第1話 二次会はカラオケにいこうとか言い出すやつはみんな死ね(前)

 まず俺自身の人生を、少し語ろう。


 だいたい子供のころからあがり症で、人前でなにかするのが大の苦手だった。小学生のころ、授業中に先生から当てられて、教科書を音読するのでさえ冷や汗をかいていた。


 その上、俺は歌が大の苦手だった。自分で言うのもなんだが超オンチだ。


 三歳のときだったか。故郷の村に伝わる民謡を、家の中で何気なく歌ったら、音程がとことんズレていた。自分でも分かった。そのズレっぷりがあまりにおかしかったのか、両親は共に俺の歌に大爆笑。

 いや、親だけじゃない。当時、家で飼っていたペットの『いいスライム』にまで「ピ~ギピギピギ(笑)」と笑われてしまったのだ。

 歌声がスライムにまで馬鹿にされた。

 それは子供心に深く傷つくイベントだった。


 二度と、もう二度と、歌なんか歌うもんか。俺は心に決めたものだ。

 そんな俺が、空唱を好きになれるわけがない。一度も行ったことがないうちから、俺は空唱に対して悪印象をもっていた。家族や友達がことある毎に空唱に行くのを、ずっと冷ややかな目で見ていた。ときどき誘われたりもしたが、しかし俺は徹底的に、空唱の誘いを避け続けたのだ。


 それでもなぜか、空唱に来てもらおうと誘ってくるやつがいる。

 十三歳の春。まだ田舎の村の学校に通っていたころだった。同じクラスのやつがやたらとニヤニヤしながら、そりゃもうしつこく空唱に誘ってくるもんだから、


「うるせえな! 歌いたくねぇって言ってんだろ!!」


 と、俺は思い切り、教室のど真ん中でキレたのだ。

 ……その後、学校を卒業するまでぼっちになってしまったのは言うまでもない。


 向こうが明らかにからかってきたのに、それに対してキレたらぼっちになってしまうこんな世の中。マジでクソだね。ちくしょう。


 ――その後、俺は考えた。

 聞くところによると、学校を出て仕事に就いたら、ここでも空唱を歌わされるらしい。


 アイザイル王国の民は、七歳から十五歳までみんな学校に通い、読み書きや計算の勉強、さらに簡単な剣や魔法の稽古をするのだが、その後はなんらかの職業に就く。


 たいていのやつは農民か商人になるんだけど、ごく一部、剣がすごく得意なやつは騎士、魔法がやたら得意なやつは僧侶や魔法使いになり、さらに、絵がうまいやつは画家、料理がうまいやつは料理人、そして歌がうまいやつは歌手になったりする。


 だがどんな職業に就いても、空唱はついて回るようだ。

 新人歓迎会から始まって、新年会に忘年会に、月始め空唱に月末空唱。ことあるごとに空唱空唱また空唱。農民も空唱、商人も空唱、騎士も空唱、僧侶も空唱、魔法使いも空唱。『人付き合いも仕事のひとつ』――そう言われながら空唱三昧の日々とのことだ。


 どれだけ空唱好きなんだ、この国の連中は。

 冗談じゃない。空唱まみれの人生なんてごめんだ。

 そこで俺は探し始めた。なるべく空唱にいかなくていい仕事はないか。

 ないか。ないか、ないか、ないか。――あった。


『勇者』


 こんな職業が、ふいに誕生していたのである。


 というのも――俺たちが住んでいるイズサーベル大陸は、南側を、人間の国であるアイザイル王国が。そして北側を、モンスターが支配しているのだが、いまからおおよそ半年前、王国歴二八七年の始めごろ。モンスターの頭領である魔王が、家来たちを引き連れて、アイザイル王国の領土を侵犯してきたのだ。

 魔王とモンスターは、人間を殺しこそしなかったが、しかし農作物を食い荒らし、あるいは村に居座って、執拗な嫌がらせを繰り返した上、「王国の領土の一部を、魔王様に譲渡せよ」と主張し始めた。


 なぜ魔王軍が急に、アイザイル王国へ攻め込んできたのか。

 それは分からないが、とにもかくにもアイザイル王国は魔王軍と戦うことを決定する。

 王国は国境に騎士団を派遣。ここに王国と魔王軍の戦争が始まった。


 といっても、モンスターたちはたいてい、騎士団がやってくるとさっさと逃げてしまうので、戦争と呼ぶにはいまいち真面目さが不足していたのだが(戦況がそんな感じなので、戦時中にも関わらず、アイザイル国民は平気で空唱を楽しんでいるのだ)。

