第56話 もう一度君に会うために



「……やっぱり届かないな」

 紙ヒコーキじゃ。そう言ってチェリカは笑った。少し前、紅茶を乗せたトレーを手にやってきて傍のソファに座っていたルノが、心配そうに眉を寄せる。

「チェリカ」

「うん、大丈夫」

「……この紙たちは、トアンへの手紙か?」

 宛名はないが。と呟いてからルノは口を覆った。ほぼ肯定された問いだ。

 宛名のない。

 つまり、届くわけのない手紙。それは絶対の距離を表している。チェリカはわかっている。わかっていても、彼女は書いている。──それにどんな意味があるのか、ルノは理解していた。ルノもまた、シアングに一度手紙を書いたからだ。……すぐに、捨ててしまったが。

「お兄ちゃん、それで何の用?」

 便箋にもう一度、と書きかけてチェリカは手を止める。

「え? あ、ああ。庭へ行こうと思ってな」

「庭?」

「最近ずっと篭っていただろう。だから、気分転換」

 ルノが微笑みながら告げると、チェリカもにっこりと笑った。

「さんせい」

 先程風が入ってきた窓からチェリカは飛び出し、手招いてルノを誘う。


 空は晴れ。いい天気だ。美しく手入れされた庭を歩きながら、しかしチェリカの心はどこか曇っている。ルノにはそれがわかる。

「……チェリカ……ん?」

 と、突然空が雲った。雨だ。ぽつんという小さな音にルノが顔を上げる横で、チェリカが素早く反応し、ルノを突き飛ばす。

「うわ!?」

 幸か不幸か、突き飛ばされた先は石でできた吹き抜けの回廊で、ルノは柱の一本に頭を強打し、目の前がしゅんと暗くなるのを感じた。

 ──何故?

「チェ……リ……カ……」

 ざあざあと降りしきる雨の音を聞きながら、ルノの意識はとっぷりと闇に漬かった。


 いつもは小鳥の囀りが優しく目を覚まさせてくれる。昼過ぎだったら暖かな日差し、夕方だったら心地良い風。それが今日に限って何もない。それでもルノはゆっくりと覚醒し、目を擦った。途端に走る、頭の痛み。

「……っ、いたた」

 これは瘤ができてるぞとぼやきながら、ルノはチェリカを探して──目を見開いた。


 すぐ目の前で、丁度突き飛ばしたときの格好で手を伸ばしたまま──もしくは、助けを求めていたのかもしれない──立ち尽くす少女がいた。雨はやんでいた。通常ならば庭園に光る雨の雫はとても美しいのだが、今日は違った。草花はすべて灰色の石に変わっている。

 目の前にあった、手を伸ばした少女の姿。灰色に変わった柔らかな金髪、冷たくなった白い肌、そして虚ろな目。

 ──石になった、チェリカだった。




「ん……?」

 もぞり。

「寝ちゃったのか……ふああ……」

 机の上で突っ伏していた少年が起きあがる。

 青の髪に、紫の瞳。

 机の上には一冊の分厚い本。そしてもう一度、と書かれた書きかけの手紙。


 少年の名はトアン。トアン・ラージン。

かつて幻の住民が住んでいた村に、今はたった一人住んでいる。

 自然が豊かだから、山に入れば食料には困らない。人が恋しくなればリコの村へと赴いて世話になった老人の家を訪ねていた。この村──1軒の家には手紙の配達は来ないから、リコの村でついでに頼んでいる。手紙の相手は焔竜であったり兄であったり親友であったりしたが、今書きかけていた手紙は決して届かない。だから、宛名はない。


 窓からのぞく外は、もう暗くなり始めていて。ランプの火をいじりながら、少年はあくびを一つし、机の上に置かれていた本を手に取る。これは仲間たちとの記憶だ。中を開ければ、落書きやら料理のメモやらあみだくじやら、色々なことが書いてある宝物。

 しかし、それはあの大樹を去った時間で止まっている。トアンにはどうしても、『終わり』の三文字がかけなかった。


 あれから、一年の月日が流れた。──今日で丁度。


「変な夢だったな……」

 トアンは本をゆっくりと捲りながら考え込んだ。

(やけにリアルで……オレは居なかったし……)

 まるで、自分は傍観者。

そんな、夢。

 ……以前、似たような感覚を覚えたことがあるが、まさか。


 バキバキバキ! ……ボスっ……


「!?」

 静寂を切り裂く、突然の物音。

(干草小屋かな?)

 慌てて部屋を飛び出していった。


 ギィ……

 慎重にドアを開けて、中に入っていく。

(まさか、泥棒なんてこないと思うけど……)

 夕日がうす暗い小屋の中を照らす。……天井に大きな穴が開いていた。穴から赤い陽の光が差し込んでくる。

「!」

 積んである干し草の山から、見覚えのあるブーツが見えた。急いでその山に飛び乗る。

 干し草に埋まるようにして、一人の少年が居た。

 長い銀髪、黒いローブ。耳元で光る涙型のピアス。そして、ルビーのような紅い瞳。トアンの姿を見ると、少年ははっとして身を起こした。


「トアン、助けてくれ!」


 憔悴しきったルノが、そこにいた──……。


 あれは夢ではない。一年前と同じだと、トアンは確信する。

(……今なら言あの続きが言える。)

 



『もう一度、君に会いたい』





 ハルティア一部 完

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ハルティア 森亞ニキ @macaro_honey

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