第39話 good-bye,journey
それは、春の訪れにも似ているだろう。
期待を希望をもたらす暖かな、でもどこか寂しさを覚える風。ああ、鼻の奥がつんとする。
──その先にあるものが何だか、わかっているから。
部屋を包んでいた漆黒は、スイの力によって浄化され、柔らかな風を生んだ。
トアンは目の前の巨大な扉をまじまじと見つめる。成程、僅かにあいた隙間から、黒い霧がにじみ出ているのが確認できた。
「このあいてしまった扉から出てくるのは、死者たちの恨み、憎しみといった聲。スイ、君はこれによってヴェルダニアの侵食を許してしまっていた……」
「その通りです」
「この扉を閉じなくては、再び過ちが起こるかもしれない。……閉じれるだろう?」
「私の誕生の守護神の力を使えば……。ですが、今は──」
何故か言葉を濁すスイの前に、アルライドが進み出た。その瞳は酷く穏やかで、雪どけ水のように澄んでいた。
「スイ様。俺、構いません。そのためにここにきたんです」
「アルライド……、しかし、それではお前は──」
「どういうことだ?」
若干の違和感を感じ取ったのか、レインがアルライドの裾を引っ張った。だがアルライドは少し寂しそうな顔をしてその手を外させる。
「還るってこと」
「──還る?」
「俺は、元々スイ様の力の大きな一部。だから還らなくちゃいけないんだ。そうしなきゃ、扉を閉じることはできない」
「それって、どういう……?」
細められたレインの瞳が、強い不安に揺れた。それに答えたのは、成り行きを見ていたタルチルク。
「消えるってことさ。『元々存在しなかった』ことになる。つまり、君たちの記憶から、彼に関する全てが消える」
「「──そんな!」」
チェリカとルノの声が重なった。
(だから……アルライドさんはあの時)
ぼんやりとトアンの脳裏に、ルノを助けに行く前のアルライドの言葉が浮かんだ。
あんまり干渉しちゃダメなんだ。君たちに変な後遺症残しちゃダメだから──……
あれはつまり、彼が自分の行く末を見ての言葉だったのだ。記憶が消える際、不自然な『修正』に悩まないように。
「──ふざけんな、そんなのありか!」
「レイン、駄目!」
アルライドが止める間もなく、レインの手は腰につけたナイフに伸びていた。即座にそれを構えると、タルチルクの喉元に突きつける──が。
「!?」
いつの間にタルチルクがその背後に回りこみ、奪い取ったナイフを逆にレインの喉につけていた。
「な」
「邪魔はしないでね、君。ボクは大抵の『ヒト』に手は出さないけれど、君のような『凶兆』は摘むことは許されているんだよ」
「レイン!」
「兄さん!」
慌てたトアンが前にでると、タルチルクは見透かすような瞳でトアンを見た。
「トアン、君のために言っておく。今ここでボクをとめないほうがいい」
「……え?」
「ボクをとめず、そこに居るほうがいい」
「何言ってんだ」
ばり、大気中に光が走った。稲妻だ、トアンがそう思うより早く、タルチルクは飛びのいていた。──シアングだ。その隣でチェリカ、ルノ、ウィルも構えている。
「……っと。大丈夫か、ネコジタ君? 修正だか何だか知らねーけど、これはねーんじゃないの?」
「それが答えならボクは見守るよ。だけどいずれ、君たちはどれだけ自分たちの選択が愚かだか後悔する……と、まあ。先のことはまあいいか」
つい、目を逸らしてタルチルクは小さく笑った。トアンが兄に視線を戻すと、レインは自分の手を、どこか呆然としてみていた。
「オレが、こいつらの『凶兆』……?」
「気にするなよ」
ウィルが笑いかけるが、レインの顔色は僅かに曇ったまま。シアングはその頭を乱暴に撫でるとタルチルクをにらみつけた。
「不吉なこと言ってくれんね」
「……さあ、ね。さて、話を戻そう、すっかり逸れてしまった」
「──アル」
「……タルチルク様、レインに手は出さないでください。俺は、もうわかってます」
弾かれたように向けられたレインの視線から逃れるように、アルライドは頭を垂れた。
「駄目だ、そんなの絶対駄目だ」
「……レイン。気持ちはとっても嬉しいけど、でもね、この扉をこのままにはできないよ。このままじゃ、また──」
「アルライドは、我慢しなくていい」
不意に聞こえた声にその場に居た全員が振り向く。そこにいたのは、
「シャドウ!」
チェリカが叫んだ。
二つに分かれた月千一夜をもったシャドウ。そしてその隣に控えるタンの姿もある。
「チェリカ、無事みたいだね、良かった」
「うん、私は平気。……けど、今のどういうこと?」
「そのままさ。……アルライド。君、ずっとずっと我慢してきただろう。未来を自分で選べないことに」
「!」
アルライドの緑の瞳が僅かに見開かれた。
「君は数年前のときレインの──スノゥを殺さないために、死を選んだ。いや、振り出しに戻った。その後、彼を見守るためにガナッシュとして再び歩き出した。でもこれは、君の『レインと一緒にいたい』という感情だけではない。──義務だったから」
「……でも、一緒にいたかったのは本当だよ」
「だろうね。それでも君は、そのあと僕に利用された──……。どうだい? 今まで君が自分の意思だけで決定できたことは何一つない。そして今、運命に従って還ろうとしている」
シャインの──シャドウの声は不思議なくらい静かだった。
「本当の気持ちをいってあげなよ」
「……。」
くしゃり、アルライドの端整な顔が歪んだ。
「──ホントは、消えたくなんかないよ」
「アル」
「でも! でも仕方がないんだ!」
「ホラね」
「何か考えがあるのかい?」
成り行きを見守るタルチルクがシャドウに問いかけた。シャドウは──こっくりと頷いて手にもった月千一夜を示す。
「今ここに、999の精霊が宿っている。ここにもう一つ、魂を吹き込めばいい」
