第8話 カラオケから逃げ続けていたら、なぜかハーレム系勇者になってしまった件(後)
そんなわけで、また空唱に来てしまった。
「……はあ」
俺は大きくため息をついた。
現在地は、空唱室『歌姫』首都店である。
そう、サーシャとガイさんが、今度オープンさせた空唱室の中。その従業員室に俺はいるのだ。
正直、空唱室には行きたくなかった。
しかし来てしまったのには、わけがある。
ミドラパパは空唱室に行きたがっていたという。だから、ここにいたらいずれミドラの父親と再会できるかもしれない、というのがここに来た理由のひとつ。
ミドラ本人が水を浴びて濡れていたため、とにかく身体を拭いて着替えさせるべきだ、と女性陣が主張したのもここに来た理由のひとつだ。
ちなみに従業員室にいるのは俺ひとりである。
サーシャは、この件を父親に報告するために、ガイさんが泊まっている宿屋に向かってしまったし、フィルはミドラの着ていた服を洗濯して、乾燥させるために近所にある魔法洗濯屋に向かっている(ここに頼めば、魔法の力ですぐに服を綺麗にして、その上、乾燥までさせてくれるのだ)。
マリカは迷子届が出されていないかどうか、騎士団の事務所に向かったし、ミドラ本人はいま、ボックス内で客が使っていない部屋を借りて、服を着替えている。
そんなわけで、俺はひとり。
することもなく、ここでぼーっとしているのだ。
「しかしあれだな、空唱室の中はどうも落ち着かないな」
俺は室内を意味もなくうろうろしていたが、
「そろそろミドラも、着替え終わったんじゃないかな」
やがて十分も経つと、待ちくたびれて、従業員室を出る。
そして406と書かれた部屋の前に立つと、コンコンとドアをノックした。
「ミドラ。俺だ、アランだ。入っていいか?」
「どうぞ」
落ち着いた声が返ってきた。
出会ったときからそうだったが、ミドラはやたらクールだと思う。
年齢は俺の想像した通り、十二歳ということだったが、とてもそうは思えない。迷子になっても別に取り乱していなかったしね。
そういう教育を施されていたのかね。
なんて思いながらドアを開けると、
「……な」
俺は思わず、絶句した。
なぜならそこにいたミドラは、一糸まとわぬ全裸だったからである。
「……な、な、な……!?」
思わず、パニクってしまう。
そりゃそうだろう。目の前には、子供とはいえ、まっさらな肌を惜しげもなくさらしている少女のヌードがあるのだから。
ツンと上向きになった小さなバストと、ほっそりとしたウエスト、小さなおへそ、さらには小振りながら果汁を含んだかのような、瑞々しく可愛らしいヒップ。その肉体すべては妙に清楚で、可愛らしく、それでいてどこか扇情的だった。
だ、だけどこれは、いわゆるラッキースケベ……?
い、いやいや。違う違う。相手は子供だし!
それに俺、ちゃんとノックしたよ!? 入っていいかって尋ねたよ!?
「み、ミドラ。まだ着替えてないじゃんか!」
「着替え、できなかった」
「な、なんで?」
「分からない。服の着方が」
「は!? いや、普通の服でしょ、それ。フィルが外で買ってきてくれた、女の子用の布の服でしょ」
上のシャツを羽織って、ボタンを留める。
次に布製のスカートを履いて、ホックを留める。それだけだよ?
