【書籍版発売中】勇者だけど歌唱スキルがゼロなせいで修羅場続きになっている
須崎正太郎
プロローグ
俺の名前はアラン・ディアック。十六歳。
職業は勇者である。
魔王と戦うために選ばれたのが、この俺だ。
剣と魔法の腕前なら、だれにも負けない自信がある。
だからこんな事態に遭遇しても、慌てることはまったくない。
「だれか! だれかーっ! 助けて――助けてくださいませっ!」
少女の叫びが、森林の中に轟いている。
腰まで伸ばした亜麻色の髪が、よく似合っている美少女だ。
切れ長の目に、整った目鼻立ち。白磁のごとき美肌がまぶしい。絹のドレスを全身にまとっている、育ちの良さそうな、いかにもお嬢様といった外見の女の子。
そんな彼女を、容赦なくスライムが襲っていた。
「ピギィィッ!」
粘っこそうな緑色の身体。ぶよぶよとうごめくその姿。目玉はなく、やたらにでかい口と舌だけが目立っているモンスターだ。
そのスライムが「ピギッ、ピギィッ」と鳴き声をあげながら、少女の服を食い破り、さらにはその白い肌を舐め回し、甘噛みしまくっているのだ。スライムはなぜだか人間の服が好物で、さらには肌を舌先で責めたてる習性がある。
「あ、ンッ……やぁ、アン……! ダメ……やめてぇ……!」
スライムに全身を責められて、少女はその艶やかな肢体をよじらせる――
……うむ。なかなかヤバい光景である。いろんな意味で。
スライムは肌を噛まないから、このまま放っておいても身体が傷つくことはない。しかしこれ以上、全身をべとべとにされたら、彼女は心に大きなキズを負うだろう。
さて、そろそろ動くべきだな。
近くに
「待てっ、モンスター!」
俺は森の中から飛び出すと、
「勇者アラン、見参! 君っ、俺が来たからにはもう大丈夫だぞ!」
「ゆ、勇者……アラン様!?」
少女が大きな瞳を見開く。彼女にまとわりついているスライムも「ピギ?」と怪訝声をあげて、俺のほうに注意を向ける。その瞬間――
「サンダー!」
俺は電撃系魔法を発動させ、
ドッシャーン!
と、カミナリを近くの地面に落とした。
ねばっこいスライムを、彼女の身体から剥がすのはちょいと手間だ。
だったら魔法で脅かして、スライムを追い払えばいい。
「ピギーッ!」
スライムは悲鳴をあげると、その場からぴょんぴょんと逃げていった。
よし。これでもう、あのスライムはここにやってこないだろう。
「あ、アラン……様……」
スライムから解放された女の子は、虚ろな目をこちらに向けてきた。
彼女の身体を覆うべき服飾は、スライムにかじられまくってボロボロだった。おかげで裸体がほぼ丸見えだ。匂いたつような大きめの胸。だがそんな巨乳とは対照的にほっそりとくびれている腰回り。そしてむっちりとした肉付きの太もも。紛うことなき美少女は、実に豊満な身体をしていて――
と、いかんいかん。……俺はどこを見ているんだ。
俺は身にまとっていたマントを、そっと彼女にかけてやった。
「大変な目に遭ったな。だけど、もう大丈夫だ」
「……アラン様、ありがとうございました。わたくしはサーシャ・ブリンクと申します」
彼女は、やっと助けられたという現実を理解したのか、柔らかな笑みを浮かべた。
「短い旅だからと、護衛もつけずにひとりだけで行動したのが間違いでしたわ」
「このあたりは、特にモンスターの動きが激しい地域だから気をつけなよ。それじゃ、俺はこれで」
そう言って、立ち去ろうとしたときだった。
「アラン様。じつはわたくし、近くの町で父と一緒にある商売をやっているのですが……。よかったらうちのお店にいらっしゃいませんか。お礼がしたいのです」
「え? サーシャのお店?」
「はい。食事も飲み物もございます。ぜひいらしてください」
「なるほど。そいつはいいな、ちょうど小腹も空いていたし」
「それでしたら、ぜひぜひ! もちろん代金はいただきませんので」
「タダかぁ、ますますいいな。それじゃちょっといこうかな。ところでサーシャ、君のお店って、どんなお店なんだ? 食堂か?」
尋ねた俺に対して、彼女はにっこりと笑いつつ答えた。
「
……その言葉を聞いて、俺は顔面をこわばらせた。
まさかこんな森の中で、その単語を耳にすることになるなんて……!