「魂──というと?」
不意に、トアンのグローブをチェリカが掴んだ。どうした、と尋ねる前に彼女の顔に強い不安がでていることに気付く。
「チェリカ?」
シャドウはそんな彼女に気遣うような優しい笑みを見せて、扉の前に進み出た。
「……だめだよ、シャドウ」
「──君はやっぱり鋭いね」
「シャド──シャイン! 何するつもり?」
慌てるトアンの前で、シャドウはいかにも彼らしく皮肉ぶって笑ってみせた。
「僕を最後の魂として取り込むんだ」
「だめだってば!」
「いいんだ、チェリカ。僕は、アルライドにお礼がしたい。……お礼っていっても小さなものだけどね。そして1000の魂を吸った月千一夜を鍵にして、この扉を閉め、僕以外の魂を開放する。これを願えばいい。僕は『向こう側』に戻って、番人でもするさ」
さわやかに笑ってみせる彼は、歳相応の少年そのものだった。
「シャドウ!」
「……タルチルク様」
スイが一歩進み出て、タルチルクに話しかけた。
「どうしたの?」
「私は、これ以上誕生の守護神を続けることはできません。目が見えないのもありますし、私が『魔王』として、勇者『星の道』が生まれたのなら──その運命に従います」
「ふむ」
「それで、次の誕生の守護神に、アルライドをお願いします」
「えええ!?」
レインの隣で成り行きを見ていたアルライドは、すっとんきょうな声を上げた。
「そんな。俺……」
「僕からもお願いします。もっとも、僕の意見なんて関係ないでしょうけど」
「いや──シャドウ。君の声も聞いているよ。ボクも君たちの意見に賛成」
「でも、シャドウ、シャインは?」
彼の行く末を思うといまいち喜びを表現できず、苦い顔をしたアルライドをシャドウは笑い飛ばした。
「僕は、死者でありながらこの世界を乱した。それにしてはいい待遇だよ?」
「だけど」
「少しは喜んだらいいんじゃないかな、アルライド」
「消滅しなくていいのは──嬉しい」
困ったような、小さく笑みが浮かんだのを見てシャドウは満足そうな顔をして、チェリカの手をとった。
「決まったね。タン、君も好きにするといい」
「……シャドウ」
「ありがとうチェリカ。君は、僕を見捨てなかった。僕に手を差し伸べてくれた。ありがとう、そしてさようなら」
その手に、そっと口付けを落とす。
何だかとても切ないものに見えて、トアンの胸に嫉妬やそういう感情ではなく、なにかもっと──強く、深いものが溢れた。
「シャドウ。私」
「トアン、僕はチェリカのパートナーだった。とりあえずはね。……もう、契約の消滅だ。がんばれ」
「まだ、シャドウの夢を叶えてないよ!」
「……いいんだ。一応、僕の夢はかなった」
「え?」
「別の仲間だけど……また、皆の──仲間たちの笑顔が見れた」
「綺麗な言葉で飾らないでよ!」
「……まったく、君はどうして素直に感動してくれないのかな。それが君らしい、ってことなのかな? いろいろごめん」
「……。」
タルチルクはそっと二人の頭を撫で、優しい声で残酷なことを告げた。
彼に悪気があるわけではない。それが彼の仕事なのだ。──そう分かっていながらも、蟠りが消えない──。
「今から一度、この扉を開放。そしてその12時間後に、封印する」
「私とスノゥがここに──シャドウとともに残る。トアン、チェリカ、ルノ、シアング、ウィル、レイン。深水城に戻るといい。……アルライドも。」
「……はい」
「クランキス、セフィラス、ルナリア。お前たちも戻れ。タン、タルチルク様。お願いします」
「俺とセフィも、12時間後に消えるの?」
「いや、二人は身体に戻るんだ。ルナリア、アルライド。……12時間後に。」
「それじゃ、いくよ」
タルチルクの竪琴の音が、辺りに広がっていく。うっすらと情景が消えていく中、確かにトアンは聞いた。
「さよならチェリカ。僕の愛した、未来に生きるひと」
「……シャドウ」
俯いて肩を震わせるチェリカの様子に、トアンは声をかけるのをためらった。
辺りは広々としたホールに変わっていた。──深水城だ。辺りを見渡すタルチルクの元に、ヴァイズ、そしてその後ろからテュテュリスが走ってきた。テュテュリスの姿はあの立体映像ではなく、ちゃんとした実態だ。
「トアン、みなのもの! よくぞ戻ってきた!」
「ジジイ……なんだよ、疲れるテンションだな」
「相変わらずさえない顔じゃのうシアング。……ん? 後ろに居るのは──セフィとクランか!?」
旧友の姿を見つけたテュテュリスの顔に、嬉々とした喜びが浮かぶ。名を呼ばれた二人は手を上げて合図をした。
「久しぶり」
「変わってないな」
「連絡もよこさんで……封印されたと聞いて、わしは心配しておったのだが」
「ごめんな、テュテュ。ヴァイズも久しぶり」
「うむ」
ヴァイズとテュテュリス、そしてクランキスとセフィラスは互いに笑いあうと、メイドの一人がかけてきた。
「ヴァイズ様、お食事の用意ができました」
「ご苦労。魔力の流れで、そろそろ帰ることだと思ってな。食事の用意がある、タルチルク様もよければ」
「いや、ボクとタンはもう行かなくては。……大丈夫かい?」
「はい」
タルチルクとタンは一同に礼をしてみせ、出口へと続く道へ歩き出した。
「今から12時間後に修正が行われるから、それまでここで世話になろうぜ。……チェリカ、おいで? おいしいご飯があるぞ」
俯いたままのチェリカの腕を掴み、クランキスが駆けていった。トアンはそれを追って歩き出す。
「……、うん、おいしー!」
さくさくのパイ生地の中にはたっぷりとアツアツの肉が閉じ込められているミートパイにかぶりつき、チェリカが喉を振るわせた。……何個目だろうか。彼女の横には湯気を立てていたスープのカラになった皿、サラダのボールが重なっていた。
「あ、チェリカ。クリームチーズとって」