「ボタンもホックも知らない」
「マジかよ。ミドラはいつも、どんな服を着ているのさ」
「さっきまで着ていたような服。上からスポッと、首と両手を通すだけのやつ」
あの薄手のワンピースみたいなのか。あれは確かに、上着とスカートが分かれていなかったから、子供には着やすいかもしれないけど。
そういえばこの子、下着もつけてなかったな。
さっきも思ったけど、どういう教育を施してきたんだよ。親の顔が見てみたいわ。
くそ、いろんな意味で父親を早く見つけてほしいぜ……。
「と、とにかく服を着てくれ。そのままじゃその、いくらなんでもマズい」
「マズい。……アラン、なにがマズい?」
「そうやって裸で近付いてくるところだよ! 嫌だろ、男に裸を見られたら!」
「ミドラは別に構わない」
「いや、俺が構うよ。……な、頼むから服を着てくれ。ほんとに」
「分かった。それなら、着方を教えてほしい。ボタンとかいうのはどうしたらいい?」
「それは……どう言ったらいいのか……」
ボタンをかける、ということを教えるには、どうしたらいいんだろう。
手取り足取り教えてやれたらいいんだけど、なにせミドラが全裸なので俺はいまいち直視できないし、その上、裸の女の子の手をつかんで教えるのも抵抗がある。
「て、適当でいいよ。適当で……」
けっきょく俺は、彼女から顔をそらして、壁のほうを見つめながらそう言った。
「分かった。じゃあ、適当に着てみる」
「ああ、それでいい」
「………………。……できた」
「お、早いな」
俺はさっと振り返る。
ミドラは、確かに布の服を着ていた。
ただし、服はあちこちが破れていた。
胸の部分だけ丁寧に引き裂かれていて、やっぱりバストが露出しているし、スカートもホックの部分だけが外れかけているし、ボタンなんかみっつも外れてしまっていて、
「どうしてそうなった!?」
「適当に着てみた結果。うまく着られないので、強引に着てみた」
「だからってなんでそんなことに……それじゃまるで、まるで……」
事後――その単語が俺の脳裏をちらついた。
もしもいまの状況をだれかに発見されたら、明日の朝刊の一面はきっとこうなる。
【勇者アラン、いたいけな少女に淫行!】
アイザイル王国公認の勇者、アラン・ディアック容疑者が昨日、少女に対してみだらな行いをした容疑で逮捕された。本人は容疑を否認しているが、現場の状況から見て当局は容疑者の犯行を確実視している。
迷子の少女に手を出すという人間とは思えぬ畜生ぶりに、世論は厳しい怒りの声をあげている。国王はこの件に対して「ノーコメント」と無言を貫いているが、容疑者の勇者職は即日解任が決定された。また容疑者と交流のあった騎士団のマリカ・エスボード氏は「いつかはやると思っていた」とコメントしている。
「うひいいいいっ!」
「アラン、なぜひとりで叫んでいる?」
「あ。い、いや……」
きょとんとした顔のミドラに、俺は目を向けて――ぷるん。服の破れ目から見えている、小さなおっぱいが可愛く揺れた――また目を背けつつ、
「と、とりあえずこれを着てくれ。な、頼むから」
と言いつつ、自分の上着を脱いで、彼女にそっとかけてやった。
ミドラはまだ「?」という顔をしていたが、俺の様子がただごとでないことを察知したのか、もはや異論は挟まずに、俺の上着を羽織ってくれた。
ああ、いろんな意味で死にそう。早くこの事件、解決しないかな。
「ところでアラン。最初から気になっていたのだけれど」
「ん?」
「これはなに」
ミドラが、ボックス内の空唱機を指さした。
「それは空唱だよ。ミドラのお父さんがやりたがっていたやつだ」
「空唱。……歌を歌う機械だと聞いている」
「そうだよ。悪魔の道具だ。まっとうな人間の使う機械じゃない」
「…………」
ミドラは、じっと空唱を見つめていたが、やがて振り向いてから口を開いた。
「アラン。ミドラは、だれかが空唱をやっているところを見てみたい」
「……は?」
「アラン。歌ってみてほしい」
「い。……いやいや。ダメだって。それは……ダメだ」
そうだよ、ここは空唱なんだよ。
だから、こういう流れになるのも予想できていたはずなのに。
油断していた。……また空唱が俺に迫り寄ってくるとは。
「アラン。どうして歌うのがダメなのか」
「それは……言っただろ、これは悪魔の機械なんだ。歌ったら死ぬんだ。だからダメだ」
「嘘。アイザイル王国の人間はみんな、空唱を歌っているという。それならば王国民がみんな死んでいないとおかしい」
「う」
子供だと思って、適当な嘘をついたのがバレてしまった。
「アラン。……歌ってみてほしい」
「い、いや。……あのね、ミドラ。俺さ、実はその。……空唱は苦手なんだ」
こうなった以上、本当のことを言おう。
「だから、俺は歌えない。ごめんな。歌えない――」
「…………どうしても?」
「どうしても」
「…………」
ミドラは、そっと顔を伏せた。
「悲しい」
そう言って、こともあろうに。……じわり。
って、おい。なにも泣くことないだろう!
