6 燭光

 ねこ丸君は支度した。支度と言っても紅い羽織を羽織るだけらしい。

「二人で行くにゃ。ついて来にゃくてよいにゃ」

 従者に声をかけてからねこ丸君は立ち上がりおれについて来るよう促した。

「連れていかなくていいのか」

「邪魔にゃだけにゃ」

 しばらく歩いた。

「向こうで半刻くらい待つのか」

「あいつらあほにゃからにゃ。行くまでに小半刻かかるにゃ。あいつが戻ってくる時間とおいら達が行く時間を足せばちょうどいい時間になるにゃ」

 しばらく歩いた。

「向こうにラオが、いや、ラオチュウがいなかったらどうする」

「おみゃあがもともと占にゃいたかったことを占にゃえばいいにゃ」

「そうか、そうだな」

 しばらく歩いた。

「ここにゃ」

 見るとコーヒーカップを象った看板が出ていた。

「ごめんにゃ」

 ねこ丸君はひと声かけて扉を開け、中を覗いた。おれを手招きして呼んだ。

 たぶんもとはまあまあの広さの部屋を仕切りで仕切って、小さなテーブルと二脚の椅子だけが置いてある。

「勝手に座ってもいいのか」

 おれはねこ丸君に尋ねた。

「知らにゃいにゃ。おいらはこの店の店員ではにゃいにゃ」

「来たことがあるんじゃなかったのか」

「にゃいにゃ」

 そうか、来たことがなかったのか。

「ラオ・・チュウはいないかもしれない」

「どうしてそう思うにゃ?」

「姿が見えない。おれを見て隠れる理由はないし」

「おいらを見て隠れる理由はあるかもしれにゃいにゃ」

「お前、そんなに煙たがられているのか」

「冗談にゃ。おいらはそのラオ・チュウとやらの顔も知らにゃいにゃ」

「だがここは店員もいないのか」

 おれの発言を待っていたかのように店員がばたばたと慌しい音をさせて顔を出した。

「いらっしゃいませ。これは、御前様、わざわざご足労いただきまして」

「酒飲みみたいに聞こえるから御前様と呼ばにゃいでほしいにゃ」

「では、猊下。ようこそにございまする」

「今回の客はおいらじゃにゃくてこの男にゃ」

「猊下の客人にございますか」

「おいらの、招かざる、客にゃ」

 確かに招かれてはいない。だが物には言い様というものがある。

「ならば粗相なきようにいたしまする」

 こいつはねこ丸君の客じゃなければ粗相をするのだろうか。また、ねこ丸君の客でさえあれば招かざる客でも気をつかうのだろうか。

「では、お客人、こちらへ」

「おいらもついて行っていいかにゃ?」

「そりゃあもう、猊下のおことばとあらば」

 案内された席につき、しばらく待つことになった。退屈しのぎにおれはねこ丸君に声をかけた。

「今さらなんだが、コーヒー占いとはどんな占いだ?」


***


  ねこ丸君は呆れた顔をした。

「ほんとに今さらにゃ」

「教えてくれないか」

「おいらが教えにゃくても、占にゃい師に聞けばいいにゃ」

「それもそうだな。だが、何を占ってもらえばいいんだ?」

「おみゃあは占にゃいの結果を信じるクチかにゃ?」

「今まで真剣に信じたことはない。いや、それ以前に占ってもらったことすらない」

「今回の結果は信じるかにゃ?」

「内容によるな。信じるべきなら信じる」

「可愛げがにゃいにゃあ」

「で、どういう代物なんだ?具体的に占ってもらえるのか?」

「おいらも、来たのは初めてにゃ」

「お前は占いを信じるのか」

「もちろんだにゃ。腕のいい占にゃい師の出した結果にゃらにゃ」

「ここの占い師の腕はどうなんだ」

「おいらにはわからにゃいにゃあ」

「なんにもわかんないんだな」

 おれは毒づいた。少し毒を出しておかないと自分の中の毒で中毒になる。

「お待たせしました」

 年齢不祥な女占い師が入ってきた。ゆったりした服を着ている。少しレンズに茶色が入った、赤い太縁の眼鏡をかけ、背の高さはねこ丸君より少し高い。

「あら、猊下もご一緒ですの?」

「ちと、こいつの占にゃいの結果に興味があるのにゃ。一緒にいてもいいかにゃ」

「そりゃあ、猊下のお言葉とあらば」

 さきほどこの席に案内した者と同じことを言った。

「では、簡単にご説明しましょう。コーヒー占いとはトルココーヒーを飲んでいただいた後に残る残り滓の形で未来を占うものです。頻繁に占うことはできません。一日に一回が限度です」