「いいよ」
向かいに座ったアルライドの要望に、チェリカは手元にあったクリームチーズがたっぷり詰まった壷を差し出す。
アルライドはふっくらとして香ばしく焼けたパンにたっぷりと塗ると、何枚目かもわからないそれを一口で食べてしまった。
今、一番複雑な心境にあるであろう二人の食いっぷりに、正直見てるほうが複雑だ。
──周りに気を使わせないようにしているのか何も考えていないのか、二人の食欲は山盛りにあった料理を確実に食い荒らしている。
「レイン、そっちのチーズも取って」
「……ほら」
頬杖をついて親友の食いっぷりを見ていたレインの手が、目の前にあったチーズの山を親友へと押しやる。
「久々に食べるチーズおいしくてさ、うん、うまい」
「あ、そう」
興味なさげな返事を返しながらも、レインの顔は嬉しそうだった。
「アルライド、いいにおいがしてきたぞ」
メイドを下がらせ、代わりに給仕をやってのけるシアングが、チーズの山に没頭するアルライドをつついた。
「ホント? じゃあもうできたかな」
「さっき、キッチン入って何つくってたの? 飯ならいっぱいあるのに」
「ふふん、待ってて」
土産とばかりにチーズのかけらをもう一つとって、アルライドが走っていく。その後姿を、レインは穏やかな顔で見ていた。
「……結構、気分はいい?」
「ああ? まあな」
「お兄ちゃん、チェリーパイ少しちょうだいよー」
「落ち着いて食べなさい」
「やだ! 全部食べちゃうでしょ! この甘党食いしんぼ!」
「食いしんぼはお前だ!」
テーブルの中心に聳える特大のパイを挟んで双子の戦いが始まった。
どちらもまったく譲り合う様子を見せない、その二人にトアンは思わず苦笑をした。
旅を始めたのは、遠い昔に感じられる。が、実際一年も経っていないなんて、時間の感覚がおかしくなりそうだ。
(あのときは)
空から落ちてきた、兄を探す少女。
だが共に時間を共用するうち、彼女の本質を知ることとなり、そして──今。
(チェリカがどれだけ自分について思い悩んでたか、わかる気がする)
もう影から逃げることはせず、暖かい光の下で笑う彼女は、本当に本当に幸せそうで。そしてチェリカの正面にいるルノも、だ。
──歪んだ運命に絡み取られながら、必死でそれから逃げ出し、立ち向かった双子。
「ああ!」
べちゃ!
ぼうっと思案にふけるトアンの顔に、パイがはりついた。ああ、というのはチェリカの声だ。しかも声色から察するに、相当嬉しそうだ。
「チェリカ、酷いよ」
「す、すまないトアン!」
「いや、大丈夫です。ルノさん、汚れますよ」
「構わん。チェリカ、笑ってないで。」
「あはは、ごめんごめん。あんまりにもいい結果だったもんでねー、……あーあ、パイがぐちゃぐちゃ」
あまりの言い草にトアンが傷ついて情けない顔になっていくのがわかったのだろう、ルノが呆れた声でチェリカを制した。
「こら、パイよりトアンだ」
「わかってるよ──あれ」
突然チェリカの興味が移った。トアンとルノもつられてそちらに視線を向けると、アルライドが器用に頭の上に皿を乗せて歩いてくるところだった。
「アル! なあにそれ、いいにおい」
「これ? 肉饅頭だよ」
長身のため身を屈めてやると、チェリカは大喜びで三つとった。
「はい、お兄ちゃん、トアン」
「あ、ありがとう」
トアンはアツアツのそれを受けって礼をいった。にこやかに笑うアルライドの肩越しに、馬鹿にしたように笑うレインが目にはいる。
「兄さん……」
「どんくせぇやつ」
くくくっと喉を鳴らしながらタオルを手にとって、レインが少々強すぎる力でトアンの顔を拭いてくれた。
「いてて、痛いよ」
鼻の穴を塞いでいるのは故意か無意識か、それでも兄の垣間見せた優しさにトアンの頬が緩んだ。それを見てうんざりした顔になった彼に追い討ちをかけるように、チェリカが声を立てて笑う。
「あははは、優しいー!」
「うるせぇ。……つか、いつから『アル』って呼ぶようになったんだ」
「ちょっと前」
「……」
「レインのまねっこしただけだもん」
明らかにむっとした様子のレインの頬をつねりながら、チェリカが言う。怖いもの知らずめ、とルノがその手を離させるが、トアンはチェリカやルノに対しレインが手を上げることはないということを知っていた。
「やきもちー、可愛いー」
「……っの、ガキ!」
「ままま」
レインが吠えた瞬間にアルライドの手が彼を抑えた。頭の上の皿が大きく揺れたがそれはおちることはなかった。
「ほらほら、君のぶんもあるからさ」
「でも……レイン、肉は食えないだろう?」
真っ白で少々不恰好な肉饅頭を両手で掴み、左右に裂きながらルノが尋ねた。ほわん、裂いたところから蒸気があがり、たっぷりの肉汁が中からあふれ出している。
普段進んで肉を食わないルノも、ためらわずに口をつけているが、自分は食べないのであって、『食べられない』わけではないからだ。
「……よく気付いたね」
アルライドが関心したように言う。
「まあな」
「でも心配いらないんだよねー、これが。ほら、レイン、どうぞ」
先程と同じように身を屈めるアルライドの頭上の皿から一つ手に取り、レインが目を細めた。それは、一つだけ敷き紙が青いものだ。
ぱく、小さくちぎって食べるようにはせず、そのままかぶりついたレイン。その目は疑いもなにもなく、ルノが首を傾げた瞬間チェリカが声を上げた。
「魚!」
「……魚?」
突然の妹の言葉が理解できず、ルノの声が疑問を帯びる。
「あれ、中身魚でしょ? しかも白身魚」
「本当か?」
「正解。レイン、魚なら食べられるしね」
にこり、アルライドは笑ってみせる。その笑みはとても清々しく、ひりひりと痛む鼻を押さえるトアンも嬉しくなった。
