第3話

明日!9時だからなーーー!と手を振る幸雄に、適当に手を降り返しながら、僕は親をどうやって説得しようかと考えていた。

まともな親なら急な学生二人旅は許してくれないだろう。

父親は単身赴任たんしんふにんだから事後報告でも別に問題ないとしても、母親をどう攻略するかだ。


でも、どうも案が浮かばないまま、夕食の時間になっていた。

こうなったら、もう一か八かである。


「母さん。ちょっと明日、東京に行ってくるよ。」


何気なく食卓で切り出すと、母親は目を丸くした。

「東京?え、東京?」

「うん。春雄が懸賞けんしょうで当てたんだって。特急 エレクトリのチケット。なかなか乗れない1号車らしいんだ。駄目?」


何でもないかのように、はしは止めずに話す。ここはひるんでは駄目だめだ。特に心配することはないかのように話すんだ。じゃないと母さんは許してくれないだろう。


「急すぎるじゃない。もっと早く言うべきじゃないの。」


母は肉じゃがをつつきながら言った。

母の目は僕の方を見ない。

これは駄目かもしれない。

しばらくの沈黙ちんもくのあと、母は口を開いた。


「うーん、ま、行ってくれば?エレクトリの1号車なんてなかなか乗れないわよ。それにエレクトリなら安全でしょう。行っておいで。」


簡単に許してくれた母に拍子抜けしながら、僕は心の中でガッツポーズをした。

なんだかんだ言って、僕も乗ってみたかったのだ。エレクトリの一等席なんて、社会人になってもなかなか乗れるものではない。


「うん、行ってくる。」

もぐもぐと口を動かしながら母は続ける。

「いいなあ。賢一、お母さんも乗ってみたいわよ。写真とってきてね。あと、東京みやげになんか美味しいものをよろしく。お小遣いあげるから、買ってきてよ。」

「分かった、何が良い?」

「東京 銘菓 うずらが良いかしら。あれ、美味しいのよねえ。」

「あの、微妙びみょうにかわいくないやつ?」

「ね。かわいくないわよね。でも母さん好きなのよ。美味しいもの。まあ、うずらじゃなくて、ひよこにすれば良いと思うことはあるけどね。」

どうしてうずらなのかしらねえと笑う母に、僕は銘菓うずらの箱の模様を思いだし頭のなかに叩き込んだ。これは忘れたらねるだろう。


「しっかし、賢一が東京旅行とはねえ。生意気ねえ。しっかも、エレクトリ?本当に生意気ねえ。」


ふいに後ろから声がした。

深雪みゆき姉ちゃんだ。

年の離れた姉は社会人として働いているが、会社が余りにもブラックなために泊まり込みがほとんどで、なかなか家に帰ってこられない。しかし何故だか今日は彼女が後ろにいた。

「え、姉ちゃん?なんで?」

「え?なに、賢ちゃん。お姉ちゃんが帰ってきちゃだめなわけ?」

「いや、悪くないけどさ、帰ってこれるなら連絡してよ。母さんも大変じゃん。」

「いやー、ずっと泊まり込みと外勤ばかりで大変だったから上司に直談判じかだんぱんして直帰よ、直帰。本当は帰る予定なんてなかったんだけどさ。だから連絡しなかったの。ごめんなさーい!」

姉は両手を合わせてゴメンねのポーズをするとさっさと食卓についた。

「お母さん、私も肉じゃが頂戴ちょうだい!肉なしじゃがいも沢山で!」

はいはいと、母が席をたった。

「にしてもさ、賢一。エレクトリ乗るの?どうしたの?」

「幸雄が雑誌でもらったんだって。」

「へー。幸雄君、運あるのね。私もさ、エレクトリ乗ってみたいわー。あ、でもこないだ事故あったじゃん。幸雄、気を付けなー。」

そういう姉の顔はやや雲っているように感じた。

「そうなの?」

「あんた、ニュースみないの?東京行きの急行がおそわれて怪我人けがにん出てたじゃない。車体の映像みたけど、結構車体が抉られてて酷かったわよー。」

「知らんかったわ。どうしよう姉ちゃん。」

「まー、賢一は乗ってるだけだから、エレクトリに運命任しなさいよ。まあ、賢ちゃんの乗るエレクトリはくっそ速くてばかみたいに頑丈だから大丈夫。大丈夫。」


肉じゃがを口に入れながら姉は台所に向けて声を張り上げた。


「んー!お母さん、美味しいわー!」

「まだあるから、おかわりしなさいよ。」


それから話題は学校のことや、近所の誰それさんの娘が結婚した話に移り、露骨ろこつに嫌な顔をしながら母と話す姉をぼんやりと眺めながら、僕はゆっくりと肉じゃがを味わっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る