第38話 Glorious Renolution side.a

たんたんたんたん……

走る足音が、闇に吸い込まれて消えていく。

すぐ目の前を走るチェリカの姿が、今にも闇の中に掻き消えてしまいそうだ。後ろにいるシアングの気配ですら霞んで感じられる。まるで、どんどん侵食されているような錯覚にも陥る。

(……っ)

額の汗を拭って、足により力をこめた。


(無謀なのかもしれない)

疲れきった身体と、傷だらけの身体。

(……本当に、無謀かも、いや)

ぶんぶんと頭をふって、押し寄せてくるマイナス思考を遠くへ追いやった。

(ルノさんが待ってるから──)

不意に、闇の霧が晴れた。足場と周りを見ると、半円の放射状の終着点、そして床に埋まった水張りの鏡。そして──その奥にある巨大な扉のシルエットが明らかになった。

「ここは……」

「私が見た場所、ここだよ。……あ!」

辺りを見回していたチェリカが、巨大な扉の中ほどを指差す。そこには、両手を伸ばし、頭を項垂れさせたルノの姿があった。

その身体を戒めるように、いくつもの光の輪が彼に纏わりつきゆっくりと明滅をしていた。

「ルノ──!」

シアングの放心したような声がルノにぶつけられるが、ルノは何の反応も示さなかった。

「お兄ちゃん!」

「ルノさん!」

『ようやく──ここへ──この場所へ──……』

ざわり、あの耳障りな声が耳を撫でた。

磔られたように動かないルノの背後から真っ黒な霧が現れ、トアンたちの前まで降りてきた。

「ヴェルダニア」

『どうだ、憎いか?』

「……お兄ちゃんを返して」

『ふふ、ははは……』

まるでひとが腹を抱えて笑うように、霧が蠢いた。

『……チェリカ、よく考えてみろ。我から離れても、お前はどこにも行く場所なんてないんだぞ』

「!」

『そもそもお前は『本物』ですらない。……チェリカ。お前は影だ。我に還れ。私の糧となれ。お前はそうなる運命だ』

「──違う」

言葉を詰まらせたチェリカの代わりに、トアンが一歩前に出て言い放った。剣はまだ抜いていない。それどころか、手をかけてもいなかった。

「居場所はここにある。オレたちは仲間だから! ルノさんもそうだ、返せ!」

『これはまた目障りな──。貴様、身の程を知れ!』

どろどろと霧が徐徐に一箇所に集まっていく。それは目も鼻もない漆黒の塊になると、ゆっくりとトアンたちのほうを向いた。

──あれには、見覚えがある。

だがしかし、トアンの三倍はありそうなその大きさに、思わず唾を飲み込んだ。

「戦うしかねーみてえだな」

シアングが口笛を鳴らし、左手を掲げる。その手には眩い光を纏う剣が形成され、そのまま左手で構えをとった。

とん、トアンの肩をチェリカが押しかえす。彼女もまた戦う意思を瞳に宿らせていた。

「私はもう大丈夫、トアン。……ありがとう。いけるよ」

「うん! あ、オレ、剣──」

「これ使える?」

いつのまにか、チェリカの手には一振りの剣が握られていた。漆黒の刃が鈍く光る。──どこか危険だと、本能が訴えた。


「こ、これは……?」

「お父さんの予備の剣。トアンの剣、折れてたでしょ。それにああいうのはきれないし。……これなら、大丈夫。私が『ちょっと細工したから』魔力が強すぎるけど、君なら使えるはず」

「そうなんだ……おっと」

受け取った剣はずっしりと重く、黒い刀身がぬるりと光を放った。

「いくぞヴェルダニア!」

キラキラと黒の粒子を飛ばし、剣が戦いの予感に身震いするように鳴く。



ととん、片足で器用に方向転換をするとシアングは聞き手ではない手に持った剣を振った。ばちばしと風を切り裂きながら影の腕の付け根を斬り落とし──粉砕する。剣に宿る魔力を調節し、斬った瞬間に強力な放電をしているのだ。

