第36話 dance with a shadow

ぼんやりとした照明が、足元を照らしている。

光が収束し、像を結ぶとそこはまるで廃墟のような空間だった。元は品がいいものだろうにボロボロになった絨毯が敷き詰められ、くもの巣が闇の中にぼうっと浮かんでいる。目の前には長い階段。頂上にはぼんやりとした光が満ちていて様子がわからない。

トアンは一歩進んだところでぐるりと辺りを見渡す。虚しさ、絶望。よどんだ空気に心が侵されていく感覚。

「すごいね、お化け屋敷みたい」

天井から垂れ下がる飾り布(これもボロボロに痛んでいる)を見、チェリカが何気なく呟いた。青い宝石のような瞳がきらりと輝く。

「うん……。ここにこの城の主がいるのかなあ」

「なんか、ヤな雰囲気」

ぶるりと身震いして見せるチェリカ。成程、ひたひたと押し寄せる悪寒は彼女も感じているようだ。

「……アル?」

レインが不審そうな声をあげる。視線を辿ると、チェリカの後ろにいたアルライドはぼうっとした様子で辺りを見ていた。

「大丈夫か?」

「え? あ、うん、ごめんごめん」

「顔色わりぃけど。」

「う、うん……大丈夫」

レインと話す様子にしては少しおかしい。

トアンたちの視線にも気付かず、アルライドはまっすぐと前を見つめていた。

その先には──階段の頂上。

緑を湛える瞳が探るように細められる。そこにいるだろう自分に魂をくれたひとを、そのの気配を感じているのだろうか。

「……ダメだなこりゃ」

「あ、兄さん。身体は大丈夫? スノゥさんが魔法を使ったし」

「ああ、平気だ。……なんだよその顔」

「いや、心配だったんで……よくわかんないけど、オレと兄さんは魔力持ってないからさ。負担が凄いんでしょう?」

「平気だって。きっもち悪ぃ」

つんと顔を逸らす兄の顔は、どこか幼い。

そういえば自分が目を覚ましてから、自分を見る兄はどこか見守ってくれるようだったりとトアンは思う。心配をかけないようにふてぶてしい態度を取る彼も優しさなのだろう。そう思いながら隣を見ると、チェリカも小さく微笑みを浮かべていた。

(言ったら蹴られるな)

なんとなくトアンはそう考え、自嘲気味に笑ってみせる。レインとチェリカは顔を見合わせて、目を瞬かせた。


「この階段の上にスイがいるのかなぁ」

「って、チェリカ! 一人で行かないでよ!」

「だって……遅いんだもん。はやくあってみたいし!」

ぱっと切り替え、ずんずんと階段を登り始めたチェリカを追い、トアンも登る。ごめんと小さく言ってからアルライドがそれを追い始め、レインも追おうとし……先程から一言も喋らないウィルに視線を向ける。

気付かないはずないのだ。

だがしかし、ウィルはレインのほうを見ようとせず、足を進めた。

「……おい」

「ほら、置いてかれるぞ」

「…………なあ!」

「早くしろよ、もうトアンたちあんなに登っちまったし」

そういいながら、だがウィルの瞳は前を向いたまま。

「──……。なんなんだよ」

ただ状況が飲み込めず、遠ざかる背中を慌てて追う。


長い長い階段を登りきると、古ぼけた玉座があった。埃を被り、所々金がはげている。

だがその玉座に座った男は肘当てに置いた手に頬杖をつき、トアンたちを威厳のある瞳で眺めている。

「何者か、とは愚問だな。私は誕生の守護神スイ。貴公たちが我が城を徘徊し、戦闘を行っていたのは見ていたよ」

男が足を組みかえる。

トアンはただそれだけで、足が震えた。声を上げようにも喉はひきつり、音にならないのだ。

感動によるものではない。

──恐怖だ。


男の外見は、鈍い光沢を持つ灰色の髪に、滴る血のような紅い瞳。そして、ぴんと張った長い耳。人間にはない、ヴェルダニアとして刃を交えたチェリカが纏っていた美しさ、そして絶対的な力。

(首も……動かない)

チェリカの様子を窺いたくても首が回らない。そしてなにより、チェリカも動く気配がない。

違うのだ、彼は、ヴェルダニアではない。

そう何度も自分に教えても、全く身体は動かない。

「どうした? そんなに緊張しなくても良いぞ」

「だって──」

隣に居たチェリカが掠れた声を上げる。そんな声を出すとは珍しい。

「チェリカ……か。何だ?」

「だって……」

ちら、辛うじて視界の端にチェリカを捕らえる。彼女の顔は僅かに青ざめ、ただ一点を見つめていた。だがトアンには死角になり、彼女が何を見ているかわからない。

「言葉を濁すとは……ああ、この耳か?」

「ち、違う」

「ふん?」

スイは意味深に目を細め、次に視線をめぐらした。

「……アルライド。お前も何か言いたそうだが」

「…………!」

小さく息を呑んだのがわかる。

「アルライド……そうそう、私は嬉しいんだよ。こうしてお前が私に会いに来てくれて」

「──スイ様……貴方は、一体……」

アルライドの声が動揺している。嫌な予感がトアンの頭の中で回った。

す、その目はレインに向く。

「そして……お前。お前からは何か懐かしいにおいがする」

「……。」

「それから、…………ウィル。お帰り」

「──スイ、一体どうしたんだよ!」

耐え切れない、といった様子でウィルが叫ぶ。その瞬間身体の自由が戻り、トアンはがくりと膝をついた。見れば、ウィル以外の全員が其々疲労困憊といった様子で、しゃがみ込んでいた。ただ一人、ウィルはしっかりと立っている。……まるで、あの圧力を受けていないように。