「悲しい……」
ミドラは表情こそクールを保ったまま、しかし大きな瞳から、確かに一筋の涙を流す。
さらにそのとき、ちょうど彼女が羽織っていた俺の上着がばさりと落ちて、再び――ぷるん。小さなおっぱいが揺れるのが見える。
「だから服を着てくれって!」
布の服の破れ目から、小さな膨らみと桜色の突起がチラリと見えて、非常にヤバい。
俺は慌てて、ミドラに服を着せてやるのだが――しかしこれ、冷静に考えると相当怖ろしいシチュエーションだ。服がボロボロの少女が泣いていて、そこへ男が、自分の上着を着せてやっている。
これは、誤解するなと言うほうが無理だ――
コツ、コツ、コツ。
「うひいっ!」
部屋の外から足音がして、俺は思わず叫んでしまった。
廊下を、だれかが歩いていたようだ。おそらく空唱室のお客さんだろう。
だけどもし、お客さんがこの部屋に間違って入ってきたりしていたら――
【勇者アラン、いたいけな少女に淫行!】
「うひひいっ!」
またしても、新聞の見出しが頭をよぎった。
「悲しい……」
ミドラはまだ泣いている。悲しいのはこっちだ。なんで俺がこんな目に!
とにかくミドラは、俺が歌わない限り泣きやみそうにない。
こうなったら、もう歌うしかなさそうだけど……。
だけど空唱は……ああ、学生時代のトラウマが……!
「あのさ、ミドラ。俺は歌がヘタクソなんだ」
「ヘタ?」
「ああ。だから空唱に苦手意識をもっていて、それでも学生のころに無理やり歌わされてさ、そこを当時の知り合いたちから笑われて。それで空唱が嫌いになったんだ」
「アラン、歌がヘタそうには見えない」
「いや、本当にヘタなんだって」
「ヘタだと思い込んでいるだけかも。そして昔の知人の耳が悪かっただけかも」
「まさか、そんな」
「……アラン。まずは鼻歌でいいから、歌ってみて」
「え」
「鼻歌なら空唱じゃない。歌えるはず。歌って」
ミドラは、じっと俺を見てくれている。
……なんだか、歌わないといけない感じだ。
むう。まあ、鼻歌くらいなら。空唱じゃないし。
「……ふふふふふん、ふふふふふん、ふふふふふん……ふふふふーんふーん……♪」
歌ってみた。
これはいま国内ではやっている歌、『雄々しくて』の鼻歌だ。シルバーボムボムというバンドが歌っている曲で、片想いの相手に、猪突猛進して告白しまくっては玉砕していく、悲しい男をテーマにした歌である。
曲自体のテンポの良さ、歌詞の共感性、さらにはシルバーボムボムのメンバーの明るいキャラクターなど、いろんな要素が相まって、ヒット曲となった。
で、その『雄々しくて』の鼻歌を歌いながら、なにやってんだ俺は、と思った。子供の前で鼻歌なんて。なんだかなあ。
ところが――
「ぱちぱちぱち!」
ミドラはいきなり、拍手を始めたのだ。
「アラン、うまい。ヘタクソじゃない。すごい」
「え? そ、そうか?」
「すごいすごい。アランはヘタじゃなかった。ヘタだと言うのなら、ヘタだと言う人が間違っている」
ミドラは少しだけ、目を見開いてから褒めてくれている。
きらきらとした眼差しがまぶしい。
……マジで? 俺、歌、うまいの?
いいスライムに笑われたほどの声なのに?
「アラン。空唱も歌ってみてほしい!」
「……そ、そうか。そ、それなら……」
俺の心が、少しずつ動き始めていた。
気がつくと、俺は空唱機を操作していたのだ。
ほどなくして、歌のイントロが始まる。選曲はやはり『雄々しくて』だ。
一秒、二秒、三秒と時間が流れ――
やがて歌うところが始まる!
いよいよ俺、二年ぶりの空唱開始だ……!
「おぅおっ……おおお――雄々しくて……」
はーい、いきなり歌い出しを
そう、だよね。普段空唱に行かない人が歌ったら、こうなるよねー……。
ああ、やっぱり空唱なんてやめておけば……いや、もはやあとには退けない。
「雄々しっくて、雄々しくてっェ、辛ァい、よーーォゥヲヲーー!?」
うああああ、ヤバい!
我ながらなんてオンチだ。テンポだけじゃなくて音程が露骨にズレている。二回目の『雄々しくて』と三回目の『雄々しくて』で発音が違って奇妙だ。やっぱりこれ、ヘタだって! 全身から変な汗が噴き出している!