『小癪な!』

だが、少しもひるまず即座に長い手を伸ばし、地をさらうように襲ってきた。しかしそれに薄く笑って見せると腕を蹴り上げてシアングは空中で一回転する。

「甘いぜ、遅い」

今度はもう片方の手を斬り落とす。そして、爆発。そうして戦いながらも、シアングは腹のそこで血肉を欲している自分に気がついて顔を顰めた。

「はあっ!」

その下でトアンが懐に潜り込むと、持っている剣を突き立てる。剣が触れた先からヴェルダニアの身体が溶けていき、真っ黒な煙が立ち上った。


「やるねートアン」

「は、まだまだ。シアングも大丈夫? そんな体で」

「全然平気っていったしょ」

「……うん!」

『……小五月蝿い……! 調子に乗るな!』

突然、ヴェルダニアの上体が揺らぐと顔の下のほう──おそらく口──がぱっくりとあき、冷たい真っ黒な風を吹きかけてきた。咄嗟にトアンは剣を横にするが、そんなもので防げるようなものではない。肌がぴりぴりと痛むのを感じた瞬間、チェリカが叫んだのが聞こえた。

「満ちろ!」

『何!?』

右手を天に翳しくるくると回すと、トアンたちに向かっていた風は方向を変え、彼女の手の動きに纏わり付いた。

深呼吸をひとつして、チェリカが思い切り息を吸い込むと風は彼女に吸い込まれていき、部屋からは綺麗さっぱり消えてなくなった。

『おのれ……そうか、お前も私の一部だったな』

憎憎しげにヴェルダニアが呟き、そして突然笑い出した。その豹変にどこか不安な者を感じて、トアンは剣を握る手に力をこめる。

『これはいい! ははは、我の力、存分に吸うがいい! ……全て吸収したとき、お前は新しい『ヴェルダニア』となり私はお前の中でいきるのだ!』

「! ──チェリカ、ダメだ! 今すぐにそんなのはいて──」

「大丈夫だよ」

そういって見せる彼女は、若干顔色が悪いように見えた。

「少し時間を稼いで、くれる? ……お願い」

「で、でも」

「お願い」

有無を言わさぬ、強い瞳。トアンは少し目を逸らしてから、答えた。

「……わかった」

「ありがとう」

きっとチェリカのことだから。

(自分のことは自分で決着をって……)

「違う。だったらチェリちゃん、オレたちに下がってろって言うはずだ」

トアンの心境を見抜いたように、シアングが隣で囁いた。

「オレたちを信用してくれてるってやつだろ?」

「確かに、そうかも」

「だろ? ほら──いくぞ!」

シアングが身を翻す。一本に結んだ長い髪がするりと逃げて、身軽な彼をさらにすばやく見せていた。トアンも剣を構えなおすと叫ぶ。

「ヴェルダニア、こっちだ!」

『うおおおお!』

怒りの咆哮が鼓膜を震わせる。

「うるせーな」

しゅぱん、シアングの振り翳した剣が喉元を裂いた。叫んだが喉元から溢れ、しゅうしゅうとした音が混じる。

余裕な笑みを崩さずにシアングが口笛を吹いた。楽しんでいる。トアンはそう思って、そしてほんの少し怖くなった。

(シアング、ちょっと変……)