「なんでこんな、こんなことしたんだ!? ……月千一夜は? やっぱりお前が渡してたのか!?」

「……随分と考えが働くようになったなウィル」

「話を逸らすな!」

「ふふ、やはり、か。そういうということはお前自身、気付いていたんだろう?」

不敵に笑ったスイを、トアンは再び怖いと感じる。漸く首を動かして、スイの後ろ──壁にある『もの』を見た。

壁に、見事な絵がかけられている。見事だ。そう、とても。驚愕に瞳を見開く二人の少年だ。その一人、トアンは見覚えがある。

「シラユキ……」

焔城周辺で出会い、忽然と姿を消した少年シラユキ。そして僧のような服装をした少年。──二人は、絵に埋め込まれていたのだ。

「シラユキ! アディラ!!」

「そう騒ぐな、美しい絵だろう? 人間の表情が苦痛と、そして絶望に歪む様子は」

「……どうして……」

ぽつり、消えそうな声でチェリカが呟いた。彼女の視線は、絵ではない。アルライドの視線も彼女と同じ、玉座から壁にかけてを見ていた。


ゆらり。

そこには、ぼんやりと灯を弾く壁を、『二つ頭』の影が舐めるように這っていた──……。


「嘘だ……」


トアンは頭の中が真っ白になっていくのを実感した。まだ。まだ終わってなどいなかったのだ。


記憶が蘇る。

自分の足を引っ張って、奈落に突き落としたのは──ヴェルダニア。消滅してはいなかったのだ。


「……スイ! 答えろ!」

みっしりとした空気の所為で、ウィルの声が震えている。

「答えるも何も──何を答えろと?」

さらりとした髪を掻き分けて、スイが答えた。

「私は『そう。私はこの男の精神を長い時間をかけて』私だ。一体、何をそんなに怒っているのかが『……侵食した。長い、長い年月をかけて』わからない」

スイのこれ以上ないくらい透明な声に、罅割れた声が重なった。あの声だ、トアンは全身の毛が逆立ったのを感じる。

「──っ」

本能的な恐怖にチェリカが息を飲み込んで、じり、一歩後ろに下がろうとし──身体の違和感に気付く。

「動かない……!」

「チェリカも!?」

足は地面に吸い付いたように離れることをせず、そして僅かな身じろぎすらできない。それは、自分だけではなかった。

「まあ、いい。戻ってきて『少し黙れ。私の手足に、感情など不要……ふふ、はは。まるで笑い種だなトアン・ラージン。貴様は私を消滅などさせておらぬ。それに、こうしてこの器に入りさえすれば』」


『憎悪が我の糧となる』


ざらり、完全にスイの声を飲み込み、ヴェルダニアが言った。地のような瞳が爛々と輝き、狂気が走る。

「ヴェルダニア……。」

『チェリカ、貴様、我の影として生まれながらも我を映し出さず、そうして其処にいる……糧をよこさず、そうして光として居続けるつもりか』

「……私はもう戻らない。君の影なんかにならない! 其処から出てきて! また、誰かを取り込むの!?」

『誰か、ではない。誕生の守護神だ。それにもうすぐ……この男は消える』

「やめろ! スイから出てけ!」

怒りを露にしたウィルが鼻に皺をよせ、ぎり、と睨みつける。

「シラユキがちょくちょく様子が変だって言ってたけど! あれはお前が侵食してたからか!」

『……貴様……。そう、何故月千一夜を手渡したか聞きたいのだったな。この男は我に侵されることを悟り、自らを殺してくれる者を探していたのだ。その中には貴様の姿もあったが……ふふふ。お前は逃げ出した』

ぐ、言葉を詰まらせる。

「自分を殺す相手を……? どうして……?」

トアンが発した小さな一言を、ヴェルダニアは捉え、瞳を動かした。

『私にのまれることの阻止と、自らの罪の清算をするために──』

「そんな!」

「やめろ、化物!」

『……小僧が、大層な口をきくな』

バリィ!