 やや早口で女占い師は説明した。言いなれているのだろう。

「ふたつのことを占ってもらうことはできるのか」

 おれは聞いてみた。

「占う内容を誘導することはできますが、指定することはできないのですよ。すべては神の御心のままです」

「神を信じていないんだ」

「ではこう言い換えましょう、すべては運次第です」

「運に支配されるのは嫌だな」

「ならば占っても仕方ありますまい」

 おれは少し考えた。女占い師の言うことのほうが正しかった。

「そうだな。今の言葉は取り消す」

「では、お値段ですが」

 女占い師は見料の話をし、おれは納得したことにして代金を支払った。

「では用意をして参ります。十五分前後かかります。占いたい内容を念じていてください」

 女占い師は席を立った。おれはねこ丸君に話しかけた。

「なあねこ丸君、おれが追いかけているやつとラオチュウとどちらの所在を占えばよいと思うか」

「おみゃあが決めることにゃ。だが、ちゃんと決めておかにゃいと占にゃいが意味のにゃいものににゃるにゃ」

「そうか、そうだよな」

 おれは占ってもらう内容を急いで考えた。


***


 やつを追い詰めればおれの目的は達せられるが、協力してくれようとしたラオを放っておくのも寝覚めが悪い。何しろラオから見ればおれは待ち合わせ場所から勝手にいなくなったのだ。ただしラオに会えてもおれには何ら益がない。初志を貫くか不義理を避けるか。

 実はあまり迷うことはない。やつを優先しようと決めている。ラオに会うことはもうあるまい。いろいろ一方的に迷惑をかけたが、ラオならわかってくれるさ。

 女占い師がコーヒーを持って戻ってきておれの前に置いた。言われるままコーヒー滓を食べてしまわないよう注意しながらコーヒーを飲んだ。女占い師はカップにソーサーを当ててひっくり返し、カップをあけてコーヒー滓を調べ始めた。しばらくの間、誰も口をきかなかった。

「あなたは」

 唐突に、何の前触れもなく、女占い師が口を開いた。ソーサーの上のコーヒー滓を見つめたまま、おれのほうを向かずにぼそぼそと言葉を発し始めた。

「あなたはかなり複雑な性質を持っていますね。あなたの周りで物事が大きく動きます。それはしばしばあなたを巻き込み、あなたはあなたを取り巻く環境に翻弄されることになるでしょう」

 ちらっと顔を上げておれを見た。すぐに、おれが何か言葉を返すのを避けるかのように視線を逸らせてまたソーサーを覗き込んだ。しばらく見つめた後に同じようにぼそぼそとしゃべり出した。

「あなたがもう少し注意深く周りを見回せば、あなた自身に影響を及ぼす大きな出来事の兆しに気づくことができるでしょう。あなたより注意深い友人を頼ることもよいかもしれません。あなたの友人はあなたの助けになってくれるはずです」

 女占い師は、ソーサーの縁を持ち、コーヒー滓の形を崩さないように注意しながらゆっくりと半回転させた。つまり、逆側から見た。

「あなたのこれまでのやり方では上手くいかないことが出てくるかもしれません。別のやり方を試してみる時に来ています。一つの転換期にちょうど今さしかかっていて、過渡期にはなかなか思うように事が進みませんが、正しく方向転換できれば、あなたが抱える問題は時間が経てば問題ではなくなります」

 そう言い切って女占い師はおれを見た。ご宣託は終わりなのだろうか。

「さて、あなたに必要なものは、いろいろとありますが、その中でも最も必要としているものは、あなたを助けてくれる存在です。あなたはなんでも独りで解決しようとする傾向があります。その心掛けは賞賛すべきですが、いつもうまくいくとは限りません。いまあなたがすべきことは、適切な友人に助けを求めることです」


***


 女占い師は、お力になれましたでしょうか、と言った。終わりらしい。おれは黙って席を立った。この占い師はこれ以上有益なことを言うまい。占いの時間は終わったのだ。まだ何か情報を引き出そうとみっともなくまとわりつくべきではないだろう。外に出て、何をすべきか考えた。

 空が白み、有明の月が綺麗に出ていた。夜も明けかけているのだろう。有明の月とはトルココーヒーの占いのあとに相応しい。満天に散った数多の星は白皙の空に埋もれて季節は秋、秋の色は白だ。空即是色の色とは白だと合点がいった。蛇足ながら色即是空の色とは黒であろう。