「俺はひとを殺しても、ちっとも平気だったんだよね。血に塗れても全然平気だった。でも、レインはそうじゃなかった……『肉』を見る機会が多くて、自分と『同じ』って気がついたら、もう駄目だった」
「……別に。オレはそんなに弱くねぇよ。アルのこの見てくれの悪い飯も、好きだし」
「……喜んでいいのか、悪いのかわかんないけど」
「いいんだよ」
拗ねたように、けれども食べる口はとめず。
「兄さん、少食だけど、ちゃんと食べてる……。初めてみたかも」
感心してトアンが言うと、チェリカがにやりと笑って見せた。
「シアングが聞いたら怒るよ、きっと」
「え?」
調理場に消えていったシアングの姿は、今ここにない。
「レイン、シアングのご飯いっつも残すから。ちゃんと食べてるのみたら、絶対機嫌悪くなる」
けらけらと笑って、彼女は半分潰れてしまったパイに手を伸ばした。そのまま酒に酔いつぶれて寝ているウィルのすぐ傍に駆け寄ると、彼の頭にパイを叩きつけた。
「私とお兄ちゃん、お母さんとお父さんのとこいってくるね」
パイの騒ぎののち大乱闘によってぼろぼろになった食堂を離れ、寝室としてあてがわれた部屋の前にきたところでチェリカが言った。
「それではな」
ぺこりと頭を下げるルノ。寂しそうなルノの頭をシアングが撫でてやると、ルノは小さく礼を行ってチェリカと歩き出した。
別れの時間まで、あと少し。
「じゃあ、オレ、ルナと話したいから」
双子を見送ってからシアングも妹の手を取り、トアンたちに背を向ける。
残ったのは、トアンとウィル、アルライドとレインだ。
「じゃあ、俺たちも寝よっか。風邪ひいちゃうしね」
どうしてアルライドが、こんなふうに優しく笑えるのかトアンはわからなかった。まったく。
多分一生かかっても理解できないだろう、唐突にそんなことを思った。
「アルライド、あのさ」
と、トアンの横で何か考え込んでいたウィルが口を開いた。彼の顔にはひっかかれたような痕が残っている。……チェリカのつめだ。
「あのさ……」
「どうしたの? ……トアン、レイン。先に部屋入ってて」
「?」
いぶかしみながらも二人が部屋に入ったことを確認すると、アルライドはウィルの言葉に耳を傾けた。
「よくわかったな。他のヤツに聞かせたくないって」
「うん、まあなんとなくね。それで?」
「もしかしなくても……オレが何を言いたいか、わかってるか──?」
「ううん」
そういって首を振りながらも、アルライドの口元には笑みが浮かんでいる。──真実は、何処だ?
「そんなに怖い顔しないでよ」
「し、してねえよ」
いかんいかん、アルライドのペースに乗せられてるぞとウィルは咳払いをする。アルライドの飄々として、掴みどころのない癖のある性格。さらにそれでいて、どうしてもヒトをひきつけるのだ。
「アルライド」
不意に響いた強い思いを押し殺した声に、アルライドも姿勢を正した。
「連れて逝かないでくれ」
「…………。」
「レインを、絶対連れて逝かないでくれ。レインが何を言っても、絶対に」
真剣な茶の瞳が、底なしの深緑に沈む。いや、沈みかけた。
「なんだ、そんなこと」
「……え?」
「あたりまえでしょ? レインはここでまだ生きるべき。例え、その先に何があろうともね。──俺は消えない。レインは、何もかも俺を全部失くすわけじゃない。だから、もう前みたいに壊れない」
そう語るアルライドの瞳はとても真剣で、優しくて、そして──寂しかった。
この孤独に歩いてきた男の両手から『心』を奪い取ることを言っているのは自分だ。ウィルは唇をかみ締める。
「ウィル、レインをお願い」
「……ごめん」
「いいんだよ。零に還るわけじゃなかった……それだけで、俺は幸せだから」
──自分の存在が。
大事な人々から消え去ってしまう。跡形もなく、忘れられてしまう。それがどれほどの恐怖かはわからない。
そして諦めかけていたそれから逃れることができて、しかし次に待っていたのは別れ。
それなのに、この男は、幸せだといって笑うのだ。
「オレの居場所は見つかったけど、お前の居場所はあるのか……?」
彼はそれに答えず、あの強く儚い笑みを見せたのだ。
「……。」
月光が部屋を青白く包んだ。もう雨はやんでいて、インクを零したような美しい夜空に浮かぶ、月。月千一夜ではない優しい光。
「えへへ」
堪えきれないように、ついに隣のチェリカが笑い声を上げた。つられてルノも笑うと、さらに二つの声が重なる。
ベッドは、一人用。でも二人はまだ子供だから、二つベッドをつけて少々狭いぐらいのスペースに潜り込んでも苦しくない。双子を真ん中に、挟むように親。家族四人で、同じベッドで。
(ああ、どれだけこれを欲しがっていたんだろう)
ぼんやり考えていると隣のクランキスがそっと髪を撫でてくれた。優しい瞳だ。
今の姿では歳はそんなに変わらないように見えるが、世界を救った勇者で、そして大きな父の気配が確かにあった。
「お母さん」
布団の中で握った、チェリカとの手。その手を通じて、チェリカの甘えた声と嬉しいという気持ちが伝わってくる。
「なんだ?」
「お母さん、お母さん」
「……ふふ。どうしたんだ、もうそんな小さな子供じゃないだろう」
セフィラスの優しい声が心地よい。
「嬉しい」
「ん?」
「皆でこうしてられて、私嬉しい。懐かしくて、あったかい」
「僕もだよ。……いままで」
「セフィ」
謝ろうとしたセフィラスの言葉を遮ってクランキスが名を呼んだ。その意味を汲み取ってセフィラスは微笑むと、誤魔化すようにチェリカの頬にキスをする。ルノの頬にも、クランキスがキスをしてくれた。
「子守唄、歌ってよ」
「え?」
「俺、セフィの子守唄好き。チェリカとルノも懐かしいだろうし」
「……そうか。では」
瞳を閉じて 思い出して
長い旅路の終わりの果てを
瞳を閉じて 思い出して
木漏れ日に眠る月を、砂漠にきらめく太陽を