「うわぁ!」

ウィルの身体を電流がかけぬけ、思わず悲鳴を上げた。

「ウィル!」

『この男を慕うのは、お前がまだ何も知らないからだろうな……?』

薄い唇に酷薄な笑みが浮かぶ。

「オレが……なにも知らないって……?」

『見せてやろう、貴様は疑問に思っていたのだろう、自らのことを。そして』


『この男への憎悪を呼び起こせ──……』


ヴェルダニアの楽しそうな声を聞いた瞬間、意識が強制的に遠ざかっていく。

「ああ!」

「うわっ」

「──ッ!」

「あああ!」

仲間の悲鳴が長く尾を引き、鼓膜の中をこだまし、そして──……

「──う」

ゆらゆらと漂っていた意識が浮上する。と、同時に身体を覆っていた束縛間が消え、自由になった腕に外気が重く感じた。

上体を起こし、辺りを見渡す。

「ここ、は……」

まっしろで、果てのない空間。影すらないその白さに、眩暈すら覚える。

見渡した先に──兄の姿を見つけた。

「兄さん!」

「……う、……」

揺り起こされる不快感に眉を寄せ、小さなうめき声を上げて、レインがうっすらと目を開く。

「なんだよ」

「兄さん、よかった」

「……? ──おい、あいつらは?」

徐徐に状況が飲み込めてきたのか、レインがトアンの手を払いのけ、

ゆっくりと立ち上がる。その白い世界に居るのは、二人だけ。

「わからない。出口も──?」

りん……

トアンの耳は微かな鈴の音を捉える。音はどこからか聞こえてくる。レインの耳もそれをとえたようだ。音の方向を探している。

「アル……?」

ヴン──

大気が震え、目の前に三つの光が浮かんだ。音は一番左の光から聞こえてくる。

「アル、そんなとこはいってんのか」

呆れたようにレインが呟き、光をつつく。

『よかった、二人とも無事みたいだね』

と、笑いを含んだアルライドの声が返ってきた。

『こっちからみると、二人が光に入ってるように見えるけど』

「アルライドさん、そっちは大丈夫ですか?」

『うん、平気。……ただ、』

「?」

『……久々に、あまり見たくないものをみちゃってねぇ。チェリカは? ウィルはいる?』

「多分、どっちかの光の中に居ると思うんですけど……」

『私はいるよ』

右に浮かんでいる光から、チェリカの声がする。

「チェリカ!」

『出らんないんだけどねえ……昔の光景をみたよ。アルライド、君もでしょ?』

『まあね』

話を聞きながら、ふよふよと浮かぶ光にトアンはおずおずと手を伸ばす。ぐん、中に引っ張られる感覚に慌てて手を引いた。

「な、なに?」

「こっちからはいけるみてぇだな」

レインが興味深そうに光を見ている。

「スノゥの反応が全然ねぇからわかんねぇけど、あのスイってヤツの仕業か。アルたちのところにいけるのかな」

この光に触れば、と付け足す。

「とりあえず合流しなきゃ。でも、チェリカたちのとこにいったら、こっちにまたこれるか……」

「それは後で考えろ。オレはアルのところにいくから」

「じゃ、オレはチェリカを……」


『なんだよ──これ!』

「え?」

不意に聞こえた声。真ん中の光からゆらりとゆらめき、パチパチと何かが燃える音が聞こえた。

「ウィルの声だ」

「あのガキ……」

光を覗き込むと、赤い炎が見えた。木が、いや家が燃えている。

「これは……お前とあいつの育った村?」

「ち、違う! ……あの夢だ!」

「夢?」

──お母さん──

母を求める、沢山の泣き声。これは、夢で見たとおりだ。

「ウィルを助けに行かなきゃ──ちょ、ちょっと、兄さん!?」

燃え盛る炎を見ても動じず、レインは光の中に手を突っ込んだ。

「お前はアルとチェリカを。いいな!」

「兄さん!? 兄さん!」

兄の身体が吸い込まれていく。トアンの声は、虚しく追いかけるだけだった。


オレにしか、あいつを助けられないとか。


オレがやるしかない、みたいな。


──そんなんじゃない。そんなうすら寒いこと、頼まれたって言えるもんか。


ただ、

ただ知りたかった。


あいつが何に囚われているのか。


だってそうだろう?

あいつはオレの過去を知ってる。オレが何に囚われてるか知ってる。それで、オレを迎えに来た。雨の中と、オレの心の中だ。

──ずるいと思った。あいつだけ見せないなんて。


だから、


手を伸ばした──……





「う、うおおおおっ!」

腹から搾り出すような声を上げながら、トアンは最大限の力をこめて手を引っ張る。ずる、アルライドの手がゆっくりと光から出てくる。だがこの光はなんとも厄介で、こうして引っ張るトアンもろとも引き戻そうとするのだ。

「がんばれー」

隣で先程助け出したチェリカが間の抜けた声援を送る。彼女のときはもっとスムーズに助けられたのに、アルライドは何故か大変だ。

「手伝ってよ、チェリカぁあー」

「ごめんねぇトアン。どうも俺の過去はしつこくってさあー」

チェリカの返事のかわりに、アルライドの手が、謝罪をするように動く。

(こ、この人なんて能天気なんだよ)

そう呆れた瞬間、思わず足の力が抜けた。

「う、わ……!」

引き込まれる! ぐんと強い力で引かれた

──が。

「大丈夫?」

「あ……ありがとう」

いつのまにか後ろに立っていたチェリカが、しっかりと腰を掴んでくれていた。右手は光に添えられ、引っ張り込む力を押し戻している。

「我が手足の妨げになるものよ。今すぐに去れ」

少女の可愛らしい声が耳元を掠った瞬間、ずるりとアルライドが抜け出てきた。勢いあまって三人は地面に倒れこむが、すぐさまアルライドが二人を起こしてくれた。

「ありがとう、トアン、チェリカ」

「ううん、オレはただ引っ張ってただけで……チェリカ、今のは……?」

うんしょ、年寄りくさい声をあげ、少女が立ち上がる。

「簡単なまじないだよ」

「まじない……」

「簡単ね、よく言うよ。俺には随分大きい力が動いたように感じたけど?」

「働きかけただけ。あとは勝手に反応してったの」

チェリカはイタズラっぽく笑うと、ウィルとレインがいる光を覗き込む。

「さっきから試してるんだけどさ、中に入れないんだよ」

「へぇ、……おっと」

触れようとしたアルライドの手に、バチ、という音を立てて強い火花が散った。

「拒絶されてるみたい」

「待つしかないのかなぁ……」

光の中では、悪魔のような光景が広がっている。



(暑い)