「にゃ」

 ねこ丸君も続いて出てきた。友人を頼れと言われたおれが頼るべきは誰だ。おれは今までに出あったやつらを思い起こした。

 花屋の娘。橋の下にいたガキ。その父親。売店の店員。ガイジン。紅茶のマスター。ナミ。ラオ。ラオに連れられてどこだかよくわからないこの場所に来たのだ。

 ラオとははぐれた。マスターやナミのところへは戻れない。

 茶運び人形。かしら。未来人。背の高いやつ。ガイジン。ちび仁王。にまにま野郎。ねこ丸君とその従者たち。占い師。

 なにか掴めそうな気がする。少なくとも、おれはここのところずっとアップセットされ続けている。セットアップしたいし、セットアップするべきだろう。そしてその時期は今をおいて他にない。たとえ詐欺師まがいの占い師の言葉に触発されたものであったとしても。

「ねこ丸君」

 おれは静かに声をかけた。

「にゃ。にゃんにゃ」

「話がある」

「にゃにゃ」

「静かに話せる場所を知っているか」

「にゃがいはにゃしにゃのかにゃ」

「ああ。長くなると思う」

「たらちねの母鳥の尾のしたり尾のにゃがにゃがしはにゃしにゃのかにゃ」

「天さかるひな鳥の尾のしたり尾の長々し話だ」

「ふうむ」

 ねこ丸君はしばし考え込んだ。

「おいらの謁見の間では?」

「好都合だ。濃いめのコーヒーがあるとなおいい」

「おいらは飲まにゃいが、用意させるにゃ」

「半分だけ礼を言っておこう、残りの半分はコーヒーがでてきた時に言う」

 それから、小半刻かけて謁見の間に戻った。おれはいろいろ考えごとをしながら歩いたので、えらく短く感じた。

「帰ったにゃ。帰り支度をするにゃ」

 ねこ丸君が声をあげて、従者の青い方と白い方がいっぺんに出てきた。

「お帰りなさいまし」

「お帰りなさいまし」

 ねこ丸君は羽織を脱ぎ捨てた。青い方が慌てて拾った。

「客人に濃いめのコーヒーをいれるにゃ」

 ねこ丸君はおれの望みを叶えるべく、従者にそう申し付けた。


***


 謁見の間で、おれは残りの半分の礼を言った。

「さて」

 おれは切り出した。

「いくつか話を聞きたい。話してくれるか」

 ねこ丸君はにやありと笑っただけで、答えなかった。おれは受諾されたものとした。

「おれはある人物を追いかけている。さる人物が助けてくれようとした。しかし、はぐれてしまった。ここまでは、話したな」

 ねこ丸君はうなずいた。

「はぐれた原因は茶運び人形にあるとおれは思う。お前はこいつらを知っているか」

「知ってるにゃ」

 ねこ丸君はこんどは声に出して答えた。

「こいつら、何者だ」

 ねこ丸君は上目遣いにおれを見た。

「茶を運ぶための人形にゃのだが、茶を運んでいるところは久しく見てにゃいにゃ。察するに、茶を運べと命令する者がいにゃいからだにゃ」

「昔はいたのか」

「いかにも。だが、そこから逃げ出して自由の身ににゃってからは、やりたい放題のようだにゃあ」

「誰かに言われて動いてるのか。そんな素振りも見せていた」

 おれは思い出しながら聞いた。

「まあ、そうだろうにゃあ。あいつらに、自分の意思で動けるだけのおつむがあるとも思えにゃい。言われたことをやろうとするだけの存在にゃ」

「裏で糸を引いているのは誰だ」

「さあて、にゃ。知らにゃいが、あいつらを使おうとするやつにゃんてたかが知れてるにゃ」

「知っているのか」

「知らにゃいと言っておるにゃ。だが見当はつくにゃ」

「誰だ。誰だと思うんだ」

 ねこ丸君はふうと息をついた。

「にゃんかにゃあ、おみゃあはおいらが思っているよりだいぶ鈍いんだにゃ。おみゃあはこの場所がどういう場所だか知っているのか」

 知らない、と答えようとして、茶運び人形どもがこの地をかなんの地だと言っていたのを思い出した。

「カナンの地というらしいな」

 ねこ丸君は目を見開いたが、すぐにまたもとの大きさに戻した。

「にゃにゃにゃ。そういうことかにゃ。それにゃらば合点がいくにゃ。そうじゃにゃいと合点がいかにゃいにゃ」

 ねこ丸君はにやにやと笑った。

「ようやく、おみゃあの言葉がわかるようににゃってきたにゃ。おみゃあ、さも知ってるかのように知識のかけらを小出しにするが、その実にゃにもわかってにゃいんだろ」

「そんなことは」

 ない、と反射的に答えそうになったが、こらえた。癪なことであるが、ねこ丸君の言うとおり、実際におれはたぶん、何も分かっていないのだ。

「あるかもな」


***


 おれの答えを見て、ねこ丸君は続けて耳をぴくぴくさせた。

「おみゃあがカニャンのことを誰から聞いたかは知らにゃいが、おおよそ見当はつくにゃ。そして、それをおみゃあから聞き出そうにゃんてのは、無理にゃんだろうにゃ。おみゃあは状況説明が絶望的にど下手だからにゃ」