自分の歌声が自分でヘタだと分かるのは、そうとうの酷さだと思う。
ふつう、自分の音痴ってなかなか気がつかないものらしいし。
恥ずかしい。顔から火が出る。泣きそうになる。ああ、もうやめたい。
「雄々ヲしくって、雄々しくてッッ、雄々しくてヘヘェっ……」
俺は歌う。歌いまくる。ヘタクソな歌を。
笑わば笑え。これが俺だ。オンチのアランだ。さあ笑え、ミドラ!
俺はもはやヤケクソだった。どうなろうともう、知ったことか。そう思って歌いつつ、ミドラのほうに目を向ける。すると。
……ぱん。
……ぱん。
……ぱん。ぱん。ぱん。
ミドラが、手拍子を叩いてくれていた。
だれかが歌っているときに手拍子を叩く。ごく当たり前のことだろう。ミドラは初空唱のはずだが――まあ、歌や音楽を聞いているとき手拍子を叩くのは空唱じゃなくてもよくあることだ。それはいい。
問題は、ミドラが俺の歌に手拍子を叩いてくれているという現実。
――高揚感すっげえ! なんだこの満足度!!
嬉しい! めっちゃ嬉しい!
十四歳のときのトラウマ空唱を思い出す。あのときは俺が歌うたびに先輩がチャチャを入れてきて最悪だったが、そこからさらに落ち込む出来事があった。俺がある歌を歌っている最中、だれ一人、俺の相手にしてくれなかったことだ。
お分かりだろうか。俺が歌っている間、他の人たちはみんな、次に自分の歌う歌を探していたり、他のやつら同士でくっちゃべっていたり、しまいには「あ、オレ、トイレ」「オレもいくわ」「オレもオレも」と、みんなトイレにいってしまった。
俺はひとり、空唱ルームの中で歌い続ける羽目になったのだ。
ひとりになって、プレッシャーを感じなくなったのはいいが、しかしそれはそれとして正直、あまりにも悲しかった。ぼっちの辛さを心から味わった。
そのとき歌った曲がマイナーだったのもあるかもしれないが、それにしても。
ああ、もう、一生空唱なんかいくもんか。当時、そう思ったのに。それなのに!
「雄々ッしくて、みょおしくて、雄々チックてっ……」
ぱん。ぱん。ぱん。ぱん。
ミドラの手拍子! ああ、ああ……!
俺、嬉しいよ! 合いの手を入れてくれるなんて! 最高の気分だ!
ありがとう、ありがとう。俺の空唱に構ってくれてありがとう……!
――やがて『雄々しくて』が終わる。
「ぱちぱちぱちぱち!」
ミドラは、激しい拍手をしてくれた。
「アラン、うまかった。ブラボーだった」
「み、ミドラ。それは本当か……?」
「お世辞を言っても意味がない。アラン、空唱、上手」
「み、ミドラ……!」
俺は感涙して、思わずミドラの手を取った。
「ありがとう、ミドラ! 俺、今日、空唱が初めて楽しかったよ!」
「それはよかった。ミドラも、空唱を初体験できて楽しかった」
「うん、よかったな。よかった、よかった……!」
俺は、彼女の細い手のひらを、両手でぎゅっとつかみながら、
「ミドラもなにか歌えよ。ふたりで空唱を楽しもうぜ――」
と、極めて明朗な声で言ったのだ。
……そのときであった。
「アラン君、ミドラちゃんのお父さんと連絡がついたわよ」
「アラン様、お菓子を持ってまいりました。みんなで食べましょう」
「お兄ちゃん、ミドラちゃんの服、やっと乾いたから持ってきたよ」
マリカ、サーシャ、フィル。
三人が、部屋に入ってきて――
「「「…………」」」
場が、凍り付いた。
そりゃそうだ。ミドラは上に俺の上着を羽織っていて、その下をよく見ると胸の部分とか腰回りとか、際どいところだけが破けている服装だ。そして、そんなかっこうになっている少女の両手を、俺がつかんでいる。
「――いや違うぞ、みんな」
俺は弁解を始める。
「俺はミドラに、変なことなんてしてないからな」
するとミドラも、小さくうなずいてから口を開いた。
「そう。ミドラはアランと、初体験をしていただけ」
「いやぁ、娘がお世話になりました」
『歌姫』首都店の入り口にて、四十歳くらいの、やたらガタイのいいオッサンが、俺たちに向かって頭を下げる。