もくもくと立ち上る煙。木を燃やす炎。立っているだけで体力を吸い取られそうで、レインは額の汗を拭った。もともと暗殺部隊は雪深い山奥の施設に暮らしていた。それにもともと、レインは寒さには強いが暑さはどうも苦手だ。

(ここは……)

改めて辺りの状況を確認する。燃えている、家、家、家。そして、森。そして──

(──!)

鼻をつく悪臭に、レインの眉が寄せられる。この臭いを嗅ぐのは初めてではない。むしろ、嗅ぎなれていたものだ。


(人が、焼ける臭い──)


じっと辺りを見渡す。燃え盛る木材の隙間に、黒く炭化していく『もの』があった。

火傷によって所々膨れ上がったもの。

まだ紅を纏ったまま、うつ伏せになり形を保っているもの。


そして、先程見た、すでに黒く炭化してしまったもの。


「……。」

ゴオオ、熱風と共に吐き気を催す悪臭が辺りに散る。レインは口元を押さえたが、それ以上の反応はしなかった。

(あいつを連れてこなくて良かった)

ふと、心からそう思う。あの弟のことだ、嘔吐をし、恐らく暫くは食事はおろか睡眠すら満足に取れなくなるだろう。

なんとなく足をとめ、鮮血の中に伏せる人型の──背格好からして男だろう──を観察する。

(死因は恐らく魔法かなにかか。……爆発か、でかい力で一気に吹っ飛ばされたな)

そのすぐ横に転がる小さな遺体に視線を移す。

(こっちは……首元から爆破されてる。何かで切り裂かれたような後もあるし──多分、きっと殺したやつはすげぇ憎悪を抱いていた。だからこんな徹底的な殺戮をしたんだ)

其処まで考えて、部分的に飛び散るパーツや、村の様子も思考に取り込む。

(いや、恨んでるけど特定の『誰か』じゃねぇな。しいていえば、この村『自体』を恨んでたのか)

かさかさ、熱風に子供の死体から羽飾りが剥がれ、ふわりととんでいく。

そう言えば、この村に住んでいた人たちの格好は独特だ。羽をあしらった飾りを身につけ、見る限り服装に金属などは一切使われていない。しいて言えば、全て布だ。腰巻も、肩当も、丈夫そうな布。

──どこか奥地に住まう、少数民族だろうか。

ドドド……ン……

「!」

辺りを響き渡らせたのは、強大な地震。……いや、地震ではない。土煙を纏い、一際巨大な建物が崩れ落ちていくのが見えた。

(とにかく、あのガキをさがさねぇと)

バタバタと、かかとを潰した靴が馬鹿な足音を立てていく。


「……さん、母さん──!!」

少年の悲痛な叫び声を、土砂と煙がかき消していく。

ウィルは、ただそれを呆然と見ていた。


先程まで、ここは平和で、森の息吹に満ち溢れたところだった。当初、この光景を見て、ウィルは首を傾げるだけ。

見たことあるけど、思い出せない。

ふと、その中に見覚えのある後姿を見つけた。なんとそれは自分自身で、この空間に溶け込んでいた。優しげな母親は驚くべきことに『あの村』にいた母と同じ姿で、自分は今の自分と同じくらいの年齢、そして背格好だった。

違和感が、あった。

自分と同じものがこんなにも溶け込んでいるのに、自分は思い出せない。

だがしかしそれは、安らかな雰囲気に目をつぶることで、とても居心地がよいものになっていく。母と自分は幸せそうで、見知らぬ村の人々とも親しかった。



それを。


それを一瞬で、炎と爆発が包んだ。




炎が舞う一瞬の前に、ウィルはある姿を見つけた。それは、自らが仕えていた、誕生の守護神そのもの。不思議なことに村人たちはその姿をみても驚くことなく、優しく笑いかけた。

……ただ、それだけなのに。

誕生の守護神は、いや『そうなるべき男』は虚ろな目をあけると村人の首を掴み、



しんじられなかった。



村を爆破し、紙切れのように人の身体を切り裂き、血に塗れた腕で何かを探すように、そして血の涙を零しながら、緑を赤で埋め尽くしていったのが、自分の信じていた男だったとは。