 けっこうひどいことを言われているが、反論してもあまり意味はないんだろう。

「おみゃあは、この場所が、たぶんおみゃあの居た場所と違うことはわかっているかにゃ。いや、答えにゃくていいにゃ。どうせわかってにゃいのにわかってるとか言い出すにゃ。わかってる前提ではにゃしてもはにゃしが通じにゃいに違いにゃいにゃ」

 話が通じないに違いないとまで言われてしまった。

「だからまず、この場所のことからはにゃすことにするにゃ」

 ねこ丸君は姿勢を崩した。

「この場所はあまり知られていにゃいが、ある特異点にあるにゃ。その特異にゃ性質として、蛤の雌雄が交互に見せる蜃気楼がごとし。この場所では実を見るわけではにゃいのだにゃ」

「意味がわからんぞ」

「実物とは異なるもの、言ってみれば幻を見る」

 ねこ丸君は怪しげに妖しい言葉を発した。

「わからにゃいか」

「わかるが、文脈に結びつかん。場所の説明がどうしてそんな言葉になるんだ」

「おいらがこの場所と言っている範囲は、かにゃり狭いにゃ。おみゃあ、洞窟を通ってきたんだと言ったにゃ」

「ああ、そうだ。茶運び人形どもに拉致された」

「おみゃあの通ってきた洞窟が、この場所への入口にゃ」

「そうなのか」

 なんか、腑に落ちない点があるような気がする。

「そして、出口はにゃい」

「は?」

「入るのことはできても出ることはできにゃいのにゃ。まあ、出ていくはにゃしはまだいいにゃ。この場所には、ある特徴があってにゃ。ここにいる者の姿は観念的に支配されているのにゃ」

「何を言っているんだ?」

「簡単に言えば、そうだにゃ、おいらがねこ丸君にゃのはおいらがねこ丸君だと思ったからにゃ」

「お前が自分で名付けたんだろう。当然だ」

「そう、そうにゃ。でもおいらがもしオシツオサレツだと思ってそう名乗ったら、双頭の牛ににゃっていたかもしれにゃいのにゃ」

「オシツオサレツ?相当脳死?」

「本名はPushmi-Pullyuにゃ」

「いや、わからん」

「そうか、わからにゃいか。じゃあ、別の例えにするにゃ。もしおみゃあがライデンと名乗ったら、相撲取りの体型ににゃっていたかもしれにゃいのにゃ」

「ライデン?雷電為右エ門か?」

「あるいは、ジオンの軍服を着て紅い乗物に乗っていたかもだにゃ」


***


「そういうことにゃ。いずれ姿形はおみゃあが思っている以上に簡単に変化するのにゃ。己の認識のにゃすがままにゃのにゃ」

 おれにはよくわからなかった。

「わからにゃいにゃら、いいにゃ。わからにゃくても問題にゃい。一般相対論を理解しにゃくても生きていけるにゃ」

 おれにはよくわからなかったが、なんとなくばかにされているっぽいことはわかった。

「簡単に言うにゃ。おみゃあが探しているやつは、おみゃあの知らにゃい姿形ににゃってるにゃ。その人物が思う姿に化けるのにゃ。だから、この場所で鬼が出ても蛇が出ても驚かにゃいことにゃ。実際、鬼も蛇もいるからにゃあ」

