うしかないわね」
「お金あるの?」
剣道の道具はそれなりに値が張る。
日頃山に引きこもっている幽吹。収入があるようには見えなかった。
「それが、あるのよね。私の能力を少しだけ使って……ほら」
幽吹は瑞々しい苔が植えられた小さな鉢植えを司に見せる。
「いんてりあ? になるんですって、こういうの」
土器や陶器といった小物に苔を生やしたインテリア。それを幽吹は妖怪としての能力を使って製造しているのだった。
「ワビサビってやつだね。それに、すごく涼しげ」
「市の奴に売って貰ってるの。小銭にはなるわ」
「ああ、市さんが幽吹と話してたのはそれか」
司は時折「大人の話し合いよぉ」などと言って幽吹と取引する市の姿を目撃していた。
「そうそう。昔は麻とか作ってたんだけど、それは止めろって月夜に怒られちゃって、代わりに」
「麻……?」
「昔は禁止されて無かったのにね」
明朗快活に言う幽吹。
司は妖怪の闇を感じ、深くは掘り下げなかった。
「今から防具見に行く?」
「ええ、付き合って」
「その木刀も、買い換えるか作り直した方が良いと思うよ」
年季が入り過ぎている。
「使い慣れてるのに」
「だろうね」
司と幽吹は山を下りていく。
「でも、どうして剣道を?」
「良いじゃない。暇してるの」
幽吹は日頃から司の様子を見守っており、司が剣道場に通うようになるとそれも密かに観察していた。
何度か繰り返す内に、見ているだけでは飽き足らなくなってしまったのだった。
「それにしても、見違えるようね。病床に耽ってたあなたが剣道なんて」
新品の木刀と、司の勧めで念の為に買った竹刀を背負った幽吹が言う。
ちなみに防具や剣道着は後日、御影家に届く。幽吹は住所不定だ。
「ああ……懐かしいね。あんまり記憶に残って無いけど、小さい頃病気で入院してたんだっけ。確か、その頃から幽吹は俺の面倒見てくれてたよね」
司は産まれて間も無く、呼吸器に重い病を患った。
幽吹はある人物から頼まれて、そんな司の面倒を看ていたのだった。
司の母親、御影月夜とその友人達は多忙の身である。彼女達に代わって幽吹は、司を狙って這い寄る悪しき存在から守るため。綺麗な空気を吸わせるため。そして、話し相手になってやるために大いに働いた。
「ええ、確かにあの頃は、あなたの面倒を看てあげてたわね……でも、今は違うでしょ」
「……?」
司は首を傾げる。
「今はほら、私にいろいろ教えてくれたりするじゃない」
背中の竹刀と木刀が入った袋を振って、強調する。
いつまでも、一方的に面倒を看てやっているのではない。今では対等に、支え合う関係になっていると幽吹は言いたかった。
「……あはは、そうだね」
「あ、でも剣道なら負けないわよ。剣の扱いには自信があるの」
「だろうね……」
血塗られた木刀が、どうにも脳裏から離れなくなってしまった。
数日後……
「司くん! 武道具店から届いたんですが、何ですかこれ!」
「あ、やっと届いたんだ。それ、幽吹の防具と道着。あいつも剣道やるんだって。俺、届けてくるよ」
「アタシも手伝うわぁ」
司と市は荷物を抱えて山に向かった。
「あの女……そうきたか。くっそ……こうなったら……」
取り残された崎姫は爪を噛んだ。
「崎ちゃん、言葉使い」
「月夜! 私も剣道やります! 良いですよね!」
「お願いだから、これ以上みっともない真似はやめて……」
月夜はめそめそと泣いた。
「どこがみっともないんですか!」
「全てよ……」
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