「トアン、ぼーっとすんな!」

「あ、ご、ごめん、そうだよね」

咄嗟にヴェルダニアに向き直るが、その直後横から飛んできた真っ黒な足に蹴り飛ばされた。

息がつまり、骨が軋む。

「うわ……ッ!」

「トアン!」

シアングが壁に激突する直前に叩き落してくれた。荒療治だが、この際衝撃は減ったと思って感謝すらしてしまう。

「ありがと、シアング……、でも、チェリカが」

「──ヴェルダニア……」

トアンが口を開いた瞬間、しん、染み渡るようにチェリカの声が響き渡った。いつもの明るい声ではなく、氷のようなつめたさを兼ね備えた声だ。

「私は、決めたの。……もう逃げないよ。皆を傷つけないで」

『何を馬鹿なことを』

「……我、永遠の別れに口付けを添えるものなり。我、別れに流す血を欲する堕ちたるものなり」

すでに魔力の充電は終えたのだろう、焦りも、苛立ちもない。チェリカの表情は静かだった。そっと、ヴェルダニアに手を伸ばす。

「──我」

ぽた。

しっかりと前を見つめるチェリカの瞳から、透明な雫が零れ落ちた。


「自らの運命に、感謝を述べる愚か者なり」


ゴッ! 強烈な熱風が吹き荒れてトアンとシアングも巻き込まれた。思わず目を庇うが、それでも彼女の安否が気になってトアンは目を細め、腕の隙間から──見た。

──炎だ。それも、漆黒の。

それはヴェルダニアを包み込み、熱風を撒き散らしていた。

『チェリカ、貴様、何故──!!』


「ありがとう」


す、チェリカの手が下ろされたのと同時に。

『ギャアアアアアア!』

炎の中のヴェルダニアが絶叫した。それは苦しみ、のたうちまわりながらもチェリカをしっかりと見据えていた。そして。

『──何故──!』

バシュン。最後の一言を残すと、炎は消え去った。──ヴェルダニアも一緒に。

「や、やったやった!」

「チェリちゃんすげー! いつ覚えたんだ? あんな魔法」

「……。ホントは、最初っから知ってたんだ」

「……え?」

駆け寄ってきたトアンとシアングを見て、チェリカは寂しそうに笑った。

「何もかも隠してたの。闇の魔力がないとつかえないのもあったけど、──私、ホントは『チェリカ』じゃ──」


パキ──ン。

突然、澄み渡った音が響いた。




はっとして顔をあげると、ルノの身体に巻きついていた光の輪が消え──その身体が落下してきた。

「ルノ!」

「ルノさん!」

咄嗟に駆け寄って手を伸ばしたトアンの腕のなかに彼はすっぽりと納まる。シアングがほっと胸を撫で下ろし、チェリカの顔が綻んだ。

「よかった、……息も、大丈夫」

「無事かあ、お兄ちゃん。怪我してないみたいで良かった」

「……チェリカ。さっき、何を言いかけたの?」

「……え?」

一瞬、彼女の表情が固まった。

「……なに?」

「『チェリカじゃ』って……。どういう意味?」

「ああ、それ。……うん」

明らかに困った表情になったチェリカの頭をシアングが撫でる。

「まあいいじゃん。今は」

「そうだけど、でも……」

「…………。」

ぴくんと睫毛を震わせ、トアンの腕の中のルノがゆっくりと目を開いた。青い瞳がゆっくりと焦点を合わせ、三人を映す。

(そうか、ルノさんはまだ青い瞳なんだ)