「そいつら、人間だったものなのか」

「今でも人間にゃ。そう見えるってだけのことにゃ。この場所から出たら、もとに戻るにゃ。出られたら、のことだがにゃあ」

 おれは混乱していたが、混乱の崑崙山で仙桃の木を見つけたような、そんな損な気になってきた。

「おれが探しているやつがおれの認識する姿ではないということか」

「そう、そうにゃ。珍しく理解が早いじゃにゃいか」

「理解してるわけじゃない。どちらかというと、破壊してるな。おれの頭を」

「そうらしいにゃ。さっきからおみゃあの頭が割れ始めているにゃ」

「う、うそだろ」

 おれは思わず頭を押さえた。

「冗談にゃ」

 おれはねこ丸君を睨んだ。

「まあ、よっぽど思い込みが強くにゃければそんにゃ簡単には変化しにゃいにゃ。安心するにゃ」

「安心には程遠いな。いや、待てよ。おれが探しているやつは、よっぽど思い込みが強いから別の姿になってるのか」

「過去には一夜にして芋虫ににゃったやつもいたにゃあ」

「そういうものか」

「そういうものかどうかは知らにゃいにゃ。あ、そうにゃ。呪文を唱えて変わりたいものを言うと一瞬で別の形に変われるやつもいたにゃあ」

 なんとなく、からかわれていることがわかった。

「その呪文は、てくまくまやこんとか言うんじゃあるまいな」

「にゃ、にゃぜわかったにゃ」

「・・・」

「冗談はともかく、それに近いやつもいたにゃ。まあ、かほどさように個人差があるものにゃ。おみゃあが探しているやつがどうだかは知らにゃいがね」

 ねこ丸君はおれを見た。ねこ丸君のねこの眼が妖しく光った。

「こんにゃ場所では、おみゃあがいたようにゃ場所とは違ったチカラが必要にゃ。そうは思わにゃいかね?さあ、いったいどんにゃ能力が必要だと思うかにゃ?」


***


 考えてみたが、良い答えが見当たらなかった。おれはねこ丸君にそう言った。

「そうだにゃ。わからぬだろうと思って聞いたのにゃ。その答えともいえるお方に紹介してやるにゃ」

「お方?紹介?」

「実を言うとにゃ、おみゃあをそのお方に紹介する気はさっきまではにゃかったのだがにゃ。あの占にゃい師に感謝するにゃ」

「あの占いでおれはなにもわからなかった」

「そうだろうにゃ。だが、おみゃあはにゃかにゃか常識外れだし、あの占にゃいでもおみゃあの常識の外れっぷりは特筆すべきらしいからにゃ。あのお方もきっと気にいるだろうにゃ」

