ゴミ屋敷には、ナイフが潜むものですよ
のんぺん
第一部
第1話 ようこそ、ゴミ屋敷へ
「逮捕された矢田容疑者ですが......」
一人の男が逮捕された。
「10代から30代の男女三人と共同生活をしていました。そこでは、お互いをあだ名で呼ぶ風習があり、容疑者はソーチョーと呼ばれていたようです」
世間の彼を見る目は、とてもいびつだった。
「容疑者を知る方にお話を伺いました」
近所に住む住人A:
「あの人は無口で無愛想。おまけに毎朝、ゴミ拾いをするような変わった人よ」
近所に住む住人B:
「皆あの家のことはゴミ屋敷って呼んでいるわ」
「ゴミはね、ちゃんと捨ててるのよ。溜め込んでいるのは、人間。ゴミみたいな人間なの」
「まだまだ謎に包まれたこの事件。矢田容疑者は、ゆっくりではありますが、素直に自供をしているようです。情報が入り次第お伝えします」
彼の謎多き日常。そして、彼の犯した罪。一体、一つの家の中で何があったというのだろうか。彼は世間から、変人というレッテルを貼られ、大きな注目を集めたのだ。
これは、ゴミ屋敷と呼ばれる小さなコミュニティ内で起きた出来事の、軌跡を辿る物語だ。
***
--ゴミ拾い
それは、地域貢献のボランティアなのか。それとも、自己満足な収集家か。
男は今日もゴミを拾う。その理由は、誰にも分からない......
一つのペットボトルは、行く手を阻むかのように、男の前へと転がり込んだ。よどんだ空気に、泣き喚くカラス。この町の朝は、ため息が出るほどに不快なものである。それにも関わらず、この男は毎朝町を徘徊する。そう、理由はゴミ拾いをするためだ。
男はペットボトルを拾い上げると、それが通って来たであろう不揃いな石畳を目で辿った。視線が行き着いた先には、長い髪をだらりと顔の前に垂らした女が一人、壁にもたれて座りこんでいる。肩からずれ落ちた砂まみれのコート。目が痛いほどに鮮やかな赤いドレス。そして、太ももの付け根までめくれあがったそのドレスからは、花瓶に入ったひびのように破れた網タイツが露わとなっている。そんな女は、意味の分からない言葉を呟きながら、ピクリピクリと体を震わしていた。
二人の間に異様な空気が漂い始めると、それをかき消すかの様に、一筋の風が二人の間を通り抜けていった。男の髪は見事に形を変えてしまったが、そういう事には無頓着なのであろうか、片方に寄ってしまった前髪を気にする様子も無く、黒いコートのボタンを口が隠れるところまで閉めると、両手をペットボトルごと、ポケットに仕舞い込んでしまった。
風を追うように振り返れば、路頭に迷う人々が、か細い腕で自らの身体を包み、気持ちばかりの寒さしのぎをしていた。
目の前の女が、誰かに捨てられたのか、はたまた借金をして家を失ったのか。男にはそんなことはどうでも良かった。この町は、そんな奴らがわんさかいるような、ゴミの溜まり場。まるで最終処分場のような町なのだから。
「フッ、フッ、フフフ、ゴミを拾うなんて優しいのね」
垂れた髪の中から、女は笑い声のような不気味な音を奏でた。先ほどの風のせいで髪が掻き分けられたのだろうか、片方の目だけが露わとなり、しっかりと男の姿を捉えている。瞳孔が開き切り、今にも飛び出しそうなそれは、右へ左へと動きを止めることは無い。
流石に気分を害したのであろうか、男は女から視線をそらし、手に握られたペットボトルへと移動させる。その中は、たばこの吸い殻が充満しており、まるで、晴れることのないこの町の空気と同じように、薄汚い色に染まってしまっていた。
女は壁に吸い寄せられているかのように、背中をこすりつけながら立ち上がった。瞬きを忘れた瞳が男を決して離さないまま、もつれそうな足取りで歩くその姿は、まるで外灯に引きつけられる蛾のようである。
「ねえ、私も拾ってよ」
男の右肩に骨ばった指をかけると、かすれた声で鼓膜を揺らす。やがて、指は男の身体を下へ下へとなぞっていった。
女の後頭部を眺める男は、如何にも不快そうな表情を浮かべていた。「聞く価値もないか」とボソリと呟くと、握っていたペットボトルを真上へと放り投げる。くすんだ空と同化しながら宙を舞ったそれは、壁を跳ね返り、女の足元へと転がり落ちる。
「申し訳ないのですが、俺は価値のあるゴミしか拾わないので」
男は服に着いたホコリでも取るように、女の手をその辺に捨てると、背を向けて歩き出した。