ミドラの父親、オルタンスさんだった。
オルタンスさんは、当然ながらはぐれた娘のことを探していた。だが見つからないので騎士団に捜索を依頼する。そこへマリカがやってきて、事件は無事解決という筋書きだ。
「本当に心配で心配で、探していたんですよ」
「そ、そうですか。そりゃよかった。ははは……」
俺は力なく笑った。
あれから、サーシャたち三人の誤解を解くのは大変だった。
サーシャは「申し訳ありません、わたくしの魅力が足りないせいで、アラン様が悪の道に」なんて泣き出すし、マリカは「そう、私の美貌に屈しなかったのはそういうわけだったのね、このロリコン勇者」と汚物を見るようなまなざしで俺を見るし、フィルに至っては「どうしよう、お兄ちゃんとミドラちゃんを一度殺してから復活させようか。そしてすべては夢だったって言えば、なにもかもなかったことになるんじゃ」なんて、恐ろしすぎる提案をする始末だった。
とりあえず、すべてが勘違いだったことを三人が分かってくれたのはよかった。
ミドラはいま、元から着ていたワンピースに着替えて、オルタンスさんのそばにいる。
「パパ。ミドラはアランと、もうちょっと一緒にいたい」
「ダメだよ。アランさんたちとは、ここでお別れだ」
「…………」
ミドラは、ちょっと寂しそうだ。
なんだかんだで、可愛い子だよな。こんなになついてくれるなんて。
「ミドラ、お父さんに、首都まで連れてきてもらえ。また一緒に遊ぼう」
「……うん」
ミドラは、こくりとうなずいた。
「よし。……それと、あれだ。……パンツもちゃんとお父さんに買ってもらえ。な?」
オルタンスさんに聞こえないように、そっと耳打ちする。
ワンピースの下が全裸って、あんまりだし。
ミドラは「分かった」と小さくうなずいた。
ほんとうに分かってくれたんだろうか。どうも不安だが……。
「さて、それじゃ我々はこれで。ほらミドラ、アランさんたちにサヨナラは?」
「……さようなら」
「はい、ばいばーい」
ミドラに向かって、俺は手を振った。フィルたちも手を振る。
かくして夕日の中、ミドラと父親が立ち去っていく。
ま、いろいろあったけど、ミドラはお父さんを見つけたし、一件落着かな。
俺もトラウマを少しだけ、乗り越えることができた。ミドラの手拍子の中、歌うのは楽しかった。これからはもう少し、空唱に対して前向きになれる気がする――
「「「さて」」」
「……え?」
女性陣が声をハモらせたことで、ぎょっとする俺。
「……ど、どうした、みんな」
「どうした、ではありません」
「今回のアラン君の所業について、話し合う必要があるわ」
「お兄ちゃん。……ひどいと思う」
「ちょっと待ってくれ! 誤解は解けたはずだろ? ミドラにはなにもしてないよ!」
「……そう、アラン様は、ミドラさんを襲ったりはしなかった」
「卑猥なことはしていないようね」
「でもね、お兄ちゃん。手は握っていたよね? それはあたしたちも見たもん」
「手……?」
そこで俺は思い出す。
……確かに、ミドラの手は握っていたけれど。
でも、それがどういう――
「ひどいですわ、アラン様!」
「え……」
「そうだよ、まだあたしたちの手なんか一度も握ってくれていないのに!」
「ええ!?」
「よりにもよって、あんな子供の手を握ってデレデレするなんて」
「え、え、え!? そ、そこなの? みんなが怒っているところ、そこ!?」
「当たり前ですわ! わたくしなど、アラン様に一度告白までしているのに。それなのに、まだ手も握ってもらえていなくて――」
「あたしだって、お兄ちゃんが好きだよ。頭とか撫でてほしいのに!」
「わ、私は……私だって、アラン君に、か、髪とか撫でてほしいけど……」
ガンガンに言い立ててくる三人。どさくさにまぎれて、フィルはなんか告白までしているぞ、おい。マリカも、小声だけどなんかすごいこと言ってるし!
それにしても、なんだこの状況は。サーシャたちはミドラみたいな子供にまでヤキモチを焼いているのか!?
