第6話 女騎士でさえカラオケが好きなこんな時代じゃ(後)

 そんなわけで、俺はついにマリカとふたりで、繁華街にあるカラオケボックスに来てしまった。

 仕方がないのだ。マリカの罠であることは九割九分明らかなのだが、証拠はないから。

 ふたりで調査しろと王様に言われたら、客のふりをして調べなければいけないのだ。

 ――空唱室の入口で、店員が俺たちに笑顔を向けてくる。


「ご利用時間は何時間になさいますか? いまならフリータイムがお得ですよ」


「そうねえ。やっぱりたっぷり歌いたいし、フリータ――」


「一時間で」


 俺はぴしゃりと言った。


「あ、アラン君? 空唱室内をとことん調べるんだから、時間はたくさんあったほうが」


「一時間で」


 俺はまたもぴしゃりと言った。


 フリータイムなんて冗談じゃない。

 そんなに長時間、空唱室にいるなんて地獄だし。

 それにフリータイムには悲しい思い出があるんだ。


 十四歳のときだ。無理やり空唱に連れていかれた経験がある。

 学校の先輩たちから「ついてこいや」と言われたので、逆らえなかったのだ。

 そのときの空唱がフリータイムだったわけだが。……最悪だった。

 先輩たちから歌え歌えと言われた結果、涙をこらえて歌った俺。


 だが結果はひどいもんだった。オンチっぷりを嘲笑され、さらに歌い出すタイミングを間違え、「アウ!」とシャウトする部分で声が裏返ってしまいまた笑われ、しまいには「アラン君もういいよー(笑)」とかチャラい先輩に言われて歌の途中で『演奏中止』処理をなされる始末。

 俺は泣きたくなった。一刻も早く家に帰って咽び泣きたかった。


 しかしフリータイムだったせいで逃げ出せず、その後も俺は何度も無理やり歌わされ、そのたびにげらげら笑われて、いつも途中で『演奏中止』……。

 俺が帰宅したのは、なんと空唱開始から半日後であった。

 あれ以来、ただでさえ苦手な印象をもっていた空唱が、ますます嫌いになってしまった俺であった。


「フリータイムでとことんあなたと勝負をしたかったけれど、仕方がないわね」


「いちおう俺たちの仕事は、モンスターがいるかどうかの調査だぞ」


「分かっているわよ。……でも、少しは歌わないと損じゃない?」


「俺はそうは思わないが」


「いつも通りそっけないわね。まあいいわ、この空唱室を出るころには、あなたは私の下になっているんだから。ふふっ」


 そう言ってマリカは、俺の前を楽しげに歩いていく。

 彼女の長い黒髪と背中を見つめながら俺は、わりと本気で、この女騎士を亡き者にできないかと考え始めていた。




 まあ、実際には殺人なんてできるはずもなく。

 俺は普通に空唱ルームまでやってきた。


「さ、マリカ。とりあえず一時間、適当に歌えよ――あれ?」


 マリカがいないぞ。

 どこにいった?


「アラン君」


 と思ったら、背後からマリカの声がしたので振り返る――


「……な!?」


 そこにいたのは、なんとビキニアーマーを着たマリカだった。

 サーシャみたいに巨乳ではなく、フィルみたいに子供っぽいナマ太ももでもないが、しかし腰は高く足は長く、特にへそ回りから下半身にかけてのあたりは妖艶ともいえる曲線美である。


 スレンダー美人の代表といっても過言ではない彼女のスタイルの良さに、思わず目を見張りながら俺は、それでもツッコまずにはいられなかった。


「な、なんでそんなの着てるんだよ! ってか、いつ用意した!?」


「最近の空唱はね、コスプレ衣装を無料で貸し出してくれるのよ。あなたがこの部屋に向かっている間に、店から衣装を借りて、大急ぎで着替えちゃった」


「は、はあ……」


「ビキニアーマー。悪くないわね。女騎士になった気分だわ」


 気分って、お前、本職じゃん。


「だ、だけどなんのためにお前、そんな、コスプレなんか……」


「アラン君、知らないの? 最近の空唱の採点システムはね、歌うときの服装や動きまで採点の対象になっていたりするのよ。ふふふ、手段は選ばないわ。空唱勝負で、絶対にあなたに勝つ! 勝ちたい……!」


