第2話 コワサレ

 この状態を打破しなければ、明日の朝までこのままだったら大変だ。俺がそう思っていた時、どこからか声が聞こえてきた。それは絶叫とも断末魔ともいえる声だった。窓の外の彼方から、脳内に響いてきた。それは少女の声でもあったし、低い青年の声も聞こえた気がした。その声が気になって月明かりに照らされた窓に向かう。綿の腕で窓を押しのける。弱い風が吹き込んでくる。声のする方へ何故が飛べる気がした。飛ぶ…


 しまったと思ったその時には宙を浮いていた。予想以上に飛んでいたため、墜落死することもなかった。人間であった時よりもはるかに脚力がある。その夜、ぬいぐるみが空を飛んだ


 屋根を飛び移り、屋根を蹴って走る。空は飛べなくても、跳ぶことはできてしまっている。今日は氷点下の夜だったが、綿が詰まっているせいか寒くはない。声の方へ声の方へと進んでしまっている。引きつけられている


 気づけば、街のはずれ。いわゆる最終処分場に辿り着いた。言葉にならない言葉を発する者の正体がそこにあった。彼女もまた玩具の一つだった


「君は誰なんだ」

 問いかける声に彼女は今更俺の存在に気が付いたように視線を向けた。月明かりに照らされたその体を見れば、その人形が壊れていることがよくわかった。金髪の少女。青い服に白いエプロン、そのどちらも破れ汚れて見る影もない。右目は眼帯だった。左腕は明らかに異形の腕がついている。褐色のその腕は一目で彼女の腕ではないことが分かる

「こっちに来るな!」

 俺の言葉は聞こえていないらしい。頭を抱えてふらつく彼女に私は手を差し伸べようと近寄ってみるが…

「触るんじゃない!同情するんじゃない!お前も私を壊すつもりなんだろ!」

 手をはじかれて今度は自分がよろめく

「俺は壊したりしない。誰だって人形を壊したくて買うはずない」

 舞だってこのぬいぐるみを破壊するために買ってとねだったはずがない。どうして、彼女は壊されたのだろう。俺の内にはそんな思いが生まれていた

「まさか…お前。人間なのか」

 しまったと思ったが既に遅かった。彼女の目が開く。瞳からは血の涙が流され、紫のオーラが彼女をどす黒く塗り替えていく

「…っ」

 心まで凍えそうな風が彼女から溢れてくる。美しい人形だった彼女に壊されたことによって怨念がこもったのか。自分がぬいぐるみになっていなければこんなこと思うはずもないが、この風が現実味を帯びさせていた

「いつだってそうだ、人間は!凶暴で、残忍で、わがままで、乱暴で。壊れてしまえばすぐ捨てる!これじゃあ、私は壊されるために買われてきたようなものだろ!?」

 弾き飛ばされそうな風の中、ただ悲痛な叫びが響いて。それを否定したいけど、風が強すぎて口は凍ってしまう。目も開けないような風の中、突如として後方に吹き飛んだのは額に拳が飛んできて命中したからだった

「いた…い」

 泣きながら、怒りながら、叫びながら彼女は自らの偽の左腕を自らの私怨の疾風に乗せて俺を殴りつけてきた

「お前も廃棄処分にしてもらうんだ。体の綿を散乱させて、すぐごみ置き場に送ってもらいな!」

 風に紛れてガラスの破片が飛んでくる。駄目だ。クマオを傷つけるわけにはいかない。彼女のようにしてはいけない。舞にこのぬいぐるみを捨てさせるわけにはいかない。思い続けたその想いがどこかで結実する音がした。いや、音がしたような気がした。もう戦いは避けられないらしい


「なんでそこまで人間を憎むんだ」

 ガラスの破片が布で作られたはずの体に当たる前に塵と化していく。本当ならありえないことだが、今日は奇跡が起こる日のようだ。俺自身の周りに温かい風が吹いた

「小奇麗なぬいぐるみ風情が。乱暴に扱われて人形が喜ぶとでも?」

 風の中歩く。飛んでくる拳が目前にせまる。拳なら拳で返す…。綿の入った手で、褐色の左腕で応戦した。力が拮抗する。俺の腕が紙一重で打ち勝ち風の中に腕が消えていく

「子供は乱暴にしか扱えない。…無邪気だから。仕方がないことじゃないか」

 風の中歩みを強める。風に立ち向かっているはずなのに足取りは軽い。目の前の彼女は近い。紫色のオーラを打ち破るため、高く跳ぶ。そして、落下速度を利用してキックを繰り出そうとした

「眼には眼を歯には歯を!私をこうしたあいつの左腕を奪う!あいつの目を奪う!体中傷だらけにする!」

 彼女は右腕をまるでゴムのように伸ばして、キックを相殺する。それどころか、天高くぬいぐるみの体は吹き飛んだ。負けるわけにはいかない。そんなことは間違っているのだから。子供に悪意はないのだから

「壊されるまで遊んでもらえた。それでいいだろう!」

 落下していく中で俺は叫んだ

「なんだと!もっと優しい子の遊んでもらえていたら私は今も綺麗なままだったはず」

 落下のスピードは速くなる。段々地面が近くなっていく。この力をパンチに加える

「きれいなだけのおもちゃに何の意味があるんだ。汚れる子供と一緒に汚れて、寝る子供と一緒に寝る。遊ばれないことに不満を持つならまだしも、汚れることに、壊れることに恨みを抱くなんて、おもちゃの存在意味をお前は履き違えているんじゃないのか!?」

 クマオパンチ。心で呟いてオーラに包まれた哀しき少女の人形ごと殴りつける

「意味…?」

 まがまがしいオーラは晴れた。少女の人形はそのまま直立していた

「その子の幼少の1ページであること、必ず色あせていくその1ページになることがおもちゃの役割。…俺はそう思うけどな」

 倒れる人形の右腕を掴む。作り物の目から涙を流している。血の涙ではない。清き涙を…


「あなたも…遊んであげた、おもちゃのこと…」

 声が小さくなる。怨霊が成仏していっているのだろうか?俺には測りかねる事象だった。…俺は彼女の問いにある答えを返した

「…」

 彼女は晴れやかな表情で力尽きて、元の壊れた人形に戻った。でも、もうそこには元の悲しみはなかった

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