第5章第2節:オシッコ


   A


 鶴岡と水谷が(エロゲーのおかげで)わかり合えた頃、神田は階段を上っていた。このビルは7階建てだが、その内の3階と4階が出版社のオフィスになっている。神田が目指すのは、マンガの編集部がある3階の方だ。

 エレベーターはあるが、神田はエレベーターを敬遠している。狭い空間に知らない人と一緒に入るのが苦手だからだ。

 他には、「開」「閉」のボタンがパッと見で区別がつきにくいから。

 乗ろうとしている人がいたので「開」ボタンを押そうとした時、ボタンを押し間違えて、ドアを閉めちゃったことが。ちょっと睨まれた。「ひらく」「とじる」と書いてあれば、間違えずに済んだのに。

「エレベーターに乗ってて閉じ込められたらイヤだから」という理由もある。その状態でオシッコしたくなったら大変だし。一緒に乗っている美女が我慢できなくなってオシッコしちゃったら……と考えると興奮するのは、神田に放尿フェチの気があるからだろう。

 女の子のオシッコが好きなのではない。「オシッコをする女の子」に興奮するのである。ここ大事。持っているジュースはリンゴジュースであってオシッコではない。

 なお、スカトロの趣味はない。

 スカトロに比べたら、放尿フェチなんて全然変態じゃないのである。

 美少女がオシッコを我慢してるのはマンガとかアニメとかゲームとかで割とよくある話だし、それを見てハアハアする男は世の中にいくらでもいるのである。オシッコ漏らしちゃったら、それはそれでハアハアである。放尿フェチの男はいくらでもいるのであって、神田の性癖が極めて特殊ということではないのだ。

 ちなみに、古事記神話には、オシッコから生まれた神もいる。

 カグツチを産む際、イザナミは火傷を負った。その火傷が原因で、彼女は病床に伏すことに。そんな彼女の嘔吐物・便・尿から神が生まれたのだ。

 ──そんなこんなで、神田は打ち合わせ室の前まで来た。


   B


「話は聞かせてもらったよ、神田君」

「っ!?」←ビクッとする神田

 ドアを開けたら、打ち合わせ室の中に男がいた。ヒゲを生やしたダンディーな男である。誰もいないと思っていたので、神田が驚くのも無理はないだろう。

「えっと……編集部の方ですか?」

「その問いに対する答えはYESだ。私は大塚と言う」

「大塚さん。二階堂さんなら、工藤先生との打ち合わせがあるって、出て行きましたよ?(僕との打ち合わせはしないで)」

「私が用があるのは、彼ではないのだよ」

「それじゃ、僕に?」

「その問いに対する答えはYESだ。君が、どんなマンガを描くのかと思ってね」

「え? 僕のマンガに興味を持ってくれたんですか?」

「その問いに対する答えはYESだ。私も編集者だからね」

(この編集部にも、まともな編集者はいたんだ!)

「神田君、どうしたんだ? そんなに感動したような顔をして」

「あ、ちょっと感動しちゃって」

「私は、そんなに感動させるような事を言ったかな?」

「その問いに対する答えはYESです(口調が伝染っちゃった)」

「神田君。私は君の担当編集ではない。部外者と言えば部外者だ。だから、話せる部分だけでいい。──聞かせてはくれないか。君のデビュー作が、どういう物語になるのかを」

「はい、喜んで」

 この会話が、新人マンガ家・神田の人生を変えることになる…………かは定かではないが、神田はデビュー作について語ることとなった。


   C


~神田のマンガの世界観的なやつ~


 かつて、中学生や高校生を中心に感染が拡大したウイルスがあった。感染は世界規模ではなく、国内限定。

 ウイルスに感染した少年少女は、インフルエンザの患者と同じような状態に陥っていた。発熱や頭痛などの症状が現れたのである。

 しかし、検査をしてみても、彼らにインフルエンザの陽性反応は出ない。インフルエンザではないのだから、当然ではある。陽性反応が出た者もいたが、季節外れのインフルエンザに感染していただけのこと。

 未知のウイルスに対し、特効薬などがあるはずもない。対症療法でしのぐ他に方法はなかった。

 そして、ある時──。

 ウイルスは自然に消滅した。

 全国にいた感染者が、一斉に快復に向かったのである。

 研究者が研究をする暇もなく、ウイルスは消え去った。詳しい事情は、今でも不明なまま。

 奇妙なことに、19歳以上の感染者はほとんどいなかった。肉体的に大きな差はない以上、18歳が感染したのに19歳が感染しないのはおかしな話だ。これもまた、理由は不明である。