「ルノ、大丈夫か」

「お兄ちゃん、わかる?」

ぱっと顔を輝かせた二人を見て、ルノは小さく微笑んだ。そして突如トアンの手を振り払うとチェリカに人差し指を突きつける。

「ルノさん!?」

「お兄──」

「まだいたんだ、君」

「!」

いつもと違う口調。先程の笑みにも、若干の違和感があった。トアンはおろおろと手を彷徨わせるが、ルノはチェリカに、明らかな憎悪をもって睨みつけていた。

「ヴェルダニアに還ればよかったのに。君、消えるべきなんだよ?」

「……。」

チェリカの瞳が泳いだ。

「どうしたんだよ。何? なんか疲れてんのか?」

「あ、ルノさん、チェリカは今戦ったばっかりで──」

「うるさいな!」

やんわりととめに入ったシアングとトアンの声を撥ね退け、ルノはさらに指を近づける。それを恐れるように、チェリカが一歩後ずさった。

「トアン、『チェリカ』って誰のこと?」

「……え?」

「私のこと? それとも、この子のこと?」

「ルノさん、どうしたんですか? チェリカはあなたの双子の妹でしょ」

「違う。この子は『チェリカ』じゃない」

「え!?」

「……私が『チェリカ』」

流石にトアンはシアングに視線を向けるが、彼も肩をすくめて見せるだけ。


「──『チェリカ』。」


何かを悟ったように兄の姿を見ていたチェリカが、ポツリと呟いた。

「トアン、シアング。聞いて。お兄ちゃんの──今、お兄ちゃんを通じて話してるのは、本物の『チェリカ』だよ」

「どういう意味?」

「私は、ヴェルダニアの一部。影なんだよ。エアスリクに生まれた双子の片方に、ヴェルダニアが埋め込んだ人格。……本物の『チェリカ』っていうのは、本当ならこの身体で、この声で、生きていくべきだった魂」

「そう、君の、『影』の所為で私はずっと閉じ込められてた。──見てたよ、ヴェルダニアの意識の底から、旅する君たちを。どんなに私が羨ましかったかわかる?」

「……。」

「本当なら私が! 私がそこにいたのに! ──私が本物なのに。エアスリクの王女の魂なのに!」

チェリカの、表情が暗く沈んだ。


──本来エアスリクの王女として生きるべきだった魂、『チェリカ』。だがそれもヴェルダニアの策略により埋め込まれた『影』の存在により、本来居るべき場所ではないところに閉じ込められた『チェリカ』。


──だがしかし、トアンたちとずっと旅をしてきたのは『影』のチェリカだ。


「そうだね……」

チェリカはそういって寂しげに微笑んだ。

「ホントは、逆なのにね。私はここにいちゃいけない」

「そうだよ」

「でも、お兄ちゃんを巻き込まないで。お兄ちゃんを放してあげて」

「……お兄ちゃん!?」

ルノの眉がより、口調が険しくなった。

「『私』のお兄ちゃんだよ! 君のじゃない!」

ばちばちばちばち! 凄まじい音と共に大気が震え、光の輪がルノを包んだ。

「──『チェリカ』、やめて! おにい──」

お兄ちゃん、そういいかけてチェリカは口を継ぐんだ。ぶんぶんと頭を振って、懸命に訴えた。

「そのひとをはなして! 帰る場所があるの、連れて行かないで!」

「偽善者。……『影』のくせに、偽者のくせに! 君の言ってることはただの独りよがりだよ! ──なにが君の所為じゃない、私が守ってあげる? そういえば皆が責めないから、そしてそんなことを考える自分を呪って……吐き気がする」

「『チェリカ!』」

「不愉快だよ、君に名前を呼ばれるの……『お兄ちゃん』は連れて行くよ。一緒に来てくれるっていったもん」

「!」


「やめろ!」


二人の傷つけ合いが見ていたくなくて、思わずトアンは叫んでいた。

「……君は引っ込んでて」

『チェリカ』が言う。

「嫌だよ。……オレは、君に会うのは始めてだ。でも、チェリカとは一緒にいた。チェリカがヴェルダニアの一部とか、そういうの関係なし……やっぱり君が『影』というチェリカは、オレにとって長い時間を共用してきた存在だ」