かえりなさい かえりなさい
歌が道を示してくれる もう迷子じゃない迷わない
かえりなさい かえりなさい
目を覚ますのは まだ早いから
まだまどろみのなかで まだ
まるで二人の胎児が向かい合っているように身を寄せる。本当は言葉なんて要らない、何一つ。
「レイン、寒くない?」
「……うん」
「レイン、寝苦しくない?」
「ずっとこうしてたろ」
「レイン。……」
欲しい言葉なんて何一つくれないくせに。
ただ、静かにアルライドはレインを見続けていた。時折言葉をかけて帰ってくる言葉が段々そっけないものになってくることに、若干の痛みを感じて。
シャインとチェリカと戦う前もこうして眠った。あのときは、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
それなのに。
(また、俺はレインを置いていくのか)
二度と会えないわけではない。だがしかし、可能性はないに等しい。スイのことも人間には厳重に隠されていた。今回のことがあって前よりもそれは強まるだろう。そしてその結果が何を意味するか、アルライドは珍しく耳を塞いだ。
「……目が覚めたら、また独り?」
「そんなことないよ。仲間がいるよ」
「独りじゃないけど、アルはいない」
「……困ったなあ、じゃあそんな君のために子守唄でも歌ってあげるよ」
「お前、音痴だもん」
「だよねえ」
「でも歌って」
「ははは、どっちなのさ」
そういいながら、アルライドは「ら」という音が並ぶ、少々へたくそなメロディーを奏で始めた。
部屋の中はいくつかの寝室に分かれていた。どれも一人部屋だが、アルライドとレインは一緒に居るのだろう。小さな歌声が聞こえてくる。
トアンはベッドに腰かけ、ぼんやりと壁にかかった鏡を見つめていた。
「いいのかな……」
ふと、呟いてみる。誰に? 何が? そんなこと、わからない。わからないのだ。
だが、この心にかかる靄はなんなのだろう。
「……」
「辛気臭いな、一人部屋で独り言」
「ほっといて……って、誰!?」
突然聞こえた生意気な声に辺りを見回すが、ドアが開いた音もしなければ人の入ってきた気配もない。
「こっちだよ、こっち」
「え?」
「馬鹿、目の前さ」
目の前、には鏡。
そしてその鏡にはトアンが映っていた。……先程までは。
「シャイン!」
「やっと気付いた?」
そう、シャイン──シャドウだ。あの生意気な顔、声。間違えるはずもない。
「どうして」
「どうしてかな? トアンが馬鹿みたいに悩んでるから、ヒントを教えにきたのさ」
「……ヒント?」
「『虚しさ』だろ? 悩んでいるのは」
虚しさ? トアンは鏡の前で首を傾げた。
そんな様子を見て、腹立たしそうにシャドウが目を細める。
「ひととひとが出会い、思いを重ねる意味に対する虚しささ。アルライドのことだろ」
「……そうだ」
眠りから覚めた直後のようにぼんやりした頭が、すっと冴え渡る。
出会っても、すぐに別れる。このままでいいのか? 兄とアルライドを別れさせていいのか?
──答えは、わからない。人が出会う意味は、何だ?
だがしかし、トアンは首を振って考えを打ち消した。
「わからない」
「え?」
「オレにはわからないんだ。……だから、これから知りたい」
「そっか。それでいいんだろうな」
「……」
「君が、羨ましい──」
『未来に生きるひと』
あの時の彼の言葉が脳裏に響く。そして、自分が今、彼には永久に手に入れることができないものを口にしたと気付いた。
「ごめん」
「いや、君はドコまで間抜けなんだ」
「……ごめん」
「お兄ちゃま」
ベランダで夜空を見上げ、ルナリアは静かに頬笑む兄を振り返り見た。
「星が綺麗よ」
「……うん」
小さい妹だ。
──あの時のまま、彼女の時間は止まっているのだ。
「ルナ、またお兄ちゃまと一緒に居られるなんて思いもしなかったわ」
「オレも。……あんま乗り出すとあぶねーぞ」
「平気よ」
けらけらと笑いながら、不意にルナリアは真剣な眼差しになった。
「……お兄ちゃま」
「ん?」
「お父様の言いなりになってちゃ駄目よ。このままだったら、お兄ちゃま、あのひとたちと」
「……」
シアングが何も言い返さないと、じれたようにルナリアが兄の腕を引っ張った。一瞬の痛みにシアングの眉が寄るが、ルナリアは気にしていない。
「還りの聲の城でチェリカとウィルの正体はわかったわ、二人は安全。──でも、ルノも、トアンも、レインもいいひとよ。だめ、お兄ちゃま。このままじゃだめ!」
「……そうだな」
妹が何を言おうかわかっている。言って欲しい言葉も。
だが、シアングは目を伏せて言葉を封じた。
「……お兄ちゃま」
「トアンも、ネコジタ君もついでだよ。……オレが本当に見極めなくっちゃあならないのは」
「お兄ちゃま!」
必死な妹の頭をくしゃりと撫でて、優しい声でシアングは続けた。
「まだわからねー。あの三人の力がどうなるか、『安全』か『そうじゃない』のか。まだ結論はだせないんだ」
「もし、『そうじゃなかった』ら?」
「そのときは──……」
「オレは、オレの使命を果たすまで」
「何もかも失うのよ?」
「いいさ。……ルナが気に悩むことじゃあない。お前はあっちでゆっくりしてろ」
「……。嘘は、続かないのに」
どこか心の痛む兄の笑顔に、ルナリアは背を向けた。視界では満点の星空が、永久の煌きをはなっていた。優しく、残酷に。
「……っ?」
ふと、体を包む冷えた空気に、隣のぬくもりが消えたことを知った。
慌てて身を起こし、暗闇に包まれた室内を見渡すが、そこに探しているひとの姿はない。
「……アル?」
じわ、胸に不安が広がる。時計を見ると、『別れ』の時間まではもう一時間をきっている。
「アル!」
僅かに戸が開いている。──彼は、ドコへ?