「うそ、だろう」

かさかさに乾いた声が、崩壊した建物──何故か集会場と『知っていた』──に吸い込まれる。

母親は、即死だ。

建物に圧死され、死んだ。

だが、目の前の『ウィル』はかすり傷だけで生きていた。理由は、母親が身を挺して彼を庇ったからだ。

「母さん、母さん、死ぬなよ、母さん」

泣き声が、嫌でも耳に届く。どしゃ、力が抜けて、ウィルの膝が地面を擦った。

「くそ、あいつ、ゆるさねえ……! 殺してやる!」

「……やめろ」

「母さんを、村の皆を! 殺してやる!」

「やめろ」

「ずっとオレたちが守ってきてやったのに……」

「やめてくれ……あいつは、オレにチャンスをくれた……のに……」

とう、ウィルの瞳から涙が零れた。

聞きたくなかった。耳をふさいでもだが、彼の声は決して消えてくれない。

「『もりびと』の子」

静かな声に、体が刎ねた。返り血を浴びて真っ赤にそまった髪を風に揺らしながら、スイがこちらを見ていた。

いや、『ウィル』を見ている。ウィルには目もくれず。

「スワロフスキィ!」

『ウィル』が、泣き声まじりの声で叫ぶ。

「お前が最後の『もりびと』だ。その身をもって罪を償うがいい」

「罪だって? オレたちが一体何をした! ずっとお前らエルフを守ってやってたオレたちが!」

「スノゥを人間たちに手渡した」

「……あれは、」

一瞬、『ウィル』が口ごもる。

「……。そうだ、お前は最後の『もりびと』として、この村を見送るといい」

にたり、悪魔のような笑みを浮かべて、スイが手を伸ばす。

「ふざけんな! スワロフスキィ、絶対、お前を殺す!」

「殺せるものか!」

ビキビキビキン!

その手から放たれた足に届き、あっという間に少年の身体を結晶の中に包み込んでしまった。

怒りと憎悪を浮かべた表情の少年の像を冷たい目で眺めると、スイの姿は、いや、エルフ『スワロフスキィ』の姿は消えていった……。


「笑えない」

炎と木が燃える音に辺りが包まれたころ、ウィルの口から自然と言葉が零れた。

「……はは、なんだこれ、オレは、一体今まで何を守ってきたんだ?」

瓦礫に埋もれた母の姿に火がうつり、ゆっくりと燃えてく。

「オレは……!」

あの少年は、自分だ。そしてこれは、実際にあったことなのだ。

「あああああああああ!」

悲痛な声をあげるとウィルは拳を勢いよく地面に叩き付け、ずるずると項垂れ、顔を伏せた。



足が、急ぐ。今の叫びは、彼の声。

──なにかあったのだろうか。

不安、そう、なれない感情が押し寄せてきて、レインの足がもつれそうになる。息が上がってきてよどんだ空気が身体を刺す。

それでも。

煙の中で、少年の後姿を見つけた。


ガラガラガラ……

建物がどんどん崩れていく。だが少年は身動き一つせず、そこにただ、居るだけ。

「おいっ……」

思わず名前を呼ぼうとした瞬間、柱が少年のほうに倒れていくのが見えた。

「──!」

危ない、叫ぼうとした声は張り付いて、うまく音にならない。このままでは──

バシィッ!

乾いた音を立てて、驚くべきことに柱が少年にぶつかる瞬間、いくつもの蔓がそれに撒きつき、少年の頭上から軌道を逸らす。

ズズズン……

低い低い地鳴りを立てて、建物が完全に沈んだ。もうもうと土煙があたりを包み、炎の燃え盛る音がそれに添えられる。──無事の、ようだ。

「……は、はぁ。大丈夫か」

荒い息を押さえ押さえ、その背中に問いかける。


ぢり、頬を通り過ぎたのは、あふれ出る憎悪だった。



違和感。

背中を嫌な汗が通り抜ける。だがそんなことを悟られぬように、動揺は僅かに瞳を見開くだけになんとか自分を保つ。

(怖い……? このオレが?)

自分に向けられたままの、背中。

だがそこからひしひしと伝わってくるこの気配は、自分が知っているあの少年のものではない。

「……おい?」

「なあ、どうしよう」

「え?」

「オレが今まで信じてきたのは、全部、偽りだったんだ。……あいつのいったとおり、スイがオレを助けてくれたのは、自分のした罪から、この村の虐殺から逃げるために、オレに殺させるためだった……それなのに、オレは、何をしてた? あいつに仕えて、あいつの言うことをきいて、あいつから逃げて……。母さんが、みんなが殺されたのに」

やけに淡々とした口調が、怖い。レインは眉を顰め、一歩背中に近づく。

「それなのに、オレは、あいつを助けたいって! 母さんの記憶もキークに利用されて、自分だけが助かった! ……なにもかも、利用されてた! 悔しい、畜生!! オレはどうしたらいいんだよ!」

だん、拳が地面を叩く。

「……この村、お前の生まれたところか」

彼は答えない。

だん、だん! 土煙が舞う。相当強い力で叩いているのだろう。

普通なら今すぐにでも駆け寄って、手が傷つくといってそっと包んでやるのだろうか。だが、レインはそっと目を伏せると、その背中に近寄っていく。

「……いつまでそうやってるつもりだ」

「…………。」

「これは過去なんだろ? だったら今更どう足掻いても変えようがないじゃねぇか」

「…………うるさい」

「あのときオレに散々偉そうなこと言ったくせに、自分のこととなるとメソメソして」

いい加減にその背中を見ているのが辛くて、手をかけた、瞬間。

「──うるさい!」

強い力でそれは振り払われ、油断しきっていたレインの身体はバランスを崩して地面にしりもちをつく。

「ほっといてくれ! オレはここに残る!」

「……そんな、勝手な」

「レインには!」

は、ウィルが一端息継ぎをした。まだ呆然としたままのレインの言葉を遮って、彼は背中から強い拒絶をあわらした。

「アルライドも、トアンも……待っててくれるヤツだっているんだ! オレ一人いなくなったってどうにでもなるだろ! だから」


まさか、自分がこの少年から拒絶されることになるなんて。

思っても見なかったのに。


「オレなんていらないじゃねえか! さっさとどっかいけよ!」


(聞きたくない)