「それは、私が閉じ込められて──」

「確かに君がチェリカとして出会っても、オレは旅をしただろう。けど、こんな気持ちになるのは、『影』のチェリカだけだよ。……チェリカ」

影、といわれた──トアンの隣で悲しい顔をしたチェリカに話をふる。

「……え?」

「君は、オレたちと旅してきたチェリカだ。それは変わらない」

「そうだけど、……でも」

「大切なものは身体とかそういうものじゃない。ヴェルダニアからはなれて、わかっただろ?」

「──思い出とか、心とか? そんな不確かなこと」

「チェリカらしくないよ! いつもの君はもっと明るくて、めちゃくちゃやってて、いたずらが好きで!」

「私はただの、人格のひとつだよ」

「それでもチェリカはチェリカだ!」

は、チェリカの瞳が見開かれる。

「……そうかな」

「そうだよ!」


「「その通り」」


高くて低い、声が重なって聞こえた。その場に居た全員が振り返ると、ゆっくりと二人の人影が近づいてくる。

一人は、クランキス。そしてもう一人は、

「お父さん、お母さん……」

呆然としたように、チェリカが呟く。そう、トアンを導いてくれた双子の母、セフィラスだ。

「君の、じゃない」

即座に『チェリカ』が否定するが、クランキスはやんわりと首をふった。

「いいや、違うんだ。……ルノの中にいるのは『チェリカ』だな?」

「おとうさん」

「ごめんな、ずっとずっと置き去りにして……気付いてやれなくて」

クランキスは悲しそうに微笑むと、ルノの身体を──『チェリカ』の身体を抱きしめた。

「恨んでもいいさ。でも『チェリカ』。こんな運命に巻き込んだ父さんを恨んでもいいから、チェリカを恨まないでくれ。あのこも、お前も。二人とも、俺たちの子だ」

「おとうさん、でも!」

「さもなければ、お前をルノを道連れにしようとしている敵として、──処理しなきゃならない」

「……!」

「家族で争うのは嫌なんだ。俺がどんなに、お前の気持ちを踏みにじったことを言ってるかわかってる」

「おとうさんも、あのこのほうがいいの? 私はいらないの?」

「違うよ」

「私を消して、あのこをチェリカだって言うの? また私を閉じ込めるの?」

「違うさ。わかっているだろう」

黙ってやり取りを見ていたセフィラスが口を開いた。

「僕たちが悪いんだ。何もかも」

「おかあさん!」

「だけど、僕たちにとって、お前も勿論、あそこにいるチェリカもルノも、大事な子供たちだから」

「そ、そんなの──信じられない──!」

『チェリカ』は吐き捨てるように言い放つが、不意にはっとしたように身を震わせた。

「お兄ちゃん、どうしてそんなこと言うの?」

「……ルノが、何か?」

突然出てきた名前にクランキスが首を傾げるが、『チェリカ』は答えなかった。

「…………そっか。」

そうして寂しそうに小さく呟いて、突然ルノの身体は力が抜けたように崩れ落ちた。

「お兄ちゃん!」

咄嗟にチェリカがその身体を支える。その目の前では、小さな緑色の光がふよふよと上下に浮いていた。『チェリカ』の魂だ。そう思った。

『おとうさん、おかあさん、シアング、トアン。私、ここにいちゃダメなんだね』

「……え?」

『お兄ちゃんを連れて行くつもりだった、本気で。でも、お兄ちゃん、私の身体を使えって言ってくれた。私が代わりに消えるよって。そんなの嫌だって、思った』

「『チェリカ』、まって。逆だよ。私がそっちに行くべきなのに」

『ダメだよチェリカ。わかっちゃった。もう君は私の『影』じゃない。私が例えその身体を取り戻しても、悲しむひとがいっぱいいる』

「それは、私が生きてきたから」

「……行っちゃだめだ、チェリカ」

今にも立場が変わりそうで、トアンはチェリカの手を取った。突然のことにチェリカが驚いて振り返る。

「『チェリカ』のことも、オレ、なんにもしてあげられないけど。でも、君が君でなくなっちゃうのは……」

『ほらね』

寂しそうなその一言に、チェリカの顔が曇った。

『私、君が羨ましい』

「『チェリカ!』」

『でも、これも運命。私と君はよく似てる。そして決定的に違う。……けれど、本質は同じなんだね。きっと私たちの立場が逆で、私が『影』で君が『チェリカ』でも、君は自分が出て行くことを選ぶ』