靴も履かず飛び出したレインの背後で、満点の星空が静かに笑っている。
(いやだ)
このまま、自分は彼を見送ることができないのかもしれない。そう考えて、背筋が凍った。
深水城の裏にある馬車の横に、持ってきてしまったプレーズを置いて、ぼんやりとウィルは夜空を見上げていた。夜風が心地よい。
(別れか……)
自分はここに残れる。正直な話、さして辛くもない。だが、他の仲間は?
(……心配なのが一人いるけど)
そう思って苦笑する。隣に居る綺麗な雌馬が小さく嘶いた。
「ジャスミン、オレさぁ、すげえ酷いこと言っちゃったんだ」
「ブルルルル……」
「アルライドに。でもあいつ、それでも笑ってみせて──」
ちりん、りーん……
ふと、耳に飛び込んできたのは鈴の音。はっとして顔を上げると、黒髪の人物が身軽に地を蹴って、深水城の隣にある小高い丘を登っているところだった。
「あいつ、なにやって──レインと一緒にいたんじゃなかったのか!?」
はっとして立ち上がる。繋いだばかりのプレーズの鎖を解いて、申し訳程度に整備された深水城の裏道に出した。アルライドはもう、長い長い坂道を越え、姿が見えない。
暫く自問自答した末、ウィルはプレーズに跨るとペダルを漕ぎ出した。
(どこいくつもりなんだ!?)
彼の姿はとうに闇に溶けて見えないが、その目的がわからない。
ようやく麓にたどり着いてその丘を見上げたとき、改めてその大きさを悟った。目の前に聳えるゆるやかな上り坂は、これで登りきるのは相当な体力を使うだろう。
「でも、いくしかないよな……」
覚悟をこめて足に力をこめたとき、後ろから足音が聞こえた。
たたたた、足音自体は軽やかなものでも、苦しそうな呼吸が混じっている。
「誰だよ?」
「お前……っ」
不審げに振り返ると、走ってきた人物もウィルに気がついたようだ。怪訝そうな声が上がる。──レインだ。
「アルを見なかったか!? 鈴の音がして、それを追っかけてきたんだけど」
ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返すレインの足は、白い素足のまま。
「……見たぜ。この丘登ってった」
「ホントか。……良かった」
「お、おい! ちょっと大丈夫か?」
ふらふらとした足取りで坂道に向かう彼を思わず引き止める。
「……何」
「ふらふらじゃんか。そんなんじゃ倒れちゃうだろ」
「関係ねぇだろ」
「──乗れよ。ほら早く!」
ちくちくとした痛みを飲み込むと、ウィルは思い切りペダルを踏んだ。緩やかな分、まださして重くもない。
暫く後ろを見ずにこいでいると、ふと軽い衝撃と重さを感じた。……レインが飛び乗ったようだ。
「……。」
小さな声で、謝罪が聞こえた。が、ウィルはあえて聞かなかったことにして、ただ目の前を見続ける。
「ルナが還ったら、お兄ちゃまはまた寂しくなるわ」
小さな声を聞いて、シアングは妹の正面にしゃがみ込むと目線を合わせた。
「平気だよ。友達も、仲間もいる」
「いつまでの?」
「……。ルナ」
「ルナ、あっちでずっと見てるわ。お兄ちゃまが心配だもん」
「…………」
「もしお兄ちゃまがなにもかも失っても、ルナは見てるわ」
ルナリアは諦めたように兄の手を取った。
長い坂道を登りきったところにある、開けた地。そこは深水城と周辺の町が見渡せる見晴らしの良い場所になっていた。
アルライドは、その崖にたっていた。こちらに背を向け、ただ零れ落ちそうな星空を仰いでいる。
「アル──!」
かすれた声でレインが名前を呼んだ。途中は荷台に乗っていたとはいえ、乗る前は全力で走っていたのだ。その、弱った体で。相当きつかっただろうに、それでも走ることをやめなかった。荷台から飛び降りて、彼の元に走る。
その声を聞いて、アルライドがやっと振り返った。飾り布が夜空になびき、なにか人間を超えた、神秘的な美しさをもっていた。ウィルはプレーズをひいたまま立ち止まり、二人と距離をとる。
邪魔をしてはならない。そう思った。
「レイン──。やあ、きたの」
「やあ、じゃねぇよ。疲れた……」
「持久力がないのは相変わらずだね」
「悪かったな」
くつくつと喉を震わせてアルライドが笑う。
「見てよ、ここからの景色。綺麗だね」
なにか面白い物を見つけた子供のように瞳を輝かせながら、アルライドが言った。
「ああ」
それに気のない返事を返し、レインはすぐ隣に立つ。一瞬、アルライドの体を透かし、後ろの景色が見えたような気がした。
「……君に、感謝してる」
「あ?」
「だって俺、消滅しちゃうんだって思ってた。消滅して、皆の記憶から消えて、スイ様の力の一部として『還る』んだって思ってたから」
「オレはなにもしてない。……シャインが、やったんだから」
「彼にも感謝してるけど、やっぱり君」
「どうして」
「俺をずっと、忘れなかったから。君が思っててくれたから、俺は君の隣に、傍に『かえって』これた」
「……。」
「また一緒に戦えた。嬉しかったよ? 君はまた強くなって、なによりあの捨て身の攻撃をしなくなった。弟とか、仲間とか。守るもの守られるものが君を強くしてるってわかって」
「アル──。馬鹿だな、オレは、お前を、」
忘れられない。
「お前を……」
あの感触が、最期の微笑みが。
「……殺したのに」
涙が一滴、零れた。
「いいんだよ、それは。俺が望んだんだから」
「でも、お前を二回も失った」
「それも、いいの。それでも君は、俺を忘れなかったんだから。誰かが、それも大事な友達が覚えててくれる。俺にとってこれほど幸せで嬉しいことはないよ」
にこり、優しく微笑んで、慌ててポケットを探る。
「あ、そうだ、これ」
ちりん、澄んだ音がアルライドの掌の上でなった。
「これ……あの時落としたやつ」
「俺が拾ったの。で、ずーっと持ってたんだよね、これが。どうも愛着があってさ」
「……で?」
「君にかえす。君がつけてて」
ただの黒のチョーカーとなったそれに、少々不恰好ながらも何とか鈴をつけた。アルライドは手先があまり器用ではない、不意にそんなことを思い出す。
「そんな」
これは、彼がガナッシュであったときの形見でもあった。でも、彼は。
「……お前はオレを忘れないか?」
「え? 記憶力はいいから平気」
「本当に? 本当の本当に?」
「うん。……でも、じゃ」
不意に耳に暖かい指先が触った。慎重に慎重に、何かをしている。
