第4話 俺が愛の告白に聞こえないふりをするのだって、全部カラオケのせいなんだ(後)
「あああ、愛ぃぃ♪ それがぁ、愛ぃ~♪ いまでも~愛して~いるのよぉ~~~♪」
50人は入ることができる、大きめの空唱室の一室にて。
厚化粧のオバさんが、へたくそな歌を熱唱している。
「あの人が終わったら、アタシも歌おうかしら~」
「ねっ、ちょっと奥さん。こちら、勇者様らしいですわ」
「あら、本当!? 勇者様も空唱をなさるのですね~?」
オバさま方に囲まれている、俺。
「どうも……」
と、愛想笑いを返したりする。
そして早くも後悔していた。
オバさんたちが話しかけてくるたびに、相槌を打たなきゃいけないのはしんどい。
ケーキにつられてプレオープンに参加するなんて、言わなければよかったんだ。
プレオープンは盛況だった。たくさんの人が集まってわいわいと騒ぎつつ、空唱を歌ったり合いの手を入れたり、用意された食事や飲み物を頬張ったり。
食事も豪勢だ。
さすが、ガイさんが全身全霊を注ぎ込んだ空唱室なだけはある。
もちろん、アレも食べている。
『流れ星』のケーキだ。
これは涙が出るほどうまかった。
ほむほむほむとほおばるたびに、甘いクリームの味が口の中に広がっていく。
とってもまったり。究極と至高が合体しているような味だよ。
ケーキについては、本当に満足……。
ところで、俺がプレオープンに参加した甲斐は、いちおうあったらしい。王国直属の勇者がやってくる空唱室ということで、やってきた人々は目を丸くしていた。こういうところから口コミで、話題が広がっていくんだろう。
もっともその話題で人が来るのは最初だけ。その後、繰り返してお客様が来るかどうかは店のサービス次第だろうけど。
ま、しかし料理はうまいし部屋の内装もオシャレだし、はやるんじゃないかなあ、このお店は。
「はい、終わりました~~~~。拍手、拍手してっ。みんな~~~~」
オバさんが歌い終わったらしい。ボックス内に拍手が巻き起こる。ピーピーと、だれかは指笛まで吹いているぞ。だれかは「お見事!」なんて叫んでいるし。
なんかやたら盛り上がっているが、アンタたち、あのオバさんの歌、ろくに聴いてなかったよな……?
「アラン様っ」
そのとき、サーシャが俺の隣にやってきた。
「頑張っているな、サーシャ」
「ええ、もちろん。お母様もいませんし、お父様のお手伝いはわたくしがしなくては」
「え。……サーシャのお母さんって、もしかして、もう――」
「あ、いえいえ。いまはちょっと病気で療養しているだけですわ。それももちろん、治る病気です。母が休んでいる間、わたくしが頑張らないと、というだけですわ」
「そ、そっか。それならいいんだけど。……ところで」
彼女はおぼんを持っていた。その上には、
「おおっ、ホールケーキ」
まんまるで、でっかいケーキがのっかっていたのだ。
ご丁寧にナイフとフォークまでついてきている。
「アラン様が、ケーキがお好きだと聞きましたので。急遽『流れ星』からまた、新しいケーキを取り寄せたのです」
「え、俺のために?」
「はいっ。プレオープンに参加していただいたお礼ですわ」
「でも悪いよ。道具とか食料だって貰ったのに」
「いいんですのよ。これもわたくしとお父様の気持ちです。いただいてください」
「…………」
「ケーキはもっと届きますわ。いま、お父様がまた『流れ星』に出向いておりますから」
言われて室内を見回すと、確かにガイさんの姿はなかった。
「ほ、本当にいいの?」
「はい、もちろんです」
サーシャはにこにこ笑いながら、
「アラン様が喜んでくださるだけで、わたくしはとても幸せなのです」
「…………」
「あ、アラン様、口許にクリームが……」
「え? あ……」
「いま、ぬぐってさしあげますわ」
そう言いながら、サーシャはハンカチを使って、俺の口をぬぐってくれる。
「あ、ありがとう……」
なんだか、ドキドキする雰囲気だった。
サーシャのハンカチは、ふんわりとした、とてもいい匂いがして――
むにゅ。
「え」
……右手に柔らかな弾力を感じた。
「あンっ……」
サーシャは短く叫ぶと共に、ビクンと肩を波打たせる。
って――
「あうあっ!?」
変な声が出た!
いや、だって。
気がつくと俺は、サーシャのおっぱいを鷲掴みにしていたのだ!
服の上からでも分かる。
豊満で温かで、指が吸い込まれていくような感触――
「って、違う違う! ご、ごめん、サーシャ!」
味わっている場合じゃねえ! 俺は思わず手を引いた。なんというラッキースケベ。嬉しいけどマズい。大きくて柔らかくてほんとすごかったけど、本当にヤバい。これはビンタされてもなにも言えない。俺は覚悟を決めて歯を食いしば――
「アラン様。わたくし、初めてはさすがにふたりきりのほうが……(はぁと)」
って、なにを誤解してるの!?