拒絶の言葉が、耳を塞いだ。


(聞きたくない……)



『うるせぇな』とか『ほっとけよ』とか。『もう疲れた』とまでいって、何度も突き放し続けていた。それは自分が、少年をだ。

なにしろまた得たものが失われるのはとても怖かったし、干渉をされたくなかった。

でも、どんなに拒絶しても、必ず少年は迎えにきたのだ。迎えにこられるたび、苛立ちと嬉しさに心が揺れた。嬉しいなんて口がさけてもいえないけれど、確かに自分を満たしていった。

迎えにきてもらうたび、自分が必要とされているのを嫌でも知った。だからそれに安心しきっていたのかもしれない。


──自分が拒絶されるなんて、思わなかった。



じわじわと心を影が覆っていく。信じられない、信じたくない。そんなのは、嫌だ。

「──そんな……」

そうだ、この少年は違う。違うんだ。自分を何度も迎えに来てくれたあの少年とは違う──

(違う! そうじゃねぇだろ!)

そうやってこの『少年』を否定することは、少年の『全て』を否定することになる。違う、それではない。

(一部しか認められないのは……術にかかったハクアスと同じだ。第一、こいつはオレのこと全部認めてくれた)

アルライドのことは大好きだ。けれども、自分と彼はずっとずっと親友だったのだ。

それでもほんの少しだけ少年を置き去りにしてしまったことに、気付かないなんて。

不安を抱える相手に、さらに不安を背負わせるなんて。

立ち上がり、再び少年に近づく。


「……馬鹿野郎!」


ぎり、歯軋りをして力をこめると、そのいつまでもこちらに向かない背中を蹴り飛ばした。背中に語りかける趣味はない。いい気味だ。

「な、何するんだよ!」

やっと、怒った少年の顔がこちらを見た。

目と目が、カチリとかみ合う。



突然背中を蹴り飛ばされて、鼻が地面を擦った。油断をしていたようだがこの場合仕方がないだろう。

「な、何するんだよ!」

咄嗟に怒鳴って振り返って、……気がついた。

「ただ単に寂しかったにしちゃ、いい加減付き合ってやる気もうせたぜ。……一回オレたちが深水城に戻ったとき、オレはお前のことを正直恨んだ。おいていかないって約束したのに、お前はそれを破った」

きついことを言いながら、だが、それでもどうして。

「でも、また会えた。それからその後アルと再会できた。……で、だから? オレがスノゥで、あいつがスイ。で? 運命って言ってたあれ、ああ、皮肉か。でもな、だからなんなんだ? オレが今現在パートナー結んでんのはお前なんだぜ」

