エピローグ

「……戻っている」


 王国歴二八七年。

 の、宿屋の中に俺はいる。


 元の時代に戻った俺は、胸をなで下ろした。

 世界は見慣れたものに戻っていた。魔王アランの世界じゃない。空唱だらけのいつもの世界だ。空気で分かる。


「アラン。……どこにいっていた?」


 ミドラが、いつもの冷静な顔を俺に向けてきた。


「いや、ちょっと。別の世界にな」


「別の世界?」


 怪訝顔で首をひねるミドラ。

 説明してもたぶん理解できないだろう。

 俺はそれ以上、なにも言わなかった。


 とにかく、なにもかも元通りだ。

 ほっとした。


 そのときである。


「アラン様」


 部屋の扉が開き、サーシャが顔を見せた。


「サーシャ、どうした?」


「これからゼイロヌ国の商人に売る分の空唱機を、船に積み込みます。そのお仕事を手伝っていただきたいのですが」


「ああ……空唱輸出の仕事か。そういえば、そんなのもあったな」


「みなさん、もう港に集まっていますわよ。今回の仕事は全員でやりますから」


「そうか、みんなか。俺にサーシャに、フィルにマリカ。ガイさんにオルタンスにミドラに……」


「今回は母もやってきますわ。最近までずっと静養していたのですが、病気がすっかり治ったので」


「そうか、サフィリアさんも来るのか」


 俺は何気なくそう言ったのだが、サーシャは少し驚いたように目を見開いた。


「アラン様……母とお会いしたこと、ありませんよね? どうして母の名前を知っているのですか?」


「え、あ、いや。……ガイさんに聞いたんだ、ガイさんに!」


 俺は慌てて手を振った。

 まさか過去の世界で会いました、とは言えない。


 しかし不思議な気分だ。若い時代のサーシャの母親を知っているというのは。生まれる前から彼女と知り合いだったような錯覚さえ覚えてしまう。


 若いころのガイさんとサフィリアさん。希望に燃えていたな。

 これから、新しい商売をするんだって。


 だけど、俺が空唱を消してしまった世界では、娘のサーシャは不幸になって、ガイさんとサフィリアさんは、商売に失敗して……。


 そもそもあの世界はどうなったんだろう? 消えたのだろうか?

 いや、俺の想像ではあっちはあっちとして続いているような気がする。


 それにしても、空唱が嫌いで、逃げて逃げて逃げまくった結果、あんな世界を生み出してしまったんだと思うと、なんだかな。


 逃げるのは、自分も他人も不幸にするんだな。

 いや、もちろん、逃げるのが必要なときもある。

 だが、空唱からなんでもかんでも逃げ回った結果が、あの世界なんだ。

 逃げてばかりじゃ、ダメだ。

 向き合うべきことには、向き合わないといけない。……そう思った。


「アラン様」


 そのときサーシャが、爛漫な笑みを浮かべながらはっきりと言った。


「母にもちゃんと伝えていますわよ。わたくしはアラン様が大好きだって。……ふふっ、わたくし、必ずアラン様の良いお嫁さんになりますわ。だから結婚してくださいね!」


 にこにこ顔のサーシャは、なんだかとても愛くるしい。

 俺は、そんな彼女の瞳を見ながら、静かに告げた。


「期待してるよ」


「え?」


「良いお嫁さんになってくれること」


「…………」


「まあ、なんだ。まだ結婚とかは早いと思うし、いますぐに答えは出せないんだけど。俺もまだ若いし、未熟だからさ。……でも」


 俺は、ちょっとはにかんだように笑いながら、穏やかに言った。


「サーシャの気持ちは、確かに受け取った。俺のこと、好きだって言ってくれて嬉しいよ。……ありがとう」


「あ――」


 サーシャは口をぱくぱくさせた。

 恐らく彼女は、俺がいつものように『え? なんだって?』と聞き返してくることを予想していたのだろう。


 だけど、俺はそうしなかった。

 あれはもうやめだ。

 向き合うべきことには、向き合うことに決めたんだ。


 サーシャの気持ちに返事をしたい。そして空唱も、ミドラやパメラとなら空唱がなんとか歌えたように、サーシャともあるいは歌えるかもしれない。だから、もしまた空唱を歌う機会がきたら、今度はちょっとだけ、勇気を振り絞って挑戦してみよう。