「誰なんだ」

「おみゃあはわからんやつだにゃあ。その方の名前を言って、おみゃあが知ってるとでもいうのかにゃ?」

 ひどい言われようだが反論を思いついた。

「お前、おれにねこ丸君と呼べと言ったとき、何と言った?名は体を表すようになると言わなかったか?」

「ぐ。独活のにゃかの河津桜のくせに鋭いじゃにゃいか。だが、無駄にゃ。そのお方のにゃは体を表わしていにゃいのにゃ」

「いいから聞かせろよ」

「にゃは。実はおいらも知らにゃいのにゃ」

「知らないのかよっ」

「まあ、知らにゃくても問題にゃいのにゃ。クォークのスピン数を知らにゃくても生きていけるにゃ」

「確かにおれはクォークのスピン数を知らないが」

「行けばわかるにゃ」

 ねこ丸君は歩き始めた。おれも慌てて後をついて行った。

「待てねこ丸君。行く前にわかりたい」

「クォークのスピン数を知りたいのかにゃ」

「そんなものはどうでもいい。お前の言うとおり知らなくても生きていける」

「じゃあ、特に知らにゃくてもいいにゃ」

「クォークのスピンのことじゃない」

「じゃあ、ストレンジネスのことかにゃ」

「なんだそれは。ともかく、クォークもストレンジは関係ない。お前がおれに遭わせようというやつは、いったいどんなやつなんだ」

「ほんとにおみゃあはわからんやつだにゃ。さっきから言ってるにゃ。おみゃあが行ってからわかろうが行く前にわかろうが、にゃにが違うというのにゃ」

「おれの心構えが違う」

「おみゃあがどれほど心を構えようと、にゃにも変わらにゃいにゃ」

「どうしてだ。おれがどういうやつと会おうとしているのか知っておく必要があるだろう」

「にゃいにゃ」

「おれがそいつにどういう態度で接したらいいのか、わかってなくてもいいのか」

「いいにゃ」

「なぜ」

「おみゃあごときの態度、にゃんら影響がにゃい。世のにゃか、にゃるようににゃる。ほら、着いたにゃ」

 ねこ丸君は怪しげな建物に入って行った。


***


 中に入ると玄関も何もなくいきなりテーブルとソファがあった。向かいに背を向けた肘掛椅子があり、何者かがそこに腰かけているのがわかった。

「ようこそ。そこに座ってくれ」

 その者が後ろを向いたまま声を発した。年齢のわからない声だった。老人ではなさそうだ。

「にゃ。座るにゃ」

 ねこ丸君に促され、おれとねこ丸君はソファに座った。

「なにか飲むかね」

 その者は背を向けたまま言った。

「いらにゃいにゃ」

 ねこ丸君はおれが答える前に言ってしまった。まあ、何も飲みたいとは思わないが。

「そうか。今日はどういった要件か、あててみせようか」

「にゃ。おいらの要件じゃにゃいにゃ」

「ほう。ねこ、きみが誰かを連れているのは珍しいな」

「そうでもにゃいにゃ」

「そうか、訂正しよう。きみが誰かを連れてくるのは珍しいな」

「それは正しいにゃ」

「しかも、連れの用事で動くとは」

「近ごろはよくあることにゃ。博愛精神に目覚めたのにゃ」

「またまた、ご冗談を。というわけでもないのか」

「冗談ではにゃいにゃ。本当にこいつの用事で来たのにゃ」

「なるほど、簡単に聞かせてくれ」

 その者は肘掛椅子をどうやってか反転させた。そいつは、能の面をかぶっていた。おれはちょっと呆気にとられた。

「こいつ、人探しして、外から来たにゃ」

「ほう、それは興味深い。ここまで辿り着けるのは珍しい。して、探している人はここにいるのかな」

「わからにゃいのにゃ」

「そうか。ならば探さねばならぬな」

 その者はおれのほうに面を向けた。文字通り能面のように無表情な面がおれの目を射抜いた。そのまま十秒くらい、そいつは能面の下からおれの目を見つめていた。

 おもむろに、能面の者は、口を開いた。

「きみの話を、聞かせてくれ。力になれるかもしれない」

 おれはしばし迷ったが、ねこ丸君に話した内容と同じことを話すことにした。おれが話している間、ねこ丸君は黙って聞いていた。能面の者も黙って聞いていた。おれが話し終ったあと、能面の者は話が終わったことを確かめるように、静かに声を出した。

「ねこ、きみが聞いた話と同じか」

「だいたい、おにゃじにゃ」

「そうか」

 能面の者は少し頭を垂れ、考える素振りをみせた。

「きみ。ナギと呼んでも?」

「ああ、好きに呼んでくれ」

「では、そのように呼ぼう。ナギ、きみは」

「あんたは、何と呼べばいい?」

 おれは相手の言葉を遮った。

「きみが私を呼ぶことはない」

「いや、現にいま呼ぼうと」

「私を呼ぶものは私の名を知るもののみ」

「そうか。じゃあ、ネモとでも呼ぼうか」

「ネモ。海底二万哩だな」

「あるいはナディアだ」

「ナディアとは、希望の意味だな。私をパンドラの箱の底辺に眠るものと見るか。それもまたひとつの解釈だ。よかろう、気に入った。ネモと呼んでもらおう」


***


 名を知らぬものに呼ばれることはないと豪語したはずの能面の者は、ネモと名付けられたその刹那より嬉嬉として忌諱として鬼癸としてその名を呼ばれた。とはいうもののネモとは、誰でもない、という意味だし、古来から名を隠したい者どもに人気の名だ。ジュール・ベルヌが書く何千年も前のことだが、ペルセウスもヤマトタケルもそれぞれの母国語で誰でもないという意味の名を名乗っている。

「私が話していたのだったな。ナギ、きみは助けを求めてわがもとに来たのか」

「来たのはねこ丸君に連れられたせいだが、ねこ丸君に助けを求めたのは確かだ」

「世の中には助けを得られる者と求めても得られない者がいる。きみはその違いがわかるか」

 おれはちょっと考えた。答えをではない。質問の意図を。考えたがわからなかったので、わからないと答えた。

「助けを得られる者は誰がどうすれば自分が助かるか、何がどうなれば自分が助かるかを知っている。きみはどこがどうなれば助かるのだ?」

 いろんな答えが脳裡をよぎった。

「やつに会わねば」

「ほう。やつとは誰だ?」

「ネモ、お前にその名を告げればお前はやつをここに連れて来られるとでもいうのか?」

「あまりそう反発するな。きみが探している者の名を言わなければ誰を探せばいいのかさえわからないではないか」

 それもそうだ。おれはやつの名を告げた。

「そういう名のものは、ここにはいない。少なくともそう名乗っているものは」

「名を変えていると?」

「そんなことは言っていない。ただ、きみのいう名を名乗るものは知らないと言っている。ここにいるのかいないのか、私はまだ判断をくださない」

「なら、どうしようというのだ」

 おれは少し苛立った。

「差し支えなければ、いくつか質問をしてもいいだろうか」

 ネモは提案し、おれの答えを聞かずして質問をはじめた。

「きみが追いかけているやつをきみが追いかける理由はなんだ」

「やつは」おれは迷いながら答えた。この得体もしれぬ能面のネモに、おれの事情を話すべきか。そもそも、おれが独りでやつを追いかけているのは表沙汰にしたくないからだ。そして、こいつ、ネモはそれなりの権力を持っているような雰囲気だから、表沙汰にしたくないというおれの意思に反する。こいつの体面を損ねない程度にぼかして話すにはどうすれば「やつはおれに重大な借りがある。そしてそのことを知っている。しかし取り立てに来ない限り返さなくてよいと考えるやつなのだ。おれはやつに貸したものを返して貰わなければ非常に困った状態になるのだ」