空唱――この文化が登場したのは、いまから十数年前のことだ。
当時、『
そのように、音楽文化が盛り上がった時代――そこへ登場したのが空唱である。
それはあらかじめ録音されてある音楽、それも歌手の声が入っていない伴奏に合わせて、楽曲を歌う行為だった。
それも、ただ歌うだけじゃない。声を大きくする魔法道具『
すると
それを聞きながら。
歌う。
すると
ちょっとした歌手気分というわけだ。
そんな空唱文化は、世に出るなり大うけし、たちまち王国中に広まっていった。人々の趣味として、娯楽として。そしてコミュニケーションの道具として。
そのころ高性能の
こうして空唱は、世の中に定着していった。それから月日は流れ――
現在。
空唱はまだまだ国中で流行中だ。
学生は授業が終わったあと、友達同士で空唱にいく。
労働者たちも、仕事が終わったあとはみんなで空唱に出かける。
いまや、空唱嫌いは人にあらずと言わんばかりの状況だった。
だが――だが俺は――
俺はその空唱が大嫌いだった!
なぜなら空唱ってやつは、おぞましいからだ。
狭っ苦しい部屋の中。だれもがウェイウェイ言いながら、騒音の中でバカみたいに盛り上がり、そして部屋中のメンバーに注目されながら歌う。それが空唱なのだ。まったく冗談じゃない。なんで歌手でもないのに、人前で歌わなきゃいけないんだ? だれだよ、空唱なんて文化を創り出したやつは。そいつを見つけてブン殴ってやりたい!
あ、あ、あ、あ……ダメだ、トラウマが甦ってきた。
いろいろあるんだよ、空唱が嫌いになった理由が。過去が! やめろ、生き返ってくるな、過去の記憶。ああ、あああ、あああああ……。
そんな俺の内心など知る由もないサーシャは、笑顔で話を続けてくる――
「アラン様、ぜひうちの空唱室に来てくださいまし。父もきっと喜びますわ」
「あ、いや……俺は……。き、急用を思い出した! ごめん! ……さよならっ!」
「あっ、アラン様! どちらへ!? アラン様ーっ!!」
サーシャの声を背中に受けながら、俺は脱兎のごとく逃走した。
逃げた、逃げた。逃げまくる。
空唱から全力で逃げるのだ。
「アラン様ーっ!」
最後に、サーシャの声が、わずかに聞こえた。
「アラン様の功績、王様にお伝えしておきますわーっ! 今度、王様と一緒にいらしてくださいませーっ!!」
なんてことだ!
空唱との繋がりができてしまった。やはり助けるべきじゃなかった!
「うわああああああああああああああああああん!」
俺は叫びながら逃げた。
「えぐっ、えぐっ……空唱嫌だ……空唱嫌だああああ……! ああああ……!」
泣きじゃくりながら、森の中を突っ切っていく俺。
俺は空唱が嫌いだ。大嫌いだ。
俺はなあ、俺は、俺は――
空唱が嫌いだったから、勇者になったんだぞ!?
え? 意味が分からない?
だよな。確かに意味不明だ。
だが、ちゃんと理由があるんだよ。
語ろうじゃないか。聞くも涙、語るも涙。
勇者アランの空唱大嫌い物語を……!
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