「……同じ……」

べりべり……。

突然、不穏な音を立てて床を這う影が剥がれた。それは周りの闇を吸ってあっという間に肥大化していく。

『ヴェルダニア……また私を取り込むの?』

「『チェリカ』、待って!」

『いいの、私も君も同じなんだから。私も君も、仲間の皆が大好きだから……』

光は影に取り込まれ、『チェリカ』の声が掻き消えた。

『チェリカ……貴様、なんてことを……。ああ可哀想に。私が『チェリカ』を拾ってやろう』

ざわざわざわ、今や巨大な闇の塊に変貌したヴェルダニアが身震いした。トアンたちの上空で、ますます巨大になっていく。

「──くそ。トアン、みんなを連れてさがってろ」

「クランキスさん?」

「俺とセフィがヤツを封印する。このままじゃ」

「……ダメだよ!」

呆然と成り行きを見ていたチェリカが突然顔を上げた。

「お父さん、お母さん! 剣を引いて、やめて!」

「チェリカ……お前が責任を負う必要はないんだよ。わかったら下がっていなさい」

「違うってば! 確かに私は『影』で、ホントはここに居ちゃいけないけど! でも、わかったんだ!」

「……わかった?」

セフィラスが優しくチェリカに問うた。チェリカは何度も頷くと鏡の中心に立つ。

「チェリカ、やめろ! 手遅れになるぞ!」

「黙れクラン! チェリカの考えをきけ!」

チェリカを連れ戻そうと手を伸ばしたクランキスの後頭部を一発殴り、セフィラスが怒鳴った。

「ありがとうお母さん」

「……それで、何をしようと?」

「──何も」

「何も?」

「『受け入れる』の。ここで、ただ待って」

「……何?」

「『チェリカ』と私は同じ。そして私はヴェルダニアと同じ……。身体と魂のつながりだけど、同じだから。憎んだり恨んだりしたら、ヴェルダニアの糧になっちゃう。だから、こうやって受け入れる」

す、少女の右手が上空に浮かぶ闇の塊に伸ばされた。

「ん……」

そのとき、トアンの腕の中にいたルノが瞼を震わせ目を覚ました。

「ルノさん」

「ルノ!」

「トアン、シアング……。そうか、私は生きてるのか」

「え?」

「……『チェリカ』にこの身体をやる、といった。けれど──」

そこで言葉を区切るとルノは空を仰ぐ。

「私も、受け入れなくては」

そっとトアンの胸を押して立ち上がると、ルノはチェリカの横に立った。降ろしていた左手と自らの右手を繋ぐと、左腕を伸ばす。

「憎んだり恨んだり……そうか!」

頭を抑えたままのクランキスは、あっと叫ぶとセフィラスの手をとり手を上げさせる。

「トアン、シアング! お前らもやれ!」

「え、ええ?」

「ヴェルダニアはひとの憎悪を喰らって生まれた邪神だ。つまり、俺たち自身から、俺たち『ヒト』から生まれたんだ! ……あれは、還る場所をなくしてるんだ。肥大化して、誰もに恐れられ、受け入れてもらえない。大きい迷子ってことだ」

「……どうする?」

トアンの横で薄く笑いながら、それでもシアングの手は上空に伸ばされていた。

「シアング」

「オレの所為でもあるんじゃねーかな、と思ってさ。やっぱり、誰かを妬んだり恨んだり、したことあるし。」

「……オレもだ」

いや、むしろこの世で誰かに憎しみや妬み、恨みを抱かない人間など居ないだろう。

「……私も、怒る」

チェリカの静かな声が耳をくすぐった。

「誰かが傷ついたりするのは嫌。偽善だってなんでもいい、私は怒る。それは決していい感情じゃない、けど、『自分』を作るうえで不自然じゃない。だからこそ」

チェリカの背から、一瞬黒い翼が見えた。そして隣に立つルノの背からは、白の翼が。

「──受け入れる」

────!

まるで大木が倒れるように、闇の塊がこちらに流れ込んできた。思わずトアンは目をつぶりそうになるが、ふと、チェリカと目が合った。

少女の目は、穏やかだった。

(チェリカ……)

覚悟を決め、トアンは迫り来る闇を見上げた。睨むでも恐れるでもなく、不思議なほど穏やかな心で。

(──わかった!)

サブンッ!

一瞬の圧力のあと、深い深い闇の底に、あっという間に引きずり込まれていった。




真っ暗な世界。目を開けても、閉じても黒。

(ここは……)

ふと、視界の端に小さな光を見つけた。

その光に照らされているのは、チェリカだ。

チェリカは小さく微笑むと、その光に手を伸ばす。

「一緒に行こうか、『チェリカ』。まだ私、チェリカでいいのかな?」

『私がチェリカ。そして君も『チェリカ』だよ』

「ありがとう」


光満ちる場所に影は生まれ……


(!?)

