第37話 人は獣になり、獣を愛する

 記憶が走馬灯のように駆けていく。

 今まで身を休めるということをしなかったせいかもしれない。

 一つの別れの兆候かもしれない。

 

 あれだけぼろぼろになっていた体はもう起きても問題ない。

 折れた腕も動く。


(人間じゃない)


 人間なら死んでいるだろう。

 末人として進化した異常な生命力が自分をこの世に留めてくれている。


(お腹すいたな……)


 口の中にあった苦味は薄らいでいた。久し振りに本当の食べ物を食べた。

 裂や咏、空の食欲を異常だと思っていたが、食べることを使命にする末人ならあれが普通なのかもしれない。


 自分は食べてはいけないものを食べてしまった。

 罪を背負い、生への本能を拒否していたのだ。


「人間じゃない……」


 言葉に出してみる。

 自分は人間であろうと努力した。

 

 翠がいた。陽士がいた。だったら自分は娘だ。人間だ。

 でも自分は父も母も


 そして、今彼がいる。人間の子どもの彼が。

 母であるはずの自分はどうするべきだろうか。


「飾」

「喜潤様」


 彼の姿。

 たった一日だけ目にしてないうちに随分変わった気がする。

 背が高くなったように思えるのは自分が横になっているせいだろうか。


「迎えにきたよ。体、よくなったら、家に帰ろう」


 自分はその言葉をどれほど楽しみにしていただろうか。どれほど望んでいただろうか。でも、


「帰れ、ませんよ。私はもう帰れません」

「どうして……」

「喜潤様もわかっているでしょう? 私は人間じゃありません。たくさんの罪も犯しました。もう一緒には暮らせません。暮らせないんです」

「飾、俺はそんなこと気にしないよ」

「どうしてですか! 私は、私は全てを裏切ったんです! 翠様の愛も陽士様の優しさも。手に入れたのは後悔と罪だけ。それが暴かれた今、私はもうあなたとは暮らせないんです」

「関係ない。関係ないよ。そんなこと」

「何で、何でそんなこと言えるんですか! 私はあなたの。ずっとあなたを騙していたんです。目の前にいるのは獣なんですよ!」

 

 あんなにも大切な人達を自分が食べた。

 例え、最善の選択だったとしても彼らの死後の尊厳を蹂躙する行為を自分はした。


 後には何も残らなかった。

 彼らを偲ぶことすらもう出来ない。

 自分の罪は一生償うことはできないのだ。


「私は喜潤様を騙していました。両親の死を隠していました。あなたを産んだことも隠していました。ずっと私はあなたを欺きながら生きていたのです」


 喜潤との生活は嘘で塗り固められていた。

 彼は自分の出自も知らず、飾と暮らしていた。飾は喜潤をずっと騙していた。


「私はあなたの両親の死を穢しました。私はあなたの生を穢しました。あなたは憤るべきです! 獣の腹から産まれてしまったことを」


 飾の存在は喜潤の人生を滅茶苦茶にしてしまったのだ。

 血の繋がった親を食べた獣から産まれた喜潤。


 喜潤から奪うだけでなく、汚すことまでした。

 飾は許されない。許されてはいけないのだ。


「罰して下さい。私はずっと望んでいました。あなたには私を裁く義務があります。私はあなたからのどんな罰も受けます」


 彼女は許されることを望んでいない。

 罰だけが飾を救う道だ。ずっと飾は望んでいた。ずっとこの時を待っていた。

 喜潤が飾を罰することで飾はようやく翠と陽士に顔向け出来る。二人への恩返しになる。


「……飾はどうしても罰を望むのか?」

「その通りです、喜潤様」

「――もしも、俺が飾を殺すことになっても、飾は受け入れるのか?」

「私の命一つで足りるなら、喜んで私はこの身を捧げます」


 飾の意志は固い。

 喜潤がいくら彼女を許さそうとしても、飾は決して受け入れない。

 喜潤が飾に心を近づければ近づくほど、彼女の想いは離れていってしまう。


「死よりつらい罰もある」

「……」

「飾はずっと後悔してるんだろ。俺の両親を食べたことを」

「……はい」

「だったら、ずっと後悔して欲しい。俺は飾を許さない。死は逃げだ。飾の罪の清算はずっと俺の傍にいないと果たせない」

「喜潤様、それは!」

「俺が飾を罰して満足したら、飾は消えてしまう。俺の手の届かない所へ行ってしまう。だから、俺は飾を許さない。ずっと、ずっと俺の傍で罪を償ってくれ」

「詭弁です、喜潤様。それは詭弁です。私を、私を罰しては下さらないのですか!」

「飾がいなくなったら、俺はもっと苦しい想いをすることになるんだ。飾を失うことは俺の罰にもなる。だから、俺は飾を手放したくない。それだけ、飾を愛してるんだ」


 喜潤は震える飾の手を取る。

 柔らかくほのかに熱のある手。初めて触った彼女の手は意外にも小さかった。


「ずっと伝えたかった。飾のこと俺は好きなんだ。だから、だからずっとそばにいてほしい。飾が苦しむことになってもいい。それは俺が飾に与える罰だから」


 飾は喜潤の手を振りほどきたかった。彼から顔を背け、


「それは異性への愛ではありません。親子の、近親の愛です。私があなたを産んだことへの愛情です。好きとか愛しているとは違うんです」

「そんなことない! 俺は飾のこと本当に愛しているんだ」


 引かれた手。


 喜潤は飾の唇に自分の唇を重ねる。


 飾の体の中の空気が流れを止める。

 彼女は喜潤の顔が離れるまで瞬きも出来なかった。


「飾は、飾は俺のこときっと子どもにしかみてくれないと思う。でも、俺はもう子どもじゃない。大人になったなんて言えないけど、君に釣り合う年齢にはなったと思う。君をしっかり見つめて、こうして想いを伝えられる。俺は間違ってない。飾と一緒にいたいんだ」

「……喜潤様」


 飾は唇を噛む。

 喜潤を受け入れること。それは罪を重ね、食人と同じくらいの禁忌を犯すことになる。しかし、一方で飾の本心も喜潤とは離れたくなかった。


 彼の母である面を殺して従者として喜潤に仕えてきた。

 今更喜潤の母親面する気はないが、今までとは違った愛を与え、受けることは出来る。


「私は、今まで多くの罪を負いました。その罪を償うための罰はきっと一瞬では済まないのでしょうね。私はあなたを見る度にきっと葛藤するでしょう。きっと苦しい想いをするでしょう。でも、あなたが私に与えて下さる罰なら私は喜んで受け入れます。この獣をあなたの傍にいさせてください……」

「飾が獣でも俺にとっては愛する人なんだ。こんなにも飾が好きなんだから。俺の傍で永遠に罪を償ってくれ」

「――喜潤――」


 それは二人の意志だ。両者の選択だ。

 一方ではなく両方からの愛の形は二人にはわからない。


 かつて繋がっていたことによる愛か。それとも別々のものが惹かれ合う愛なのか。わからないけれども愛という形はある。


 再び唇を重ねる二人。


 ただその瞬間だけは全ての罪も出来事も関係なく、お互いの色に染まることを許されていた。

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少女達は飢えたコドクの獣と蔑まされる 宮崎悠紀 @ri0830at

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