──どうして。

「……それを、今更おいていけるか」

「なんで、レインがそんな顔してんだよ……」

「は?」

「だから、なんでそんな泣きそうな」

スイへの憎しみが、ほんの少しずつ消えていくのを感じた。改めてみるレインの顔は、今にも泣きそうな迷子そのもの。

レインは、その言葉に呆然と自分の頬に手を当てた。──と思ったら。

「ふざけんなよ!」

ガツン、激しい衝撃と共に身体が蹴られる。今度は横倒しになって、土煙がまう。

「っ……ゲホ、ゲホ……! なにすんだよ!」

ゆっくり身体を起こすが、すぐに襟首が掴み上げられた。

「オレの話聞いてたか!? ……オレは、絶対お前をおいてかないからな! 意地でも引きずり出してやる!」

「……レイン」

「自己完結して、これでお前は終わりなのか? こんな過去にしがみ付いて、憎しみと悲しみだけに囚われて、お前はそれでいいのかよ!?」

「……」

「迷子だの何だの言ってる暇があるなら、なおさらオレをおいていくな。……このままで、いいのか?」

「……いやだ」

じわり、ウィルの視界が歪んだ。間近で見るレインの顔がぼやけ、歪んでいく。

頬を伝ったものが『涙』だとすこしばかり遅れて気がついて、気恥ずかしくなって隠そうと手をあげる。

「隠すなよ」

ふんわりと耳を撫ぜたのは、ガラにもなく優しい彼の声。

「アルのことは、オレも悪い。でも、アルはオレの大事な人だ」

何とか頷いて、話を聞いていることを表す。

「居場所がほしいんなら、オレがお前の居場所になるから。その逆もだ。……自分で言っただろ、隣を歩くって」

ゆっくりと零れる涙が、頬を伝う僅かなかゆみを与える。先程とは違う、優しい力で彼の腕を払うと、ウィルは背中を向けた。

涙を見せるのは、自分が弱いといっているようなもの。そう思ったら、もう顔は見せられない。

は、呆れたようなため息が後ろから聞こえた、そして──



優しく背中から抱きしめる力が、最初何かわからなかった。

「……別に、泣くなっていわねぇ。オレはもうお前の前で何回も泣いた。オアイコじゃねぇか、これで」

先程泣きそうな表情をしていた彼は、今はきっと微笑んでいるのか怒っているのか。今ならチェリカが、彼を『母』と言った理由がほんの少しだけわかる気がした。

「一度にいろんなもの見て、混乱してんだろ。我慢するなよ。……少なくとも目の前で、母親を失ったんだ。理由ならあるだろ」

「──っ」

優しい言葉というのは、こうやって、


「うわああああ──ッ!!!」


人を救い、その足元を崩すのかと、思った。




正直、何について自分が泣いていたのか自分でもわからない。母のこと、真実、焼かれた村のこと、そしてレインのこと。ただ、酷く何かに申し訳ない気持ちになって、酷く開放された気持ちになって、酷く寂しい気持ちになって、酷く安心した気持ちになった。強い強い感情の渦に巻き込まれて、ただ涙を零し、声の限り叫んだ。──その感情に、憎しみはなかった。

そしてその間、背中のぬくもりはずっと傍に居てくれた。


きらり、緑色の光から粒子が零れる。

トアンの目の前で、確実に何かが動いていってるのだ。そう思うと、自然に生唾を飲み込むことになった。

自分の知らない世界で、そこでひたすら苦しんでいた『ウィル』。それが今、やっと糸が切れたように声を上げて泣いていた。

(気付けなくて、ごめん)

簡単なことだったのに。慕っていた人の真実を確かめる。その覚悟を決めるだけでも、彼にはものすごい負担になっていただろうに。

(ウィルがこんなに泣くなんて……初めてみた)

狭い『村』という世界で、同じ景色を見て育ったトアンとウィル。だがその先に続く運命はあまりにも過酷で、似ても似つかない。

一緒に育った時間の、その中でも、ウィルが『泣く』ということはあまりにも少なかった。例え喧嘩で負けようが、村長から濡れ衣で怒られようが、森の探検中に大怪我したときすら、彼は泣かなかった。

(ごめん)

「スワロフスキィって、なんのこと?」

隣に立っていたチェリカが首をかしげ、アルライドに尋ねる。

「誕生の守護神スイの本名だよ。彼がまだエルフだったころのね」

「そうなんだ……。じゃあ、スノゥを人間に渡したってのは?」

「屈辱の末嬲り殺されたエルフスノゥ。彼女は人間に殺されたんだけど、でもその人間たちに彼女を引き合わせたのが『あの村の住人』だとスイは思ったんだ──……間違ってないんだけどね。そんなつもりじゃなかったんだけど、結果としてスノゥが殺されたから。スイは怒ったんだ」

「アルライドさん、『もりびと』っていうのは何のことですか?」

「……。『もりびと』っていうのは──」



「……う、……ッう、……」

げほ、何度か咽ながら、やっと落ち着いてきたのかウィルが乱暴に瞳を擦った。

「けほ、……は。」

「……落ち着いたか」

「お、おう、ごめん」

優しい声がこそばゆくて、心配をかけないように振り向いた瞬間──……

「世話のかかるガキだこと」

ドン、不機嫌そうな声とともに再び前向きに突き飛ばされた。

「な、なにすんだよお」

「早く起きろ。こっからでるぞ」

「そういいながら踏むな!」

ガァっと怒鳴りながら起き上がると、ぐりぐりと背中を踏んでいた彼はすんなりと退いてくれた。こちらを見る瞳は、いつものもの。

「なんだよ、優しくしたり突き放したり……」

「付け上がられても困る」

「なんだと──って、お?」

きら、結晶に閉じ込められた『ウィル』の周りが輝きだす。それは徐徐に輝きを増し、不意に強い光を帯びると周囲に散らばった。

「な」

強い光に、思わずレインは瞳を閉じる。


ウィルは、強い光の中でそっと目を開けた。目をやくような光はだがしかし、決してウィルに危害を加えたりしなかった。小さな破片の中に、自分の知らない自分の過去が映っていた。

(この村で暮らしてた15年間……あの村で過ごした15年間……)


(嘘じゃない、これは『オレ』にとって真実だ)


──そうだろう?




「トアン、トアン! あれ!」

ガラにもなく慌てたチェリカの声にはっとして振り返ると、真っ白な空間がガラガラと崩れ始めていくのが目に飛び込んできた。ものすごい勢いで崩壊して行くそれは、徐徐にこちらに近づいてくる。崩れ落ちた先は、果てのない闇。

「兄さん、ウィル! 早く出てこないと、こっちが消えちゃう!」

光の中は真っ白で、何も見えない。

「いや、トアン。待ってたら俺たちが巻き込まれちゃう! この光はスイの力で満たされているから大丈夫だよ!」

「で、でも!」

「とにかく逃げよう! あそこに切れ間があるでしょ?」

すっとアルライドが指した先には、渦巻いている青白い光があった。

「さっきまであんなのなかったんですけど」

「俺がつくったの」

「……ええ?!」

「アル! トアン! 床がッ……!」

「~、くそ!」

ウィルとレインを置き去りにする。その事実に後ろ髪引かれる思いで、だが足は走り出す。


カッ、眩い光がさらに激しくなり、突然ゆっくりと薄れていった。瞼の裏が段々暗くなっていくのに安心して、レインは息を吐き出す。

「何だったんだ……?」

何度か瞬きするうちに視力が回復してきたようだ。辺りの様子が見えてきた。

だが、そこにいた少年は、

「……おい、その格好……」

「あ、うん」

結晶の中に居た少年と同じ服装。そして、羽飾り。

(どっちだ?)