やがて、耳から小さな圧迫感が消えた。
「このピアスくれる?」
「外してからいうな。……それ、オレが……」
「昔俺にくれたやつ。でも俺がピアスはあけないからって返したんだよね。覚えてる?」
「勿論。……オレは傷ついたんだ」
「ごめんごめん。でも、今度こそもらいたいな」
「あいてねえじゃん」
「こうすればいい」
まるで勲章か何かのように、アルライドはそれを襟元につけた。が、あまりにも手間取っているのでレインが手伝ってやる。
「これでいいか」
「うん、ありがとう」
心の底から嬉しそうに笑うと、アルライドは再び景色に目をやる。
「あとさあ、真っ白だった」
「真っ白? ああ、雪だろ」
二人が居た暗殺部隊は、雪深い山を基地にしていた。一年の大半が雪で、それこそ目に痛いくらい白かった。当然というように寒さには強く、勿論暑さへの訓練もしたのだが。
「君、倒れた」
「……うるせ。何で覚えてんだ」
「ははは、なんでだろうね」
その後何度訓練しても訓練中にレインは倒れ、それ以来暑い地方への仕事にレインの名前はのらなかった。
「脱走もしたよね」
「すぐ見つかったけどな」
「雪合戦とか」
「アルは避けすぎ」
「あとなにしたっけ」
ずっと一緒に居た。日常の一部だった。
次から次に浮かんで消える、二人だけの思い出。
「ソレなのにオレ、お前のこと」
「いいの、例え知り合いに格下げでも、覚えててくれた。あんな目にあってもね」
「……。」
「毎日一緒に寝たね。シャワーってすぐ寒くなるよ」
「…………ッ。」
「俺は風呂のほうが好きだけど、君、のぼせるから──」
「アル……ッ」
ついに堪えられなくなったのか、レインはアルライドにしがみ付いた。アルライドは少しだけ驚いた表情をして、それはすぐにとても優しい顔になる。そっとレインの頭を撫で、少しでも落ち着くようにしてやった。
「アル、アル。ごめん、ごめん。」
「なにを謝ってるの」
「ごめ……ずっと、謝りたかった、ごめん……。アル、アルライド」
「レイン、君はなにも謝ることはないよ」
「う、うッ──」
レインの指に力がこもる。
ほんの少しだけ。
「──憎い──……」
「……。」
「忘れたいのに、……忘れられるわけないだろ! なにも、かも! ずっと一緒にいたんだ!」
「……うん」
「いやだ、いやだ、はなれたくない! いやだよ、オレもいっしょにいく」
「ダメだよ」
「やだ、また、一人になる──……も、いやだ。アルがいないのも、一人きりで目を、さま、う。覚ますのも……」
「君はひとりじゃない」
「一人だ! つれてけ!」
ちらり、アルライドはウィルに視線を向けた。ウィルは今にも叫びたいのを我慢して口を押さえているように見えた。
(一人じゃない)
「君には、ここで生きて、こっちでやることがある。君には仲間が居る。君が居なくなったら、みんな寂しがる」
「う、うう、……ッ、う」
静かな嗚咽が、彼が話を聞いてくれてるのだ、ということを教えてくれた。
「レイン、まっすぐ前をみて歩いてね。俺と君の罪は消えない。いまさらどうこう言うつもりはない。でも、俺は君を守りたい」
ぎゅう、レインの腕の力がこもる。
──分かっているのだろう、もうすぐこの夢が覚めることが。
「……トアンは、そのままでいいんだとおもう」
「え?」
トアンが鏡の前で首を傾げると、シャドウがもう一度笑った。身近に時間で、トアンは彼と沢山の話をした。それは今までのことでもあり、チェリカと別れたあの瞬間を思い出しても、不思議と彼への憎悪はもう生まれなかった。
「だからさ。君はその、頼りない情けないところがチェリカを繋ぎ止めてるんだよ。もし君がもっとしっかりしたヤツだったら、チェリカはそんなに君に構わないだろう」
「……そ、そっかな」
「そうさ」
くつくつと喉を震わせると、不意に鏡の前のシャドウはトアンに背を向けた。
「シャイン?」
「──時間みたい」
「え?」
すらりとした、欠けた剣を構えたその後姿は、もう戻れない決意が感じられた。
「ま、まって! シャイン! 本当にそれでいいの!?」
「いいんだ。いったろ? 幸せだって」
笑ってみせる彼の手に握られた剣からは、さあ、青い光があたりにきらめいている。
「……トアン、本当はね」
「え!?」
「僕は、復活した国で、チェリカを妃としてもらうつもりだった。彼女が闇に飲まれても、のまれなくても彼女を手元においておくつもりだったのさ。」
「シャイン──」
「なんて馬鹿らしい話だったんだろう。でも僕にはそんなことわからなかった。ただ必死で、必死で……自分のことしか考えなかった。君は、僕みたいになるな。君は君らしく、全てを視ていけばいい」
シャドウはトアンに背を向けたまま、少しだけ振り返る。
「僕は、決してチェリカを忘れない。そして永遠に彼女の笑顔が消えないことを願ってる」
トアンは何も言い返せずに、ただ鏡に向かって手を伸ばしていた。シャドウはそれをみて──少し笑った。
「……さよなら。」
「シャイン!」
「セフィラス、そろそろ」
「うん」
隣にいる二人の体温が、そっと離れていくのをルノは感じた。だが、まだ目は閉じたまま。眠ったフリを、まだ続けたまま。
「もうすぐ夢が覚める。ごめんな、ルノ、チェリカ。」
「これで……なにもかも、もと通りになる」
「でも零にはならないよ」
「──そうだな、そうだよな」
「それじゃあな」
ちゅ、頬に二回、軽い衝撃が弾けた。
す、二人はベッドから降り、ベランダに出て行くのが気配で分かる。思わず飛び起きようとしたルノの手を──握ったままの手を──チェリカが強く握り締めた。
(──チェリカ)
はっとして薄目をあけると、目の前で青の瞳がそっとこちらを見ていた。……涙が一滴、音もなく零れる。月の光が、ベッドの上に両親の影を映した。
(チェリカ)
ぎゅ、もう一度力がこもった。
(そうだよな、お前も我慢してるんだから……父さんと母さんの意思を、気持ちを台無しにしてはいけない)
ルノはそっともう片方の手を伸ばして、妹の涙を拭ってやった。チェリカは小さく笑ってから──ルノの目尻を、そっと拭り返す。
「「いってらっしゃい」」
小さな双子の声が重なった瞬間、月光によって縫い付けられた二人の影は、弾ける様に──消えた。
「君に生きて欲しい。それに俺は死ぬわけじゃない、そして君を忘れない──」
パアッ!