考えながらしゃべったせいで少ししゃべりすぎたかもしれないが、しゃべるべきではないことはしゃべっていないと信じたい。


***


「ほう」

 ネモは興味を示した。

「ちょっとだけ興味が湧いた。きみが貸しているというものはなんだ」

「悪いが、その質問には答えられない」

 おれは答えを断った。

「では、困った状態になるとはどういう状態だ」

「それにも答えられない」

「なんにも答えられないんだな」

 ネモはそういうと、ねこ丸君のほうに顔を向けた。

「ねこ、きみはどう思う?」

「別にどうとも思わにゃいにゃあ」

 ネモはふうむと考え込んだ。

「これは私に対する挑戦かね?」

「とんでもない。ただ、答えられないんだ」

「やっぱり挑戦じゃないか」

 ネモは腰を浮かせた。その反動で重石のとれた肘掛け椅子が後ろに振れた。そして肘掛椅子が戻って来てネモの膝の裏側を直撃し、そのせいで肘掛椅子に腰を落とした。何がしたいんだ。

「今のは痛かったぞ、ナギ」

「おれのせいじゃない」

「きみのせいじゃなかったら誰のせいだというんだ」

「お前のせいだろう」

「因果はすべて、巡るもの。私だけで閉じてしまってはもったいない。そのためには、きみのせいでもあるわけだ」

 なんか、よくわからんことを言い出した。

「因縁をつけても因果は変わらない。ねこ丸君、お前もそう思うだろう?」

 おれはねこ丸君に矛先を向けた。

「変にゃはにゃしをふるのはやめてほしいにゃ。そんにゃものは、どっちでもいいにゃ」

 ねこ丸君は中立を保ち、肩をすくめてみせた。

「さて」と今までの話がなかったかのようにネモは態度を一変してみせた。「何の話だったか。ああ、そうだ、私は挑戦されているのだったな」

「そういうわけじゃない」おれはとりあえず否定してみせてから「だがもし挑戦だとしたら、受ける用意はあるのか?」

「このネモの名にかけて!」

 ばか言え、お前がネモと名乗ったのは今しがたのことだろう。そんな名にかけられても箸にも棒にもかからん。とおれが心の中で反論したことを知ってか知らずか、知らずに違いないのだが、ネモは言葉をつなげた。

「そう、このネモの名にかけて、挑戦は受けねばならん。ナギ、きみが答えられないことに私が代わって答えたら、きみの目的も近くなるんだろうな」

「いや、そんなことは」

「きみが貸しているもの、きみが追いかけているやつに貸しているもの、きみのおかれている困った状態、そしてきみの目的、目的の人に会ったあとどうするのか、なかなか興味が出てきたぞ。ねこ、きみはどうだ」

「おいらの意見もだいたいおにゃじにゃ。そもそも、興味があるからこいつを連れてきたのにゃ」

「そうか、そもそもか」

 ネモはなんだか妙な具合に納得した。


***


 ネモは立ち上がった。今度は肘掛椅子に足を取られないように慎重に。たぶん、立ち上がることで何らかの効果を狙ったのだと思うが、しずしずと立ち上がったのでその効果は薄かった。

「ねこ。きみがこいつ、ナギに興味を抱くのはなぜだ。きみにしては珍しい、ひょっとするとこんな見ず知らずの赤の他人にこのように強い興味をきみが抱くのは、今まで見たことがない」

 ネモはおれから顔をそらし、ねこ丸君に向って小声で尋ねた。おれに聞かせたくない会話だというアピールかもしれない。おれは耳をすませた。二人の言葉ともよく聞こえた。

「そうだにゃあ。にゃんか、放っておけにゃい気がするのにゃ」

「でもきみには関係がないだろう」

「それはそうだにゃあ。でも、放っておいたら、にゃんとにゃく事態が収拾してしまう感じがするのにゃ」

「好都合じゃないか」

「だってにゃあ。それじゃ面白くにゃいにゃ。もっとこう、わさわさーとしてうぎゃーって感じににゃってくれにゃいと。せっかくおいらの貴重にゃ時間を他人のために使っているのだからにゃ。おいらも楽しめにゃいと、時間の無駄にゃ使い方にゃ」