 とはいえ、魔王軍が迷惑なことに変わりはない。

 ここに伝説の職業、勇者が復活することになった。数百年前、まだアイザイル王国が誕生する前のいにしえの時代に、当時の魔王を倒したのが『勇者』なのだ。


 魔王打倒を想定された職業、勇者――

 たいへんな仕事だ。騎士でさえ、魔王討伐は求められていない。騎士団の任務は基本的に王国内の治安維持だからだ。並大抵の覚悟では、勇者は務まらないだろう。


 しかし、だ。

 勇者になれば、毎日のように空唱に誘われることはないはずだ!

 よし、勇者になろう。空唱から逃げるためならば、なんでもしよう!!

 そう思った俺は、毎日毎晩、剣と魔法の稽古に励んだ。

 空唱の恐怖に比べれば、日々の修業などまったく苦じゃない。


 その結果――三か月前。すなわち十六歳の春。俺は勇者になることができた。

 王国が開催した勇者試験。数百名の応募者たちが、実戦形式で戦っていくトーナメント型のその試験を突破し、晴れて『勇者』として認められたのだ!

 そんな俺に向かって、王様は言った。


「勇者アランよ、魔王を倒す旅に出よ」


 やったぜ! 俺は内心、小躍りした。

 だってひとり旅をしていれば、空唱とは無縁の生活を送ることができるもんな!


 こうして俺は旅に出て――それなりに勇者の仕事をやっている。からかい半分で食いついてきたり、夜通し吼えまくったり、農作物を食い荒らしたりする、要するに害獣レベルのモンスターたちと戦い、追い払う日々だ。まずまず充実した勇者ライフといえる。


 だが今回。俺はついにサーシャと出くわし、空唱との縁ができてしまった。

 まったく、勇者になってまで空唱が迫り寄ってくるとは思わなかったぜ。

 とにかく空唱とは関わりたくない。逃げるしかないのだ。

 逃げて、逃げて、逃げまくって――




 ――逃げてきた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 サーシャから逃げてきた俺は、森林を突破して、田園地帯にやってきていた。

 田畑には小麦が立ち並び、田園の向こうには、何軒か家が建っているのが見える。

 どうやら、どこかの村に来たようだが――そこで、ようやく人心地がついた。


「ちくしょう、なんでこんな目に。ちくしょう、ちくしょう……」


 半泣きになりながら、てくてくと歩きはじめる。


「なにもかも空唱のせいだ……なにもかも昔のクラスメイトのせいだ……なにもかもこの腐った世の中のせいだ……うっうっうっ……」


 過去と現在に打ちのめされながら、なお歩く。意味もなく歩く。

 あてなんかないが、とりあえず、田園の向こうにある村を目指して――


 ボコッ!


「うわ!?」


 急に地面が崩れ落ちた。

 落とし穴だと気が付いたときには、俺はもう、穴の底に尻もちをついていた。


 三メートルはあるだろうか。けっこう深い穴だ。

 なんでこんな穴が道のど真ん中に……?


「ふっふっふ……」


 声が聞こえた。

 顔を上げると、十四歳くらいの小柄な少女が、穴の中を覗き込んでいる。


「引っかかったね、スライム! あたしはこのヒットポイ村の僧侶、フィル! 村外れの森にあんたが現れたと聞いて、落とし穴をしかけたんだよっ!」


 僧侶……?

 彼女の外見を、まじまじと見つめる。

 ぱっちりとした大きな瞳に、透き通るような肌の白さが印象的な、花のごとき可憐な少女。少し長めの柔らかそうな金髪を結った、いわゆるポニーテールの髪型も、その外見の麗しさを際立たせていた。


 そのように魅力的な女の子だが、服装はごく地味で、白い布製のブラウスに短めのスカートといういでたちだ。スカートの下からはほっそりとした、いかにも少女らしいナマ脚と張りのあるふくらはぎ、ついでに白いパンツも見えていたりする。

 パンチラについて指摘するべきか否か。微妙に悩むところである……。


 って、違う違う!

 俺はなにを考えているんだ。いまはそれどころじゃないだろ!