突然アルライドの身体が内部から輝きだした。淡い緑色の光が辺りにもれる。
「ッ! アル!」
「もう時間かあ。早いな」
のんびりとした口調で言う彼の体が、うっすらと薄れていく。
レインはごしごしと目を擦り、顔を上げた。もう、抱きついている彼のぬくもりは消えていくばかり。
「アル……オレも、忘れない……忘れてたまるか! 一生覚えててやる!」
「……うん」
叫ぶレインの瞳の涙を、もう拭ってやれないことを悟りつつも、アルライドは拭う動作をしていた。
そして次の瞬間、アルライドは己を疑った。
「さよなら、アルと出会えて良かった」
『さよなら、あなたと出会えて、良かった』
(母さん……)
母の最期と同じ言葉を、まさか聞けるとは。
なんとなく寂しくなって、苦笑を浮かべてみる。
(見送られる側ってこんな気分なんだなあ)
「ありがとう」
「……え?」
思わず聞き返したが、そんな必要はなかった。
「さよなら、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう……」
幼い子供の用にぼろぼろと涙を零しながら、別れと、感謝を。……謝罪ではない。感謝だ。
驚きに目を丸くするアルライドの前で、レインは沢山の感謝を、そしてほんのすこしの別れを告げていた。
「ずっと、いてくれて、守ってくれ、て、ありがとう。かえってきてくれて、ありがとう。いろいろ、教えてくれてありがとう。さよなら、アルライド。ありがとう、アルライド」
「レイン──俺も君に感謝してる……」
光が強くなり、アルライドの姿が掻き消える。
そして、緑の光の玉がふんわりと浮き上がった。
『大切なこと思い出させてくれてありがとう。覚えててくれて、ありがとう』
すっと玉は天に昇っていく。それを目でおい、レインはぺたんと地面に座り込んだ。
『──レイン、約束だ。君が病気を治して、俺が一人前になったら! 銀色の丘で、君を待ってる! 世界を探して! 俺は、いつまでも待ってるから! 見守ってるよ、君のこと、みんなの事──!』
優しい声が、遠ざかっていく。
すると、アルライドに導かれるように、目の前に広がる景色のなかでも沢山緑色の光が現れ、天に昇って逝く。
「約束──」
「……綺麗だ」
そっと隣に立ったウィルが、ポツリと呟いた。
「雪が逆に降ってるみたいだ」
「……そうだな……」
それは、とても美しい光景だった。魂の輝きが溢れ、一日の開放のあと、逝くべき場所へ還っていくのだ。
「オレたちも帰ろうぜ」
「え?」
てっきり、ゆっくり落ち着いてから来るものだと思ったのだが、レインの声は晴れ晴れとしていた。
「帰ろう」
「……いいんだな?」
「わりいな、つき合わせて。でも、もう、帰ろ。アルに笑われる」
ウィルの腰に手を回し、荷台にのってレインはそういった。珍しく素直な座り方をする彼に疑問を抱きながらも、ウィルはペダルに足をかける。
「…………ッ……」
静かな嗚咽が、背中を通し手伝わってきた。なにが言えるのだろう、自分に。
自問自答の末、ウィルはブレーキをそっと握り締めた。来るときも登った長い坂道だ。こうしておけば、ゆっくり降りられる。そして深水城につくころには、レインの涙も枯れているといい。
ゆっくりゆっくりと風をきりながら、ウィルは還って行く魂を見上げた。
背中の嗚咽は、まだ収まりそうにない。
遠ざかっていくウィルとレインの背を見つめ、ハクアスは満足気に微笑むと、同じく隣で微笑んでいたウィルの母親に微笑みを向けた。
「あのこはいい子ですね」
「まっすぐなのがウィルの取り柄ですから。……声をかけなくて良かったんですか?」
「レイン君に? 僕が? ──僕は、もう満足ですよ」
「そうね。私も、同じ」
二人はくすりと笑い、ハクアスは後方にぼんやりと漂っていた光に手を伸ばした。
「オーラ、おいで」
全てはかえっていく。……しかしそれは零ではなく、全ては零にかえるわけではなく、確かに残していったのだ。
その日、全ての魂が還ってきて、そして逝くべき場所へ旅立っていく。
後々、『永遠の雪』と称されたその地から天へと舞い上がる光は、人々に一夜限りの再会を与えた。──そして、また歩き出すのだ。光の彼らとは違い、残った人々の道はまだ続いているのだから。
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