自分のパートナーか、過去の少年か。見分けが付かなくていぶかしむ様に眉を顰めると、少年は両手をぶんぶんとふった。

「オレだよ。レイン」

「……へぇ。でも、どうして?」

「わからねえ。でも、さっきあの光の中で、オレが過去を受け入れたら結晶と同化して……気がついたらこの姿になってた。大丈夫だ、『この村の記憶』も、『今までの記憶』もある」

「別に、そんなとこ心配してねぇ」

といいながらも、険しい瞳がほんの少しだけ緩んだ。それを認めて、ウィルの心が温かくなる。

「ありがとな、レイン」

「何が」

「気付かせてくれて。ありがとう」

「別に。……今は、あの誕生の守護神をどう思ってんだ?」

「うん、それなんだけど。もう一回、話し合おうと思って」

「……憎くないのか?」

「まあな。レインのおかげ」

「は、馬鹿みてぇ。……全部を知っても、馬鹿正直なのは変わってねぇな」

「なんだと!」

ズズズン、ズズズ……

「!」

「うわ!」

低い地鳴りと激しい地震。そして、それに伴って霞んでいく景色。視界の端で、地面が崩れていく!

「な、なんだ?」

「逃げるぞ」

「逃げるって、ちょ、待てよ!」

走り出したレインを追って、ウィルが走り出そうと瞬間──

「うわああ!」

がらりと足元が崩れ、真っ暗な底なしの闇に体が落ちていく。

「ウィル!」

先を走ってきたレインが悲鳴を聞いて手を伸ばすが──届かない。そうしているうちにレインを支える地面も崩れ、二人の視界は黒に塗りつぶされていった。




「……いて、──ぐえ!」

ドスン、身体が何か柔らかいものに、衝撃を逃がしてくれた。高いところから落下したようだが、ここは空間がねじれた城。落下先ではあまり高さはなかったようで、身体のどこも怪我はしなかった。だが。

「気持ちわりぃ声だすなよ……」

不機嫌そうで呆れたような声で、腹の上ですました顔をした少年は呟いた。

「レイン……お前がオレの腹の上に落っこちてくるからだろ! 重くはねぇけどすごい衝撃が腹に! この骨と皮! 骨がいてえ!!」

「知るかよ馬鹿。……あ、ここ」

警戒心がない、素直な声。薄暗く散らかった部屋をみて、ウィルの瞳が見開かれる。

落ちた場所が、硬くない方のソファでよかった。

「オレの部屋……」

「こんなとこに繋がってたのか。……誕生の守護神ってのは、一体何を考えてるんだ?」

顎に指を当てて考えこみ、レインの眉が寄せられる。ウィルは立ち上がると、壁に巧妙に隠された小さな扉を開けた。

「おい?」

「おいじゃない。名前で呼んで。さっきよんでくれたじゃん」

がさがさと上半身を突っ込みながらウィルが文句を言った。その言葉にレインはため息をつき、乱暴に髪をかき回した。

「レインー?」

「調子にのんな」

「なんだよ、チェリカとルノはほとんど名前で呼ぶくせに」

「うるせぇ。……もっと強くなったら」

「……ん?」

「……。何やってんだ、さっきから」

「ああ、うん。あったあった」

埃塗れになった顔上半身がやっと出てきた。蜘蛛の巣まみれになった何かを引き摺りだすと、ウィルはにっと笑う。

「なに、それ」

それは前と後ろに一つずつタイヤが付いていて、サドルとものすごく急激なカーブを描いたハンドル、後輪の上には荷台が付いていた。

「へへ、これは『プレーズ』。古代、ずーっと昔に使われてた移動用の乗り物だ。自転車とも言う。今はエネルギーが空だけど、精霊のエネルギーを吸収して、水の上とかでも移動できるらしんだぜ。すごいだろ。スイから前にもらったんだけど、まだ動くかな」

丁寧に埃を取りながら説明される言葉に生返事をしながら、レインは生き生きと語るウィルを呆れた瞳で見ると傍により、点検をするその手元をじっと見つめた。

ウィルは照れたように笑うとサドルに跨り、ブレーキの確認をする。

「楽しいか?」

「え、いや、まあ……」

「つか、それで何するつもりなんだよ」

「……これは、スイが発見して修正したものだ。まだ気配が残ってるから、多分、これに乗ればスイのところにいける」

「ふうん」

「ただ、これ一人乗りなんだけ、……ど?」

「二人乗れる」

つもりつもった埃を払い、ひょいと後ろの荷台に乗ったレイン。

「これでいいだろ。ほら、いくぞ」

「し、しっかり捉まってろよ! ……彼の力を辿れ!」

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