「あ、あのさ……」


 俺はゆっくりと声をかける。

 しかし、フィルとかいう女の子はにこにこ顔で、


「やった、やった。やっと自分だけの力でスライムを追い詰めてやった! さぁ、どうしてやろうかな。牢屋に閉じ込めてやろうかな。それとも死の魔法で一気に殺して――」


「ま、待った待った!」


 殺すとか聞いて、慌てて叫ぶ俺。


「あのさ、なにか勘違いしてないか? 俺はスライムじゃない、人間だ!」


「……え?」


「いや、え、じゃなくて。見りゃ分かるだろ?」


「え、あ、でも。だ、だって、変な服を着ているし、なんか見たことない感じの外見だし、これは絶対にスライムだって――え、違うの?」


 変な服って。

 これは勇者の服なのに。


「……服を着ている時点でスライムじゃないだろ。スライムってのは、もっとねばねばしている感じのモンスターだぞ」


「へえ、そうなんだ」


「って、知らないのかよ! 知らずに俺をスライム呼ばわりかよ!?」


「だ、だって、だって。あたし、この村から出たことないし、村の人以外の人間と会ったこともないから、分からなくて。とにかく見たことない相手がスライムだと思って」


「君にとって、村人以外の人間は全部スライムなのか」


「あ、あう」


「僧侶ってのも、本当かどうか」


「そ、それは本当だよ! ……あたし、学校で一番、回復魔法が得意なんだもん」


「……はあ」


 俺はため息をついた。

 学校で魔法が得意なだけじゃ、僧侶とは言わないだろ。

 このフィルって子、要するに田舎の無垢な子供なんだな。


「とりあえず、フィル。穴から出ていいか?」


「あ、うん」


「よっと」


 俺は穴の底を蹴って、ジャンプ。穴から脱出。

 田園地帯の道の上に、着地した。


「わ、すごいジャンプ力。ほ、本当に人間なの!? やっぱりモンスターじゃ……」


「違うって。俺はアラン。アイザイル王国が認めた勇者だ」


「え、勇者!? すごい、本物を初めて見たよ……!」


 フィルは目をきらきらさせて、俺の全身を眺めてくる。


「どうりで、すごいジャンプができるはずだねっ。でも、勇者様がどうしてこんな田舎の村に――あ、もしかして森のスライム退治に来てくれたの!?」


「…………」


 俺は沈黙。

 空唱が怖くて逃げだして、その結果、偶然辿り着きました。

 ――なんて言えるわけないだろ、かっこ悪い。


 っていうか、森のスライムって、さっきサーシャを襲っていたやつじゃないかな。

 きっとそうだ。……うん、それなら、ここはフィルに話を合わせておくか。


「君の言う通りだよ。そしてそのスライムは、もう追い払っておいたぞ」


 結果だけ見れば、間違ってはいない。


「すごーい。すごいすごい!」


 フィルは、ぴょんぴょん飛び跳ねながら笑顔を浮かべる。


「さっすが勇者様! スライムを追い払うなんて!」


「いや、スライムなんて大した敵じゃないから」


「そうなの!? でも、モンスターなんだよね? なんかすっごいキバとかツメとかあって、火とか吐いたりするんじゃないの!?」


「いや、そんなスライムいないから……。それはもうドラゴンだから……」


 この子、本当に村から出たことないんだなー。


「ところで勇者様。スライムを退治したこと、おじいちゃんにお知らせしたほうがいいかも。あたしのおじいちゃん、この村の村長だから」


「へえ、村長さんか。……なら、確かにあいさつくらいはしておいたほうがいいな。それじゃ、行くとしようか」


「やったぁ、やったぁ! こっちだよ、勇者様!」


 フィルが先導してくれるらしい。

 俺は彼女に従って、ヒットポイ村の中へと入っていく。

 なんだかバタバタしていたが、どうやら少し落ち着けそうだ。

 やっと空唱のない、普通の勇者ライフに戻れそうだぜ。

 なによりもそれが、俺にとって一番大事なことなのだ。




「勇者様、お見事でございますじゃ! お若いのに素晴らしい!」


「はあ……」


「おじいちゃん、もう十五回目だよ、そのセリフ」


 かたわらで、フィルがやんわりとたしなめる。