「他人の不幸は蜜の味ってことか」

「まさか。他人の不幸にゃんて望んでいにゃいにゃ。ただ、他人の幸せよりおいらの面白さが優先にゃだけにゃ」

「でも、こいつが目的を達成したら、面白くないんだろう?」

「面白くにゃい方法で目的を達成したら、面白くにゃいというだけにゃ。面白ゆかいに大団円にゃら、それが一番にゃ」

「そうか、ねこ、きみは変わらないな」

「変わりたいとも思わにゃいにゃ」

「では、面白い結末を迎えるにはどうすればよいかな」

「こいつが追いかけているやつとついに出会えたときってのはたぶんにゃかにゃか面白いと思うんだにゃあ」

「ふふ。こうべは真白に胴も白、尾も白きかな純白の猫、っていうことだな」

「説破、額に一房、ブチのメス、にゃ」

「ははは」

「にゃにゃにゃ」

 どう落としたのかさっぱりわからない二人の内輪のコントは終わり、ネモは体の向きを変えておれのほうを向いた。なんだか不穏な会話だった気がするがこいつらの望み通り聞かなかったことにする。

「さて、ナギ。お待たせした。きみが追いかけているやつに会いたいんなら、会わせてやろう。それが誰なのかは、わかった。ここにいることも、わかっている。そこでしばらく待っていろ」

 ネモはそう言って、おれの返事を待たずに歩いて奥のほうに消えていった。

「今、やつに会わせてやろうと言ったか?」

 問いかけの主はすでにいなかったので仕方なくおれはねこ丸君に尋ねた。いや、ねこ丸君に尋ねたわけでもないか。ほぼ独り言だ。

「にゃにゃ。にゃにゃにゃ。にゃ」

 ねこ丸君は変な節まわしで唸っていて、おれの質問とも独り言ともつかない問いかけを無視した。

 もうおれはネモを待っているしかなくなった。どれくらい待てばよいのかわからず、おれはぼうっとして時間を浪費した。


***


 その時はあまり待たずに訪れた。

 前ぶれもなくとつぜん扉が開いてやつが入ってきた。おれたちが入ってきた扉だ。

 おれはてっきりネモが消えた部屋の奥から戻って来るんだろうと思っていたので、後ろから現れるとは思いもよらなかった。

 おれの後頭部には眼がないので、おれは入ってきたものを視認するため後ろを向かなければならなかった。

 そうやって、おれはやつに相対した。

 さきに口を開いたのはやつのほうだった。

「やあ。きみがぼくを追いかけていたことは知っていたし追いかけるように仕向けたのはぼくだ。やっと会えた、ときみは言いたいだろう。ぼくは特段会いたいわけではなかったけどね」

 静かな、感情を込めない、抑揚をつけないしゃべり方だった。やつのよくやるしゃべり方だ。

「おれは」

「きみが何のためにぼくを追いかけていたのかは知らないが、見当はつく。おおかた、どうでもよい用事なんだろう。そんなどうでもよい用事でここまで追いかけてくるなんて、ご苦労さま、だな」

 おれの発言を遮って、やつは腹立たしい言葉を吐いた。やつのやりそうなことだ。

「おまえ」

「でも、ここまで追いかけてきたことについては称賛する、と言っておこう。その意気込みが消散しなかったことに対してね。勝算はなかっただろうに。でも、それだけのことだ」

 おれの言葉を挟む暇を与えず、やつは同音異義語を重ねた。やつの言いそうなことだ。しかも、おれに打撃を与えることを忘れない。

「そんな」

「で、きみがしたいことは見当がつく。ぼくに返して欲しいものがあるのだろう?だが、残念なことに、本当に残念なことに、ぼくはきみに借りているものがあるとは思っていない。ただ、きみがぼくに貸しがあると思っているかもしれないとは思っている」

 そこまでわかっているなら話は早そうなものだが、こいつは。

「それなら」

「でも、逆に問おうか、ぼくがきみに借りているものなどないのに、何を返せというのかな。もし、きみがぼくに返すべきと考えているものがぼくに返せたとして、きみはそれをどうやって使うつもりなんだ?」

 問われて答えないわけにはいくまい。

「それは」

「きみの答えなんて聞かなくてもわかる。まともな答えを返せないだろう。そりゃそうだ、あれはきみには無用の長物、というより、使い方を知らずに持っていることのほうが危険だ」

 問うたくせに答えを聞かずに断定しやがった。おれの発言を遮り続けているのでおれはかなり苛立っていた。

「知って」

「いいや、知らない。知っているはずもない。なぜなら、ぼくが知らせていないからだ。思い起こしてみてくれ、きみがあれに対して持っている知識は、もしあったとしても、すべてぼくから仕入れたものだろう」

 おれはこいつの発言に影響されてしまい、昔のことを思い起こしてしまった。

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