「何者かが、意図的にそうしたのだ」とも言われた。その「何者か」とは「神」だと言う者が多かった。

 ウイルスに感染したことによる影響は、ある程度の時間が経ってから判明した。

「異能者」の誕生である。

 あのウイルスが、異能者を生み出すことになったのだ。

 感染者が異能者となったのではない。

「感染者の子ども」の中に、異能者が現れたのである。

 異能者は全国にいるが、世界中を探してみても、異能者がいるのは国内のみ。

 仮に異能者が海外に行けば、異能が発動しなくなる。異能は、国内でしか発動しない。その理由もまた不明だった。

 全ての異能者を海外に移住させる──国外に追放する案もあった。異能を用いた犯罪がある以上、そういう案が出るのも自然な流れだろう。

 しかし、異能者の数が多すぎた。移住させるとなると、金の問題も出てくる。異能者は、これからも生まれ続けるだろう。その度に、少なくない手間と金とをかけるのか──。

 結果、この国は異能者と付き合っていくしかなかった。

 立ち上げられたのは、異能犯罪の対策に当たる警察組織。主人公の青年もまた、異能を操る力を持ち、異能犯罪者との戦いに身を投じる。

 あのウイルスの蔓延から、25年が過ぎていた。

 世の中には、異能者を神聖視する者も少なくない──。


   D


「異能バトルか」

「はい」

「主人公は異能者か。私も、主人公は特別な方が好みだな」

「そうなんですか?」

「その問いに対する答えはYESだ。君の世代なら、平凡な少年が主人公というのは珍しくないだろう。だが、私の世代では、主人公と言えば特別な存在だったものだ。選ばれた者……とでも言おうか。憧れの対象だよ」

「今の大塚さん、目が少年のようでしたよ」

「おっと、これは迂闊だったかな」

「いえ、いいことだと思います」

「ははは、そうか。では、そういう事にさせてもらおうかな。少年マンガで育った私は、幼い頃はマンガ家を目指したものだが、絵が下手でね。それで、マンガの編集者を志したのだ」

(見かけによらず、熱い人なんだな)

「マンガというのは不思議なものだ。──少年マンガは、少年が読むから少年マンガなのだろうか?」

「えっと……。そうなんじゃないですか?」

「では君は、少年マンガは読まないのかね?」

「あ、読みます」

「そうだろう。大人でも少年マンガを読む。では、少年マンガとは何だ?」

「少年マンガとは……ですか」

「私は、こう考える──。『少年だから少年マンガを読むのではない。少年マンガを読めば、大人も少年に戻れるのだ』と」

「!」

「ガラにもなく、熱くなってしまったな」

「僕、大塚さんの熱意を感じました!」

「ははは。それでは、君の熱意も見せてもらおうかな」


   E


 神田と大塚の話は続いていた。

「大塚さん、小鳥遊先生の担当編集さんだったんですか」

 小鳥遊が連載しているのは、恥ずかしいがテーマのラブコメ。マニアックなシチュエーションが多い。

「小鳥遊先生のマンガ、ヒロインがすごくカワイイですよね。今月号も、すごかったです!」

 今月号の小鳥遊の作品をノベライズすると、こんな感じの話。


 バス停で少女がモジモジしている。その理由はと言うと。

(どうしよう……オシッコしたくなっちゃった……)

 そう、尿意である。

 寒いのにミニスカートを穿いているせいで股間が冷え冷えになっちゃったのか、オシッコをしたくなってしまったのだ。

 困ったことに、隣にいるのは想い人。オシッコしたいと言い出すのは恥ずかしかった。だって、女の子ですから。

 少年は部活の試合で活躍がどうとかこうとか言っていたが、少女の耳には入って来なかった。

(はうぅ……)

 オシッコを我慢して想い人と一緒の時間を取るか、学校に戻ってトイレでスッキリするのを取るか。

(どうしよ…………)

 そうこうしている内に、バスが来てしまった。

「乗らないの?」

「……乗る……」

 結局、少女はバスに乗った。オシッコを我慢してでも、少年といることを選んだ。選んでしまった。

(バスの中で漏らしちゃったら、どうしよ…………)