 夜。村の酒場である。


 俺とフィルと村長さん、他に数十人の村人たちが集っている。

 あれから村長さんにあいさつをすると、村長さんは、俺がスライムを追い払ったことについて狂喜し、村人たちを集めて感謝の宴を開いてくれたのだ。


 スライムをサンダーで脅したのは、この村のためじゃなくて、偶然だったんだけど。

 まあ、結果よければなんとやらだ。「勇者様、乾杯!」「勇者様、ありがとう!」――ほら、みんな喜んでるしね。


「ささ、勇者様。フルーツのジュースですぞ。もっとお飲みくだされ!」


「あ、どうも、ありがとうございます。――ごく、ごく……」


「おおっ、お兄ちゃん、いい飲みっぷりだね! あ、お兄ちゃんとか言っちゃった。ごめんなさい、勇者様」


「いや、お兄ちゃん、でいいよ。好きに呼んでくれて構わない」


「ほんと? じゃ、お兄ちゃんって呼ぶね、お兄ちゃん!」


「おう、なんだ、フィル」


「わ、なんかすっごく嬉しい! あたしひとりっ子だから、兄弟が欲しくて」


「はは、俺もだよ。ひとりだと寂しいよな」


「そうか、勇者様はお兄ちゃんと呼ばれたいのか。お兄ちゃん、ささ、ジュースをもういっぱい!」


「気持ち悪ィぞ、村長!」


「そうだそうだ、勇者様の妹はフィルちゃんだけで充分だ!」


 陽気な村人たちが、どっと笑う。村長さんは「わはは」と頭をかいた。

 その様子を見て、俺とフィルもにこにこと笑った。

 ……ああ、なんて居心地のいい空間なんだ。勇者になって本当によかった。

 昔、空唱事件でクラス中から孤立していた時代を思うと、温かい人の輪の中にいるだけで泣きそうになるんだ。俺、生きててよかった。


「いやぁ、楽しい宴ですな、勇者様。ここまで盛り上がっているのですから、二次会もやりたいところですなあ!」


「え、二次会?」


「左様。皆も、もっと、勇者様と飲みたいはずですぞ」


「え、ええと。……フィルはどうする?」


「お兄ちゃんがいくならいくよ!」


 あなたがいくならいく。

 ……な、なんて感動的なセリフなんだ。

 こんな言葉、学生時代に言われたことなんかなくて……う、うう、いよいよ涙が。

 ちくしょう、これは嬉し涙さ!


「よし、じゃあ俺もいこうかな、二次会」


「やったあ、さすがお兄ちゃん!」


「決まりですな!」


 村長さんとフィルは、揃って笑った。


「で、二次会の会場はどこです? ここから近いんですか?」


「すぐ隣の建物ですじゃ。この窓から見えますぞ。カーテンを開けてみてくだされ」


「どれどれ」


 俺はカーテンを開いた。




空唱室カラオケボックス ヒットポイ』




 ――ピカッ! ゴロゴロゴロ……。




 突如、雷鳴が轟き、看板が青白く照らされた。

 ポツリ、ポツリと雨まで降り始めている。

 そしてその雷雨に負けないレベルで、顔面を険しくさせている俺がいた。

 俺の宿敵カラオケボックスが……こんな、田舎の村にまで……?

 う、嘘だろ……?


「おお、雨が降ってきおった。急がねばならんの。さぁ、皆の衆、二次会じゃ。勇者様を囲んで、空唱で盛大に盛り上がろうぞ!」


「「「「「おおーっ!!」」」」」


 村人たちは、全員手を挙げた。

 それから、わっと俺のまわりを取り囲んでくる。

 かと思うと彼らは、こっちの背中をぐいぐいと押して、空唱室へ無理やり連れていこうとするのだ。


 嫌だ、と叫ぼうとした。

 しかし押しまくられてうまく叫べない。

 代わりに叫んだのは、村人たちだった。


 勇者様の歌が聞きたいぞウェーイ、勇者様ぜひ一曲お願いしますウェーイウェーイ、勇者様テンションあげあげでいこうぜウェーイウェーイウェーイ。……と。

 や、やめてくれ。おい、俺は、俺は、空唱なんて、空唱なんて!

 あ、ああ、あああ、こら、押すな、押すなってば、やめろ、よせ、馬鹿、あ――


 ああああああああああああああああああやめてえええええええええええええええええええええええええええ!!


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