「アラン様!」
「お兄ちゃん!」
「アラン君!」
な、なんでだ。どうしてこんな、ハーレム系勇者みたいな状況になっているんだ?
おかしい。ちょっと前まで、俺は勇者としての本分を守り、ドラゴンを退治していたはずなのに。それなのに気がつけば、また空唱と女の子が俺について回っている……!
こんちくしょうと思いながら、俺にできる行動は、もはやたったひとつであった。
「え? なんだって?」
――その後、俺は、数時間に渡って三人から延々と「手を握って」「頭を撫でて」「髪を撫でて」「足を触って」「おっぱいを触って」などなど、ずっと責められ続けたのである。俺はその間、ひたすら「え? なんだって?」を連発していたのだが――
ちょっと空唱で調子に乗ったせいで、この始末である。なんてことだ。
やっぱり空唱は悪魔の道具だ。近づかないのが正解なんだ。
空唱なんか、大嫌いだ!
人気のない街道を、ミドラとその父親オルタンスがゆく。
父親は腕組みをしたまま、険しい顔つきでミドラのことをチラリと見た。
父親は――はぐれた娘のことを、さほど心配していなかった。
先ほど、少年少女たちの前で見せた姿は演技である。
なぜなら、
「ミドラ」
「なに、パパ?」
「お前の目から見て、人間はどうだった?」
「え……」
「ワガハイはな。……やはり、実にくだらん生き物だと思ったぞ!」
ミドラの父親、オルタンス。
その正体は――魔王だったのである。
中年男の顔は、突如くしゃりと崩れ、たちまちドス黒い肌と醜悪な面構えが登場する。
そしてミドラも、顔は変わらないが、頭のてっぺんからニュッとツノが生えたのだ。
魔王オルタンスは、今日、人間界を調べるためにこの街にやってきた。
現在、魔王軍とアイザイル王国の攻防は一進一退だ。
だが魔王は現状に疲れていた。アイザイル王国の一部を領土にしようともくろんで攻めたはいいが、なかなか領土はものにならない(モンスターたちは、畑の作物を食べたり、人間の服をかじったりと、嫌がらせくらいの行動しかしていないので当然なのだが)。
頃合いを見て、和睦するべきかもしれん……。
そう考えるようになっていた。
しかしその前に、いまのアイザイル王国がどういう状況か、自分自身の目で確かめたいと思った。特に王国で大流行だという空唱には興味があった。
そこでミドラと共に人間に化け、旅人を装ってアイザイル王国の首都に潜入したのだ。
途中、ミドラとはぐれてしまったが……あれも魔王の娘。放っておいても大事あるまいと思い、オルタンスは人間界の調査を続けた。そして空唱をやってみたのだ。
その結果――
「なんじゃい、あれは! つまらんぞ! 空唱は!!」
それが魔王の結論だった。
「まずはヒトカラというのをやってみた。ひとり空唱じゃ。だがつまらん。ただひとりで歌を歌うだけのなにが面白いのだ!」
魔王は激怒した。
「次にワガハイは、空唱のあるスナックとやらに入ってみた。そこには常連らしき客が何人もいた。ワガハイはそやつらの前で歌った。――ところがやつらめ! ワガハイが精いっぱいビブラートをきかせて歌を歌ったのに、酔っぱらった常連客め! 『おっさん、モノマネはいいから普通に歌えやー!』などと言いおった。だれがモノマネだ!」
魔王は怒りまくった。
「おまけになんだ、あの採点システムとやらは。ワガハイの歌が、十三点、だと? ふざけるな! 魔族一と言われたワガハイの美声が、十三点……!」
魔王の怒りはとどまるところを知らない。
「ワガハイは決意した。空唱などという糞文化がある人間の世界は、絶対に滅ぼさなければならない!!」
「パパ。ミドラは空唱、面白かった。アランの歌、すごくよかった」
「お前はあてにならん。なにぶんミドラは耳オンチだからな。どんなヘタクソな歌でも拍手喝采をしおる」
魔王は、アランが聞いたら泣きたくなるようなことを言った。
ともあれ――
「ワガハイはアイザイル王国を滅ぼす! 空唱文化を、必ず、必ず、チリひとつ残さず消滅させてくれる!! これがいまのワガハイの本音だ!!」
魔王は決意した。人間を必ず滅ぼす。
空唱を、この世から無くすために。
――アイザイル王国に、危機が迫る。
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