「女の子の恥じらいの表情が、すっごくカワイイですよね!」

「小鳥遊先生は、恥じらいの表情にこだわる男だからな」

「カバンの中に空のペットボトルを見つけた時の、安堵と覚悟が混ざり合った表情!『どうしたら、こんな表情が描けるんだろう』と思ってました」

「あのシーンを描くために、小鳥遊先生はバスに乗ったそうだ」

「ま、まさか……!」

「空のペットボトルを手に、尿意に耐えながら、バスに乗ったらしい」

「これが、プロ意識……!」


 少女は車内放尿の危機を乗り越えてバスを降りるも、我慢の限界が来ていた。

「お願い……見ないで……!」

 想い人がすぐ近くにいるのに、少女は路上で放尿してしまうのだった──。


「オシッコしちゃうシーンは、鳥肌が立ちました。絵がすごすぎて! 羞恥の表情の中にも、女の子のカワイさが溢れていましたよね」

「オシッコも溢れていたな」

「上手いこと言いますね、大塚さん」

「パンツを脱いでオシッコするか、パンツを脱がずにオシッコするか……。しゃがんでするのか、立ったままするのか……。先生と何時間も議論したものだ」

「その結果、パンツを脱がずに立ったままオシッコすることになったんですね。お漏らし風に」

「あのシーンを描くために、小鳥遊先生はオシッコ断ちをしていたそうだ」

「オシッコ断ち……?」

「小鳥遊先生は、オシッコフェチでな。AVのジャンルに『オシッコ』や『放尿』というのがあるが、あれだ」

「それを断っていたんですか?」

「オシッコに対するリビドーを溜めていたのだな」

(描いた後、見たんだろうなあ)


   F


「僕も、オシッコには興奮するかも……」

「ほお……。オシッコを飲みたいのか?」

「いえ、オシッコをする女の子にですよ。今月号の女の子みたいな。美人限定ですけどね」

「飲みたいとか、浴びたいとか……。そういう欲求はないのか?」

「それはないです」

「小鳥遊先生は、自分が道路になったつもりで、あの放尿シーンを描いたようだが」

「だから、道路からパンツを見上げるアングルになっていたんですね。──僕は、飲みたいとか浴びたいとかは思わないです。あと、スカトロはちょっと……」

「何……?」

「オシッコをする女の子なら、性的興味の対象になると思います。もちろん、覗きや盗撮はダメですけど。でも、大きい方は……」

「分かっていないな、神田君」

「え?」

「排尿と排便、より恥ずかしいのはどちらだ? 女性にとって、より『見られたくない』のはどちらだと思う?」

「それは、排便の方じゃないですか? 見られるだけでなく、音を聞かれるのも匂いを嗅がれるのもイヤだと思いますけど」

「そうだろう。つまり、より背徳感があるのは、排尿ではなく排便の方だ。我々男は『女性が見られると恥ずかしい物』に興奮する生き物だ。下着然り、裸然りな。それならば、排便という『恥ずかしさの極み』にこそ、男は興奮するべきではないか!」

「大塚さんは、大きい方に興奮する人だったんですね……?」

「その問いに対する答えはYESだ。女性限定だがな。排便という行為にも、排泄物にも興奮するタチでね」

「そ、そう……なんですか」

「君はただ、オシッコをする女性に興奮するだけのようだ。オシッコそのものには興奮しない」

「まあ、そうですね」

「若いな……若過ぎるな。君は、その程度の男だったのか。君となら、分かり合えると思っていたのだが」

「……僕には、排便中の女性に興奮することも、便そのものに興奮することもできませんよ」

「……君なら、私の同志になれると思っていた。一緒に、あの背徳感と高揚感を共有出来るものだと思っていた。それなのに……それなのに! 何故だ!? 何故、スカトロの良さが理解出来んのだ……!」

「僕には……理解できませんよ」

「──私達は、分かり合えないようだな」

「大塚さん……」

「相互理解というのは、かくも困難なのか。多様な価値観は、それだけ、価値観の相違を生む。価値観の相違から軋轢が生まれ、人類は争う事を止められない!」

 尿や便の話から、人類の話になっちゃった。

「……さらばだ、神田君」

「さようなら、大塚さん」


   G


 大塚が打ち合わせ室を出た(どことなく、背中がさみしそうに見えた)後、二階堂からメールが来た。

『大塚くんの異名は〈ベルゼブブ〉だよ』

「……あの人には、お似合いの名前だ」

 ベルゼブブは、7つの大罪の1つ「暴食」を司るとされる悪魔だ。その名の意味は「糞山の王」とも言われる。

(て言うか、なんで大塚さんがいたことを知ってるの……?)

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