 サーシャは――やがて顔を真っ赤にしながら、しかし双眸を潤ませて叫んだ。


「アラン様っ! わたくし、頑張ってアラン様を幸せにします。そういうお嫁さんになりますので! 絶対にふたりで幸せになりましょうね!!」


「幸せ、か」


 俺は、小さく笑った。


「そうだな、幸せにならなきゃな。……俺が殺した俺の分まで」


 最後の言葉は、くちびるさえも動かさず、そっとつぶやいたセリフだった。


「アラン。サーシャ」


 いつの間にか、隣に来ていたミドラが言った。


「船が来ている」


「船? ……おおっ」


 窓外の景色のはるか遠く、青い大海原の中に、一艘の船がちらりと見えた。


「父が用意した船です。あの船に荷物を積み込むのです」


「アラン様、参りましょう。みなさんが待っています」


「よし、行こう」


 俺は明朗な声をあげると、サーシャとミドラを従えて、船着き場へと向かっていく。

 船の前には、フィルとマリカが立っていて、


「お兄ちゃん! こっち、こっち!」


「遅いわよ、アラン君!」


 手を振って俺たちを出迎えてくれた。


「えへへ、これからあたし、お兄ちゃんと外国にいくんだね。すごいよねー。外国ってどんな人がいるのかな。シッポとか羽根とか生えている人がいるのかなー」


「そんな人、いるわけないでしょ。常識で考えなさいよ、フィルちゃん」


「分かんないよ。イナイナさんみたいな耳の人もいるんだから。そもそもマリカお姉ちゃんは外国にいったことあるの?」


「……ないけど」


「なんだー、じゃあお姉ちゃん、あたしと同じじゃん!」


「ド素人」


「う、うるさいわねっ! いいじゃない、だれだって最初は素人よ!」


「まあまあ。……わたくしは外国経験者ですが、シッポや羽根の生えた人はまだ知らないですわね……」


 じゃれるフィルに怒鳴るマリカ。さらにはボソリとツッコむミドラに、やんわりとたしなめるサーシャ。初対面のころはギスギスしていた彼女たちだが、なんだかんだで、みんな仲良くなってきたと思う。


 俺は平和を噛みしめた。そして、こっちの世界は絶対に、魔王アランの世界のような不幸な未来には絶対にしないと、心の中で誓ったのだ。


「アラン様、どうされましたの?」


「ん? なにが?」


「いえ。――なんとなく、良いお顔をされているので」


 サーシャは微笑と共に、俺の瞳を見つめてくる。


「……決意していたのさ。これからみんなで旅に出るけど――」


 俺は、声高らかに言った。


「みんなは必ず、俺が守るってな」


 それは当然のことだ。

 なぜなら俺は、魔王じゃない。――勇者アランだからな!


 そんな俺を見て、サーシャが、フィルが、マリカが、それぞれ小さく微笑んだ。ミドラだけは相変わらずの無表情。だが心なしか嬉しそうに見えた。


 ふと、船を見る。

 白い帆を立てたその船体は、堂々として頼もしい。

 きっと、波も風も。すべてを切り裂いて突き進んでいくことだろう。


 船上には、ガイさんと魔王オルタンス。

 そしてサーシャの母親のサフィリアさんもいた。


 ふと、三人と目が合った。俺は手を挙げて笑みを浮かべると、仲間たちを引き連れて、船の上へと向かっていく。


 はるか遠くに見えている、真っ青な海がまぶしかった。

 水平線の彼方に向かって、俺たちはゆっくりと進みだす。






 なお、一時間後。


「ご覧ください、アラン様! この船にはなんと、全船室に空唱が取り付けられているのですわ。どうでしょう、アラン様。いまゼイロヌ国ではやっている『変』を歌いませんか? 男女ふたりで変顔をしながら、変ダンスという踊りを踊りまくるのです。いかがでしょうか!?」


「…………………………」


 俺は顔面を硬直させた。

 確かに空唱をやってみようとは思った。

 向き合うべきことには向き合うと決めた。


 だけど、いきなり変顔ダンスで空唱ってのはハードルが――

 勇気を振り絞るにも、ほどってものが……!!

 数秒後、俺は満面の笑みと共に告げた。




「え? なんだって?」




                  完

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