 空唱で勝ちたいって言っちゃったよこの人。

 いちおうモンスター調査って名目なのに。


「勝つ私。負けるアラン君。あなたはビキニアーマーを着た私に足蹴にされながら、マリカ様、もっと踏んでください、もっと歌ってください、もっと罵ってくださいと叫ぶことになるのよ。ふ、ふふ、ふふふふふ。想像するだけで、ぞくぞくしちゃう……!」


 うっとり、という擬音がぴったりの表情でおのれに酔いしれるマリカ。

 ここまで変人だったとは。こっちは悪寒でぞわぞわしちゃう。


「それじゃそろそろ歌いましょうか。採点システムのボタンを押してちょうだい」


「なあ、俺たちはそもそも、モンスターの件を捜査するために来たはずだぞ?」


 確実にマリカの嘘だと分かってはいるが、そういう名目になっている。

 しかし俺はあくまで、その名目を貫くつもりだ。空唱を歌わないために。


「それでも、とりあえず一曲歌ってからにしましょう。歌いもせずにボックス内をうろうろしはじめたら、モンスターに怪しまれるわよ」


 そういう理屈で来たか。いろいろ考えつくなあ。


「さあ、採点ボタンを押して。勝負よ!」


「……はいはい」


 いよいよ面倒臭くなってきた俺は適当に返事しつつ、空唱機の前へいく。

 ボタンがいくつも並んでいる。どれが採点システムのボタンだ? 最新型の空唱機だからよく分からん。……これかな?


 ぽちっ。

 ――しゅるしゅるしゅるっ!


「え?」


「ちょ――きゃあっ!!」


 背後のマリカは悲鳴をあげた。慌てて振り向く、俺。

 すると――うえええっ!?


 部屋中からグネグネとした触手が出てきて、マリカの全身にまとわりついていた。


「アラン君、それは触手ボタンよっ!」


「なにそのボタン!?」


「歌い手を触手で責めるためのボタンなのよ――あ、あンッ! やっ、らめぇ……!」


 マリカは甲高い嬌声をあげ、黒髪を乱し、両腕と両腿を激しくよじる。ビキニアーマーに包まれた細い身体が、躍るように蠢いている。鎧の下の小振りな乳房も、マリカが「ああン」と叫ぶたびに、悩ましくふるふると上下に動く。

 それでも触手は容赦をしない。うねうね、ぐねぐね、しゅるんしゅるんと伸縮し、跳ね回り、マリカの着ている鎧の中へとその切っ先が侵入していく。


「ああンン、あん、ああん、はァッ、はァッ、はァッ――あ、ああァァァ――」


 悩ましげな声音と共に、マリカは眉間にしわを寄せ、陶酔したように身体を反らせ――


「って、ストップ、ストップ!」


 俺は空唱機のボタンをあちこち押した。

 ヤバい、見入っている場合じゃなかった。

 ボタンのどれかが作動したのだろう。触手はしゅるしゅると引っ込んでいった。


「はぁっ、はぁっ! な、な、なにをしてくれるのよアラン君!?」


 触手がなくなると同時に、いきなり叫ぶマリカ。ちょっと涙目になっている。


「いや、知らなかったんだよ。採点ボタンがどれか分からなくて、適当に押したら……」


「だったら私に聞けばいいでしょ!? もう、おかげであとちょっとで――」


「あとちょっとで? なにがあとちょっと?」


「~~~~~~~ッッッ、なんでもないわよ!」


 マリカは顔を真っ赤にして、かつてないほどの声で叫んだ。

 な、なんなんだよ。……いや俺が間違えたのが悪いから、なにも言わないけどさ。


「っていうか、なんでこんなボタンが空唱にあるんだ……」


「責められながら歌うのが好きな人がいるらしいわ。私は違うけど」


 違うのかな。なんか違わない気もするが、まあいい。

 それにしても、すげえシステムがあるもんだ、最近の空唱。


「アラン君、どいて。もうあなたに任せていられないわ。私が空唱機を操作する」


 マリカはそう言って俺を押しのけ、空唱機を操作する。

 ややあって。――イントロが室内に流れ始めた。


 選曲は『MOMIJIドロップス』。ヒカリ・ムタダっていう女性歌手の曲だ。失恋した女性の切ない心理を歌った名曲で、人気もある。だけどヒカリ・ムタダってめちゃくちゃ高い声で歌うんだよな。それを空唱で歌うってけっこうチャレンジャーだぞ。


「ヒカルの曲なんか歌えるのかって顔をしているわね。心配御無用よ。私、歌はとっても上手なの。完璧に歌いこなしてみせるから、まあ黙って聞いてなさい。ふふふ」


 この女、ヒカルの曲を歌うことに酔ってやがるな。

 難しい曲を歌うことに、酔いしれるタイプなんだろうか。ありえる。ありそう。

 やがて曲がスタートし、マリカはマイクを構えた。


 で、その後。マリカの歌は終わったのだが。

 点数はなんと――【100点】!