女は誰からも聞こえないような小さな舌打ちを落とした。先ほどよりもさらに見開かれた瞳には血が滲んでおり、周りに飛ぶ虫でも追いかけるように、ギョロギョロと忙しく動き回った。女とは恐ろしいもので、「いじわるな子は嫌いじゃない」と、表情とは打って変わった艶めかしい声で囁くと、倒れこむように男の背中に身を寄せる。
「ふっ」
男は鼻で笑うと、歩みを止めて女を見下ろした。無理矢理に口角が引き上げられたその顔には、微塵たりとも笑みは浮かんでいなかった。
男は懐から何かを取り出した。顔を出したばかりのそれは太陽に反射し、思わず女は目を細める。しかし、それが何かを理解したらしい女は、一瞬にして蒼白してしまう。
「汚れがこびりついてしまったら、どうあがいてもダメなんだよ」
男の右手には、カッターナイフが握られていた。
「そんな奴らは、死ぬのを待つだけだ」
両手で顔を覆う女に向けて、男はそれを勢いよく振りかざした。カラスさえも鳴くのを止めた不気味なほど静かなこの刻に、一瞬の鈍い音が鳴り響く。
女は指の隙間から、目をギョロギョロと動かした。女の目に飛び込んだものは、つき刺さったナイフ。男の手から滑り落ちたそれは、横に転がるペットボトルを一突きにしていた。
その場に崩れるように座り込んだ女は、身体を震わせるが、どこから沸き起こるのだろうか、再び小刻みな笑い声を発し始めていた。
男は何事も無かったかのように歩きだした。狂ってしまった女の悲痛な声だけが、町に響くが、誰の耳にも入ることは無いであろう。
男が路地の奥深くまで歩みを進めると、古びた一軒家に行き当たる。壁には茶色い錆がびっしりとこびりついており、無造作に張り付けられた木の板は、素人により手が加えられていることを象徴させていた。化け物でも住みついていそうな風貌であるが、廃れたこの町にはお似合いな、なんとも風情のある家である。
扉の取っ手に手をかけるが、直ぐに手を離してしまった。どうやら中で、誰かが慌ただしく動いているらしい。
「やばい。遅刻する」
ほどなくして、勢いよく飛び出してきたのは坊主頭の男。リュックサックを片方にだけかけ、靴すらもきちんと履ききれていない。
「やあ、ジジ。いってらっしゃい」
ジジと呼ばれたその男は、つま先を地面に数回打ち付けると、「いってきます」と叫びながら、直ぐに走り去ってしまった。
見送りを終え、玄関に入ると、「ふぁー」と大きな欠伸をしながら、一人の女がやって来る。まだ眠り足りないのか、目をつむったままの状態で男の前で立ち尽くしていた。
「ガンガン、その格好で外出るつもり?」
女が着ている、裾が伸びきったスエットと、何かを爆発させたような髪型を交互に見ながら、男は怪訝そうに眉をひそめた。
「トイレ......」
一度も開くことの無い目を掻きむしりながら女は言う。
「トイレは、後ろに五歩下がって右側です」
相変わらず目は閉じたままで、ガンガンと呼ばれる女は言われたとおりに後ろに下がり、扉の中へと消えていってしまった。
男は一つため息を吐くと、ようやく靴を脱いで家へとあがる。カーテンが閉まり切った居間には、少しばかりの光が差し込んでいるが、廃れた町と同じように空気はどんよりとしているように感じられる。
「ソーチョー、おかえり」
どうやら、このゴミ拾い男はソーチョーと呼ばれているらしい。そう呼んだ男は、金髪頭を揺らして、彼を居間へと迎え入れた。
「ただいま、ギンガ」
そう言うとソーチョーは、持っていた袋を彼に差し出す。
「ほら見て、今日の収穫」
その中にはいくつかの缶が入っているようだ。
「あーあ。缶は昨日だったから、当分捨てらんねえじゃん」
ギンガはそんな言葉を呟くが、特に面倒そうな顔をしている訳でも無く、男の様子をただ眺めていた。男は缶と書かれた段ボールの中に、それらを移している最中である。
「来週までにどれだけ溜まるだろうな」
缶を眺める二人の男。なんだか異様な光景ではないだろうか。当の二人は、子どもが海岸でガラスの破片を拾い集めたような、そんな表情を浮かべているのだが。
男はゴミをこの古びた家へと集める。だから、この家は”ゴミ屋敷”と呼ばれている。しかし、別に家に溜め込んでいる訳ではない。集められたものは、きちんと分別され、自治体が定めたルールに基づき処分される。
だったら”ゴミ屋敷”とは言わないのではないか。溜め込んでいるから、そう呼ぶのであって、その男がしている行為は至って普通ではないだろうか。
いいえ、まさしくここは”ゴミ屋敷”。だって、彼は三人のゴミをここに溜め込んでいるのだから。
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