不意に、トアンの耳元で声が聞こえた。この声は、忘れもしない自らの父の声。そしてそれに重なる──女性の声。


影満ちる場所に光が生まれる──。


(父さん、と、誰──?)




「起きた?」

「うわわわ!」

見開いた視界いっぱいに映ったのは青。──チェリカの瞳だ。

「チェ、チェリカ……」

なんとか身体を起こすと、寝そべっていた床にはっていた水がしっかりと服にしみこんでいたらしく、ぴちゃんと跳ねた。──どうやら自分は倒れていたらしい。

「みんな」

見渡した視界には、クランキス、セフィラス、ルノ、シアングが其々トアンを見守っていた。

「起きるのが遅いぞ」

そういってふてくされるルノの瞳は、元通りの美しい紅に染まっていた。

「ルノさん、瞳……」

「ああ、目覚めたらこの通り。それに……」

ルノがトアンの手を取って、目を細める。それと同時に暖かい光が傷口に触れ、そっと癒していった。

「魔力が戻った。……光の、治癒のほうだけだがな」

「あ、ありがとうございます」

「うむ」

「多分、闇の魔力に侵食されたときに防衛本能でもう一度芽生えたんだろう。ルノはもともと光の魔力を継いでいた訳だし」

セフィラスの膝に頭を預けながら、のんびりとクランキスが呟いた。そのとき。


ほろ、ほろり。


どこかで聞いたことのある竪琴の音が、鼓膜を揺らした。

「やあ、クランキス王、セフィラス王妃。お二人のご協力で、世界の危機がまた救われました」

にこやかな笑みを浮かべて、暗がりから出てきたのは──

「タルチルクさん!?」

「タツさん!」

見事トアンとチェリカの声が重なる。二人は互いに互いを見、そして悠然と微笑んでいる青年に視線をうつした。そこにいるのは頭に被っ羽帽子、揺れる黒髪。服装は変わっているものの、焔城でであったあの不思議な青年だ。