「いや、違うから。いまのは事故だから。謝罪しますから!」
「まさかこんなところで強引にされるなど。ああ、わたくし何度も『そのとき』のために練習をしておりましたが、急にされると心の準備が――」
「なんの練習!? どんな練習!?」
ツッコミが追いつかない。ひたすら叫ぶ俺。
するとまわりにいたオバさんたちが、笑顔で俺たちを見つめてくる。
「あらあら、勇者様。いいわねえ」
「若いって素晴らしいことね。アタクシも今夜、旦那とひさびさに――」
「だから違うんですって!」
俺は怒号をあげた。
するとサーシャは何度かまばたきをして「分かりましたわ。お楽しみは次に取っておくのですね」なんて言い出した。なんの楽しみだ。嗚呼。
「……サーシャ。ケーキを食べよう」
「あ、そうそう、そうですわね。せっかくホールケーキがありますものね」
そう言って、ケーキをナイフで切り分けていくサーシャ。
やっと空気が元に戻った。オバさんたちも落ち着いたらしい。
「可愛い娘さんにケーキを切ってもらえて、幸せね」
「うちの娘もこんなに気立てがよければねえ」
なんて、サーシャのことを見ながら目を細めたりしている。
「はい、アラン様、皆さん。ケーキが切れましたわ」
「お、ありがとう、サーシャ」
俺はオバさんたちと一緒に、切られたケーキを受け取り、仲良く頬張ったものである。
ふう。……やっと穏やかになった。
ボックス内は相変わらずやかましい。だれかが既に次の曲を歌っているし、それに対して合いの手が入ったり、だれかがタンバリンを叩いたりしている。俺はその光景をボンヤリと眺める。ケーキをぱくぱくと食べながら。もぐもぐと食べながら。うん、うまい。
「このケーキ、美味しいわねえ」
「こちらにお紅茶もありましてよ。はい、勇者様。どうぞ」
「いつも平和のために戦ってくださって、ありがとうございます」
「あ、ど、どうも……」
俺は思わず頭を下げた。
頂いた紅茶をありがたくすする。
「お紅茶、美味しいですわね、アラン様っ」
「……うん」
うまい。ケーキも紅茶も本当に美味だ。
……こういうの、悪くないな。
悪くない、というのはいまのボックス内の空気のことだ。今日の空唱は妙に落ち着いた。嫌な気分にならなかった。
そもそも俺は、歌や音楽は嫌いじゃない。人前で歌うことが嫌いなのだ。オンチということもあるが、なによりも、さあ歌え、歌わないお前は人間失格と言わんばかりのその空気が、いちばん苦手でウンザリするのだ。
みんなとノリを共有できないだけで、なんでそこまで冷たい目で見られないといけないのか、といつも思う……。
けれどもいまのボックス内には、俺に歌を強制する人がいない。
それだけで、なんだかとても穏やかな気持ちになってきたのだ。
いつもこうならいいのに。
と、そう思ったときだった。
「おおっ、なんだよなんだよ。盛り上がってるじゃんか」
甲高い男の声が聞こえた。
見ると、ボックス内にガラの悪い男が入ってきている。
酒臭い息が漂ってくる。酔っているようだった。
「おいおい、こんなところに空唱室があるなんて聞いてねーぞ。よーし、ここはオレが一曲、歌ってやる。マイクを貸せっ、へたくそ。ひっく」
酔漢の暴言に、室内にいた人々は、眉間にしわを寄せて酔っ払いをにらむ。
「……あ、あの」
サーシャがすっくと立ちあがって、酔っ払いに話しかけた。
父親不在のいま、責任者として男に対応しようというのだろう。
「お客様は、招待状をお持ちですか?」
「招待状? ンなもん、ねえよ」
「でしたら申し訳ありませんが、お引き取りいただけますか。今日は限られたお客様にだけお楽しみいただいているプレオープンの日でして」
「うるせえっ!」
男は激しい声を出した。
「オレが歌ってやろうって言ってんだぞ。生意気なこと言うんじゃねえっ!」
「ひっ……」
サーシャは涙目になって後ずさる。
その様子を見た酔っ払いは、へらへら笑った。
「なんだよ、だらしねえ嬢ちゃんだ。よーし、オレが歌ってやるぞ、てめえら――」
「そこまでにしておけ」
俺は席から立ち上がって、酔っ払いと向き合った。
「なんだ、てめえ」
「俺は勇者アランだ」
「ゆ、ゆうしゃ? 勇者がなんで空唱に……」
酔っ払いは、勇者の俺が登場したことで、さすがに少し驚いたようだ。
しかしすぐに、へらっと笑って、
「なにが勇者だ、気に入らねえ。高い給料貰っておいて、昼間から空唱とはいいご身分じゃねえか。こっちはろくに仕事もねえのに」
その言葉でこいつの立場が分かった。
仕事を求めてこの街に来たが、就職できず、やさぐれてしまった類の人間らしい。
気の毒ではある。
だが、だからって、
「仕事がないのは暴れていい理由にならないぜ」