【歌う姿も振りつけも完璧! 曲も完全に歌いこなせていました】


 魔力晶板に、空唱機からの評価が表示される。

 なるほど、確かに歌そのものはうまかった。別に見惚れも聞き惚れもしなかったけど。


「ふっ……当然よね。この私が歌ったのだから!」


 マリカはニヤリと笑うと、マイクを俺に手渡そうとしてきた。


「さぁ、アラン君。次はあなたの番よ。歌いなさい」


「……それは」


「ほら、早く」


「モンスターの調査を」


「それはあなたが一曲歌ったらおこなうわ。さあ、早く! さあさあさあ!!」


 マリカは美少女らしからぬ形相で俺にマイクを突き付けてくる。


「空唱が終わるまであと五十五分。ずっとそうしてる気!?」


 空唱の時間は一時間。触手の時間と、いまマリカが歌った時間を合わせると約五分。

 確かに、あと五十五分残っている。その間ずっと、歌わないってわけにはいかないな。

 ――本当に、残り時間が五十五分ならな!


「お客様」


 そのときボックスのドアが開き、店員が入ってきた。


「間もなく一時間になります。次のお客様もいらっしゃいますので、ちょっと延長はご遠慮いただきたいのですがー」


「…………は!?」


 店員の言葉に、マリカは驚愕した。


「なんで? 私たち、まだ一曲歌っただけよ? それでもう一時間経ったっていうの!?」


「え? は、はあ。間違いなく一時間経っていますが」


「…………」


 店員はキョトンとし、マリカは声を失っていた。

 俺は……内心、ひとりで笑っていた。


 カラクリは簡単だ。

 ――俺は室内に入った瞬間、マリカと、部屋の空唱機そのものに、ダウンの魔法を全力でかけたのだ。

 ダウンの魔法はすばやさを下げる。マリカは五分の歌を歌ったつもりだろうが、実際には彼女も空唱の採点システムも、スピードが下がっていた。

 その結果、五分の歌は一時間かけて歌われたのだ。

 そしてたったいま、店員が室内に入ってきた瞬間、ダウンの魔法を解除したのだ。


 一時間。

 はっきり言って俺は退屈だった。

 当然だろ? マリカが「も~~~~~み~~~~じ~~~~~~を~~~~~~」なんて間延びして歌っているのを、じっと聞いてただけなんだから。そんな状態でも彼女の声音が綺麗なのは、なんとなく分かったけれど。

 ついでにこの一時間の間に、空唱室内、そしてこの繁華街のどこかにモンスターがいるかどうか調べておいた。


 俺は勇者だ。モンスターが近くにいるかどうかは、精神さえ集中させれば気配で分かる。マリカが間延びした声で歌っている間、繁華街のどこかにモンスターの気配がないかどうかをずっと調べていたのだ。

 そしてその結果、この近くにはモンスターがまったくいなかったことが分かった。やっぱりマリカの嘘情報だったのだ。

 やれやれ、とんだ取り越し苦労だったが……それでもいいか。

 俺が空唱を歌うという悲劇だけは、回避されたのだから!




「ありがとうございましたー」


 俺とマリカは並んで空唱室を出た。

 いつの間にか、陽はすっかり暮れていた。


 繁華街の街道沿いにランプが灯り、道には国民が溢れている。酒場の前では早くも酔っ払いが安物のエールをかっ食らいつつ声を荒げ、川沿いの歩道には屋台が並んで焼きパンや腸詰め《ソーセージ》を売っていた。