「レディに、トアン。久しぶりだね」

ほろりん、流れるような音がよぎった。

「タルチルクさん、何故ここに? いや、どうやって!」

「……トアン、ボクが君に『緑の瞳』の話をしただろう? そろそろ時がきたんじゃないかっておもってね。スワロフスキィの様子を見にきたんだ」

「…………お前か。トアンが言ってた教えてくれたやつっての。何で俺とセフィの名前を知ってる?」

よっこらせと身を起こし、クランキスが剣の柄に手をかけ問いかけた。タルチルクは冷静に手を振って敵意がないことを表すと、セフィラスの手をとってその甲に口付ける。

「わ!」

「ああああ!」

真っ白になるクランキスの前を優雅にと通り過ぎ、今度はルノの手。

「!」

「おい」

呆れたようにシアングが口を開くと、不敵な笑みを浮かべて見せたタルチルク。そして今度はチェリカのことを見て、深々と頭を下げた。

「レディ、ありがとう」

「え?」

「君がシャインの、シャドウの堕ちた魂を救ってくれたんだ。──ボクは、シャドウを探していたのさ。さっきやっと会えた」

「シャドウを? どうして?」

「……ボクと一緒に居た、タンという男を覚えているだろう?」

「うん」

頷くチェリカの横で、トアンの頭に金髪の青年がうかんだ。耳に水かきのような膜がはっている、魚の妖魔だ。

「実は彼が、今はないシャドウの国の最後の生き残り……。この14年間、記憶を失ってまでに彼が捜し求めていたのはシャドウの魂だったんだ。先程会えた途端泣き崩れてね」

「そうだったんだ……じゃあ、シャドウも嬉しいよね。目的は果たせなかったけど、また会えたんだもん」

まるで自分のことのように喜ぶチェリカはトアンの手をとってくるくると回りだした。それを見てタルチルクは微笑みを浮かべると、後ろを振り返る。

「さあて、皆きたみたいだね。話はそれからだ」


「まさか貴方がここに来られるとは……」

タルチルクを見た途端、スイの耳が下がった。明らかに浮かない表情になった彼を心配そうにスノゥが見上げ、しっかりしなさいよそその背を叩く。

その後ろにまだ体調が優れないようだがなんとか立っているレインを見つけ、チェリカとシアングはまず飛びついていた。すかさずウィルとルノが二人を剥がそうとするが、意識を取り戻した彼に感激する二人を見るうちに自分たちも感激をもらってしまったのかレインにしがみつき、本格的にレインの眉間に皺がよったところでアルライドとトアンが一人ずつ剥がした。

「に、兄さんが潰れちゃうよ」

「はは、わりーわりー。あーでも良かった、心配してたんだぜネコジタ君。……もう大丈夫なのか? どっか痛まない?」

「今痛い。アンタが重い」

呆れたように言うレインの手を掴み、彼を立たせてやってシアングはにっと笑った。

「良かった」

「……馬鹿。ルノはてめぇは生きてたんだな」

「う? あ、ああ。まあな」

「ふうん」

再び燃えるような色を取り戻したルノの瞳を覗き込んで、レインは目を細めた。

「……レインは、本当に平気なのか」

心配してレインを見上げるルノの問いには、横からアルライドが代わりに答えた。

「スノゥと引き裂かれた直後は衰弱が激しかったけど、もう落ち着いたよ」

「そうなのか」

「まあ、暫くは気をつけないとねえ……」

「さあさあ、感動はもういいからさ。いい加減答えてもらうぞ、えっと──タルチルク。スイも何なんだ? 知り合いか?」

憮然と腕を組むクランキスの目の前で、ため息をついたのはスイだ。

「……なんだよ」

「意外に知らないのだな、お前。彼は──……」

「ボクはタルチルク。何者でもない吟遊詩人さ」

ふふふと格好をつけて肩をすくめる彼に思わずんな訳あるかと文句をつけようとしたクランキスだが、アルライドの手が制した。

「……なに」

「俺が説明します。トアン、君たちも聞いててね。」

アルライドがスイを見やる。と、スイは頷きを返して見せた。話してもいい、ということだろう。

「この世界を支えている大樹の存在を知ってるね? 名前は『ハルティア』。だけど物言わないその樹は昔、一人のエルフだった」

「世界創造だよね。タペストリーで見たよ」

チェリカが額に手をやる。

「勇者フロウが三つの道具を使ったって、あれのこと?」

徐徐に思い出してきたトアンが言うと、アルライドはうんうんと頷く。

「そう。そして今、その樹を守るエルフがいるんだ。これはクランキス王、貴方がよく知っていますよね」

「──あいつは友達だもん」

「そう。ああ、トアンたちは今は気にしなくていいよ。それで、そのエルフに代わって、この世の中の異常を見、修正する役目をもった使い人──それがこのひと、『タルチルク』」

「えええ!?」

思わずトアンは声を上げて、彼をまじまじと見つめた。

世界の異常を修正? そんな大層な人物には到底──見えなくもないが──おもってもいなかった。

「ホント?」

驚きが隠せないのだろう、クランキスの瞳も丸い。

「……まあ、そういうことになるんだけどね」

ほろりら、ほろ。弦を指で遊びながら、のんびりとした口調で彼は言った。

確かに、月千一夜が焔竜を狙ったあの時も彼は居た。そして、再び彼は現れた。

「シルルに頼まれててね」

恐らくソレが、現在樹を守っているエルフの名なのだろう。

「ボクがここにきた理由はもうわかっただろう? 修正をしにきたんだ。うん、治すところが沢山あるな。この開いてしまった『あの世とこの世を繋ぐ扉』。『誕生の守護神』の錯乱、『歪んだ魂』……」

ぐるりと一同を見渡す彼の瞳は、どこか恐ろしかった。


別れの予感が、其々の胸を掠める。

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