「うるせえ! 人前だからってカッコつけやがって。……勇者様よ。見たところ、あんた、帯剣してねえようだが」
事実だった。
華やかなプレオープンの場にはふさわしくなかろうと、俺はいつも装備しているはがねの剣を、この場に持ってきていない。
「いくら勇者でも素手じゃ恐くねえ。魔法だって使えねえよな。こんな建物の中じゃ」
それも事実だろう。
屋内で魔法を使えば、室内にいる人たちを巻き込む可能性大だ。それにオープンしたばかりの空唱室に傷をつけてしまう。
「…………」
「どうした、黙りこくって。図星で声も出ないってか」
酔っ払いはニヤリと笑うと、こちらへ近づいてきた。
「へへっ、こいつぁいいや。王国に認められた勇者様をボコボコにできるチャンスなんてそうそうねえもんな」
「…………」
「それじゃ、まずは一発」
男が大きく振りかぶって、俺に向かって拳を繰り出そうとしてくる。
その刹那――
ひゅんっ――
風を切り裂くような音。
と同時に、すぱ、と、男のベルトが綺麗に切れた。
「……へ?」
間の抜けた声をあげる、酔っ払い。
ベルトが切れたせいで、ずるり。
ズボンが下に落っこちて、男の下半身はパンツだけになる。
背後で、サーシャとオバ様方が高い声音を上げた。……心なしか後者は嬉しそうにも聞こえたが、気のせいだと思いたい。
ともあれ。俺は右手に持っていた獲物――
ケーキ用の小さなナイフを、相手に向かってチラリと見せた。
「相手が本当に素手かどうか、よく確かめるべきだったな」
「あ……」
「もっとも、素手でもあんたをブチのめすくらい、わけはないが」
ニッと笑うと、男は顔を蒼白にした。
「帰れ。次はベルトだけじゃ済まないぞ」
「ひ、ひぃっ……!」
男は両脚を慌ただしく動かして、部屋から出ていき――途中、ズボンがひざまでずり落ちて、転びそうになったりしながら、なんとか室外へと飛び出していった。
「やれやれ。……まさかこんなことになるとはな」
偶然だが、俺がプレオープンに参加していてよかった。
「もう大丈夫だよ、サーシャ」
「……アラン様」
「よく頑張って、酔っ払いに応対したよな。偉かったぜ」
「……アラン様。アラン様ぁ! 怖かったです……!」
サーシャは、わんわんと泣きながら、俺の胸に顔を埋めてきた。
「うん……よしよし」
そのとき、わっとボックス内が湧き、拍手が始まった。
「すごいぜ、勇者様!」
「勝負になってなかったわ!」
「さすが勇者様だ!」
勇者万歳、アラン様万歳、と沸き立つ室内。
俺はなんとなく恥ずかしかったが、しかし逃げることはせず、サーシャの涙をみずからの胸で受け止め続けた。
「これは、どうしたことだ……?」
そのとき、ガイさんがキョトンとした顔で入室してきた。
俺は、困ったように笑うことしかできなかった。
だが、悪い気分じゃない。
「それじゃ、ガイさんも帰ってきたことだし、改めてまたみんなで歌いましょう!」
「「「おー!!」」」
「サーシャちゃん、あなたから歌いなさい! なにを歌う!?」
「そうですわね。わたくしラブソングが好きなので、ヒガシ・ノカナなどを――ご存知ですか? 恋愛の歌ならヒガシさんの右に出る者はいなくて――」
明るくも、平和なムードが漂う室内。サーシャは涙を両手でぬぐいながら、空唱を始めようとする。俺はそんな彼女の涙を見つめつつ、ガイさんの持ってきたケーキを受け取りながら、幸せな気分に浸ったものだ。
今日の空唱は、本当に悪くない。
いよいよ俺も、空唱へのトラウマを克服できそうだ。
と、思っていたが。
「東の駅は~雪のぉ中ぁ~♪」
「いいぞ、サーシャちゃん!」
「もっとよ、もっとおっきな声で歌いなさい!」
前言撤回しよう。
……八時間。
なんと酔っ払い事件から八時間経っても、空唱はまだ続いている。
あれからずっとずっと、俺はサーシャの歌を聴かされているのだ。しかもいま、彼女が歌っているのはエン歌。東の島国から伝わってきた民族歌だ。『東方海峡冬景色』とかいう、女性の恋愛心理を歌った曲らしい。
サーシャも最初は普通に、国内ではやったラブソングを歌っていたのだ。
だがやがて彼女は、外国の曲まで歌い始めた。いずれも恋愛がテーマの歌だったので、そこだけは共通しているが。……恋愛関係の曲ならばなんでもいいんだろうか。外国の民族歌にまで精通しているのはさすが空唱室の娘だといえるが。
だけどさ、だからってさ。
……八時間も歌うなよ。
「東方海峡おおおぉ~♪ 冬景色いいぃぃィ~♪」
サーシャ……いつまで歌うんだ、君は……。
帰ろうと何度も思ったけど、考えたら宿とってなかったし。
そんなわけで、俺は空唱室で
……辛い。
辛すぎる。
……やっぱり空唱は、大嫌いだ!
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