 そして街頭電視の歌番組には、最近人気の女性アイドルグループが出演していて、明るい歌声を披露している。

 そんな賑やかな街の中。マリカはひとり、げっそりとしていた。


「おかしいわ、こんなの……なんで一曲しか歌ってないのに一時間経ってるのよ……」


「経ってるんだから仕方ないな。……ところでモンスターの調査はどうする?」


 嫌味っぽく尋ねてみる。

 調査はとっくに終わっているのにね。


「…………後日にしましょ。今日はなんだか、疲れたから……」


 マリカはため息をつきながらかぶりを振った。


「どうして……どうしてかしら……。時間の進み方、あまりにおかしかった……」


 その疑問に対する答えは、たぶん永久に出ないだろうなぁ。ふふふ。

 などと、内心ほくそ笑んでいた、そのときだ。

 俺たちのすぐ横を、ふたりの女の子が歩いていた。

 女の子たちは、なにやら楽しげに話しているのだが――


「それでね、カレと一緒にいると、時間の進み方がすごく早いの」


「ほんと? 時間の進み方が早いって、それ、たぶん恋だよ! 好きな人とだったら、一緒にいるだけであっという間に時が過ぎるんだから!」


 ぴたり。

 ふたりの女の子の話を聞いて、マリカが歩みを止める。


「そういえば、カレとふたりで空唱にいったときも、時間がすぐに流れた!」


「でしょー?  もう完全に恋だって、それ!」


 少女ふたりのうち、ひとりは顔を赤くして、もうひとりはキャイキャイ騒ぐ。

 よくあるガールズトーク。女の子たちの恋愛話。


 が、その話を聞いていたマリカは、


「私が……恋を……?」


 顔を、耳まで真っ赤にして……って……。


 …………え?


「まさか、そんな、私。でも、そうなると……私がアラン君を空唱に誘いたがっていたのも、もしかして……ああ、すべて説明がついてっ……!」


 …………え、え、え?


「……アラン君。私……私……」


「いや、ちょっと待て。マリカ、なんかお前、目付きがおかしい――」


「……初めてだわ。男の人にこんな気持ちを抱くなんて。でも、分かってしまったら止められない。ねえ、アラン君。あのね――」


 マリカは、ちょっと顔を伏せてから、かと思うと上目遣いに、瞳をうるうるさせながら尋ねてきた。


「アラン君。いま、彼女……いる……?」


 おっほ!?

 い、いやいや。ヤバいぞ、これは。彼女いる? なんて質問が意味するところは、さすがに俺でも分かる。冗談じゃない。マリカ・エスボードと付き合う気なんてまったくないぞ。いくら美人でも、こんな空唱好きの女と交際なんてできるもんか!

 俺は脂汗をだらだらとかきながら――


「え? なんだって?」


 いつかと同じ、聞こえないふりをした。

 そして。


「ごめん、急用を思い出した! じゃあな、マリカ!」


「ちょ、ちょっと、アラン君!?」


 マリカの悲痛な叫びもなんのその。回れ右して一気に駆け出す。

 くそっ、空唱にいってしまったばかりにこれだ。なんてことだ。

 やっぱり空唱なんて、大嫌いだ!




 翌日、俺は王宮にやってきて、王様に報告していた。


「空唱室にモンスターがいるという情報は間違いです」


 この件だけは、ちゃんと王様に伝えておかないといけないだろう。

 王様は深々とうなずいて、笑みを浮かべた。


「それならばよかった。この情報はマリカからもたらされたものだったが、あやつも心配性じゃからのう」


「やっぱりマリカからの情報でしたか」


「うむ。空唱室を調べたいから、勇者を相棒にしてくれと、あやつが言ってきたのじゃ」


 俺の予感は正しかった。

 ったく、空唱に誘うためだけに、王様まで使うかね。


 しかし昨日の出来事はヤバかったな。思わず逃げてしまった。

 だが今後、マリカから永遠に逃げ続けるわけにもいかない。


 よし。勇気が要るけど、マリカに向かってはっきり言おう。

 俺は君と付き合う気はない。

 そして二度と俺を空唱に誘うな。……ってね。


「王様、そのマリカは、いまどこにいますか? 話があるのですが」


「マリカならばいま、客人の応対をしているところじゃ」


「客人、ですか」


「うむ。わしの大切な客人ふたりじゃ。そろそろここに連れてくるはずじゃが――おお、うわさをすれば。アランよ、マリカが来おったぞ」


「え」


 俺はくるりと振り返った。


 するとそこには、確かにマリカがいて、


「王様、お客様をお連れしました」


 と、小さな会釈をしながら言葉を発していたのだが――

 同時に俺は、めちゃくちゃ驚いていた。

 なぜなら。


「お兄ちゃん!?」


「アラン様!」


 フィルとサーシャも、そこにいたからである。


 え、まさか、王様の客人ふたりって……。

 フィルとサーシャなのか!?

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